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雲になりたい

川柳を初めて20年あまり、主に発表句を写真やイラストでフォト川柳をアップしたり、ブツブツつぶやきます。

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2015-03-01 (Sun)  15:03

雑感

父の訃報を聞いても一粒の涙も出なかったが、さすがに枕経が始まると50年ぐらい前に、父と淡路島を原付で一周したことや、もっと小さかった時のこと等、色々思い出し、涙がにじんできた。
叱られたことはもちろん、PTAの役員になった時、坊主頭だった父に、髪を伸ばしてと言ったこともあった。
このことは、夫が40歳を前にして頭が白くなり、次女が「父親参観にそんな白い頭で来たら嫌だ」と言った。
夫はその後数年間、自分で染めていた。やはり私の子だなと思った

お花を栽培していた時期があった。よく覚えているのはカラフルなルピナス。
今はプランター用の背丈の短いのもあるが、栽培していたのは背丈の長いものだった。
そのころだろうか?淡路島は「花とミルクとオレンジの島」と呼ばれていた。
今はさしずめ、玉ねぎとレタスの島だろうか?

父は若い時、身体が弱くて戦争には行ってない。同年代の人たちが戦争に行っている間、産めよ増やせよに協力し、私以外は戦争中に生まれた。
若い時から華道の嵯峨流師範として、婿養子に入ってからもお弟子さんを取っていたそうだ。
男が華道をするなど、田舎では珍しかったに違いない。
床の間には常に、大作を生けてあった。材料は山から切って来た木の枝や、自宅の花壇の花だった。
ご近所に婚礼などがあると、頼まれて生けに行っていた。

細い体でよく働いていたと思う。
長い間、乳牛を飼育しており、夕方絞り立てのひと肌、否牛肌の生暖かい牛乳を、コップに入れて飲んだものだ。
時々牛の毛が入っていた。
今なら衛生上許可されていないかもしれない。なにぶん50数年前のこと、その辺は大雑把だったと思うし、乳牛の乳から直接コップに絞る正真正銘、混ざりっ気なしの牛乳に、何のためらいもなかった。
そんな私も、今は町中に住みちょっとした町の人間になっているが、本来は野生児だったのだ。
今飲んでいるのは低脂肪乳、あの時飲んでいたのに比べると、濃さも味もスカみたいだと思う。
生き物を飼っていると留守が出来ない、30年程に乳牛の飼育は止めた。

犬が大好きでいつも犬がいたが、猫は嫌いだった。
学校の帰りに捨て猫を拾って帰ったことがあった。
飼いたいと、この時ばかりに甘えてみたが駄目だった。元いた場所に置きに行った。

今時のようなお犬さまではない。番犬の役目をする犬だった。
狆は番犬にならなかった、でも上を向いた鼻が可愛く、優越感に浸れることができた。
後はどの犬も、しっかり番犬になった。
犬の素質を見抜いていたと思う。

他人様には面白くもないことを、長々と書いてしまった

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最終更新日 : 2015-03-02

頭の中を・・・ * by トラ
こんにちは

お父様がお亡くなりになって、しばらくは茫然自失状態になるのでしょうが、その後、悲しさと寂しさが迫ってきて、これまでのいろんな事が頭の中をよぎって行くのでしょうね。

私の父は、10年も前に亡くなりましたが、今でもふと何気ないときに、頭の中に浮かんでくることがあります。

今後、いろんな雑用があるかもしれませんが、お疲れが出ませんように・・・。

No title * by 彩々
うううん! タンポポさん、そんなことないですよ。

しっかり情景や心情が伝わる文面を読ませていただき
目頭が熱くなりました。

>他人様には面白くもないことを、長々と書いてしまった

私だってそうですよ。だってBlogですもの。
自分の好きなように書けば良いのですから。


No title * by パトラッシュ
お父様と過ごした時間を振り返り、とても良い文になっています。
思っているだけでなく、書いてみる。
川柳に詠んでみる。
それが、自分を見つめなおすと同時に、故人への供養にもなっている。
ということだと思います。

供養 * by SOYOKAZE
亡きお父様のことを、色々回想して差し上げるのも
大切な供養だと思います。
私の父は、今の私より10歳も若くして亡くなりましたが
今でも、時々思い出しています。

