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ぶきっちょ

あまり器用ではないaozora@からみても、次女はとてもぶきっちょです。

ミシンも編み物も出来ません。
独身の頃「万が一結婚することになってもミシンは要らない」と言っていました。
言葉通りミシンを持って行きませんでした。
もっともこの子たちは、結婚してすぐ2年間のアメリカ暮らしがあったので、いわゆる嫁入り道具というものはありません。
2年間の滞在を終えて帰って来た時、我が家としては結納を頂戴している以上それなりのものを用意しないといけないと、夫と話し合っていました。

ところがいるものは二人で考えて買うから、親が考えているようなものは要らないといい、今に至っています。

4月から孫娘のTも幼稚園に行きます。入園にはつきもののバッグ類が要りますが、娘には縫えません。
長男のkの時は長女に縫って貰ったのですが、体調の悪い長女に頼むといつ出来上がるか解らないと言って、aozora@に回ってきました。
手提げ袋1、上履き入れ1、給食袋1、お着替え袋2、ランチョンマット2~3枚、の注文がありました。

自分では縫えないけれど色々注文を付けてきます。お気に入りものが出来るのやら・・・。バアチャン頑張らねば。
去年Tの洋服を縫ってからミシンは仕舞い込んだまんま。
注文のキャラクターの布はネットで購入しました。ミシンの調子を整えて布が届くのを、楽しみに待つとしましょう。


天気予報通り

今朝起きると、うっすらと一面の雪景色でした。
もちろんこの冬初めての雪です。
10時半ごろに出かける予定だったので、日陰の雪が溶けてなかったら嫌だなと外を眺めていました。

雪が残って凍っていたらで行くのは怖いですからね。
aozora@の気持ちが通じたのかどうか、出かける時間にはどこにも雪はありませんでした?

ここからは昔話しです
aozora@がまだマンション管理の仕事をしていた時、すごく雪が積もったことがありました。
16~7年前あるいはもっと前かもしれません。
窓口で座っているだけの仕事に、雪の中行かなくてもいいかなと思っていると、社長から電話がありました。
裏出入り口のドアのガラスが割れていると、連絡があったので雪の中で申し訳ないが遅くなってもいいので、とにかく見に行って欲しい。そんな電話でした。網入りの分厚いガラスがどうして割れたのか!?
言われた以上は仕方なく、いつものように原付で恐々出勤しました。
かなり積もっていてソロリソロリ走りました。甲子園の駅前の信号で停まった時、ものの見事に原付ごと滑って転んで・・・。
恥ずかしさと格好悪さで急いで原付を起こし、信号がかわったので何事もなかったように走り出しました。
マンションに着いて、止めた原付を見ると、後ろに付けていたカゴがありません?

帰りも同じ道を通るので、あったらいいなと思っていましたが、残念ながら見当たりませんでした。
交通量の多い道路で落ちていたら危険ですよね。どなたかが処分なり移動なりしたのだと思います。
何分その場所は甲子園警察のすぐ近くですから・・・。

雪が降るとその時のことを思い出します。

ガラスは下の方が蹴飛ばしたのかと思うように割れていました。
当時としては、珍しく裏も表もオートロックで、家賃の高いマンションでした。
保険屋さんに連絡をして見にきてもらいました。



もう一つ雪の思い出は中学の2年生だったか、風邪を引いて2~3日休んでいました。
そんな時、大雪が降ったのです、風邪ほとんど治っていました。

見たこともないほどの大雪に、嬉しくて興奮しました。そしてカメラを持って外にでました。
庭や山、田んぼ、夢中でいっぱい撮りました。
もちろん雪の玉を作って一人雪投げをしました。も作りました。

その当時は白黒フィルムで、現像してがっかりしたものです。

60年あまりの人生で、数少ない雪の思い出です。


遅ればせながら

厄神さんにお参りしてきました。
これは友人とのイヴェントの一つです。
毎年人の多い、18、19日の厄除け大祭は避けてお参りします。
今日も友人とは駐車場で待ち合わせました。
aozora@のナビはとんでもない走り方を指示するので、ナビに逆らって走りました。
その結果グルグルと回って、ほぼ迷い子状態になってしまいました?
1月は普段なら走れる道路が、通行止めになっていて迷ってしまいました。

