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大震災

夕方から雨の予報だが、今は暖かくていい天気。

3年前は一日中テレビに、くぎ付けになっていた。
あの年の3月13日は、川柳の仲間を観梅に案内する予定だった。
淡路島にも津波の注意報が出ていたが、しだれ梅は山のうえなので、私は予定通り案内するつもりでいた。

ところが、テレビに映し出される光景に唖然とした仲間から「浮かれている場合じゃない、自粛をしたい」と申し入れがあり、翌年まで延期となった。


その後、計画停電が発表された。
埼玉の娘から、電池や懐中電灯が品切れだとSOSが入った。
その頃は当地でも、関東方面に送るためか殆ど店頭にはなかった。
わたしも買えなくて自宅にあるのを娘に送った。
送りにY運輸の直営店にいくと、1週間か10日みて欲しいと言われた。
普段なら翌日届くのに・・・何もかも異常事態だった。

この時、娘はまだ小さな子供を抱えていた。
計画停電の時間帯によっては、困るので「帰っておいで」というと、ガソリン不足で空港までいくバスがないとのことだった。

   

     
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話しは変わって阪神大震災の時のこと。

当市もかなりの被害を受けた。
当時マンションの管理人をしていたが、周辺の家屋はことごとく被害を受け、空きのあったマンションに入居の申し込みが殺到した。
そのころ入居は法人契約のみだったが、この震災を機に個人契約も可となった。
マンションのオーナーの自宅も全壊し、引っ越してきた。
家賃が高かったため、57戸のマンションの14戸に空きがあった。
それが瞬く間に満室になった。
まだガスも水も出ない、震災後のマンションに引っ越してきた。


我が家のすぐそばの空き地に、ずら~と仮設住宅が建った。
少し浜の方の運動公園内にも建った。テニスコートにも建った。
市や県の空き地のほとんどに仮設住宅が建った。

高層の復興住宅がだんだん建ち、仮設住宅はなくなった。
ある日公園を散歩していると、話しかけてくるおばあさんがあった。
高層の復興住宅に住んでいるという。
我々はボタン一つで便利に使っている、全自動のお風呂の使い方が解らなかったり、ガス警報器が鳴るので、出来るだけ外にいるのだと言った。
「年寄りをあんなところに入れて、早く死ぬのを待っている」と言った。
決してそうではないが、便利な機器を使いこなせないお年寄りには、苦痛以外の何物でもないようだった。

マンションの管理人をしていて、似たようなことがあったので、あくる日出勤して、お掃除のおばさんに「出来るだけお年寄りに声をかけてあげてね」とお願いした。