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ガーデニング音痴

ガーデニングと言っても庭があるわけじゃないので、ベランダでのプランターガーデニングである。
しかしそのプランターガーデニングさえも要領を得ないのが、私タンポポなのだ。

昨秋からの大規模修繕工事で、ベランダに防水シートを貼る際、夫が慈しみ育ててきた鉢植えの数々を仕方なく処分した。
少し残して室内に入れていた鉢も、私の愛情不足を知ってか、枯れたり元気がなくなったりしている。

私とて花が咲けば、きれいだなと思うし写真も撮る。
ところが今ベランダには、枯れかけたクジャクサボテンと元気のないカポック・花の時期ではない鉢が数個あるだけ。

あまりにもベランダが寂しいので、お花を植えようとホームセンターへ行ってみた。
今まで夫が育てていたお花の苗を数種類買って、土を買おうと売り場を見てびっくり!土の種類ってこんなにあるの?

取りあえずチョイスして購入し、プランターに移植したが、機嫌よく育ってくれるのやら?

↓は《ユーフォルビア リア》

以前これと似たハナキリンを育てていたが、枯らしてしまった。
珍しく私が気に入って買ったお花だった。
昨日ホームセンターでこれを見つけた。お花は同じなのに棘がない。
大きくなったとき棘のないほうがいいなと思って買ってきた(*^_^*)

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困った(>_<)

出かけようとすると車のキーがない。


朝、車に置いたままの荷物を取りに行ったのであった。
その後ちょっとばたばたしていたが、家からは出ていない。
家の鍵と一緒に鈴をつけているので、落としたなら解るはずなのにない。

車は電子キー、先週電池切れでディーラーさんで電池を入れ替えた。
スペアーのキーを出してみたらやはり電池が切れている。
ケースから出してドアが開くのも、エンジンがかかるのも確認した。
どうしても出てこなければ、またディーラーさんに行くしかない。
家の鍵もスペアーはあるが、落としたとなったら物騒なことだ。

一応管理人に落し物が届いてないか、聞いてみたがなかった。


落ち着いて探そう。

白い空

青い空に白い雲なら写真の一枚でも・・・と言う気にもなるが、今日の空はPM2.5のせいでどんよりした白い空だった。

大阪も兵庫も初の注意喚起、マスク着用を呼びかけたとのこと。
お昼頃、車で病院へ向かっている時、いつもなら右手に見える六甲山が、霞んで見えない。
まるで墨絵のようだ。PM2.5のせいかなと思いながら走っているとニュースで、気象庁が今年初めて注意喚起を呼びかけたと流れた。

明日も続くようだ。

戸外へ出来るだけ出ないようとか、窓を頻繁に開けないよう、あるいは換気をしない等・・・。
しかしキッチンで火を使うとレンジフードは回す。
レンジフードを回すと、嫌でも外から空気が入るようになっている。

一番いいのは空気清浄機を点けて、扇風機で空気を循環させることらしい。
いくら昨日今日暖かかったからといっても、まだ寒いのに扇風機を回すのもいかがなものか。

昨年の春、花粉やPM2.5に備えて空気清浄機を新しく購入した。


前にもおもちゃのような小さなものは持っていたが、フィルターの交換を10年間しなくてもOKというのに心惹かれてラジオショッピングで購入した。
中々の優れもので、気に入っている。臭いにも敏感でお魚を焼いたり、焦がしたり、あるいは赤ちゃんのおしめをこの近くで開けるとにおいマークが赤くなったりオレンジになったりする。
お香を焚いいてもランプが点く(^_^;)

↓は今日お魚を焼いた時のもの。

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休養日は映画で

本日は休養日。
友人と約束の映画とランチで楽しんできた。

今年は今日が初めての映画だった。
シニア料金で見られるようになって、だいたい年間20本以上は観ている。
シネマの大画面の迫力にくぎ付けになるのである。
今年はとてもそんなに観られそうにない。
予告が始まるとあれもこれも観たい映画が目白押しである。

今日観たのは「大統領の執事の涙」

ホワイトハウスで7人の大統領に仕えた黒人男性の物語。
以下公式サイトから転載

黒人差別が日常で行われていた時代のアメリカ南部。
幼いセシル・ゲインズは、両親と綿花畑で小作農として働いていた。
しかし、ある事件で親を失い、ハウス・ニガー(家働きの下男)として雇われる事に。
「ひとりで生きていく」
努力の末、見習いから高級ホテルのボーイになった青年は、
その仕事ぶりが認められ、遂にはホワイトハウスの執事となる。

