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身体障害者

ここには過去にも書いているが、私は約18年前に右脚の股関節を、また約8年前には、左脚の股関節を人工関節置換手術を受けているので、今は2種3級の身体障害者である。

そして夫もまた昨年から、病気により1種4級の身体障害者になった。
夫の場合、現状が今よりよくなることがあるかも知れないということで、再認定を課されていた。
市役所から書類が届いたので、先日心臓血管外科の主治医に意見書をお願いしていたのが届いた。
それによると、夫も今回から3級に該当するらしい。夫婦して3級の身体障害者になってしまった
感染症のためたくさんの薬を飲んでおり、胃管胸骨前手術、食道抜去などのため、
充分に食事の摂れない身体であり、また1年半もの間、胸に約5ミリの穴が開いている。
これも感染症によるものであり、半永久的に塞がらないようである。

これが老いた我が夫婦の現実であり、ありのままを受け止めねばならない。

27年@股関節


母の面会に・・・

昨日は遅い朝食を摂ってから、淡路島まで面会に行ってきた
ケアホームに行くと、受付で面会者の体調を自己申告するチェック表を書き、
フロアーのナースセンターに出す。
マジックハンドが壊れたと言うので、持って行った。

部屋に入って「だ~れだ?」と言うと、じ~と見て「○代」と言った。
良かった!忘れられてなかった
食べることが仕事だと言う、耳の遠い母とはそうそう話しが通じないが、
聞き役に徹し話しを聞いてやる。
話しの中で「死ぬまでに一回、家に行きたい」と、切ないことを言う。
産まれた家である。気持ちは十二分に解るが、車いすの母を連れて私は行けない。
行くなら介護タクシーをお願いせねばならない。それは出来る。
ただ実家に行っても、喜んで迎えてくれる訳ではない。
ましてや、車いすでは家に入ることさえ出来ない。
田舎の家は、裏口も玄関からも家に上がるのには高さがある。
そのことが解っているのかどうか・・・。

認知症の進行が早い母に「今何歳か解っている?」と訊くと「90歳」だと言う。
大正11年生まれの母は、誕生日で94歳になる。
「じゃ私は何歳になると思う?」
「あんたは昭和3年産まれやから・・・」
「・・・
ここで私と、昨年亡くなった母の末の妹が、頭の中で入れ替わっている。
二人とも三姉妹の末っ子なので、目の前にいても、母の中でよくごっちゃになる。
これが認知症なんだなと、納得もしている。


叱らないことが基本の認知症   タンポポ


往復の走行距離は約220キロの一日旅でした。


愛車の癖

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     私の愛車私の癖がある    タンポポ

毛布が重い・・・(ーー;)

今冬はごく最近まで暖かかったので、羽毛布団を一枚だけ掛けて寝ていた。
一週間ほど前に、初めて毛布を出し布団の上に掛けた。
よくあるアクリルの二枚重ねの毛布である。
よそ様は知らないが、我が家では毛布を布団の上に掛け、布団がベッドから
ずり落ちるのを防いでいる。
一日目、掛けた毛布のせいで布団がずっしり重い。
肩が痛いのもあり、思うように寝返りがうてない。
3~4年使っている毛布が、重くなったかと思うほど重い
去年までこんなに重く感じなかったのに・・・。
そう感じるほど身体がヤワになったのか?

昨夜まで我慢したが、来客用の毛布に少し軽いのがあった筈と、今晩から変えるべく、出してきた。
持った感じが、少し軽い気はする。
これで気持ちよく寝られるといいのだが・・・。

寒い

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窓越しに空を見ていると、雲は流れていないので冷たい強風が吹き荒れているようにはみえないが、サッシはいつになくガタガタと揺れて、風の強さ冷たさが伝わる。
当地も今日の夕方は予報が出ている。
今日は夫の通院日、付いていくつもりでいたが、午後遅くの予約時間である。
もしも帰りに雪が積もるようなことがあっては、海の上を走る有料道路を私には走る自信がない。
それでなくても「スリップ注意」の立て看板を見る度、冬場はドキドキするのだ。

昨日、関東の雪のニュースで、車がスリップしてあっち向きこっち向きしているのをみているので、怖じ気づいている。
天気予報でも、不要不急の外出は控えるように言っている。