たとえ100歳超えたお歳でも、やはりお別れは哀しいです。
偲んで上げて下さい。

トラさん * by タンポポ
急とはいうものの、年齢に不足はありませんので、冷静に事実を受け止められました。100歳を超えて施設とはいえ、やはり生きるしんどさはあったでしょうから・・・。
悲しみとは別の何か、やはり寂しさからでしょうか、父のいろんなことを思い出しています。

彩々さん * by タンポポ
いずれ母も見送る時が来るでしょう、それは案外近いかも知れません。私の年齢で、両親が健在だったことは珍しいことで、感謝せねばなりません。
今まで、4人の子供を育ててくれた両親に、ありがとうの一言も言えなかった娘です(^_^;)

パトラッシュさん * by タンポポ
両親と過ごしたのは、たかだか20年足らず。

高齢になっってからの父の嬉しそうな顔、仏様のようになった顔が思い出されます。

SOYOKAZEさん * by タンポポ
病院に行きながら、最後を看取らず帰宅した兄に対する怒りは、
正直消えることはないと思っています。

でも父のことを思えば、自分が建てたお墓に入ってやっと
60年住んだ地に戻れる。
それを良しとするしかなさそうです。

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頭の中を・・・

こんにちは

お父様がお亡くなりになって、しばらくは茫然自失状態になるのでしょうが、その後、悲しさと寂しさが迫ってきて、これまでのいろんな事が頭の中をよぎって行くのでしょうね。

私の父は、10年も前に亡くなりましたが、今でもふと何気ないときに、頭の中に浮かんでくることがあります。

今後、いろんな雑用があるかもしれませんが、お疲れが出ませんように・・・。
2015-03-01-15:27 * トラ [ 編集 * 投稿 ]

No title

うううん! タンポポさん、そんなことないですよ。

しっかり情景や心情が伝わる文面を読ませていただき
目頭が熱くなりました。

>他人様には面白くもないことを、長々と書いてしまった

私だってそうですよ。だってBlogですもの。
自分の好きなように書けば良いのですから。

2015-03-01-16:11 * 彩々 [ 編集 * 投稿 ]

No title

お父様と過ごした時間を振り返り、とても良い文になっています。
思っているだけでなく、書いてみる。
川柳に詠んでみる。
それが、自分を見つめなおすと同時に、故人への供養にもなっている。
ということだと思います。
2015-03-01-17:10 * パトラッシュ [ 編集 * 投稿 ]

供養

亡きお父様のことを、色々回想して差し上げるのも
大切な供養だと思います。
私の父は、今の私より10歳も若くして亡くなりましたが
今でも、時々思い出しています。

たとえ100歳超えたお歳でも、やはりお別れは哀しいです。
偲んで上げて下さい。
2015-03-01-18:55 * SOYOKAZE [ 編集 * 投稿 ]

トラさん

急とはいうものの、年齢に不足はありませんので、冷静に事実を受け止められました。100歳を超えて施設とはいえ、やはり生きるしんどさはあったでしょうから・・・。
悲しみとは別の何か、やはり寂しさからでしょうか、父のいろんなことを思い出しています。
2015-03-02-09:35 * タンポポ [ 編集 * 投稿 ]

彩々さん

いずれ母も見送る時が来るでしょう、それは案外近いかも知れません。私の年齢で、両親が健在だったことは珍しいことで、感謝せねばなりません。
今まで、4人の子供を育ててくれた両親に、ありがとうの一言も言えなかった娘です(^_^;)
2015-03-02-10:13 * タンポポ [ 編集 * 投稿 ]

パトラッシュさん

両親と過ごしたのは、たかだか20年足らず。

高齢になっってからの父の嬉しそうな顔、仏様のようになった顔が思い出されます。
2015-03-02-10:20 * タンポポ [ 編集 * 投稿 ]

SOYOKAZEさん

病院に行きながら、最後を看取らず帰宅した兄に対する怒りは、
正直消えることはないと思っています。

でも父のことを思えば、自分が建てたお墓に入ってやっと
60年住んだ地に戻れる。
それを良しとするしかなさそうです。
2015-03-02-10:25 * タンポポ [ 編集 * 投稿 ]