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振り返って

この大震災で、私の周囲では義妹の家と、2人の友人の家が全壊になった。
それぞれ一時よそへ避難していたがいち早く自宅を再建した。

我が家はと言うと築4年足らずのマンション、ローンをいっぱい抱えたマンションは無事であった。
しかし前述の液状化現象のため、地の底から噴き出した細かい砂が駐輪場や通路に積もり
ドロドロであった。その量は倒れた自転車を埋めつくしていた。
これは後ほどたくさんのボランティアの手によって建物の下に戻された。
しかし地面が沈んだため地面と建物の間に段差が出来てしまった。
これは管理組合によってスロープを新設したり階段を増やしたりの処置がとられた。

室内の整理にもかなりの日数を要したのは言うまでもない。
倒壊した家からガスが漏れているため元栓を閉められるまで、我が家の辺りは当日の夜まで
ガスは出ていた。今考えるとよく引火しなかったと思う。
落ち着いて新聞を読むことも出来ず、ただ余震に怯えながらテレビのニュースを見ていた。

電話も不通である、15年前ケータイはまだそれほど普及していなかった。
そして食料品が手に入らない。避難所には物資が届いても街に食料が売っていない・・・

1月22日NHKの特別番組「被災地からの声」を観ていると、普段なら感情を抑えているはずの
古屋和雄アナウンサーがポロポロ涙を流しながら番組を進行していたのが、印象的で今も忘れられない。
その後、古家アナウンサーは震災関連の本を出している。

3日目か4日目にチラッと見た新聞の犠牲者の住所の中に、一番の親友の家の辺りの住所を見つけた。
名前を見ると前の家のおばあさんらしい。ここで初めて親友の家の近所も、大きな被害を受けた
ことを知った。
急いで原付に乗り、震災後初めて友人の家に向かう。
そこはみたこともない光景・・・道路はパックリとセンターラインで大きな口を開けている。
しばらく走ると「ここから先は非常に危険である、もう少ししたら通行禁止になる。
帰りは通れなくなる」と言われた。それを承知で友人宅へ向かう。ここを曲がると家だと思う所には
崩れた家が道をふさいでいた。奥を見ると友人の家はある、建っている。
崩れた家の上を通り辿り着き呼んでいると、お隣の窓が開き小学校の体育館に
避難していると教えてくれた。すぐ教えられた体育館へ向かう。
扉を開けると、新聞やニュースで見ている光景がそこにあった。
名前を呼びながら体育館の中を歩いていると、顔なじみの方がいた。
Kさんは舞台の前だと教えられて前の方まで進むと、声がした。
ヨカッタ!ヨカッタ!抱き合い互いの無事を喜んだ。
この友人は今も1月17日になると地震のあった時間に目覚めると言う。
そして1日中フラッシュバックに怯えている。



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