FC2ブログ

夫の薬

@1IMG_2481.jpg→は朝食後の薬で、これにプラス年末からカリウムの数値が高いので、ゼリー状の薬も飲んでいる。
胃のキャパの少ない身には、食後すぐにこれだけの薬を飲むことが出来ない。
少し食道の内容物が下に下がって来たときに飲む。
もちろん同じぐらいの量の薬を3食後飲むのである。
これだけの薬を飲むには、水も一口というわけにはいかない。

この3年、46~48㎏を超えることのない体重。
3食と午前中に栄養剤を一本飲み、午後はカロリーの高いアンパンやお饅頭の類を必ず食べる。
病気をするまで辛党だった夫からは、考えられなかったことである。
それでも体重が増えない。せめて50キロになればと思うが大きな壁が立ちはだかっている。
これが近所の開業医では、歯医者にさえもかかることの出来ない病人なのだろう。

インフルエンザが大流行しているので、予防接種をしているが、もしも熱が出たらどうすればいいか。
主治医に訊くと緊急外来に来るようにとの返事があった。
12年の秋以来、何度緊急外来に駆け込んだことだろう。
生きている限り、緊急外来とも縁が切れないのだ。


私が車の運転をしているうちはいいが、免許を返納したらどうするか。
ここから神戸の病院までは遠い、救急車のお世話になるしかないのだろうか。
転院は視野に入れられないだろうか。
あまり評判は良くないが、近くに大学病院がある。

一人ウツウツ考えている。

@1R00198510


わたくしがウツウツしても花は咲く    タンポポ

今年初めての映画

「アゲイン 28年目の甲子園」を観てきた。
関西には「ありがとう浜村淳です」という朝のラジオの長寿番組がある。
その番組では土曜日、映画サロンのコーナーで映画の紹介をする。
それを参考にしてシネマに足を運ぶことが多い。
この映画も、この番組で紹介されていて観たいと思っていた。
公開前の夜、埼玉の次女からLineで「息子が甲子園球場だ!てみている。そっちも映っている?」と言って来た。
みると出演者の柳葉敏郎と誰だったか(芸人さんだったと思う)が、JRの甲子園口から南へ続く商店街を散策していた。




地方大会の決勝戦の前日、部員の不祥事で決勝進出を辞退した。
あれから28年、みんなそれぞれ事情を抱えていた。
高校時代にともに甲子園を目指したチームメイトの娘・美枝が主人公 坂町晴彦(中井貴一)を訪ねてきたことから、初めて甲子園の土をふむ。
東日本大震災で亡くなった父の遺品から、出さずにしまいこんであった27年分の年賀状の束を見つけ、その宛先である晴彦に会いに来たのだった。美枝がボランティアとして働いている「マスターズ甲子園」に誘われた晴彦は、気乗りしないままかつての野球部員たちと再会を果たすが……。                                                                                              
マスターズならではのルールがあり、甲子園球場の地元に住んでいることもあるが、なかなか面白い映画だった。

出場者は、勝っても負けても一番キャッチボールをしたい相手と、甲子園でキャッチボールが出来る。
晴彦がキャッチボールをした相手は・・・?

ウィキペディアによると
マスターズ甲子園(マスターズこうしえん)とは、かつて高校野球に出場した元高校球児たちが、阪神甲子園球場を舞台に世代を超えたOBチームを結成して、野球を通しての同窓会を行いそれを生涯スポーツとし発展させまた次世代の子供たちに野球の素晴らしさを伝えていくことを目的に2004年から創設された大会である。別名「秋の甲子園」。

明日から観たいと思っている作品が、次々公開される。
2作ぐらいは観たい、行けるかな?

柚子こしょう風味

最近柚子こしょう風味の納豆にはまっている。
元々柚子こしょうは好きだった。
っといってもお鍋以外には、あまり使ったことはなかった。

ある方のブログで、柚子こしょうを手作りをされることを知った。
クックパッドで検索をすると、作り方は思ったよりも簡単なのが解った。
しかし少量あればよいので、まだ作ったことがない。

昨年の秋ごろだったか、いつも行くスーパーで柚子こしょう風味の納豆を見つけ、迷うことなく購入した。
それからクセになった
カラシの代わりに、柚子こしょうが付いているのだが美味しい。