無事友人と落ち合うことが出来、急な坂道を登って門戸厄神東光寺にお参りしました。
古いお札をお返しし、そえごまに名前と願い事を書きます。
やはり今年も病気平癒と家内安全を、お願いしました。新しいお札を戴いてお参りは終わり・・・。

これからが本日のメインイヴェントの、ランチとお喋りと?タイム。
止めようと思ったのにケーキを食べてしまいました。


帰り道川沿いの道を走っていると、たくさんのユリカモメらしき鳥が飛んでいました。
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ゆりかもめは↑かも・・・<(_ _)>


ごみの分別

わが市では来月からプラスチックごみの分別が、始まるとお知らせがありました。
したがって可燃ごみ・不燃ごみ・資源ごみA・資源ごみB・その他プラ・ペットボトル・粗大ごみ、の7種の分別になります。
近隣の他の自治体に比べると、アバウトな分別方法を長年続けてきました。
今回遅ればせながら、やっとプラごみの分別が始まります。

今までなら、ミカンの皮も薬の殻もヨーグルトのパックも菓子袋もすべて可燃ごみでしたが、2月からはプラゴミとして出さねばなりません。
ヨーグルトのパック一つをとってもふたとカップはプラごみで、周囲に貼ってあるのは紙なので可燃ごみです。
線引きがどうされているのか、プラスチック製品と思われるタッパーや、100均のカゴ、クリーニングの袋は可燃ごみというのは理解に苦しむところです。
分別には時間と多少の手間がかかります。慣れるまでは混乱を招くだろうと思います。


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寒い一日でした

そうはいっても日本海側の雪がふっている地域に比べれば、過ごしやすいのでしょう。

エレべーターを降りたところにある梅が、まだ咲きそうにありません。
年毎に寒くなっていると感じます。年齢のせいではないと思います・・・きっと?


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  《↑は昨日の淡路サービスエリアの観覧車》はいピンボケです(^_^;)

今日も青空が広がっていましたが、冷たい風が強かったです。
冬は洗濯物が乾かなくて困ります。乾いていても冷たい?取りこんだらヒーターの前の室内物干しに掛けて、温めるというか乾かしておきます。


昨日父のところで、俯いて何度も廊下を歩いている方を見かけました。
父と私たちが座っているところは、陽が当たってとても暖かくていい気持でした。
そこへその男性がきて座り話しかけてきます。胸にT田と書いた布を縫いつけてあります。

何年も認知症の姑と同居していた姉が、話しかけました。
「Tさんはお家はどこですか?」「尾崎・・・」「じゃあ遠いですね」「遠いか近いか儂には解らん・・・」「何歳ですか?」「62だと思う」「何年生まれ?」「大正13年」どうやら30年近く時計が止まっているようです。

父ももう自分の年齢はわかりません。でも誕生日は明治44年・・・と言えます。
母は自分の歳は解っていますが、父の歳はこの2~3年毎回100歳だと言います。
高齢者を目の前にすると色々なことがあります。
そして色々考えさせられます。

両親の年齢まで生きるとは思っていませんが(生きていたら怖いです)10年先の自分はどうしているか予測がつきません。
団塊の世代の私の年代は、間違いなく世の中のお荷物になっていると思います。


2か月ぶりの面会

前回、両親の面会に行ったのは、11月21日でした。
10月9日に救急車で運ばれ、24日間の病院暮らしから解放された後で、また20日後に入院し病院でお正月を迎える羽目になると、は思ってもいなかった時です。

気にはなりながら、やはり夫が入院中では、両親の面会は二人の姉に任せざるを得ませんでした。

大阪の姉と今日の約束をしたのですが、昨夜夫がまた37度少々の熱があると言うので、もしかしたら今日はいけないかなと思っていました。
今朝目覚めた私の第一声は「熱は?」でした。
もちろん夕べ病院に行こうと言ったのですが、「解熱剤があるから大丈夫・・・」と言う夫に「どこが大丈夫なんやねん?ä?」と、かなり腹を立てたのでした。

