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雲になりたい

川柳を初めて20年あまり、主に発表句を写真やイラストでフォト川柳をアップしたり、ブツブツつぶやきます。

Top Page › 両親 › 両親のこと③
2014-01-28 (Tue)  11:17

両親のこと③

重複する部分があります。

神様はよくみているもので、割合早い時期に兄嫁に罰が当たった。
鬼のような、否鬼そのものの兄夫婦に当たった罰とは・・・。
兄嫁に新たに癌が見つかり、脊椎狭窄症も発症したのだと言う。

恐らくもう農業は出来ぬ身体になるであろう兄嫁と、たいして仕事をしない兄。さてこれからどうなるのだろう?
願わくは2人にもう少し年齢を重ね、歳を取るしんどさを味わってもらわねばならない。
両親とも長い間毎日田圃へでていた。
農閑期には現金収入のある仕事にも行っていた。


話は両親が置き去りにされる前にさかのぼる。

この頃のことを思い出すと泣けてくる。

置き去りにされる2週間前、母は貧血で入院した、入院を勧められた母は、「嫁の許可をもらわないと自分では決められない」と言った。
一緒に行っていた私が電話で連絡をし、なんとか許可を得る。
約2週間の入院で退院となった。

退院の日「家に帰るのが辛い・・・」とおいおい泣いた。
自分の産まれた家に帰るのが辛いと、泣く母に私も姉も言葉がなかった。
なんとか気を紛らわせてやりたいと思い、市内の有名なしだれ梅を観に連れて行った。
しかしこれさえも嫁の気に入らなかった。
「退院の帰りに遊びに行くとは何ということだ」と怒った。

そして、頭が下を向くほど腰がまがっている母に「そんな姿になってもまだ入院して生きていたかったのか・・・」と暴言を吐いた嫁。
日常的にこんな暴言を浴びせられていたのである。

その後、67日間私の家で過ごすことになった。
そして②に続きます。


市役所からの入所決定の知らせを受け、それまでの10日間をまた我が家で過ごした。
兄夫婦も両親を施設に入れようと、市役所に行ったことがあったらしい。しかし手も目もある大家族では叶わず却下された。
まして所帯主の兄や義姉が行かずに息子の嫁が行った。
ここは兄夫婦が行かねば・・・。
その経緯があり、我々の相談から入所が決まったことに怒り狂う兄夫婦とその息子。
自分たちがしたことに気付かないのだ。

感謝されても叱られる理由はないはず。
大事にしていた親を、横から他人ばかりの中に放り込むのではないのだ。
邪険にされ口汚く怒られ続ける両親を、保護する目的で入所させるのだ。
なんとかこれから先、安全で安泰に過ごさせてやりたいのである。
市も家族からの暴力から救わねばと、驚くほどスピーディに入所を決定したのである。
こんな簡単なことが解っていない、自分たちのしたこともわかっていないのだ。

両親が施設に入ることに納得しない一家、おかしな話である。
日常的に暴力を振るっていたことは、父の身体にも心にも残っていた。姉の家に行った父は「○○(息子)が恐ろしい」と身を震わせた。

デイサービスでお風呂に入れてもらう時、腰の痣を見た係りの人が父に聞いてもハッキリせず、母に聞いたことがあると言う。
これは父がほんとに解らなかったのか、或いは息子から暴力を受けたことを恥じて隠したのかはわからなかった。
母には解っていたが、この時点ではまだ父が言わないことを、母も言わなかったのだ。

入所は4月20日、私の誕生日だった、前日「簡保の宿」で親子5人で泊った。父は忘れているが、母はよく覚えておりいい思い出になった。
母とお風呂に入っていた長姉が出てきて言った。「何と他人さんの親切なこと」脚腰の悪い母がお風呂に入って行くと、見ず知らずの方がわざわざ浴槽から出てきて、手を差し伸べてくれたと喜んだ。

他人だから出来るのかも知れない。毎日一緒に暮らしているとうっとうしいだけの邪魔者なのかも・・・。

私は結婚してからずっと、夫婦と子供だけの核家族であったため、親と一緒の生活はどんなものか解らない。

ただ両親も昔から年寄りだったわけではなく、みんなが順番に歳を取ることを忘れてはいけない。

今兄夫婦は68歳、両親のその年代の頃は、元気で仕事に行き帰ってくると田圃に行って仕事をしていた。

兄嫁はすっかり動けなくなって、農作業はもちろん車の運転も出来なくなった。
腰の曲がった母に非常な言葉を浴びせたが、自分もだんだん腰が曲がってきている。


恥を忍んで④に続けます。
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最終更新日 : 2015-08-08

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