キューバ危機、ケネディ暗殺、ベトナム戦争……
アメリカが大きく揺れ動いていた時代。
気づけば、歴史が動く瞬間を最前線で見続けることとなったセシル。

ホワイトハウスの執事として求められるもの、それはその空間の“空気になる”事。
国を揺るがす重要な会議に立ち会えば、存在を消して仕事をこなし、 黒人として大統領から質問をされれば、「求められる回答」で答え、 いつでも忠実に働き続ける。
心の中には黒人としての、そして身につけた執事としての“誇り”を持ちながら。
その姿が歴代大統領や共に働く仲間の信頼を勝ち取り、さらには世間の【黒人への意識】を変えるきっかけともなっていく。

「世の中をよくするために、父さんは白人に仕えている」

彼の仕事に理解を示しながら、寂しさを募らせる妻。
父の仕事を恥じ、国と戦うため、反政府運動に身を投じる長男。
その兄とは反対に、国のために戦う事を選び、ベトナムへ志願する次男。
大統領の執事でありながらも、夫であり父であったセシルは、家族と共にその歴史に翻弄されていく。

激動の時代の中、彼が世界の中心・ホワイトハウスで見たものとは?
そして人生の最後に流した、涙の理由とは―。




   **********

アイゼンハワー・ケネディ・ジョンソン・ニクソン・フォード・カーター・レーガンの各大統領と交わした言葉・・・。

ケネディ・ニクソン・レーガンを演じた俳優陣はメイクでうまく雰囲気を出していた。
ジャクリーンケネディが手をを繋いでいたのは、現在のケネディ大使・・・時の流れを感じなから観ていた。


以前見た「ヘルプ 心をつなぐストーリー」も黒人問題を扱った作品で心を打つ作品だった。

さて次はいつ観られるだろう。


娘夫婦がアメリカにいた時、アメリカに行った。
観光中、ケネディ氏が眠るアーリントン墓地に立ち寄った。
ジャクリーン夫人は、ケネディの死後再婚したが、今はケネディ氏と同じアーリントン墓地で眠っているときいて、ちょっとびっくりしたのだった。

ファン心理

男子フィギュアスケートの、羽生結弦選手の名前と似ていると言うことで、神戸市東灘区にある弓弦羽(ゆずるは)神社に若い女性ファンが殺到しているらしい。

駅から5分くらいのところにある静かな神社なのだが、今は賑わっているらしい。
羽生選手本人も3年前にこの神社で、絵馬に願い事を書いたということで話題になっている。



淡路島生まれの私は「ゆずるは」といえば淡路島で一番高いゆずるは山が頭に浮かぶ。
春のゆずるは山の山桜は非常に美しい。

昔に比べ山桜が増えて、本当にきれいなのだ。
明石海峡大橋を渡ると、ほぼ島の端から端まで山桜が見られる。

中でも南あわじ市にある、ゆずるはダム周辺の桜は見事である。
友人たちにこの景色を見せたくて、何度か桜の季節に連れて行った。

私が↓の句を詠んだことで、一度見たいと言った川柳の仲間も案内して、喜んでもらえた。


ふるさとの山のてっぺんまで桜   タンポポ

川柳のリズム

575の17文字の世界の俳句と川柳。

たった17文字で自分の思いを表現するのは、非常に難しい。

私が初めて川柳講座に入った時の席題は「バス」だった。
いきなり作句するよう言われて作ったのが、忘れもしない↓の句だった(^_^;)

一台でも仙台バスとガイドさん    タンポポ

ちょうど友人と東北へ旅行してきた後だった。
その時のバスが仙台バスで、ガイドさんがこう言ったのをそのまま句にしたのだった。
知らないということは恥ずかしい、これでうまく詠めたと思っていた。
川柳の世界では語呂合わせは通用しないとを、この時初めて知ったのだった。

川柳は面白いと世間一般に思われている、もちろん私もこの時までそう思っていた。しかし面白いのが川柳ではないのである。
もちろん伝統的な川柳にも面白いのはある。
その面白さとはテレビでいうところの、お笑いのようなものではないのだ。
人の心理をついて共感を呼ぶことで、面白さを引き出す・・・。

我々がもどき川柳というものが、圧倒的に川柳だと思われていることが多い。

語呂合わせ、下品なもの、差別用語、これらは使ってはいけない。
リズムよく575で作句したいと心がけている。

9と8の破調でもリズムが良ければ問題はないが、基本が出来たうえでないと破調の句も難しい。


ねえ雲よ夫(つま)は元気になるかしら    タンポポ




    **************
↓は三重にある川柳会のYさんの掲示板から拝借転載したもの。



ベテラン、特に番傘関係の人は、「中8、下6の句は採りません」などと書いたり言ったりして来たのに、歳を取ると、自分が中8、下6の句を作ったり採ったりしている。誰も指摘してくれないから本人も気づかない。歳を取ると何事にも反応が鈍くなるから、リズム感も悪くなるのだろう。

