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人工股関節置換術

        2018年
                                                                                                                                          

旧作から         ↑2018・05・11撮影

         私の股関節新品にする  タンポポ


20年前に右脚の股関節を、10年前には左脚の股関節を人工関節に
置き換えている。そして身体障碍者Ⅱ種3級になった。

歩き始めた時、アヒルのようにお尻を突き出して歩く姿を見て、慌てて医者に行ったという。
先天性股関節脱臼と診断された。
取りあえずおしめが外れたらギプスをすることになった。
おしめが外れて、ギプスをはめたのだと言う。
ギプスをはめておんぶして帰ってくる時、麻酔が覚めずか細くあ~あ~と
呻く私に母は、この子はこれで阿保になるのではと、心配したそうだ。
麻酔が覚め、そう賢くもないがどうにか、人並みに育った。

ギプスは今のような簡易なものではなく、板でがっちり固定されていたそうだが、
私にはもちろん記憶がない。姉や兄たちは覚えている。

子ども時代も成人してからも、何の不自由もなかった。
友達と同じように飛んだり跳ねたり出来た。
昭和25年当時の医療技術で、よくも完璧に治ったと、今になって思う。
私がギプスをしていた姿を知っている人は、治ってよかったと喜んでくれたものだ。

調子が悪くなったのは、平成7年の阪神淡路大震災の時、ガスも水道もストップし、
重い水を何度も運んだ、その後である。
その年の夏ごろから違和感を感じるようになった。
なんとなく、成人しても骨の形は変わらないだろうから、やっがて悪くなるかも・・・と
思ってはいた。
当時マンションの管理人の仕事をしていた。
朝晩の巡回と後は、窓口でほぼ座っているだけの仕事だったが、
段々痛くなってきたので、整形外科に行った。

股関節の軟骨がすり減っている、痛み止めの注射をしましょうと言われ、
何の疑いも持たず、月に2回計8本の注射をした。
それで痛みが無くなるわけでもなく、ますます痛くなった。
ある日これ以上我慢が出来ないと言うと、後は手術しかない。大学病院を紹介すると
言って近くの大学病院を紹介された。
この大学病院は、40歳の時お腹の手術をしその時とても嫌な感じを受けたので
受診をしなかった。ほかの大きな病院へ行った。

そこでレントゲンを撮ると、骨頭壊死と言われて、注射を打っていた病院でレントゲンを
借りてくるように言われ借りて見せた。
わずか半年余りで急速に悪化していた。ステロイド注射だったのだ。
注射を打つ時医者からは、この注射について何の説明もなかった。
ただ注射を打つと楽になると言われた。

もう人工股関節置き換えの選択しかなかった。
術後は快適であった。あんなに痛かったのが嘘のようだった。
あれから20年、当時の人工関節の寿命は約20年と言われていた。
今はまだどうもないが、再置換も視野に入れないといけなくなっている。
先週、年に一度の整形外科の受診をしてきたが、まだ大丈夫らしい。
次回からは半年の検診になった。
股関節が悪かった時、無理をしたせいで今は膝が痛い。

歳をとってよくなるものは何もないと、情けなくなってくる。