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両親のこと②

どなたが見ているかもわからないネットの世界で、全てをあからさまにするのには不安がある。
兄夫婦はPCを触らないが、甥は触る。だれかを通じて知る可能性もある。
両親が天寿を全うし、父が建てたお墓に無事入るまでは、兄夫婦や甥に知られるとまたひと悶着が起きるのは必至、でもここでの私を知っていただくには高齢の両親のことも、知っていただきたいと思う。

外部のブログに数年前アップしたことがあるので、お読みになった方があるかもしれない。

両親は8年前の2月の26日、誰もいない私の家の玄関に置き去りにされた。
実家からは何の連絡も前触れもなしに、荷物のように置き去りにされた。

宅配便でも、留守伝票を入れて再配達をするというのに置き去りにしたのは、
可愛がってもらった孫(兄の長男)である。
認知症の父と足腰の悪い母を置き去りにすればどうなるか、考えが及ばなかったのだろうか? 
まだその時の父はしっかりした足取りでよく歩いていた。

2月の末日まだまだ寒い日であった。
私が半年に一回の股関節の外来から帰ってきたのは6時を過ぎていた。、エレベーターを降りて目を疑った。
田舎にいるはずの両親がいたのだ???何で?どうして・・・?

家に入ってヒーターを点けてヒーターの前に両親を坐らせ、顛末をきいた。
腹が立つやら情けないやら。こんな仕打ちが許される筈がない。
姉妹3人で話し合って、母を私が大阪の長姉が父の面倒を、落ち着くまでみることにした。
ほぼ着の身着のままで冬の寒い中、娘の家の玄関に置き去りにされた母の悔しさ情けなさを
知る由もないのか、実家からは母がいた約2カ月の間、一本の電話も寄こさなかった。

今まで私たちには話さなかった、兄夫婦による 数々の暴言と暴力を母の口から聞いた。
こんな酷い仕打ちに耐えてきたのは知らなかった。このころの母は記憶が鮮明で
その鮮明すぎる記憶力さえ、兄夫婦の気に入らなかったのである。
食事は一緒のテーブルに着けず、両親だけ後からだった。
毎朝「お早うさん」の挨拶に応えてくれるのは、孫の嫁さんとひ孫だけで、
兄夫婦も孫も知らん顔・・・・。
こんな状態の実家に我々は電話をかけるのも躊躇した。

この年の夏、我が家では次女が第一子を出産する予定であり、出産後は
しばらく我が家に身を寄せることになっていた。
娘が来るまでは面倒をみるつもりで、近くのデイサービスに行く手続きをしていた。
ところが母は、「デイサービスなら今まで行っていた田舎で行く」と言うので
3人の姉妹で相談し、約2か月後神戸の姉と一緒に、取り敢えず母だけを連れて帰った。

車から降り庭に入ると兄がいた。じろりと睨んだ口から「帰ってきてもいいとは誰も言ってない!!」と
信じられない言葉を聞いた。
そして家に入ろうとする母を叱責した。

それでも兄嫁が帰ってくればなんとかなるだろうと、気がかりながら実家を後にした。
悔しかった、情けなかった。
この日は何とかなっても、産まれた家のどこにも母にも父にも居場所のないことは判った。

その足で市役所に行き、両親のことを相談したのだった。

私も姉も、年寄りと言えど人権があり、あの兄の言葉や、荷物のように置き去りにされるなど、
人権を無視するのも甚だしいと思った。
市役所の福祉課の方が詳しく真剣に、我々の訴えを聞いてくれた。
そして市役所の決定は、我々姉妹がビックリするほどスピーディだった。「老人虐待」と取ってくれたのだ。
色々考えれば老人虐待そのものなのである。そして早速特養の入所が認められたのだった。
決定の連絡が入ったのは、市役所に相談にいって4日目だった。

決定したことでまた一波乱があったが、また続きは後日書くことにする。



やはりこの時のことを思い出すと、両親の悔しさと嫁いだ我々の無力さで涙が出てくる。

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