FC2ブログ

病人との暮らし

愚痴です<(_ _)>

夫の体調がすぐれない。
このところ朝食が食べられず、牛乳だけ飲んではまた
ベッドで寝ていることが多い。
大手術をして、助かったのは余程の強運の持ち主だと思うが
生かされているのも、非常に苦しい。
最初に倒れて一時、20キロも体重が落ちたので全身の筋肉が落ち
体力も落ちた。骨も痩せた。口元から顎にかけても痩せた。
そのせいで顎関節が外れるようになった。

昨日は、大学病院の歯科口腔外科に行った。
感染症があるため開業医では断られる。
一時間ぐらい治療をしていると、終わった時、顎関節が外れて
口が閉まらなくなったと言う。
そのせいで物が噛めず、夕食は2時間かかって食べたが
完食に至らなかった。
塩分、カリウム、タンパク質の制限がある身に、これ以上
どうすれば良いのやら?
 
声はあまり出ないし、顎はこんな具合だし、食道癌でもないのに
食道再建胃管胸骨前手術した身体は、見るも無残な姿をしている。
この手術の原因になったのはここ
この吐血したとき、食道抜去、ステント挿入、胃瘻、腸瘻、の手術をし、
5月1日から8月15日まで、口から食べ物を摂ることは出来なかった。
ただ食べられるようになったとき誤嚥を防ぐために、口に入れる練習はした。
それは喉のあたりに付けた袋に出てきた。
それでも命を繋いだ。

MRSA感染症のせいで、4年前から胸に穴が開いている。
毎日お風呂上がりに、薬を塗ってガーゼを当てテープを貼る。
いくら肌に優しいとうたったテープも、毎日貼っているとテープかぶれが
酷い。テープを貼るところがないほど全体にかぶれる。
恐らく死ぬまで治ることはないだろう。
毎日手当をするのも疲れる。

とは言っても、夫に頼りっぱなしの古女房は、さっさと先に逝かれても
困るなと思う。
夫とも病とも気長に付き合うしかなさそうである。はぁ~~!


↓お目汚しですが・・・胃管胸骨前手術画像  2013/11/16

         @IMG_1053.jpg


旧作から
   病む人を今も好きかと自問する  タンポポ


そうだったのか・・・

暮らしのヒント集から
『急須の口に、買ったときのビニールがついたままになっていませんか。
お店で口が欠けないように保護するものですから、外しましょう。』
っとあった。あれ!そうなの?
今我が家の急須に、これが付いているのはないけれど。
紙の台紙に付けて売っていますよね。

もしかして知らないのは私だけだったりして

そこでググってみると。
≪お茶の川村園≫急須の注ぎ口に付いているビニールキャップは、輸送中の破損防止のために
付いています。お茶を淹れる際には不要ですので外してください。
捨ててもいいぐらいです。ビニールキャップを付けたままお茶を淹れ続けますと隙間に茶渋や
水垢を蓄積させて不衛生ですので、外してください、外してください。
とあるのを見つけた。
知らなかったな。むしろどこかで見つけたら買おうと思っていた。

いやいやいや、この歳になっても知らないことがいっぱいある。

R0024317.jpg


大変大変!

昨日の朝、いつものように遅く起きてくると、「冷蔵庫の前に水が漏れている」と
夫が言う。
小さな窓があるが、冷蔵庫で塞いでおり、電気を点けないと水漏れがどの程度なのか
ハッキリ見えない。
結構な量の水が漏れている。ひえ~~!

扉の内側のシールを確認すると、2005年製造となっている。
13年・・・部品の保有期間は過ぎている。
さてどうしたものか?この冷蔵庫を購入した量販店は、すでに閉店している。
取りあえず食事を済ませ、メーカーのサポートセンターに電話する。
状態を伝えると、自動霜取りの際の水漏れであると判明。
予想通りである。そしてやはりもう古いので、部品はないし、修理依頼をして、
出張してもらっても、修理ができるかどうかわからない。それでも出張費がかかる。

夫と相談の結果、急遽新しいのを購入することにした。
そして午後Y電気へ行って、前と同じH社の製品を購入した。
年金生活者が、こんなに急に大物家電を購入するなんて
6月の半ばよりエレヴェーター工事があり、それがそっくり箱ごと取り換えると言う
大がかりな工事で、エレヴェーターは35日ストップする、その前にという思いがあった。