公共交通機関の方が、私の運転より確かなのは事実である。っと言うことで一人で行ってもらうことにした。
缶入りの栄養剤が処方されるので、夫が帰って来る時間、甲子園駅まで迎えに行って調剤薬局に行くつもりではいる。
どうか雪よ降らないで、あるいは降っても積もるほど降らないでと願うばかりである。


1・17

阪神淡路大震災から二十一年経った。
今日は、神戸市を始め当市でも1・17の集いがあった。
毎年この日を迎えるにあたって、忘れかけた記憶の欠片を拾い集め
思い出すようにしている。

ドンと突き上げられた瞬間から、水が3週間一滴の水も出なくなった。
そしてガスはこの日の夜から、4週間出なかった。
電気は1時間ほどで復旧をした。
レバーを下げれば溢れんばかりに水が出て、スイッチ一つでお風呂が沸く生活が一変した。
水が出ないなら、スーパーで買ってこなければとスーパーへ行くと
開店時間が過ぎているのに、まだ開いていない。
開店を待っている人の長い列。
程なくして開店したが、入場制限をしていた。
待つ間、出てくる人をみると、大型のバケツなどを買って出てくる人が多い。
こういう物を買わなきゃいけないなら、手持ちの現金では足りないと思い、
2階のATMに行ったが、閉まっていた。
この時点ではまだ、未曾有の大震災が、起きているとは思わなかった。

私が店内に入った時には、すでに棚には一本の水も並んでなかった。
ワンケース抱えているお兄さんに「いいなぁ」と言うと、1本分けてくれた。

この日から水を探し、なんとかガスボンベとコンロを手に入れるべく
原付で走り回った。
ガスボンベとコンロが手に入るまでは電器鍋とポットがフル活躍した。

毎日食べるパンもなかった。これは避難所などへ優先的に送るという
取り決めがあったのだそうで、なかなか市場には十分な量が出回らなかった。

スーパーでは、お総菜ができあがると取り合いになった。
水がないので、手っ取り早いお総菜に群がったのだ。
ポスレジが使えず手打ちをしていた。

娘が休みの日、近くに自衛隊の給水船が来ているとの情報があり、
浜までもらいに行った。
水の入ったタンクを4つ、積んでくれたのには有り難くて涙が出た。
これでご飯が炊けると思うと本当に嬉しかった。

電車も、JR・阪急・阪神ともに一瞬にして動かなくなり、現役だった夫は
自転車で神戸まで通勤し、娘は関西空港まで行き、船で通勤した。
電話も通じなかった。まだケータイが今のように普及しておらず、
我が家の様子を、実家に知らせることが出来なかった。

まだまだ限りなく思い出すことがあるが、ここにアップするのはこのぐらいにしておこう。
過去記事の1月の項には、それなりに残してある。

被災地へ急ぐ背中の水の音   夢草

映画&ランチ

連休明けの12日、友人とランチ&映画に行った。
友人とは約1ヶ月ぶり。食べて喋って忙しい

観たのはこれイケメンが見たいと言う不純()な友人のリクエストでこの映画にした。

舞台は富山。曳山祭りが見事であった。

確かに竹内豊は低音でイケメンですね。
江口洋介は、今までになくショートヘヤーで最初は、だれかわからないくらいイメチェンだった。
ショートヘヤー姿は、イチローに似ていた。


以下東宝Webサイトよりあらすじ。

会社の拡大にしか興味の無いIT関連企業CEO・中原祐馬(竹野内豊)の携帯に、共に起業しながらも会社を追い出す形で決別してしまった、かつての親友・航平から、ここ数日、何度も着信があった。胸騒ぎを覚えた祐馬が航平の故郷へ向かうと、そこで待っていたのは予期せぬ親友の死だった。町内会長の西村玄太郎(西田敏行)に話を聞くと、病に冒され余命僅かだった航平は、最後に曳山につながりたいと故郷の土を踏んでいた。事態を飲み込めない祐馬が線香をあげようとするも、航平の義兄・鉄也(江口洋介)は会社を追い出したあげく、航平からの電話を無視し続けた祐馬を許すことが出来ず、殴りかかってしまう。故人を惜しむ場が荒れるのを防いだのは、航平の忘れ形見ともいえる娘・瞳(髙橋ひかる)の落ち着いた対応だった。かつての親友に子どもがいたことに驚く祐馬は、自分に何か出来ることはないかと瞳に聞くと、物憂げな瞳が重たい口を開いた。「西町から四十物町の曳山を取り返してくれますか?」。航平の故郷・富山県の新湊(しんみなと)にある四十物町(あいものちょう)では、前代未聞の曳山譲渡に町が揺れており、約束を反故にした新興の西町に、航平は最期を迎える瞬間まで抗議をしていたのだ。一方、東京では祐馬の会社が不正取引の疑いで強制捜査を受け、祐馬は会社や仲間だけでなく、全てを失ってしまうことに。一人になってしまった祐馬だったが、たった一つだけ残ったもの、瞳との約束を守るため再び新湊に向かうと、そこでは祭りがすぐ間近に迫っていた―。



