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1月17日

阪神大震災から今日で20年になりました。
今日は大地震が起きた時刻の3分前に、目が覚めました。
時計を見ながら、どこか身構えていました。
これはこの20年変わりません。
今日は午前9時から防災訓練があり、外のスピーカーの呼びかけで、自宅で電気ガスを確認し、
ダイニングテーブルの下で身を護りました。
9時半には防災担当委員が、一軒ずつ無事を確認するというシュミレーション通りに終わりました。

先日来、新聞もテレビも20年20年と騒ぎ過ぎているように思う。
騒がなくとも被災地にとっては、決して忘れてはならないことであり、家族や大切な人が
犠牲になった方々、あるいは住まいを一瞬にして無くした人たちにとっては、忘れようにも
忘れられない日なのです。
私の二人の友人の家と、義妹の家が全壊しました。

市内は全壊、半壊以外は全て一部損壊でした。
我が家も一部損壊でした。

このブログに引っ越しをする前のブログは、あの日の出来事を思い出して綴っていました。
上手くこちらに引っ越せた記事と、消えてしまった記事があります。
右の月別アーカイブの1月の中から、残っている記事は見ていただけると思います。
11年のは消えているようです。

それとは別に震災後、当地で見たこと感じたこと、私が経験したことを
「1995年1月17日阪神淡路大震災の私と家族」と題して、当時使っていたワープロで
打ったものが数枚あります。


後に起こった東日本大震災の時は、整形外科で椅子にかけてホットパックをしていた。
遠く離れた地の地震をかすかにグラッと感じた。
この時は自分の体調が悪いのかと思うぐらいだった。


阪神大震災は、いつもの起床時間の30分ほど前だった。
突き上げられるような揺れと、夫のわぁ!という叫びで飛び起きた。
真っ暗な中、何が起こったのかと、考えていると、大きかったなぁ・・・と夫の声、続いて箪笥が倒れてる・・・。
目を凝らすと、和箪笥の上の部分が倒れていた。

当時、自宅通勤をしていた次女の無事を確認する。

ベランダに出て外を見た夫が、雪が降ってるなあと言う。
私も外に出て駐車場の方を見る。雪??
これはあとで解ったことだが、液状化と言う初めて聞く言葉と現象だった。

電気は30分後ぐらいに点いた。しかしこの日から3週間レバーを下げても、一滴の水も出なかった。
我が家は朝、テレビを付けない生活をずっとしていたので、情報のないまま買い置きの水で
コーヒーを沸かし、夫と次女は一緒に家を出ました。
しばらくして次女だけが帰って来て、駅の構内に工場の煙突が倒れていて、
電車が不通になっていると言う。
「お父さんは?」と訊くと甲子園まで行けば何とかなるだろうと、行ったとのことでした。
甲子園まで行ったものの、電車は阪神、阪急JRとも、不通になっていました。

戻ってきて自転車で出かけましたが、阪神高速道路の倒壊現場を見て、めまいがして
帰って来ました。
当時、国家公務員だった夫は当日出勤出来なかったことを、退職するまで悔やんでいました。
翌日からは自転車で出勤と言う、魔の通勤地獄でした。
倒壊した住宅やガス漏れで危険な場所を迂回しての、神戸三宮までの通勤でした。
疲労が激しく私の原付で2~3日通勤したのですが、慣れない原付で車道を走らねばならないのは、
自転車より疲れるとのことでまた自転車通勤になりました。


17日の夕食まではガスは出ていました。あるもので夕食を食べ洗い物をしようとして、
ガスが止まっていることに気づきました。この時から4週間ガスは使えませんでした。
折れたガス管に泥が入って、復旧が遅れていると聞きました。

取り敢えずは電気鍋が役に立ちましたが、カセットコンロとガスボンベを探し回り、
3日ほどしてやっと手に入れました。

スーパーから身近な食料品が消えたのです。もちろん水やパンもありません。
でも出先で食べる昼食もありません。夫も娘もお弁当持参でした。
お野菜がたくさん手に入った時は、調理してタッパーに入れ、皆さんに食べて
いただくよう夫に持たせました。
キャベツを一個ボイルして、サラダにしたのをとても喜んでいただきました。
娘は会社の一人暮らしの女性船員さんの、お弁当も持っていきました。

スーパーへ行けば、何でも揃うのが当たり前だったことが、そうではなくなったのです。
大阪へ行けば品物があり、普通に生活が出来ていましたので、大阪まで買い出しに行く人も
多かったのです。

そんな中で神戸市出身の○原慎○郎氏が、故郷神戸を心配して神戸入りをするという
連絡があり、役所では頭を抱えたのです。
宿泊も食事も十分でない神戸に、このタイミングで入る。
それは役所にとって非常に頭の痛いことです。
それでなくても仕事は山積み、職員も全員出勤できる状態ではないのです。
これはホテル側の協力や警察の協力があって、何とか無事にことなきを得たと記憶しています。

1月22日のNHKの特別放送「被災地からの声」を見ていると、普段なら感情を抑えて
ニュースを読む古屋和雄アナウンサーが、涙をポロポロ流しながら番組を進行していたのを、
今もはっきり覚えているのです。

この時入ったお風呂の一つに、プールの水を沸かしたカルキの臭いのするお風呂がありました。




阪神電車の運転再開は、梅田→甲子園(1月18日)
                梅田→青木 (1月26日)
                梅田→御影 (2月11日)
                全線開通  (6月26日) 予定より3カ月早く再開された

この間バスでの輸送があり、不便ながらも自転車通勤からは解放される。

               4月1日 JR東海道線開通
               6月12日 阪急神戸線開通