またまたクックパッドのレシピを見ると、柚子こしょうを使ったレシピがいっぱいある。
塩麹もいいけど柚子こしょうもいいな・・・

青い柚子で手作りに手作りしてみよう・・・って、今は熟した柚子しか出回っていない。
黄色く熟したのでも出来るらしいが、やっぱり青いのが王道?なんだろうな。

目鼻がついて

ホッと一息と云うところ。
シニアナビにお休み画像を貼ることもなかったかも・・・

ある川柳会から鑑賞文の依頼があり、めったなことを書けないので、それに集中していた。
この依頼は2年程前にもあり、その時は夫の病気で落ち着かず、これ幸いとお断りしていたのだった。
こんないい加減な文章しか書けない私に、再度の依頼があり恐る恐るお引き受けした。

所属柳社には過去に何度か鑑賞文を書いているが、それ以外では初めてのこと。
力量を見極められると思うと、すらすらとは書けない。

今回送られてきた柳誌を、3回読んだ。

何年か前の我が柳社の全国大会で、ある女性選者が壇上でハッキリ仰ったことを覚えている。
「関西と関東以遠の句には明らかに違いがあり、T(我が柳社)の句は独特である。
ほかの選者の入選句の半分ぐらいは、私たちのほうの大会では没になる」

当然ながら、この選者に出した拙句は没であった。

私ごときの句は、所属柳社では通っても他の柳社では通らない。
鑑賞文も同じだと思う。
鑑賞文を書くには佳句を選び、その句を鑑賞せねばならない。
また?と思う句に、疑問を投げることも必要だと思う。

現代川柳を学ぶ者は、マスコミ川柳のようなもどき川柳を、真似てはいけないと思っている。
大手を振っているもどき川柳を、現代川柳と勘違いしている向きが多いのは困りものである。
俳句より川柳が下に見られていることの、一因かも知れない。





タブー

賢い人は書かない、ブログ記事の3大タブーは、政治・宗教・プロ野球だということは知っている。
っが、政治問題とまではいかないと思い、敢えて書いてみたい。

明日、兵庫県議会議員の当市選挙区の補欠選挙がある。
これは年末の衆議院選挙に立候補した議員と、まだ記憶に新しい号泣議員の辞職に伴い行われる。
しかし明日の選挙で当選しても、任期は6月10日までで半年もない。

「任期満了の半年以上前、 (都道府県議会議員の場合)議席が複数ある選挙区で、 複数の議席が空いた場合、50日以内に補欠選挙を行う。」と公職選挙法で定められているということで、こんなことになるらしい。

補欠選挙だけで1億数千万必要になるという。
公職選挙法は守らねばならない思う、でも何だかねえ、お金の無駄遣いの気がする。


そして次の統一地方選挙は4月・・・。
明日の選挙で当選しても、次の選挙で再選されなければ議員のバッジを付けるのも、わずか半年足らず。

難しいことは解らないが、変だなぁと思う。



我が家の終活③

贔屓目にも進んでいるとは云えない終活。

押入れの整理に2段の蒲団棚を購入した。届いて部品のチェックをすると部品が足りなかった。
ここで、やる気そがれる
すぐその旨を連絡するも、届くのに6日もかかった。

今朝、思いついて玄関の物入れにある、溜め込んだ紙バッグの処分をする。
出るわ出るわ・・・何年か前にも整理したのに溜まるものだ。

商売の大切なアイテムだろうが、捨てるには勿体ないような、紙バッグがいっぱいある。


この物入れはティッシュやトイレットペーパー、洗剤などの買い置きが入っている。
高いところにアルバムもある。
そして今後使うことのないであろうキャンプ用品もある。
夫に要るのか訊くと「もうよう行かんやろな・・・」と言う。
そんなことは解っているから要るか要らないか訊いてるのに・・・ハッキリせんかい
っというようなわけで、片付いたのは紙バッグだけ

@1R0019834.jpg整理術などを見ていると「買い置きは使うその場所に置けるだけにして、特売だからといって買わないようにしましょう」とある。解っちゃいるけど・・・。
一昨日買い物に行って、特売のティッシュを買って、まだ車の中にある。
いえね、持ってあがって来るには荷物が多かったので、腐るものじゃなしと車の中に置いてある、ただそれだけ。