なかなか良い人生ドラマだと思った。
曳山につながる、人と人とのつながり・・・。
同じ富山の風の盆は知っていたが、勇壮な曳山祭りを知らなかった。

睡眠導入剤

     
    《眠剤を飲むとストンと無になれる   タンポポ》

ベッドに入ってもなかなか寝付けない。羊を300匹数えても寝付けない。
そんな時は起き出して眠剤を飲む・・・何とか眠剤のお世話にならないで
また夢を見ないで、ぐっすり眠りたいと思う。


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ネットショッピング

年明けからのネットショッピングを今3回目ポチッとした。
1回目は孫に遅まきのクリスマスプレゼントにサンタさんからプレゼントの
DSのカバー。
お正月に来た時買いに行ったが、新製品に合う好みのキャラクターのが
なくてAmazonで買った。
2回目は母にマジックハンド。介護用品のお店にあるかと思ったがなかった
ので、送料を払うのは馬鹿らしかったが確実に手に入るネットで買った。
3回目はやはり孫の誕生日プレゼントに、ローラースケートを買った。
娘からLineで、これと指定があったのをポチッとした。

いずれも翌日あるいは二日後には配送される。
しかも○ネコメンバーズなら、受け取ってもポイントがつく

ただ今日はポカを二つもやってしまった。
一つ目は配送先の宛名を私にしてしまった
もう一つは、いつもはクレジットカード払いにするのに、コンビニ支払いにしてしまった。
支払い番号を発行した後では変更が出来なくて、一旦キャンセル処理をして、再度注文という面倒なことになってしまった。

それでも明日届くようなのでよしとしよう。

お年玉考

孫たちが帰って、夫婦2人の静かな暮らしが戻ってすでに3日。
今日から学校が始まっただろう。

五十肩の身には、蒲団の片付けも大仕事である。

孫たちの言葉や行動のいろんなことを思い出している。
中でも面白かったのは、お年玉・・・。
三人の孫に、一律一万円のお年玉を渡した。
五歳の孫娘Tは「紙のお金より丸いお金がいい~」と言って
笑わせてくれた。
そうだろうね、子どもが一万円札をもってコンビニには行けないもんね
娘が「このお金ならTの欲しいものは大抵のものが買えるよ」
孫娘T「でも丸いお金がいいの

よしよし、来年は丸いお金も入れてやるからね

実家は民宿か?

ジジババ2人のところに4人がやってくると、賑やかさは3倍ではすまない。
長女が帰った翌日の2日は、丸一日フリーだったが3日からの賑やかだったこと。
忙しく予定をこなし、今日のお昼前に埼玉へ向けて発った。
31日の午前中は近くのスケートリンクへ行き、その後嫁ぎ先の和歌山へ。

3日のお昼頃に再来襲。
ジジババサンタを止めたので、遅ればせながらXmasプレゼントを買いに行く。
4日は午前中、娘はららぽーとバーゲン。午後はキッザニア甲子園へいった。
キッザニアは遠方からのお客が多いそうだ。
日本に2カ所しかない施設、当然だろう。
関西へは、USJとキッザニア、セットで来るようだ。
昨日もそこで会った方と話しをしていて、キッザニアの近くに実家があると話すと、うらやましがられたらしい。


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子ども達のお仕事体験↑RF1のポテトサラダ作り。
↓お寿司作りの体験

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↓ソフトクリーム作り

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↓○クルトの菌の研究

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他にも水道検査の体験、手術室の医者と看護師などの体験をしてきたそうだ。
作った物を食べられる食べ物体験は人気らしい


まだまだ未体験のお仕事がたくさんあるので、夏休みにまた行きたいと楽しみに帰った。