60歳を過ぎてから川柳を始めた人も、リズム感が身に付いていないので、中8下6と気づかない。せっかく見つけや句想は良いのに、基本を踏まえた選者には抜いて貰えない。
たった17音の川柳は、一読明快であることと、リズムに乗せることで「力」を持つ。舌頭千回とは言わないが、10回ぐらいはして欲しい。個人差はあるが、入選率は飛躍的に向上するだろう。

理化学研究所

夫が入院している病院のすぐお隣にあるのが、神戸理化学研究所です。

《画像1枚目》

「独立行政法人理化学研究所」の理事長はノーベル化学賞を受賞した野依良治氏です。

つい最近、小保方晴子さんがSTAP細胞の研究で、一躍時の人になりましたね。その小保方さんがいるのが、神戸のここなんですよ。
同じ敷地内には先端医療センターもあります。
《画像2枚目》

この病院と夫の入院している病院は、密接な関係があります。

このそばには「スパコン京」が稼働している建物もあります。
そうそう民主党政権時代、事業仕訳の際、蓮舫大臣の「一番じゃないとだめですか?」のスパコンですね。
あの当時は1位だったスパコン京も、今はたしか4位・・・。
時々見学会があって、珍しいもの見たさで見学に行ったことがあります。
赤いロッカーのような箱が広い部屋にいっぱい並んでいました。
科学者を夢見る少年たちは、色々質問をしていましたが、夫と2人「一体いくつ並んでいるのだろう?」なんてその場に似つかわしくないことを話していました(^O^)

記念?に入ったお手洗いのドアが「京」と同じ赤い色でした。




娘婿は今、和光の理化学研究所に勤める学者ですが、何を研究しているのかは聞いても解らないので、聞いたことがありません(^_^;)

ただGoogleで名前を検索をすると、キーワードには
単一分子計測, 統計的データ解析 , 光学顕微鏡。
研究分野には生物科学 / 生物物理学 /応用物理学・工学基礎 / 応用光学・量子光工学 / ・ナノ・マイクロ科学 / ナノ材料・ナノバイオサイエンス /

等と出てきますが、素人には何のこっちゃ??(^_^;)


2人が結婚した時、アメリカへ行く娘との通信手段にはメールが便利ということで、ネットをつなぎました。
それまでも娘は電話回線でつないでいましたが、ネットをつないでいると電話が使えないという不自由がありました。
その当時モデムを大型店舗などで配っていて、婿さんがYahooのモデムを貰ってきて繋ぎました。
本社がアメリカのYahooにつなぐと、アメリカ本土への電話料金が安く助かりました。
その時、PC本体をひっくり反して作業をしている婿さんに、娘が「この中に研究しているものがあるの?」と訊くと「そうなればいいねえ・・・」と答えていました。

なので研究の一部は、コンピューターと何か関連があるのかも知れません。

術後13日目

別に進展はありません。

声がまだ出難いので喋るのも苦しそうですが、喋ることで声帯のリハビリになるそうです。

一般病棟に移動しても点滴をずっとしているし、心電図を付けているので、お手洗いに行くときは、いちいちナースコールを押さなければなりません。

それにICUの時は、薬とお水を一緒に持ってきてくれましたが、食事が終わって薬を飲もうとしても、お水がないことがあります。
勝手に動けるなら部屋の真ん前に、給茶器がありお水もあるのですが・・・。
今日はペットボトルをおいてきました。

明日は久々に病院はお休みしようと思っています。

術後12日目

やっと一般病棟へ移動しました\(^o^)/
手術当日の朝までいた同じ部屋に戻りました。
これで毎日行かなくてもよくなります。

でも一般病棟に移動した割には、しんどそうなのが気になります。
先日からシャワーをすると言っているのに出来ていません。
今日は移動した後リハビリの先生が見えたのですが、しんどいからもう少し後でとお願いしました。

移動といってもベッドごとの移動なので、本人はベッドに横になったまま、足元に荷物や薬などを載せ、北病棟から西病棟までベッドを押しての移動です。

戻って来れたと言う安心感はあるでしょう。
今後体調を戻していくには時間も気力も必要です。




術後11日目

今回は信じられないほど順調に回復しています。
手術前に再置換の難しさ、後遺症、、副作用、あるいは最悪の場合などを、医者の説明から考えていたので嬉しい誤算です。
まだICUの病棟から出ることは出来ませんが、最初の置換手術に比べると、意識障害(せん妄状態)がないだけ、心穏やかに面会できます。

前回は術後15日で一般病棟に移っています。
今週中か来週にでも移動できればいいのですが・・・。


もうそろそろ病気以外のことを書きたいと思います。
でも大好きな映画を観に行ったり、友人とランチをしたり等は、まだちょっとしんどいなと思います。
お誘いは何件かあるのですが、肉体的にも精神的にもついていけないのが現状です。