そして蒲団棚を組み立てた。
ねじ一本回すのもしんどい人を相手にして・・・こちらも疲れた。
組み立てて、下の段に敷き蒲団を4枚入れていると、上の棚に当たった。
見るとホッチキスで留めてある、棚板の一部が外れている、ショボイなあ。
外してよく見ると板が割れている面倒なので、ボンドを流し紐でしばった。

何とか蒲団は収まった。これでずいぶん出し入れがし易くなる。
半間の押入れは、上下とも来客用寝具4組でいっぱいになった。

後の半間も、もう少し整理しよう。

思い出すままに・・・

@12015 01 18 001毎年1月17日は、この日の記憶がだんだん薄れていく中で、当時のことを思い出す日にしている。
テレビの映像を見るのはやはりつらい、でも忘れてはならない日であり、あの揺れのなかで感じた恐怖と、その後の今まで経験したことのなかった、毎日の不便な暮らしを少しずつ思い出している。

映像からは伝わってこないものもある。

この画像の戸建住宅が立ち並んでいるところは、当時広はい原っぱだった。ここには震災後、仮設住宅がずらっと建てられた。少し行ったところの運動公園の、テニスコートにも仮設住宅が建った。

奥の中央の高層マンションは、完成直前だった。

私の甥はあの頃、被害の大きかった神戸市東灘区の消防局にに勤めており、当日は宿直であった。
震災後は消火や救出活動に追われ数日間、自宅に戻ることが出来なかったと聞いている。
消火活動に水もなく川からの放水は困難を極め、大震災を前に、人間の無力さを味わった。
今は現場を離れ、本部の司令部にいる。

阪神高速路の倒壊で、国道43号線の通行量が増え、渋滞が酷かった。
ある日、43号線を原付で渡ろうと信号を待っていると、交差点の真ん中で交通整理をしていた警察官が、一斉に動き出した車を避けるため道路脇に慌ててやってきた。
「怖いでしょう、命がけやね・・・」と、声をかけずにいられなかった。
「今日で3日目、身の危険を感じる」と返事が返ってきた。

1月17日

阪神大震災から今日で20年になりました。
今日は大地震が起きた時刻の3分前に、目が覚めました。
時計を見ながら、どこか身構えていました。
これはこの20年変わりません。
今日は午前9時から防災訓練があり、外のスピーカーの呼びかけで、自宅で電気ガスを確認し、ダイニングテーブルの下で身を護りました。
9時半には防災担当委員が、一軒ずつ無事を確認するというシュミレーション通りに終わりました。

先日来、新聞もテレビも20年20年と騒ぎ過ぎているように思う。
騒がなくとも被災地にとっては、決して忘れてはならないことであり、家族や大切な人が犠牲になった方々、あるいは住まいを一瞬にして無くした人たちにとっては、忘れようにも忘れられない日なのです。
私の二人の友人の家と、義妹の家が全壊しました。

我が家も一部損壊でした。

このブログに引っ越しをする前のブログは、あの日の出来事を思い出して綴っていました。
上手くこちらに引っ越せた記事と、消えてしまった記事があります。
右の月別アーカイブの1月の中から、残っている記事は見ていただけると思います。
11年のは消えているようです。

それとは別に震災後、当地で見たこと感じたこと、私が経験したことを「1995年1月17日阪神淡路大震災の私と家族」と題して、当時使っていたワープロで打ったものが数枚あります。


後に起こった東日本大震災の時は、整形外科で椅子にかけてホットパックをしていた。
遠く離れた地の地震をかすかにグラッと感じた、この時は自分の体調が悪いのかと思うぐらいだった。


阪神大震災は、いつもの起床時間の30分ほど前だった。
突き上げられるような揺れと、夫のわぁ!という叫びで飛び起きた。
真っ暗な中、何が起こったのかと、考えていると、大きかったなぁ・・・と夫の声、続いて箪笥が倒れてる・・・。
目を凝らすと、和箪笥の上の部分が倒れていた。

当時、自宅通勤をしていた次女の無事を確認する。

ベランダに出て外を見た夫が、雪が降ってるなあと言う。
私も外に出て駐車場の方を見る。雪??
これはあとで解ったことだが、液状化と言う初めて聞く言葉と現象だった。

電気は30分後ぐらいに点いた。しかしこの日から3週間レバーを下げても、一滴の水も出なかった。
我が家は朝、テレビを付けない生活をずっとしていたので、情報のないまま買い置きの水でコーヒーを沸かし、夫と次女は一緒に家を出ました。
しばらくして次女だけが帰って来て、駅の構内に工場の煙突が倒れていて、電車が不通になっていると言う。
お父さんは?」と訊くと甲子園まで行けば何とかなるだろうと、行ったとのことでした。
甲子園まで行ったものの、電車は阪神、阪急JRとも、不通になっていました。

