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震災余波・・・

震災は色んな形で傷跡を残した。
私と友人が16年ほど仲良くしていたHさんが、震災を機に離れていった。
3人とも上の子も下の子も同じ学年で、親同士何かと仲良くしていた。子どもたちが少し大きくなってからは何度か旅行にも行った。
抜けたのはHさんで、今も仲良くしているのはSさん。

Hさんが抜けたのはなるべくしてなったのだとは思う。
付き合っていくうちに?と思うことが増えて来ていた。約束の時間に現れないことは珍しくなかった。ケータイのない時代、30分はいつも待った。あまり遅いので家に電話をすると「今から出る」と悪びれることもなく言うことがあった。そのうち彼女との約束は30分早く伝えるようになった。常に遅れると待つ方より待たす方が慣れっこになった。「ごめん」と言っていたうちは良かったが、遅れて言い訳をするようになった。時間にもお金にもルーズだった。

震災の約4年前、我が家は今の住所に引っ越していたが、後の2人は割合近くに住んでいた。
Sさんの家は震災で全壊をした。全壊をして落ち込んでいるSさんに、デリカシーのない言葉を投げた。
Sさんは完全にHさんに対し心を閉じた。そんなことがあり駅前で出会っても、避けるようになったと聞いている。
一方私はSさんが家を再建するまでの、仮住まいを相談された。
当時マンションの管理会社に勤めていたので、社長とオーナーに頼み2棟持っていたマンションの一室を、借りる手配をした。こんなことがありSさんから信頼を得たのだろう。

あの未曾有の大震災で多数の家屋が倒壊し、直後から住まいを求める人が多く、震災から一週間後に住まいを捜し始めた時には、自力では見つけられないほど物件が不足していた。
現に管理人をしていたマンションも、57戸のうち震災前には14戸空き家があった。
しかし直後から入居の申し込みが殺到し、ガスも水も出ないマンションに「婿1人に、嫁6人」状態であった。
このマンション賃料が高く空き家が増えていたが、入居者が直後に「家賃が高いので下げてもらいたいと思っていたが、家族が皆無事でよかった。しっかりしたマンションに住んでいて助かった?」と言った。部屋から見えるアパートが2棟全壊したのを目の当たりにしての言葉だった。

元々3人はもめる元だったのかもしれない。ただ大人なので少しの心遣いで、上手く付き合うことは出来た筈なのにそれが出来なかった。

Sさんの家はその年の暮れに再建した、震災後、一度もHさんに会っていない。

   IMG_1379.jpg
 
  ↑《にわぜんきゅうギャラリーより》


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