↓はまた最初の手術の記録です。

この時は緊急搬送されての緊急手術だったので、手術が終わってから各種承諾書にサインをしました。
そして事務の方が「入院の申し込みをしていますか?」と言ってきたのが術後10日目だったのです。
たくさんの書類にサインをしましたが、入院の申し込み書を書いた記憶がありませんでした。
そしてこの日、健保協会まで出かけたのでした。


こんなことがあったので今回も、術後11日~12日までは気が抜けないと思っていました。



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2011年10月17日(月)・術後11日目

今日は凹んで帰ってきました。
いい日ばかりは続いてはくれません。
25日が近付いてきて、頭の中は支払い等、仕事のことでいっぱいです。
昼食をほとんど食べず「事務所へ行ってから銀行に行く」と言いますが、「まだ駄目行けない」と言うと恐ろしい顔をします。
こんなときは認知症の老人に対応するのと同じで「そうだね行こう」と言ってやればいいそうですが、そういうと行動に移しそうで言えませんでした。

昼食が済んだあとで「健康保険限度額適用認定書」を貰うため、三宮の健保協会へ行きました。
どこにも寄り道をせずに病院へ戻ると、夫のベッドの周りにを大勢の看護師さんや医師が囲んでいます。
不安いっぱいでベッドを覗くと、夫が立ちあがっています。

私に気付いた看護師さんの「奥さんが帰って来ましたよ」の声で、こちらを見た夫は、別人のような怖い顔をしていました。
私の帰りが遅い、銀行に行く時間がなくなると焦っていたのです。
一人事務所なので自分が動けないことで、たちまち業務がストップしています。
そのことで頭がいっぱいなのです。
心配要らないと何度も言ったのですが、パニックになっているようです。
これがせん妄状態なのです。

一年間かけて企画してきた一大イベントが11月にあります。
それを前に倒れた、夫の胸の内が解からなくはありませんが、今の夫にそれを実行できる体力、気力、行動力のどれもありません。

今の夫には、まだ病院の外へ出る元気などありませんが、それが判っていないのです。
意識障害の程度は日によってばらつきがあります。
これは夕方も続いていたと兄から電話がありました。

悲しいですが、これが現実です。
明日は少し落ち着いていますように・・・

術後10日目

やっと10日です。

今日から5分粥の量が増えたそうですが、食欲がなかったと言います。
リハビリはICUの中を一周です。約60メートルあります。
昨年の3月に感染症で3度目の入院をするまでは、1日に1万歩も2万歩も歩いていましたが、今は60メートルを一気に歩けません。途中で椅子に座って休憩します。
でも歩き方は今回の手術前ぐらいの歩き方が出来ています。
っと言っても去年は280日余り、今年も50日近くの入院ですので、1万歩を歩いていたころとは全く違います。

今日は術後初めてのシャワーをすると言っていました。

お見苦しいですが10日目の傷です 。

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↓は2011年10月の人工血管置換の術後日記です。

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10月16日(日)・術後10日

早いのか遅いのか、10日目を迎えました。
順調に快復しているように見えます。
今日も義妹と行きました。
12日以来の義妹は、一目見てしっかりして来たと、喜びました。
たしかにしっかりして来ました。
3~4日前はベッドに腰をかけた状態では、前かがみになって支えていないと、後ろへ倒れそうでしたが、今はもうそんなことはなくなりました。しっかりと自力で坐っています。

車椅子にのるのも最初は看護師さんが2人掛かりでしたが、今日は一人の看護師さんに介助されて乗れました。
初めてシャンプーをしてもらいました。さっぱりした顔で戻って来ました。
声はまだ出にくいですが、少し冗談も言えるようになりました。
住所は西宮市○○町まで言えましたが、電話番号はまだ思い出せません。
自分の財布はどこにある?と聞きますので、家にあると答えました。
義妹が「いくら入っていたの?」と訊くと「78,000円」とピタリでした。
今日は初めて新聞を持って行きました、すると今まで夫が食卓で読んでいたように、縦に半分に折ってくれと言い、読みはじめました。
今頃はNHKの「江」を観ているでしょう。
帰ろうとすると、義妹に〇男さんによろしくと言いました。
名前が解かっているとは思ってなかったので、ビックリしました。
少しずつ手ごたえを感じます。


術後8日目・9日目と

主治医からは、一般病棟のベッドが空けば移動と言われています。

土日に退院する方が多いので、明日にでも移動出来るかも知れません。
一昨日からリハビリはICUの中を一周しています。
信じられない回復です。
その分どこかに落とし穴があるのではないかなんて、思ってしまいます。
ただ脈が一定しません。一旦心臓を止めて手術をしているので、ある程度は仕方がないとは思いますが・・・。
60台から120台まで一句に上がったり下がったりします。