戻ってきて自転車で出かけましたが、阪神高速道路の倒壊現場を見て、気分が悪くなり帰って来ました。
当時、国家公務員だった夫は当日出勤出来なかったことを、退職するまで悔やんでいました。
翌日からは自転車で出勤と言う、魔の通勤地獄でした。
倒壊した住宅やガス漏れで危険な場所を迂回しての、神戸三宮までの通勤でした。
疲労が激しく私の原付で2~3日通勤したのですが、慣れない原付で車道を走らねばならないのは、自転車より疲れるとのことでまた自転車通勤になりました。


17日の夕食まではガスは出ていました。あるもので夕食を食べ洗い物をしようとして、ガスが止まっていることに気づきました。この時から4週間ガスは使えませんでした。折れたガス管に泥が入って、復旧が遅れていると聞きました。

取り敢えずは電気鍋が役に立ちましたが、カセットコンロとガスボンベを探し回り、3日ほどしてやっと手に入れました。

スーパーから身近な食料品が消えたのです。もちろん水やパンもありません。
でも出先で食べる昼食もありません。夫も娘もお弁当持参でした。
お野菜がたくさん手に入った時は、調理してタッパーに入れ、皆さんに食べていただくよう夫に持たせました。
キャベツを一個ボイルして、サラダにしたのをとても喜んでいただきました。
娘は会社の一人暮らしの女性船員さんの、お弁当も持っていきました。

スーパーへ行けば、何でも揃うのが当たり前だったことが、そうではなくなったのです。
大阪へ行けば品物があり、普通に生活が出来ていましたので、大阪まで買い出しに行く人も多かったのです。

そんな中で神戸市出身の○原慎○郎氏が、故郷神戸を心配して神戸入りをするという連絡があり、役所では頭を抱えたのです。
宿泊も食事も十分でない神戸に、このタイミングで入る。それは役所にとって非常に頭の痛いことです。
それでなくても仕事は山積み、職員も全員出勤できる状態ではないのです。
これはホテル側の協力や警察の協力があって、何とか無事にことなきを得たと記憶しています。

1月22日のNHKの特別放送「被災地からの声」を見ていると、普段なら感情を抑えてニュースを読む古屋和雄アナウンサーが、涙をポロポロ流しながら番組を進行していたのを、今もはっきり覚えているのです。

この時入ったお風呂の一つに、プールの水を沸かしたカルキの臭いのするお風呂がありました。




阪神電車の運転再開は、梅田→甲子園(1月18日)
                梅田→青木 (1月26日)
                梅田→御影 (2月11日)
                全線開通  (6月26日) 予定より3カ月早く再開された

この間バスでの輸送があり、不便ながらも自転車通勤からは解放される。

               4月1日 JR東海道線開通
               6月12日 阪急神戸線開通

よく続いたものだ

@1IMG_0591@.jpg今日は45回目の結婚記念日である。
サファイア婚というらしい。
あの時君は元気だった、私もまだ21歳で可愛かった・・・。
と一人で言っておこう

3年の間に7回の入院、そして命がけの手術を何度もして、45回目を迎えられたことは、めでたいことなのだと思う。

しかしながら、私の気持ちは、かなり複雑である。
こんな筈じゃなかったと、本人が一番思っている。
私だってこんな老後になるとは、思ってもみなかった。

「命あっての物種」と言うが、夫にとってこれ以上の言葉はないのだ。
それは誰に言われなくても、十二分に解っている。解っちゃいるけど・・・。
不満の一つも言いたくなる。全く罰当たりな古女房である。

退職後の暮らしは、思い描いていたのとは全く違ってしまったが、生きていることに感謝をせねばならない。
2~3日前、義妹からかかってきた電話を、取ったのは夫だった。
義妹は声がよく出ているとびっくりした。
確かに手術前に比べると、聞き取り易くなり、聞き返すことは殆どなくなった。
健康な人が20秒ぐらい出るところ、夫は10秒出ている。それだけで随分違うのだ。
私と電話を代わって「よく出ているわ~、みんなタンポポさんのおかげやなぁ」と言った。
そう言われて夫に対し、ぞんざいな態度を多々とっていることを、少し反省した。