そして早速今日の午前中搬入された。
古い冷蔵庫を出すため、前に置いていた木製の小さなラックをのけると
下が濡れており跡が付いている。ラックの裏も水分を含んでいる。
どうやら水漏れは、昨日が初めてではなかったようだ。
結果から言えば新しいのにしてよかった。

今更ながら冷蔵庫の中には、たくさんの物が入っているなと思った。
古い冷蔵庫から食品を全部出して、外にだし、新しい冷蔵庫に移し替えるのは
なかなかの重労働だった。すぐに電源を入れても中にすぐ食品を入れられない。
冷凍食品はクーラーバッグに入れたが全部は入らなかった。

いい加減な私が家事をしているもので、賞味期限の切れたものもいくつかあった。
3時間ほど経ってから、それぞれ収納した。疲れた冷蔵庫


新顔が威張るキッチンの片隅 タンポポ
  
画像はメーカーのHPからお借りしました。

老姉妹

昨日は予定通り、母の面会に行ってきた。
大阪に住んでいる92歳の叔母と、娘夫婦そして我々三姉妹。
待ち合わせた淡路サービスエリア下り線で、無事合流。
朝、従妹夫婦が実家へ行った時、叔母はしんどいからやめると
言ったらしいが、ヘルパーさんが「大丈夫ですよ、朝食を食べたら元気になります」
その言葉通り途中から元気になったそうで、無事出発となった。
ただ車に乗ると「 どこに行くの?」と訊いたらしい。

SAでも私たちと一緒に、母のところへ行くことは忘れていた。
丁度昼食時になり、SA内で昼食を摂った。
次女姉が叔母の前に坐ると、何度も何度も同じことを訊いていた。
食事がすんで約一時間淡路島を縦断する。

ケアハウスに着き面会票を書き4階に上がる。
最近母は4階に移動した。認知症が進み、勝手にエレベーターに乗り込もうと
するらしい。
部屋を覗いたがいないので、ホールを探していると、小さくなった母がいた。
昨日は、我々姉妹の顔と名前は一致したが、叔母がなかなか解らなかった。
叔母が色々話しかけるも、耳が遠くてよくきこえていない。
「姉ちゃんがいて、久子姉ちゃんがいて、私正子やで。そして俊子がおるんや」
「俊子近いから来るか?」と訊きますが、その末っ子の叔母は3年ほど前に亡くなっています。
SAでも何度も話しましたが忘れています。
叔母の独り舞台ですが、母の反応はいまいち。
娘の名前しか解らんという。

その叔母も、時々話しかけている相手が誰だか解らなくなる。
「しず子姉ちゃん来るか?」などと本人に聞く。
それでも何とか叔母が解り、姪も解り、みんなで手を叩く。

92歳と96歳、厳しい現実を目の当たりにして、20年後生きていたら
私もこんな風なのだなと・・・。
母も叔母も昨日のことは忘れているだろう。
叔母があの調子では、姉妹が顔を合わせるのも、これが最後だろう。
2人を会わせられて、本当に良かったと思う。

 

  R0019477.jpg

  母も叔母もなってしまった認知症  タンポポ

認知症

25820_1.jpg

イラストは無料素材屋さんからお借りしました。

 旧作から  

 叱らないことが基本の認知症  タンポポ


明後日、92歳の叔母と従妹夫婦と我々三姉妹で、母がお世話になっているケアハウスに
行くことになっている。
母は96歳認知症になって、もう何年になるだろうか。
叔母も認知症である。

そもそも今回一緒に面会に行くことになったのは、最近電話も掛けられなくなっている
叔母が珍しく姉に電話をかけて来たことから話がまとまった。
姉が叔母と舞子駅で落ち合うという話になったと、電話をして来たのだ。
叔母が1人で来られるのだろうかと、心配をしていたが私はそれ以前に
約束したことを覚えていないだろうと思った。

そして従妹に電話すると、1人では絶対行けないと言った。
最寄りの近鉄の駅へも一人ではいけないらしい。
一度電話をかけて確かめると従妹が言った。
電話を掛けると姪である私の姉に、電話を掛けたことを忘れていた。
もちろん約束したことも忘れていた。これが認知症なのである。