この病院は11年の7月に、新築移転した最新設備の整った病院です。夫がここにお世話になったのは紹介でもなんでもありません。事務所で倒れ搬送されたのがここだったのです。
救急隊員が判断して一次救急から三次救急にそれぞれ運ばれるわけですが、緊急手術の必要ありと判断され搬送されたのです。

入院患者本人と家族にセキュリティカードが渡されます。
そのカードがなければ入院棟のエレベーターホールに入ることが出来ないし、エレベーターを降りても病棟に入ることが出来ません。


本人カードに課金すると病室のテレビと冷蔵庫が使えます。
テレビは当然ネットも繋げます。
1階にコンビニがありますが、そのカードでネットからお買い物をすると配達してくれます。もちろんコンビニへ足を運んでそのカードで支払いも出来ます。
ここまで出来るのはこのあたりではまだこの病院だけだと思います。


今日行ってセキュリティカードを、機械にかざしたのですが、ピピーとエラーになります。
エラーになると守衛室で解るそうです。
面会時間は12時からですが、機会にカードをかざしたのが11時57分だったそうです。
良く出来ているというか融通が利かないというのか、システム的には素晴らしいと思います。

一般病棟の面会時間は8時までです、この時間を過ぎるとやはりカードがあっても同じ理由で入ることが出来ません。

家族以外の面会には受付で面会者カードを受け取ります。

あっつ危ない!

昨日の雪は跡形もなく消えている。


我が家から車なら5分以内に、信号が4っつある。

その信号の一つが10日ほど前に矢印信号に変わった。
朝出かけて帰って来るとき、直進で発進しようとしてドキ!
あれ~~矢印信号になっている。

それから1週間後ぐらいに、またその信号で信号待ちをしていた。

車線は右折レーンと直進と左折レーンの2車線。
前に車が一台、信号が変わってその車は発進したヽ(゚Д゚;)ノ!!
矢印信号で直進と左折の表示なのに右折をし始めた。
交差点の真ん中で気付いたようで、停止して左にハンドルを切って直進をした。
危ない!!すぐ後ろの直進車に当たると思ったが、直進車が巧くかわした。ふ~~

見ているこちらの方が、ドキッとした。
おそらくこの交差点を、何度も通行したことのある人なのだろう。
慣れとは怖いもの。
でもやはりその場その場で信号の確認をしないと・・・。
自分の不注意で怪我をするのは仕方ないが、大抵の場合他人を巻き込むのが事故である。
本当に気を付けなければと、改めて思った出来事だった。

雪が降っています

滅多に雪の降らない当地も、1週間ぶりにまた雪です。
何度窓を開けてみても、止みそうな気配はありません。

困った・・・これじゃ病院に行けない。
車もあまり走っていませんが、凍結しているのかちょっと音が違う。
この辺りの車のほとんどノはーマルタイヤでしょう。
もちろん私の車もそうです。

12時からの面会時間まで、様子をみていましたが諦めました。
仕方なくICUに電話をかけて今日は行けないことを、夫に連絡していただきました。

精密な医療器具がたくさんあるICUには、ケータイを持ち込めません。
一般病棟ならマナーモードにしておけば、メール連絡は可能なのですが・・・。
やはりケータイは便利ですね。
一般病棟でも病室内の通話は、当然ながら禁じられていますが、守っている人は少ないのが現状です。


明日締め切りの川柳の季刊誌の宿題を、夕べギリギリに仕上げて今日投函しようと思っていたのですが、ポストに行くのも滑りそうで怖い。
私は股関節に人工関節をいれています。
脱臼の危険があるため、滑る転ぶはもってのほか。
困ったなと思っていたら、書留の配達が来ました。
どうかなと思いながら事情を話すと、快く応じて下さいました。
助かった~~(*^_^*)

これで一日籠っていても大丈夫。

  ↓左7時過ぎと  右11時過ぎ
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術後6日目

老体に鞭打って、連日の病院通いです。
それでも車で行けるので、随分助かっています。
50歳で取った免許がこんなに役に立つとは、思ってもいませんでした。

G-HCUに行くと尿管とお腹のドレーンが取れて身軽になっていました。
相変わらず痰がでるのが苦しそうです。

苦しそうにして痰を出し、視線をちょっと下に移してビックリ((+_+))お腹の辺りが鮮血にまみれています。

慌ててナースコールを押しました。
看護師がきてバタバタし始め、次に医者が来て処置をしました。
手術に入っていた主治医も、連絡を受けてすっ飛んできました。
ドレーンを抜いたあと、体内に残っていた血が出たのだろうとのことで、大事に至らなくてホッとしました。