後何回、2人で1月14日を迎えられるか解らない。
親と暮らした年月の倍以上を、一緒に過ごしてきた。ここまで来たら最後まで付き合いましょう。
ってどちらが付き合うのやら・・・

我が家の終活②

私が一番要らないと思っていた百科事典は、夫の入院中に処分した。もちろんお伺いは立てましたとも・・・。

結婚した1970年以前から持っていたもので、少ないお給料の中から月賦で購入したものであり、夫には思い出深いものであったのだろう。しかしネットの普及した今、1970年以前の情報しか載っていない百科事典は、情報源としては古すぎるので処分に異存はなかった。

まだ本棚には文学全集が、3種類ずらっと並んでいる。
私はこれも処分したくて仕方がないが、恐らく首を縦には振らないであろう夫を思い、口に出すのをぐっと我慢している。


昨日「命がけのオペを何度もしたのだから、出来る時に身辺整理をしておかないと、2人が死んだ時、困るのは子供だよ」とは言ってみたが反応なし


私は今回料理本をたくさん捨てた。本がなくてもクックパッドなどで、いくらでもレシピを見ることが出来る。
しかし私も、捨てられない川柳の本がたくさんあるのも事実

こうしてせっせと断捨離を進めているのに、大晦日に必要なかけ蕎麦用の丼が人数分ないことに気付いた。
大人以上に食べる17歳の孫と、なんでも大人と同じがいい小さい孫の計8人、仕方なく丼を買った


その気になって整理をすれば、どんどん不用品が出てくる。
海外旅行用の大きなトランクも要らないが、何ゴミだろう?有料かも・・・。
有料の物は、ひとまとめにして直接焼却場に持ち込もうと思う。
以前は無料だったが、今は少し料金がかかるようになった。
それでも一個ずつ申し込んで、回収してもらうよりはるかに安くてすむ。

いちいちお伺いを立てないと処分出来ないのは面倒だ。
結婚以前からの写真のネガも山ほどある。
これもこの前「もう要らないでしょ?」
「要らんやろなぁ・・・」どっちなのよ?
娘たちが嫁ぐ時、持たせるつもりでいたアルバムもお蔵入りなのに、ネガは絶対に要らない。

潔く処分して、早く身軽になりたいと思う。
思い切りの悪いジイサン、早く気づいてよね。
大病をした身は、いつ何があるか解らないんだよ。
現にまだ胸の穴は、塞がってないのだから・・・

kami.jpg


神様にあれもこれもと願いごと   タンポポ

我が家の終活

先日、来客用の蒲団を片付けるついでに、押し入れの整理を始めた。
1970年に結婚して、間もなく45年になる。
当時の嫁入り荷物は、実家で親戚にお披露目をして紅白の紐をかけ🚚で、挙式の一ヶ月前、新婚生活を送る官舎に運んだ。
その中には座布団が10枚あった。

4度目の引っ越しでこの住まいに来て、24年ほどになる。
箪笥と着物以外のほとんどは既にない。

天袋から一度も使ってない、ふかふかの座布団が5枚出てきた。
いくら考えても、この先座布団がどうしても必要になるとは思えない。
これとは別に時々使っている座布団もある。

最後に座布団を使ったのは、娘の結納の時だと思う。
もうかれこれ14年程前の話しになる。
処分決定・・・しかし処分するには費用がかかる。
そこで管理室に和室の会議室もあるので、要らないか訊いてみた。
管理人が「スポンジの薄っぺらいのがあるが、要らないのならいただきます」ということで、2度目の嫁入りを果たした

嫁いで17年になる長女のものが、クロゼットにまだ残っている。
これも処分したい、だいぶ前に夫が勝手に処分して叱られ、それから手つかずである。
一応お伺いをたてた。「一度見に行くわ」と言う長女。しかしこの娘はお尻が重い。
早々に来るとは思えない、そこで運ぶことにした。

これで80センチ幅のクロゼットの下、高さ60センチが空いた。結構広い

次女のもあり、去年の夏と今回で大方片付いた。後は持って帰るほどでもないが捨てがたい、と言うものが残っているらしい。次女曰く「この家を片付けなきゃいけなくなった時は、責任を持って片付けるから・・・」
これは夫のベッドの下に収納してある。

