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あの日から・・・

15年経った、早いと思うか、まだ15年と思うか感じ方は色々だと思う。

阪神間に住みながら大した被害のなかった我が家、あえて昨日は書かないでおこうと思っていた。
しかし考えてみると新聞やテレビで目にするのは激震地と言われる、もはや再生不可能かと
思われるほど被災を受けた地域の目を覆うような被災の様子であり、それらの方が一時避難した
避難所の様子や復興住宅での様子である。またたくましく復興を遂げた街の様子である。
それほどの被災は受けていなくても、日常生活に困難を極めた少しだけ被災した者の様子を
綴っておこうと思う。

あの日、30分後には目覚ましが鳴りいつもと同じ日が始まるはずだった。
それなのに目覚ましが鳴る前の5時46分に激しく突き上げられるようなものすごい揺れで目覚めた。
怖い怖い!!と叫びながら頭から布団をかぶって揺れが治まるのを待った。
長い長い時間だと思った。その間、夫が自分の蒲団をかけてくれたように思ったが、
後でかけたのか偶然かは記憶にはないようだった。
揺れの最中「ワー」「ウオー」と夫の叫び声が聞こえたが見る余裕はなかった。
揺れが治まり第一声は「大きかったなぁ!」そして「箪笥が倒れてるんや」当然電気は点かない。
薄暗い中で目を凝らすと和箪笥の上の部分が夫の蒲団の上に倒れている。
「○美は大丈夫か?」と言われ娘の部屋へ声をかけると「怖かったよ!」とおびえた声がする。
無事だヨカッタ。
まだこの時点では未曾有の災害、地獄のような事態が起こっているとは知らなかった。
この街は新しい街でその当時は戸建て住宅がなくマンションだけの街であった。
ゆえに瓦の落ちる音も家の倒壊音も聞こえなかった。
外を見ていた夫の「雪が降ったんやなあ」と言う声で、私もベランダに出て外を見る??
何だか変だ駐車場も通路も何だか白っぽいが雪ではない。
マンホールが10センチぐらい飛び出している。
この白く見えたのが液状化現象と言う初めて聞く言葉のせいであった。

30分ぐらいで電気は復旧した、いつものようにパンを焼き?を飲んで出勤した娘と夫だったが、
徒歩5分の駅へ行くと線路の上に工場の煙突が倒れていて電車は不通になっていると
娘だけ帰ってきた。夫は甲子園まで行けば大丈夫だろうと歩いて行ったと言う。
悲しいほどのサラリーマン根性である。

この日から水もガスもない生活が続くとは思いもしなかった。
水は3週間ガスは4週間止まったままだった。
JRも阪神も阪急も電車は不通になり地獄の通勤が待っていた。
阪神高速も新幹線の橋脚も倒壊したのだった。

  



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