でも血を見たことで、処置をしている間、4月に吐血した時の恐怖がよみがえってきました。

なかなかすんなりと、安心させてはくれません。

でも確実に一歩ずつ回復はしています。
昨日はリハビリで5メートル歩き、今日はトイレまで歩きました。
トイレまでの距離は7~8メートルあると思います。

明日はもっと歩けることを信じたいと思います。


一週間寝込むと筋肉は20%落ちるそうです。今日で一週間です。
頑張ってリハビリをしないといけません。

術後5日目

予定通り義妹と行って来ました。
妹といっても私より3歳年上で、義理の両親と長年暮らしていて、姉妹や弟がみんな近所に住んでいたこともあり、よく気がつきます。

手術のあくる日、心配して電話をくれた義妹に現段階で、脳梗塞の後遺症が出ていないことを伝えると泣いて喜んでくれました。


今日は少し食欲がなかったのか、8分ぐらい食べていました。
新聞を読んだり、短時間テレビも観ているようです。

そうそう同じICUの中ですが、部屋を移動していました。
今度はHCU少しナースセンターから離れた場所です。

お陰様で順調に回復しているようです。

  ★***************★

↓は一昨年の初めての手術後5日目の記録です。
10月11日
せん妄状態は5~6日続くと聞き、今日はどうかな?と思いながらICUに行きました。
後から手術した夫の隣のベッドは空いていました。
ベッドに行くと、食事が出ていました。
うつらうつらしている夫に「ご飯が出てるよ、よかったね」と声をかけると、嬉しそうに、1分も待てないという様子をみせました。まるで欠食児童のようです。
ちゃんとのみ込めるのか心配でしたが、お粥もお豆腐もお肉もフルーツも飲み込めました。
6日の朝食以来の食事です。
でもまだ手に腫れがありちょっと不自由で、自分ではスプーンを持てません。
でもでも食事が摂れたのです。嬉しいです。
後でオェ~となりましたが、吐かずにすみました。
一歩も二歩も前進です

自分の食事が済んだあとで私に「済んだのか?」と聞きました。人のことまで考えられるようになったことも、嬉しいと思いました。

首の管もお腹の管も抜けて、点滴の針も少なくなりました。
声はまだ出にくいのですが、今日の日にちを聞いたり、自分のいる場所を聞いたりします。
家に帰りたいとも言いました。
面会時間が終わって帰る時、「連れて帰ってくれないのか」と切ないことを言いました

まだシャワーもダメなので、気持ちよく足湯をしてもらいました。子どものように嬉しそうにピチャピチャしていました。
明日は埼玉から娘がきます。少しいい状態の夫を見てもらえます。
遠くに住んでいる娘に、2~4日目のような姿を見せるのは、夫も娘も辛い筈です。
良かったと思います。

術後4日目

昨日初めて見る麻酔科の医師から、細菌を外部から持ち込んでも、また持ち出しても具合が悪いので、明日からはエプロン、手袋、帽子の着用をと言われました。

感染症内科の医師でも心臓血管外科の医師でもなかったことにちょっと?の気分ですが、医者の言うことは聞かねばなりません。

っということで今日からはICUに入ったら、ベッドサイドにあるエプロンと手袋帽子を着用の上、面会となりました。

2年4か月の間に、6回も手術を受けるといつもお世話になる麻酔科医とも顔なじみです。
今日その麻酔科医がやってきて、大手術で4日目のこの状態は大変いいと言っていただきました。


一昨年の緊急手術で助かった時、運は全て使い切ったと思ったのですが、その後4回の大手術でも神様は味方してくれました。
本当に強運の持ち主です。

一昨年の手術の時は、術後3日目4日目はせん妄状態が酷く、5日間絶飲食だったことを思えば、今回は傍目にも楽そうに見えます。


手術前日から6日間、毎日病院へ行っていますが、そろそろ疲れてきました。
明日は夫の妹と行きます。

手術当日から今日まで

2月7日の朝、病室に行くと少し元気がなく、眠れなかったのかなと思って聞くと、また夜熱が出たと言います。
約20日ほど出ていなかったのに、手術前夜にまた熱・・・(>_<)
朝には下がっていたので、予定通り手術となりました。

夫の兄、私の姉、午後から埼玉の次女が来てくれました。
長女も来る予定だったのですが、中3の息子が前日からインフルエンザに罹って来られませんでした。
長女も感染するかもしれないので、しばらく来ないように言ってあります。
体力の落ちた病人に対し、水際で防げるものは防ぎたいですからね。夫も私もインフルエンザの予防接種はしましたが、100%安全とは言えません。


5時半ごろ主な手術が終わり、執刀医の説明がありました。
執刀医は外来でもずっとお世話になった主治医であり、普段の顔をよく知っています。
執刀医の顔は疲労の色濃く、目が落ち込んでいました。
夫も闘ったのですが医者もよく闘ってくれたと思います。