夫も私も、高いところも低いところも使いにくい。
2人がこの家で、生活をしやすいようにしようと思っている。

我が家も終活の第一歩を踏み出した。

娘たちに言わせると「冬は暖かくて、夏は涼しい。この家は年寄りが住みやすいと思う。どちらかが1人になってもあまり心配をしなくてもいいと思う。駅前のスーパーでたいていの物が揃うし、目の前にバス停もあって便利。お母さんはネットスーパーも利用できるし、に乗れなくなっても生活は出来ると思う」っとこんなお墨付きをもらった。

客蒲団の出し入れがしやすいように、押入れ用の蒲団棚を注文した。
これがきたらきちんと蒲団を収納して、押入れに一つ棚を入れて整理しよう。

いずれ和箪笥も洋服箪笥も処分して、スッキリしたいと思っている。

通院

年が開けて10日、医療機関の診察が始まって5日。
そして・・・通院したのが3日
次は連休明けの13日。
今月はいったい何回通院するのやら?

夫一人で行けないわけではないが、インフルエンザが流行っているのでにはあまり乗せたくない。
今年は、予防接種をしていても罹ったという人が多い。
夫など罹ればイチコロかも知れない・・・。


そっかぁ電車で行かせてみようか

病院通い始まる

6日7日と夫の病院通いだった。
11月に胸骨を縛ってあるワイヤーを抜いたにも拘わらず、二つ開いていた穴の一つが、年を越しても塞がっていない。
実に半年も開いたままなのである。昨日は処置室で局部麻酔を打って少し切開した。
切開した痕がどうなっているのか、大きなガーゼを当ててあるので解らない。
耳鼻咽喉科の受診もした。鼻からファイバースコープを入れて喉をみる。PCの画面に内部が映される。
「い~」と発声しながら、声帯の動きを確認する。ぴったり閉じるのが確認できた。
まだ少し術後の出血の跡や、腫れがあるため「あ~」と発声するも途切れそうになるが、目標の10秒は続いて発声出来ている。
聞き取るのもずいぶん聞きやすくなった。次は一か月後の受診となる。

問題は厄介な胸の穴、明日9日は昨日お世話になった心臓血管外科を受診後、形成外科を受診することになっている。
外科的な手術や処置をして、早く塞がればいいのだが・・・。
このままでは、この寒い時期に湯船に浸かることも出来ない。
やはり日本人・・・湯船に浸かりたい。


ちなみに孫たちの従弟の2歳のS君は、湯船には入らないのだそうな。
フランス人のお父さんには、湯船に浸かる習慣はないのだろう。

孫台風去って

病人と二人の生活が戻ってきた。
10時半ごろ娘一家は、埼玉へ向けて出発した。
ジャティックの情報では、渋滞無しでも6時間07分と出ている。
十分に休憩を取って、無事に帰宅してほしい。
SAではドッグランではないが、子どもを遊ばせ疲れさせて、また走るらしい。
帰路の車内で観るDVDを何枚も用意している。古い車に後付けでノートPCぐらいの大きさの再生機を取り付けてある。

昨日は、今週5歳の誕生日を迎えるTのプレゼントを買いに、ららぽーと甲子園に行った。
欲しいと言っていた「こえだちゃんのきのおうち」は完売だったが、もう一つ欲しかったものを買ってご機嫌。
Kにも妖怪ウオッチのプラモデルを買った。

子どもが一年生と幼稚園の年中さんになり、ずいぶん帰省が楽になったと娘が言う。
確かにそうだと思う。短期間とは云え帰った後、ジイチャンバアチャンの疲れ具合も違う。
日々成長する子どもに対し、老いていくだけのジイチャンバアチャンではあるが、2~3年前に比べると賑やかさが違う。
兄と妹でよく遊んでいる
5歳になるTが成人式を迎えるのは、恐らく見られないと思う。
長寿の家系なので、もしかするとみられるかも・・・しかし長寿の家系で認知症の家系。
15年先の自分は想像したくない、そんなことを思いながら見送った。


