FC2ブログ

勲記の額

@R0023689@.jpg

夫がどうしても欲しいと言って譲らなかった、勲記と勲章を入れる専用の額を
注文してあった。
それが先日届いた。注文時にサイズをみて、大きいのは解ってはいたが、
届いた段ボールの大きさにびっくり
段ボールを開けたら、でで~~んと存在感のある額が現れ、またビックリ
そして重いこと。
そりゃそうだ幅100センチ高さ60センチある。

我が家が購入した物は、比較的安価な物である。それでも約50,000円。
高価な物は20万でも40万でもある。世間にはそんな高価な物を購入する
年金生活者が多数おられるらしい。
いいよいいよ、我が家は身の丈に合ったもので。
和服も夫婦の記念写真もパスして、節約したのだから最後まで節約しなきゃ。

どこからもびた一文出ないのだから、いくら一生に一度のことだからって、
財布をの口を緩めたら、飛んでもないことになるに違いない。
きっと私が冷たいのだとは思う

我が家はよそ様と違って、医療費にたんまり支払わねばならないのだ。
年金の額は、国家公務員なら、さほど差はないと思う。
たった一度の名誉なこの機会に、お金をかけられる方はかければいいのだ。
負け惜しみではなくそう思っている。

さて額に収まった勲記と勲章どこに置くか・・・。
和室の鴨居の上が一番しっくりくるが、この大きな重い物をかける梁が、
心許ないように見える。それにもまして、高所作業の体勢がちょっと無理な夫。

とりあえずリビングのキャビネットの上に、落ち着いた。う~~んミスマッチ

自治会役員

今年度と来年度の2年間、自治会役員が回ってきた。
順番だから仕方がないと思う。
今までは自治会も管理組合も、夫に任せきりだった。
しかし人様と話しが出来るほどの、声が出ないのでは仕方がない。

10日前に総会と引き継ぎが終わった。役員は全部で18名。
役員の半分は残って、半分は入れ替え、新役員はサポートに回る。
っで私の担当は広報、どの役も大変そうだと思い、少しPCを触れれば
出来るのではないかと広報を選んだ。
尤もその時点で選択肢は、副会長、会計、会計監査、事務局次長。広報しか
なかった。
引き継ぎの資料をもらってビックリ、行事の都度写真を撮ったり
取材をしたりと、実にたくさんの仕事があるのだ。
シマッタと思っても後の祭り・・・。
役員会の後は必ず、自治会報の作成、コピー、各役員に配布。
約380戸あるので分担しているとはいえ、なかなか大変だ。
会報の他に年2回の新聞発行もある。
夏祭りの出店、夜回り、餅つき・・・。
親睦を深める意味での、全員参加が名目の掃除もある。

今年はサポートでいいが、来年は仕切らないといけない。
2年間つとまるのだろうか、かなり不安である。
私にバトンタッチした前任者は、「広報が一番大変よ!」と言う。

自治会はあくまで自由参加らしい。そのことを知ったのは
引き継ぎをしてからだった。
私の受け持ち20戸のうち空き家が1戸、脱退4戸で、会員は15戸。
まずは一年間、無事に務まりますように。

     @R0023695.jpg
   
        《イヌタデ・アカマンマ》

自慢の友人

神戸の地元で歌手活動をしている友人から、コンサートの案内はがきが届いた。
彼女と知り合って10年ぐらいになるだろうか。

私が最初にブログを持っていた時だったと思う。
ある方のブログに彼女を取り上げていて、ユーチューブで音声を聴いて感動した。
高音のとてもきれいな、澄んだ歌声が流れてきた。
”千の風になって”だった。

その感動をブログに書いた。すると本人からの書き込みがあってびっくりした。
私も時々するが、自分の名前を検索して、私のブログにたどり着いたのだった。

それから何度かコンサートに行ったり、食事を一緒にしたりたまには電話で
喋ったりするようになった。
この3年半は行くことが出来ないでいるが、毎年案内状をいただいている。