背中からぐるっとメスを入れて、人工血管の再置換をしたのですが、癒着もあり人工血管の周りと前回の手術で人工心肺を入れていた右の鎖骨の辺りに膿がたまっていたそうです。
それに人工血管の吻合部が、一部外れかかっていたとも聞きました。
肺を少し切り取ったとききました。
昨年の吐血以来何度も胸やお腹を触っているので、どこかでこういう事態になったのでしょう。

執刀医の話を聞いてからすべての処置が終わって、第一助手の医師からも話を聞きました。
待つ方も長かったのですが、神経を使う長時間のオペは、さぞかしお疲れだったと思いました。

懸命な医師たちのお蔭で、取りあえず最悪の事態は避けられました。

あれから早や3日、今日のお昼から五分粥が出ました。
おかずも消化の良い普通のおかずに、フルーツも付いていました。

何より自分でスプーンを持てることに感謝です。
この調子だと今回は、せん妄状態はないのではないかと、淡い期待をしてしまいます。

ベッド上では出ない便も、簡易便器で出来ました。


何度もICUのお世話になっているので、顔なじみの看護師さんもいます。先日来最初の手術の時から、いつもお世話になった看護師さんがいるかなと思いながら見ていました。
丁度ベッドを起しているとき、その看護師さんが通りかかって「見たことのある人だと思ったら〇〇さんだ」と声をかけてくれました。ICUでの再会は嬉しくはありませんが、気さくに声をかけていただいて「頑張ってね、〇〇さんなら元気になれるよ」と励ましていただきました。



今は点滴が2本、尿管、そしてドレーンが2本付いています。ドレーンの1本は肺、もう1本は人工血管の周りから血がでています。

術後2日目

6度目の手術から2日目、ICUに行くと点滴が1つになっていました。
エコノミー症候群を防ぐため、下肢にポンプを使って断続的に圧迫する「間欠的空気圧迫法(IPC)のカフ」も外れていました。

一昨日の医師の話しでは、今後6週間抗生剤の点滴をして、どのタイミングで抗生剤の点滴を止めるか様子を見るということでした。

昼食には、重湯、玉子豆腐、野菜スープがでていましたが、完食しました。

今日もあまり苦しそうではないのですが、痰がからまります。

最初の手術の時は、3日4日目から「せん妄状態」が酷くなったので、明日以降が心配です。


次女が午後の飛行機で埼玉へ帰るつもりで、ちょっと父親の顔をみて2駅先の空港に向かいました。
ところが昨日からの雪の影響で、搭乗予定の便が3時間遅れだと言って、また病院へ戻ってきました。

間もなく羽田に到着だと思います。

幼稚園児2人、婿さんは大変だったろうと思います。


2日の滞在でしたが、賑やかでした。
また1人になってシ~ンとした今、とても寂しくなってきました。

当地でも (シニアナビからコピー)

今朝は珍しくうっすらと、雪が積もりました。


皆様には大変ご心配を戴き、またやさしいお心遣いもいただきまして、本当にありがとうございました<(_ _)>
心から感謝いたします。

ICUの面会時間は12時から3時までと6時から8時までです。
出がけに高速の道路情報を見ると、私が利用する路線の一部が、積雪のため通行止めになっていました。
そこで一般道を走って病院へ行くことにしました。

出がけには雨になり道路の雪も溶けて支障なく走ることが出来ました。
ICUに行くと、麻酔も醒め人工呼吸器が外れた夫がいました。

少し声がかすれていますが、顔色もよく大手術をしたとは思えません。
次女が一緒でしたので色々話をしていました。
最初の手術の時は5日間ほど絶飲食だったのに、今日は少量のお水を飲む許可が出てビックリしました。
そして自分の手で吸い飲みを持って飲むことが出来ました。

前回は6日目に食事が出たのですが、スプーンを持つのも重いと言って投げ出す状態だったのです。
人工血管の再置換なので、状態は前回より重いと思い込んでいました。

自分で吸い飲みを持てると言うことは、手に麻痺がないものと思います。
今はまだ痛み止めが入っているので、痛みを感じていないのだと思いますが、痛み止めが切れるとまた辛い思いをするのだろうとおもいます。

今朝執刀医がベッドに来て、満足げに手術は成功したと言ってくれたと喜んでいました。


そして夜の面会に行った義兄から電話があり、夕食には牛乳とりんごジュースが出ていて、美味しいと言いながら飲んだそうです。
これを聞いて本当にびっくりするやら嬉しいやら・・・。
そして明日からはお粥も出るそうです(*^_^*)

