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雑感

父の訃報を聞いても一粒の涙も出なかったが、さすがに枕経が始まると50年ぐらい前に、父と淡路島を原付で一周したことや、もっと小さかった時のこと等、色々思い出し、涙がにじんできた。
叱られたことはもちろん、PTAの役員になった時、坊主頭だった父に、髪を伸ばしてと言ったこともあった。
このことは、夫が40歳を前にして頭が白くなり、次女が「父親参観にそんな白い頭で来たら嫌だ」と言った。
夫はその後数年間、自分で染めていた。やはり私の子だなと思った

お花を栽培していた時期があった。よく覚えているのはカラフルなルピナス。
今はプランター用の背丈の短いのもあるが、栽培していたのは背丈の長いものだった。
そのころだろうか?淡路島は「花とミルクとオレンジの島」と呼ばれていた。
今はさしずめ、玉ねぎとレタスの島だろうか?

父は若い時、身体が弱くて戦争には行ってない。同年代の人たちが戦争に行っている間、産めよ増やせよに協力し、私以外は戦争中に生まれた。
若い時から華道の嵯峨流師範として、婿養子に入ってからもお弟子さんを取っていたそうだ。
男が華道をするなど、田舎では珍しかったに違いない。
床の間には常に、大作を生けてあった。材料は山から切って来た木の枝や、自宅の花壇の花だった。
ご近所に婚礼などがあると、頼まれて生けに行っていた。

細い体でよく働いていたと思う。
長い間、乳牛を飼育しており、夕方絞り立てのひと肌、否牛肌の生暖かい牛乳を、コップに入れて飲んだものだ。
時々牛の毛が入っていた。
今なら衛生上許可されていないかもしれない。なにぶん50数年前のこと、その辺は大雑把だったと思うし、乳牛の乳から直接コップに絞る正真正銘、混ざりっ気なしの牛乳に、何のためらいもなかった。
そんな私も、今は町中に住みちょっとした町の人間になっているが、本来は野生児だったのだ。
今飲んでいるのは低脂肪乳、あの時飲んでいたのに比べると、濃さも味もスカみたいだと思う。
生き物を飼っていると留守が出来ない、30年程に乳牛の飼育は止めた。

犬が大好きでいつも犬がいたが、猫は嫌いだった。
学校の帰りに捨て猫を拾って帰ったことがあった。
飼いたいと、この時ばかりに甘えてみたが駄目だった。元いた場所に置きに行った。

今時のようなお犬さまではない。番犬の役目をする犬だった。
狆は番犬にならなかった、でも上を向いた鼻が可愛く、優越感に浸れることができた。
後はどの犬も、しっかり番犬になった。
犬の素質を見抜いていたと思う。

他人様には面白くもないことを、長々と書いてしまった