私がそうであったように、この歌声に癒やされる方は多いと思う。

今後もその素敵な声で癒やして下さい。
ちょっと遠いのでいけそうもありませんが、ご活躍をお祈りしています陽代さん。


           @IMG_0001.jpg

番外編

娘宅で2泊しての帰路の13日のこと。
東武東上線から池袋で山手線に乗り換え、東京駅へ向かう
大塚駅で車内放送があった。
上野駅で人身事故があり、この先継続して運転が出来るかどうか
点検中と言うことで、電車が止まってしまった
ええ~そんなぁ!
埼玉を余裕を持って早めにでていたので、良かったようなもののここで
もし動かなくなったら・・・

我々が乗るのは、東京駅17時発ののぞみ。

5分10分・・・動かない、何度も放送がある。

娘にLineで大塚で電車が止まったと連絡する。
この時点で15時50分。
もし乗り遅れたらと、少し不安がよぎる。

何度目かの放送で、安全が確認できたので発車します・・・
13分遅れで運転再開をした。
予定より15分ほど遅れて東京駅へ到着。
帰りもキャリーバッグは送っていたので、身軽なのはよかった。

お弁当を買い込みホームへ上がるが、まだ余裕があった。

新幹線に乗車すると、一気に疲れてしまった。

こうして3泊4日の旅は無事に終わった
病人との2回目の旅は、どうなることかと思ったが、夫も気が張っており
何とか、気力で支えたようであった。

自宅に戻り3日間はグッタリしていたが、やっと外出をする気力が
わいてきたようだ。
体調と相談しながらではあるが、今週は役所のトップのアポを取れたので、
挨拶に行くことになった。


皆様には、大変ご心配おかけ致しました

皇居での出来事は、一生の思い出になりました。

いよいよ皇居へ、そしてハプニング

       @R0023664.jpg

     《瑞宝双光章》


昼食を終えた後、バス16台に分乗して皇居へ出発する。
左胸には拝受した勲章、右胸下には菊のお花の造花、この二つがないと
天皇陛下拝謁が出来ないそうだ。

途中に見えたホテルでは、防衛省の伝達式の看板が上がっていた。

皇居内に入ると、国交省のバスの他にも多数のバスが止まっている。
後で解ったのだが、この場所は正月の一般参賀の場所であるという。

好天に恵まれて良かった。宮殿に入るまでバスごとに青空の下で、4列で整列をする。
30分ほどして2階の大広間、春秋の間にあがる。天井のとても高い立派な大広間である。
ここでは男女別に5列に整列をし、天皇陛下のお見えを待つ。
宮内庁職員から拝謁に関しての注意がある。

時間があったので、この春秋の間についての説明があった。
前面の壁は春の琵琶湖をイメージし、後ろの壁は???忘れた天井は吉野杉だったか。

2時40分、侍従長・天皇陛下・副侍従長の順にお入りになられた。
壇上に上がられ、お言葉を賜る。
それからゆっくりと男性の前を通り、女性の前を通られる。
このとき男性は女性の方に向き直る。
左端の女性にお声をかけておられるのが見えた。


陛下がお近づきになる。頭を上げていていいものか迷っていた。
そこでなんと私の前で立ち止まられ「大丈夫ですか?」と、お言葉を賜る。
「はい大丈夫です
穏やかなご尊顔である。

身障者の私、普段は車での外出が多く、杖は使わないが、もしもの時のために車には
いつも入れてある。
遠出の際は、使用するか否かは別にして持って出る。
このとき広い皇居内で、どれだけ歩くのか解らず杖を持っていた。
それを目にされた、天皇陛下のお言葉だったのだ。
杖を持っているのは私だけではなかったが、最前列にいた私にお声がかかった。

考えもしなかった、天皇陛下からお言葉を賜るという、ハプニングにただただ畏れ多く
どうしていいものか・・・。
ドギマギしている間にゆっくりと前方まで行かれ、入ってこられたところから出て行かれた。
この間、20分ぐらいだっただろうか?そして何度お辞儀をしただろう?
テレビで拝見するお顔より、一層穏やかなお優しいお顔だった。
しかしながら陛下の歩くお姿を拝見すると、やはり年齢を感じた。そして激務だと思った。
こうして日にちが決まっている以上、多少体調が悪くても予定をこなさねばならない。

