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金婚式

今日は我々夫婦の結婚記念日。何とまあ飽きもせず50年です。
一緒になってもう半世紀も経った。早い早い。
大阪万博の年でした。
娘達も50歳近いおばさんになった

結婚したその年の内に、長女が産まれ3年後には次女が産まれた。
思い起こせばこの50年の間、色んなことはあった。
なんと言っても一番は、役所を早期退職し、3番目の職に就いていた68歳の時
2,011年10月6日、急性大動脈解離で事務所で倒れたこと。
そしてその後、11回もの手術に耐え山ほどの薬を飲んで苦しいながら
生かされ、予想だにしなかった老後を送っている。


しかし何とかジジババ二人年金で日々暮らせている、ありがたいと思う。
夫76歳、私71歳、こんな年になるとは思ってもみなかった。 



    一番のピンチ 夫が倒れた日  タンポポ

    家族待合一人になってオペ続く  タンポポ

    十時間の手術の後で地獄みる  タンポポ



当時の国家公務員のお給料は安くて、貧乏だった夫は入籍を年内にすると
4月に遡って扶養手当が出るということで、12月14日に入籍しました。
あくまでも書類上です。

田舎から学生服を着て、神戸に出てきた夫は独身寮に入り、夜間の神戸大学に
通いました。そんなのでお金には苦労したようです。
スーツを買うのも参考書を買うのも、今は懐かしい月賦だったそうです。
お給料を貰うと支払いに消える、そんな生活だったようです。

結婚を考えるようになった時、お給料が少し多くなると言うことで
○○埠頭公団に出向しました。
そして新居となる新築の宿舎に入りました。昭和44年の秋でした。

結婚式は夫の実家で挙げました。
家を継いでいる兄が、この家でまだ大勢のお客を迎えたことがないので
結婚式は家でしようとの提案でも有り、また式場ですればお金もかかる。
夫には助け船だったと思います。ただ親戚ばかりで夫も私も友達を
呼べなかった。
貧乏人ではありましたが、新婚旅行は伊豆方面へ行きました。
新神戸から私は初めての、新幹線でした。
古いタイプの男なんですね、お金は無かった筈ですが
結婚式も新婚旅行も、私は一切お金を出しませんでした。

六甲山の下の方の、2DKの狭い部屋で新婚生活をスタートしました。
私は何も知らない21歳の小娘でした。
料理も知りませんでした。忘れられないのはカレーを作ったとき
もちろん市販のカレールーです。
もっと辛いのが良いと思い、食塩を入れたのです
一緒に食べ始めた夫が「塩辛いなあ!」と言うまで知りませんでした。

通勤時、朝は駅まで歩いていましたが、帰りはバスです。
六甲山の方へバスが上がって来ると、エンジンの音が家の中にいても聞こえます。
下から帰って来るかなとベランダから覗き、上からかなと北側の窓越しに覗くのが
夕方の日課でした。可愛かったですねえ

ここには長女が幼稚園の年少さんまで住んでいました、その後
役所に戻り宝塚と西宮両市に跨がる、公務員の合同宿舎に
引っ越しました。ここは阪神競馬場の近くでした。
今は最初に住んだ宿舎も、この合同宿舎もありません。

何とか子育てを終え、孫が3人出来ました。
また元の2人になって17年、本当に早いものです。
あと何年生きられるのか解りませんが、この先支え合って生きて行ければ
良いなと思います。



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         ※イラストは無料素材屋さんからお借りしました。

    年金でちゃんとご飯が食べられる  タンポポ