T amikomi

毎朝ヘアースタイルの注文をするT、この日の注文は編みこみ。不器用な娘が希望に応える

出発前、仲よく公園で遊ぶ2人。

@1020.jpg

今年のおせち

夫は倒れた時、大動脈からの大量出血で、片方の腎臓が機能しなくなった。
それ以後我が家は減塩食である。調味料もスーパーでは取扱いのない、減塩調味料に替えた。

そしてその後、お正月はミールタイムの減塩お節料理を注文している。
今年はタンパク質制限食にした。塩分は4,2グラムである。
今の夫には、この2段の小さなお重のお節も4回も5回も食べて、やっと食べきることが出来た。



list04.png

↑夫のおせち《タンパク質制限食》 HPから   ↓濱金の少人数用桐箱入りおせち(普通食)

タンパク質制限食は冷凍で届くが、濱金のお節は30日に作って31日に冷蔵で届く。
伝票番号が解っていたので、宅配の時間を変更しようと、30日ににアクセスするも、出荷前でPCに入力されてなかった。31日に起きて確認すると発送の連絡があり、2つのお節を一緒に受け取れるよう変更した。
メンバーズに登録をしておくとこんな時はとても便利だ。

8人の大所帯なので、丹波の黒豆、数の子、ごまめ、なます、筑前煮などを作った。
他はスーパーで買った、出来合いのものを詰めて・・・。
毎年おばあちゃんの黒豆の評判がいい
今年は次女が、かまぼこ、きんとん、伊達巻などを買ってきたので、元旦だけでは食べきれず、ジイチャンバアチャンは2日もこれらを食べていた。
筑前煮がまだいっぱい残っている。
普通のあっさりとしたお煮しめのほうがよかったのかも。


@1imgrc0062724947.jpg



さて後30分ほどで、和歌山から孫台風の再来である。

年末年始

年末は気忙しく過ぎた我が家も、よそ様と同じように新年を迎えました。
30日の午後9時45分、埼玉から次女一家が到着。
今回は中央道を走ってきたとのことで、渋滞もなく快調に走って来たようです。
ただノーマルタイヤなので、帰りは渋滞を覚悟して新東名と東名高速を走らないといけないかもしれません。
次女はクリスマス前から熱を出していて、まだ本調子ではなさそうです。

31日は午前10時に退院という夫を、迎えに行きました。
一年生のKが「おじいちゃんを迎えに行きたい」と言うので、娘も一緒に

部屋に入ると着替えた夫が、ベッドで横になっていました。
前日から発声可になったのですが、声帯が腫れているため声はかすれています。
やはり喋るのは苦しそうです。手術の効果は有りや無しや・・・?
日にち薬と思いたいのですが、どうなることやら。

6日は心臓血管外科、7日は耳鼻咽喉科の受診があります。
まだまだ病院通いは続きそうです。

31日夕方例年通り、長女の到着。
母と息子はすくすく育っているようで、48キロ足らずのジイちゃんは羨ましげ

大晦日も元旦も、文字を覚えた孫娘Tが、たどたどしく読むかるた取りに興じたり、娘たちが子供のころ遊んでいた30年ものの億万長者ゲームもしていた。このゲームはTにはまだ難しくご機嫌斜めになりすねて大泣き
バアチャンは、忙しいのにドラえもんのパズルでTの相手をしてやる。
Kはサンタさんのプレゼントの、3DSでS兄ちゃんとも遊ぶ。

そして元旦の夕方、お父さんがフランス人のSくんの待っている和歌山へ
3日か4日にもう一度やってきて5日に帰る予定だそうな。

長女も夕方帰っていき、静かになった。


@1R0019748@.jpg

  《おさるのジョージ》のカルタを読む、間もなく5歳のT。



そして↓8回目の術後の夫。1943年生まれの年男です。

@1R0019743.jpg

かすれ声が改善すればよいが、もう少し傷痕がきれいに出来ないのだろうか?
今回夫が受けた手術を手がけている病院は、関西でも少ないと聞いたが・・・。
首も喉の辺りも急激に痩せて、皮膚がたるんでいるから仕方がないのかも知れないが、もう少し見た目をきれいにして欲しいと思う。これでかすれ声が治らなければシャレにもならないよなぁ・・・ブツブツ

2015年です

 

   @@2.jpg



今年はどんな年になるのでしょうか。
ささやかに平穏に暮らしたいと願っています。
本年も相変わりませず、どうぞよろしくお願い申し上げます。