それからバスごとに記念撮影をして、その後はプリンスホテルまで戻り、4時頃解散であった。
我が家はホテルでは一泊だったが、ほとんどの方は連泊のようであった。
急いで着替えて休憩をしたかったが、到着時と同じようにロビーは人であふれ、
喫茶も待ちの列があり、休憩をあきらめる。
地下のコンビニで飲み物を購入し、ホッと一息をいれる。
それからすぐ近くのメトロ御成門→巣鴨→山手線で池袋→東武東上線で埼玉の娘宅の、
最寄り駅まで行く。
駅には娘がで孫娘Tと一緒に迎えに来ていた。

      unnameda@.jpg

          《↑賜菓子》

叙勲当日

伝達式会場の鳳凰の間では、国土交通省の若い事務官たちが、皇居へ向かうバスの
番号ごとに受付をしている。我が家は10号車。

受付を済ませ、会場の指定された席に座っていると、滋賀県の方と九州の方が
「○○さんご無沙汰しています・・・」と挨拶に来て下さった。
夫も先に対象者の名前をネットで確認はしていた。
しかしあまり声が出ないので、私がヘルプをしないと話しが通じず、座席表を眺めていたところだった。

壇上には閉会まで上がれなかったが、他のところでは自由に記念撮影が出来た。

     R0023627@.jpg

伝達式では太田国土交通大臣をはじめ、国交省のお偉方が壇上に上がり式典が始まる。

    R0023645@.jpg

それぞれの勲章ごとに名前を呼ばれ、夫婦で起立、着席をする。
全員が呼ばれたところで一同起立礼の繰り返し。


式次第通り、滞りなく伝達式が終わった。
後は昼食を摂って皇居に向かう。


    R0023642@.jpg

東京物語 (*^_^*)

残念ながら案内された部屋は、東京タワーとは反対側だった。
ネット予約をしたとき、すでに食事付きの部屋はなかった。

少し休憩をして記念品の展示会場へ行く。
実にいろいろな菊の御紋入りの品物が並んでいるが、もし我が家がいただくと
すればと、考えるとなかなかこれと思う物がない。
終活を初めている我々世代では、今より物を増やしたくない。
そこへ記念品といえど、残る物は欲しくないと言うのが、私の気持ち。
人様も多かれ少なかれ似たような考えだと思う。
残らない物・・・紋入りの和菓子、図書カード等か。

普通祝い返しは半返しだが、叙勲のお返しは特殊で7割返しだそうだ。
一万円なら7000円、これぐらいなら品物もいろいろあるが選ぶのが難しい。

また三万、五万と包んで下さった方のお返しはもっと難しい。

夫がこれだけは購入したいと言うのが、勲章と勲記を並べて入れる額。
勲記が普通の賞状の類いよりかなり大きいので、額も大きいし高価である。

一ヶ月をめどに、これらの注文をしないといけない、悩む悩む。




帰ってきました

何とか無事に、一連の予定を終えて昨夜帰ってきた。フ~やれやれ

しかしまあ病人と、自宅以外での行動の疲れること。
10日の朝JRの駅へタクシーで向かった。
私の切符は甲子園口から東京までだったが、同じ安売り切符でも夫のは、大阪市内から
東京までの切符なので、大阪までの切符を買うべく券売機に並んだ。
私は先に改札を通ったが、なかなか夫が入ってこない。
やっと入ってきたのでホームに上がると、途中で息も絶え絶えの様子で立ち止まる
電車に乗ってから、どうしてそんなにしんどかったの?と訊くと定期券の券売機に
お金をいれ、取り消しのボタンが解らなかったという。

新大阪でお弁当を買い、新幹線に乗り込む。
予定時刻に東京駅に着き、山手線で浜松町へ。
そこからホテルのシャトルバス乗り場へ向かう。シャトルバス乗り場で待っていると
それらしい夫婦が何組もいる。ここで夫は旧知の方に出会う。この方も翌日叙勲を
受ける方である。
無事ホテル到着・・・と思ったが甘かった。

