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emiyとMさん

高校へ入学し同じクラスになり仲良くなった。どことなく目に付き、校則違反は平気、悪く言えばちょっと避けられるタイプだった。でもなぜか気が合った。互いの家に遊びに行ったり、一緒に出かけたりした。

1年の体育際の時クラスのみんなで作った応援用の○○?(名前を忘れた)も出来上がった体育祭の前日のHRで「Mさんを体育祭に出さないように校長からと言われた」と担任が苦渋に満ちた顔で話した。
Mさんは身体障害者だった。頭はみんなと同じぐらいの大きさで身長がとても低く手脚もとても短かった。昔のこと廊下の拭き掃除などするとショーツが丸見えになった。おしゃれ心も恥じらいもある年頃、誰かがいったのかMさんは廊下の拭き掃除はいいことになった。
そのMさんを出すなと言った校長に激怒したクラス全員で直談判に行った。
今なら教育の現場で教育者たる者が、こんな発言をするなど考えられないが、50年近い前のことである。
それでも言って良いことと悪いことは今も昔も変わらない。

グランドにいた校長に真っ先に詰め寄ったのはemiyだった。のらりくらりと言い校舎の中に逃げた校長のスーツの上着を泣きながら踏みつけた。みんなで作った応援用のボード?も壊した。
担任が話したHRの時、帰されたのかMさんはいなかった。翌日Mさんを迎えに行くことにして、その役はemiyと私になった。

翌日学校へ行くとMさんは何事もなかったような顔をして登校していた。
私たちのクラスだけボードのない運動会だった。

実はこの話しは30年位前にA新聞の投書欄で「運動会の想い出」を募集していた時、応募し掲載されたことがある。

私はは身障者になって15年、そう辛いこともイヤなこともなく過ごせている。
そんなことを考えると、福祉と云う言葉さえもあまり聞かなかった時代、Mさんはさぞかしイヤな思い辛い思いを経験したのだろうと察するにあまりある。

emiyは音楽と家庭科以外はいつ勉強しているのか不思議な程よく出来ていた。

結婚する時「おっさんがひつこいから嫁に行ったるわ」って笑っていたね。

貴女から最後に℡があったのはいつ頃だったのだろうと、一生懸命思いだそうとするのにハッキリしない。話した内容は鮮明に覚えているのに・・・。

ショッキングな最期はあまりにも悲しいけれど、逆に考えればemiyらしいような気もしてきました。



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