リハビリも明日から始まるようです。
前回の初めてのリハビリは5~6メートル歩いて、自力でベッドに戻れず車いすで戻りました。
明日ならそう筋力も落ちていないでしょうから歩けると思います。
昨日までの憂鬱が吹っ飛んでいきました。

残る気がかりは腎臓の数値が現状維持を保てるのか悪くなるのか・・・。

明日は次女が午後の飛行機で埼玉に帰ります。

またゆっくり今回の手術や思ったことを綴るつもりですのでよろしくお願いいたします。

皆様へ  (シニアナビからコピー)

コメント並びに拍手ありがとうございました。

手術は無事終わり、8時半ごろICUの夫と会ってきました。歩いて手術室に入りましたが、13時間後変わり果てた姿です。

麻酔は明日の朝醒めるように調整されています。


当地も雪が降っています、少し積もりました。
明日もお昼ごろまで降るそうで、電車で行こうかと思っています。

今日明日は埼玉の娘が泊まっています。


とうとう

↓の記事はシニアナビからコピーしたものです。
元記事はシニアナビにあります。

    @20140105103007g.jpg



明日は朝一、7時45分に病室を出て手術室に向かう。
色々準備があり、実際手術が始まるのは約2時間後だそうだ。

今回は右を下にして横向きでの手術と聞いている。
人工心肺は今回左につける。
16℃の低温の中での長時間の手術・・・。

ICUで無事に手術の終わった夫と対面できるのだろうか?


11年の手術の時は、せん妄状態が長かったのでそれも心配。
普通4~6日と聞いたのに、夫は10日以上せん妄状態にあり、この間の意識が全くない。

それでも助かれば必ずその状態は脱することができる。 
ただ高いリスクを負うことになるだろう。


明日手術逃げ帰るなら今のうち   タンポポ  


↑は私が16年前、脚の手術をする前日に詠んだ旧作。

両親のこと⑥

兄弟の恥を承知で書いています。

私は農家に生まれたものの、農業のことをほとんど知らない。
昔と違って農家と言えども自給自足の生活など出来ないので、現金収入を求めてみんな働きに行く。
兄も40歳すぎまでは仕事に行っていたが、病気をしてその後農業だけをしている。

両親の年金は国民年金なので受給額は少ない。
それでも父は約40年、母は少し早くからもらっているが30年は受給している。
掛けた年月はそう長くない。
40年も受給していればまとまった金額になる。
もっとも使っていなければの話・・・。

家族だから困っていれば助けるのは当たり前、ましてや死ぬまで面倒をみてもらうのだから。
そう思って両親は少ない年金から、かなりの金額を用立てたらしい。

用立てるというのは、後から返って来るはずなのに返ってこなかった。
そしてほぼ着の身着のままで、我が家に置き去りにされた。
その時母は父のと自分のと通帳を持って出てきた。
その残高を見てびっくりした・・・。
働いたお金も年金もほとんど家に入れていたので、ほとんど残っていない。

特養にずっと居られるのなら年金で賄えて、まだ少し残ると計算をしたが、二人とも高齢ゆえ案外早い時期に特養を出ることになるかも知れない。
そうなったらすぐ貯金が底をつくのは明白だった。
それから姉妹3人で両親のその時に備えて、積み立てをすることにした。
私はまだ年金を貰っていなかったが、姉たちは年金受給者なので、偶数月に通帳に振り込みをしてきた。
あまり負担にならない金額を3人で積み立ててきた。
父は半年で特養を退所し、この貯金の出番は割合早くやってきた。

兄が滅多に電話を寄越さないのに、長姉に電話をしてきた。
父のケアハウスの費用を3人で出すようにと言ってきた。どこまでバカなことを言うのだろう。
特養に入所が決まった時、「今後実家のこと両親のことに一切口出しをしない」という誓約書を書かせたことを忘れたのか?
口出しはさせないがお金は出させる・・・どこまで勝手なことをいうのだろう。
こんな兄がいることが情けない。
長姉も4人の親なんだから4人で払うのが筋ときっぱり言った。
そして「私たちは嫁いでから、ただの一度も親に無心をしていない」とも言った。

ない袖は振れぬのは解っているので、積み立ての中から父の口座に請求金額の4分の3を振り込んでいる。

「今月足りません」と私にメールをくれるのは孫の嫁さん。
嫌な役目だと思う。
これぐらいのこと兄夫婦が電話をかけてきても、よさそうなものなのに一切ない。
ほんとに何を考えているのやら・・・?

母は少し長く特養にいたのでまだ大丈夫のようだが、それも時間の問題だと思う。

親の年金を道楽息子が食い物にしていた、というニュースを耳にすることがあるが、まさか自分の身内でこんなことが起きるとは、思わなかった。


細かいことを挙げればきりがないが、一応両親シリーズはこれにてお終い<(_ _)>