そして叔母が姉である、私たちの母に会いたいのは、解っているので従妹夫婦が
連れて行くことになった。
話がまとまって10日程経っただろうか、昨日叔母から姉に「脚が痛いから行くのをやめる」と
電話がかかってきた。
そこで我々はどうするか話している時、長姉が従妹と叔母との間で話がついているの?と
言った。姉に電話をしてきたのは叔母・・・。
私が従妹にこのことを話すと聞いていないと言う。

そして昨夜従妹から「電話をしたことを忘れているし、脚も痛くないと言っている」と
いうことで予定通り決行となった。
ただ高齢者ゆえ、当日までどうなるかは本当のところ解らない。

人工股関節置換術

        2018年
                                                                                                                                          

旧作から         ↑2018・05・11撮影

         私の股関節新品にする  タンポポ


20年前に右脚の股関節を、10年前には左脚の股関節を人工関節に
置き換えている。そして身体障碍者Ⅱ種3級になった。

歩き始めた時、アヒルのようにお尻を突き出して歩く姿を見て、慌てて医者に行ったという。
先天性股関節脱臼と診断された。
取りあえずおしめが外れたらギプスをすることになった。
おしめが外れて、ギプスをはめたのだと言う。
ギプスをはめておんぶして帰ってくる時、麻酔が覚めずか細くあ~あ~と
呻く私に母は、この子はこれで阿保になるのではと、心配したそうだ。
麻酔が覚め、そう賢くもないがどうにか、人並みに育った。

ギプスは今のような簡易なものではなく、板でがっちり固定されていたそうだが、
私にはもちろん記憶がない。姉や兄たちは覚えている。

子ども時代も成人してからも、何の不自由もなかった。
友達と同じように飛んだり跳ねたり出来た。
昭和25年当時の医療技術で、よくも完璧に治ったと、今になって思う。
私がギプスをしていた姿を知っている人は、治ってよかったと喜んでくれたものだ。

調子が悪くなったのは、平成7年の阪神淡路大震災の時、ガスも水道もストップし、
重い水を何度も運んだ、その後である。
その年の夏ごろから違和感を感じるようになった。
なんとなく、成人しても骨の形は変わらないだろうから、やっがて悪くなるかも・・・と
思ってはいた。
当時マンションの管理人の仕事をしていた。
朝晩の巡回と後は、窓口でほぼ座っているだけの仕事だったが、
段々痛くなってきたので、整形外科に行った。

股関節の軟骨がすり減っている、痛み止めの注射をしましょうと言われ、
何の疑いも持たず、月に2回計8本の注射をした。
それで痛みが無くなるわけでもなく、ますます痛くなった。
ある日これ以上我慢が出来ないと言うと、後は手術しかない。大学病院を紹介すると
言って近くの大学病院を紹介された。
この大学病院は、40歳の時お腹の手術をしその時とても嫌な感じを受けたので
受診をしなかった。ほかの大きな病院へ行った。

そこでレントゲンを撮ると、骨頭壊死と言われて、注射を打っていた病院でレントゲンを
借りてくるように言われ借りて見せた。
わずか半年余りで急速に悪化していた。ステロイド注射だったのだ。
注射を打つ時医者からは、この注射について何の説明もなかった。
ただ注射を打つと楽になると言われた。

もう人工股関節置き換えの選択しかなかった。
術後は快適であった。あんなに痛かったのが嘘のようだった。
あれから20年、当時の人工関節の寿命は約20年と言われていた。
今はまだどうもないが、再置換も視野に入れないといけなくなっている。
先週、年に一度の整形外科の受診をしてきたが、まだ大丈夫らしい。
次回からは半年の検診になった。
股関節が悪かった時、無理をしたせいで今は膝が痛い。

歳をとってよくなるものは何もないと、情けなくなってくる。

100均の値上げ

R0024303.jpg

洗濯物は、物干しざおに広げて干すのが好きな私。のピンチを 使います。
先日来次々壊れ、新しいのを100均で買いました。
今までは6個入りでしたが、今回買ったのは5個入りでした。

100均の性格上、値上げはしないで中身が減りました。
事実上の値上げですが、たかが100円されど100円です。
100円をあげるからこれを作れと、言われても出来ませんので
仕方がないですね。
これが他の物で、今まで1000円で6個入りだったのが、5個入りになったら
高くなったなと思うに違いありません。

