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1・17

阪神淡路大震災から二十一年経った。
今日は、神戸市を始め当市でも1・17の集いがあった。
毎年この日を迎えるにあたって、忘れかけた記憶の欠片を拾い集め
思い出すようにしている。

ドンと突き上げられた瞬間から、水が3週間一滴の水も出なくなった。
そしてガスはこの日の夜から、4週間出なかった。
電気は1時間ほどで復旧をした。
レバーを下げれば溢れんばかりに水が出て、スイッチ一つでお風呂が沸く生活が一変した。
水が出ないなら、スーパーで買ってこなければとスーパーへ行くと
開店時間が過ぎているのに、まだ開いていない。
開店を待っている人の長い列。
程なくして開店したが、入場制限をしていた。
待つ間、出てくる人をみると、大型のバケツなどを買って出てくる人が多い。
こういう物を買わなきゃいけないなら、手持ちの現金では足りないと思い、
2階のATMに行ったが、閉まっていた。
この時点ではまだ、未曾有の大震災が、起きているとは思わなかった。

私が店内に入った時には、すでに棚には一本の水も並んでなかった。
ワンケース抱えているお兄さんに「いいなぁ」と言うと、1本分けてくれた。

この日から水を探し、なんとかガスボンベとコンロを手に入れるべく
原付で走り回った。
ガスボンベとコンロが手に入るまでは電器鍋とポットがフル活躍した。

毎日食べるパンもなかった。これは避難所などへ優先的に送るという
取り決めがあったのだそうで、なかなか市場には十分な量が出回らなかった。

スーパーでは、お総菜ができあがると取り合いになった。
水がないので、手っ取り早いお総菜に群がったのだ。
ポスレジが使えず手打ちをしていた。

娘が休みの日、近くに自衛隊の給水船が来ているとの情報があり、
浜までもらいに行った。
水の入ったタンクを4つ、積んでくれたのには有り難くて涙が出た。
これでご飯が炊けると思うと本当に嬉しかった。

電車も、JR・阪急・阪神ともに一瞬にして動かなくなり、現役だった夫は
自転車で神戸まで通勤し、娘は関西空港まで行き、船で通勤した。
電話も通じなかった。まだケータイが今のように普及しておらず、
我が家の様子を、実家に知らせることが出来なかった。

まだまだ限りなく思い出すことがあるが、ここにアップするのはこのぐらいにしておこう。
過去記事の1月の項には、それなりに残してある。

被災地へ急ぐ背中の水の音   夢草
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