続々と宿泊客が到着し、チェックインが一時になった。
広いロビーにたくさん椅子を並べているが、座れるまで10分ほどかかり
更にチェックインまで1時間30分かかった。
国土交通省の叙勲対象者は360名ほど、そのうちの何名がプリンスホテルで宿泊を
するのかは解らないが、フロント前は人であふれていた。
チェックインし、送っておいた荷物を受け取り、9階の部屋に案内される。

長くなるのでここまで。

この日、娘が東京駅で出迎えてくれる予定だったが、子供が熱を出して来られなかった。

R0023616@@

行きの富士山、まさに唱歌のふじの山だった。

明日の今頃は

新幹線の中である。そう、我が家の一大イヴェントに向けて出発をしている。
昨日はキャリーバッグを、ホテルのフロント気付けで送った。
後はYシャツと靴など少し手荷物があるだけ。

たった数時間のイヴェントに、あ~でもないこうでもないと気をもんで、
すでに私は、お疲れモードである。

毎日の朝食後、苦しくてすぐ横になる夫、明日はそんな時間はない。

無事予定を終えて、帰ってくることが出来るのだろうかと、いう不安が大きい。
義妹や娘たちが言うように、8回の手術を経て生きての叙勲、これは本人に
とって特別の思いがあるらしい。
それは理解している。しかし毎日欠かさず散歩をしているのに、
一緒に歩くとその足取りの頼りなさに、びっくりする。
脚の悪い私がびっくりなのだから、想像がつくだろう。
元気な同年代の足許にも及ばない。

11日の伝達式の受付は、10時からとなっている。
受付を済ませると、午前の栄養補給の時間になる。
大勢の人のいるところで、口に物を運ぶことなど出来るのだろうか?

伝達式の後は軽食が出る。軽食だって人様のようにサッサと食べられない。
胃のキャパが少ないので、ゆっくり咀嚼して食べるので時間がかかる。
30分ぐらいではとても食べられないし、時間をかけているが、ちっとも
美味しそうには食べられない。
食べることがこんなに苦しいとは・・・と今朝もつぶやいていた

食後、皇居に向けバスで出発する。
天皇陛下拝謁の後、記念写真の撮影などをして、午後5時頃解散予定となっている。
記念撮影など一連の行事の間に、午後の栄養補給の時間がくる。
どこで何を補給するか、悩ましい問題である。

ホテルの地下にコンビニがあるようなので、何かを買ってバスに
乗り込もうと思うが、皇居内へは、婦人のバッグ以外は持ち込み禁止である。
もっとも皇居内で飲食をするなんて、とんでもない話しである。

お腹がいっぱいでも、またお腹が空いても嘔吐く、やっかいな身体なのだ。
どこかで補給せねば、その後の予定を消化できない。
本人が出席を望んだのだから、乗り切ってもらわねばならぬ。

万が一東京で何かがあっては、目も当てられない
何としても、埼玉の娘のところへ行くまでは、持ち堪えてもらわねば・・・

一人じゃなかった(^_^;)

先日ここに書いたスーパーのカートおばさん、否おばあさんがもう一人いた。

今回見たのは、私が一番よく行くスーパーの前の道路。カゴは乗せていなかったので、
どのスーパーのカートかは解らない。

人ごとだけどやっぱり気になる。
そういえば、以前マンションの入り口の通路にも、駅前のスーパーのカートが
置き去りにされていたことが、あったのを思い出した。
他にはまだ見たことがないが、高齢化社会の今、そういう人は他にも多分
いるのだろうと思う。

あなたの物は私の物、私の物は私の物・・・


IMG_0120.jpg
《ナンジャモンジャノキ》

さてさて東京行きを8日後に控えて、ブログの更新は当分お休みします。
孫たちへのお土産や着替え、私の衣装はホテル気付けで前日までにおくります。
まだ孫のお土産が調達出来ていません。