運転免許更新

3月に高齢者講習を受けて、更新に行かねば行かねば・・・と思いつつ
伸ばし伸ばしになっていた。
期限が後10日に迫って、ようやく先週重い腰をあげて行ってきた。
行けば簡単なことなのに・・・。
受付を済ませて用紙に記入しようとすると、「交通安全協会にお入りですか?」と
声がかかった。
入っていると答えると「書類をこちらで書くのでどうぞ」と本来並ぶべき場所をスルーして
更新料と安全協会の代金を支払った。
入らない人も多いのだろう。サービスがよい。

視力検査をして写真を写したら、講習もなく免許証の仕上がりを待った。
3年前に駐禁を取られているので、講習があると思っていた。
今回もゴールドにはならなかったが、次の更新は5年後だそうな。
5年後は後期高齢者講習で、認知症の検査もある。

夫はもともとペーパードライバーだったこともあり、当てにできなかった。
50歳で脚の手術をし、身体障害者になったのを機に免許を取得した。
それ以後ほぼ毎日のように乗っている。
この20年全くの無事故とは言えない。
でもまあ、大した事故も無く高齢者ドライバーの一人である。
5年後自主返納を選ぶか、それとも更新するか、今はまだ決められないでいる。



vittu1.jpg



画像は素材屋さんからお借りしました。
    助手席がいつも夫でつまらない  タンポポ

老人会

元気なシニア

  イラストは無料素材屋さんからお借りしました。 


大会入選句から

 元気なシニア老人会に入らない  タンポポ

わがマンションにもS和クラブという名の集まりがある。
中身は老人会である。参加資格は60歳以上。
入居者は高齢化しているが、参加者の少ないクラブである。
当然わが夫婦も参加資格はあるが、入会していない。
お世話をされる方には申し訳ないが、入ろうと思わないのだ。
私も70歳になったし、老人であることは自覚している。
我々団塊世代の入会者が少ないと、お誘いはある。
でもでも・・・。
もっと何か魅力を感じるものが欲しい。

青空

aozora.jpg

飛行機が切り裂いて飛ぶ白い雲  タンポポ


五月晴れの本来の意味は、梅雨の時期の晴れ間のことですが、
今の時期のよく晴れた日のことと、勘違いされている方が多いように思います。

まあ公共放送でも、視線のことを目線と言う時代ですから
言葉も時代とともに変わるのでしょう。
目線とは元々は役者言葉で、五月晴れと共に、私には気になる言葉です。

母の日

母の日


   母の日に施設の母に会いに行く  タンポポ

の予定でしたが、今日は行けなくなりました。
来週92歳の叔母と従妹夫婦、それに我々三姉妹で行くことになりました。
叔母も認知症が進み、先の約束は出来ません。
悲しいことですが、仕方のないことですね。
母と叔母の話が成り立つのかどうか、心配なところです。

私とワープロとPC②

この続きです

また掲示板に書き込みをしたり、自分の掲示板も持った。
この掲示板時代の、名古屋のお友達とは何度かお会いした。
今はLINEを通じて交流がある。
PCに夢中になり、川柳への熱が少々覚めたのは自覚しており、
また師にもばれている。

ワープロで編集していた会報も、PCでするようになった。
娘のお下がりのPCはWindowsME、この機種はフリーズをよくした。
これでもかと言うぐらいによくした。
フリーズをして強制終了をし、立ち上げている間に、チャットは次の
話題になっているなんてことはしょっちゅうだった。
深夜2時頃までチャットをしていた。
ただ3カ月でチャット熱は冷めた、原因と言うものはない、ただ冷めてしまった。

でも掲示板では、やはりおなじみさんとよく話した。
それも時代の流れで、運営会社がチャットや掲示板を閉鎖して、
連絡の取れなくなった方も多い。
チャットや掲示板を楽しんでいた間に、PCのことを色々教わった。
今ではお笑いになるが、コピー&ペーストさえも知らなかった私に
丁寧に教えてくれた

フリーズするお下がりのPCに嫌気がさして、自分用にデスクトップの
PCを購入したWindows XPである。
自分用のPCを買うことが、信じられなかった。
教室へ通うわけでも、誰かに教わるわけでもなく、自力で
自分がしてみたいことは、何とか出来るようになった。
コンデジも購入した。出かけるときはいつもバッグに入れていた。
楽しかった。
PCは決して過去形ではなく今も楽しんでいる。

そして今のPCは、富士通のwebマートで2009年12月に購入した。
一体型のPCで購入時には、Windows7であったが、10にアップデートしている。
15年程PCと仲良くして来て思ったのは、触っていれば自力で何とかなると言うこと。
iPadもiPhoneも持っているが、これも何とかなった。

同年代の人でもPC何てとんでもない。ケータイも要らないという人もある。
何だか勿体ないなと思う。
私の2人の姉もアナログ人間で、PCもケータイも持たない。
持たない者からすれば不便はないらしい。

娘に言わせれば、私が愛車を手放してもネットスーパーを
利用できるから大丈夫だと思うだって・・・。
ネットスーパーだけで、日々の買い物は済まないが、出来ないよりは
便利だと思う。

何歳までPCを触ることが出来るか解らないが、末永くPCライフを
楽しめたらいいと思う。
自力なのでスキルアップは出来ないが、十分楽しんでいる。

                      ~~~~~終わり~~~~~

正誤表

  済み卑屈



旧作から
   正誤表挟み卑屈になった本   タンポポ

あくまで私タンポポの感じ方です<(_ _)>

投げキッス

   f443d61d237176c185b261814ee6bef8_s.jpg


今年の大会入選句から

   日本人選手はしない投げキッス  タンポポ

外国人選手はテレもなくスマートにしていますね。
育った環境によるのでしょうね。

画像は無料素材屋さんからお借りしました。

今日は子供の日

   @鯉のぼり

   子どもを少し威張らせておく子供の日  タンポポ

画像は無料素材屋さんからお借りしました。

以下再掲ですが子どもの日の句です。

柏餅食べねばならぬこどもの日   タンポポ
子どもの日夫婦二人の柏餅     タンポポ

私とワープロとPC ①

ワープロ既に浦島太郎ものですが、そのワープロが我が家に始めて入ったのは、
30年以上前だったと思う。
文字を打っても、ほんの数行しか表示されない代物だった。
しかしながら、悪筆ゆえに字を書くことが嫌いだった私は飛びついた。
とても重宝した。
その後、自分用にワープロを2台購入した。
川柳の会報を編集していたので、ワープロは欠かせないものになった。

そして我が家に初めてPCが入ったのは、25年ぐらい前だっただろうか。
黒くて分厚い98ノートだった。
ワープロに比べると扱いが難しく、私の手に負えないと思った。
2代目のワープロを買おうとしている時、次女が量販店の大きなチラシを広げて言った。
「何をいまさらワープロを買うの?見てパソコンはチラシのこんなにも
大きな場所を占めているのよ。ワープロはたったこれだけ。」
そしてこうも言った。
「ワープロに出来てパソコンで出来ないことなんてないのよ・・・。」

そう言われても、パソコンに乗り換えようとは思わなかった。
量販店にワープロを買いに行くと、当然のようにパソコンを薦められた。
それでもパソコンより高価な、2代目のワープロを買ったのだった。
カラー印刷が出来て重宝したものだった。

平成14年次女が結婚して、2年間アメリカメリーランド州で暮らすことになった。
連絡はメールでと言うことになり、次女が持っていたPCを触り始めた。
次女夫婦が持っていたHPの開き方と、メールの送受信の方法を教えられた。

後は自力で楽しみを見つけるのに、そう時間はかからなかった。
真っ先に夢中になったのは、チャットだった。
タイピングが遅くて、話についていくのが必死だったが、楽しかった。
そこで川柳界では、有名な方と知り合いよく話をした。
その方は5年程前に、逝ってしまわれた。
そして地元甲子園に住む方とも、知り合い二人オフ会を
したのも楽しい思い出になった。。

                         ~~~~~続く~~~~~

ヒト科

済みヒト科


一年中恋の季節であるヒト科  タンポポ

とは言いましても、この歳では恋も忘れ、老いの坂まっしぐら・・・。

世間は楽しいGW。ジジババ二人出かける予定もなく
家にこもっています。
まあ渋滞と喧騒が嫌なのですけどね。

豆ごはん

R0024293.jpg

再掲ですが・・・。

豆ごはん春の匂いで炊きあがる  タンポポ

GWも関係のないジジババ二人の暮らしですが、せめてこの時期
春を味わおうと、豆ごはんを炊きました。