っでこの第一声だったのです。
熱は本当に下がっており、先に起きてゴミ出しをし?を沸かして、普段通り自分で準備して食べていました。

これなら大丈夫と出かけて来たのです。
姉をJRの駅で拾って高速に乗りました。気持ちよくスイスイ走ることが出来ました。

淡路島の南の端まで走って、いつもの水産会社でちりめんじゃこを買い、それから父のところ母のところ、引き返して海苔を買って帰ってきました。

父はプリンを差し出すと、すごい速さで美味しそうに食べました。
お世話になっているフロアでは、目の前に食べ物を置いても食べ物だと認識できる方は、ほとんどいません。
そんな中で自分でスプーンを持って、食べることが出来る101歳の父は、すごいと思います。
ほとんど食べて手が止まったので、もう要らないのかとカップを取ろうとすると、グイッと引き寄せました?
そして大きなプリンをきれいに完食しました。本当にきれいに・・・。
お茶までも、とろみ食の父に食べさせてやれるのは、プリンぐらいしかありません。

神戸の姉が21日に行った時「姉ちゃんは元気か?」と訊いたと言ってましたので、「これは誰?」と訊くと「〇美」とちゃんと解っていました。
姉には知的障害の息子があり、いつも気にかけていました。
認知症になってもやはり親ですね。姉のことははっきり解っています。
そこで「私は?」と訊くと「〇子」と言います。〇子は神戸の姉・・・別にいいけど~?「私のことは忘れて・・・」なぁんて目くじらを立てることではないし。
当たらずとも遠からじですしね。何たって101歳ですから。


  
母のところへ行くと、食事をするフロアにはいなくて部屋を覗いてもいません。
お手洗いのようです。
大腿骨骨折以来車いすを手放せない母です。お手洗いに行くと時間がかかります。
もともと腰が90度以上曲がっているので、衣類の上げ下げに苦労します。それでも両手が使えればいいのですが、片手は掴まらなくては立っていられません。お腹やお尻に引っ掛かった衣類は片手で上げるのはかなり困難で、いつも半分ぐらいしか上がっていません?

 *腰曲がった母に楕円の傘が要る     タンポポ

20分ぐらい待ってやっと出てきました。
毎日新聞を読んでいますが、メガネをすぐ失くしてしまいます。
最近は100均のメガネを買っていきます。それで十分ことが足りているようです。

あと1か月で、両親が我が家の玄関先に置き去りにされて、6年になります。
実の息子は面会にも行きませんが、父の甥(って言っても80歳を超えています(*^_^*))が面会に来てくれます。
そしてお小遣いをいただきます、ありがたいことです。

同じ県内で今は橋が架かり、ちょっとそこまでという感じですが、やはり一日仕事になります。
でも両親がスタッフの皆さんのお蔭で、心穏やかに暮らしているのを見ると、安心して帰ってくることが出来ます。

今私は夫のこともあり、以前のようには行くことが出来ませんが、久しぶりに様子をみて、心から安心をして帰ってきました。

本日の走行距離は223キロでした。

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明石海峡大橋をバックにハイチーズ


久しぶりの映画

約70日ぶりの映画でした。

昨年20本の作品をみて、もう2~3本は観られそうだと思っていたのですが、10月から70日以上も入院し、映画どころではなくなりました。

心配をかけた友人に退院のお知らせをして、今日の映画とランチの約束をしました。
いつもメールで色々連絡はしていましたが、会うのは前回映画に行って以来です。

早めに出かけゆっくり「つるはん」で食事をして、マシンガントークでいっぱい喋って映画を観ました。
嬉しいことにaozora@の慰労だと言ってごちそうになりました。
本当にいい友人です????


観たい候補に挙げてなかったのですが、シネマ情報等でとても評判がいいし、観た人の感想もよかったので、新年第一作目の映画鑑賞は子供の頃読んだ、ヴィクトルユーゴーの「ああ無情」ミュージカル映画「レ・ミゼラブル」です。

aozora@の好きな女優、アン・ハサウエイとアマンダ・サイフリッドが出演しているのも観たくなった理由の一つ・・・?

 

本で読んだ「ああ無情」にはコゼットの恋は描かれてなかったように思うのですが、子供だったせいで気付かなかったのかも知れません。っというより50年以上も昔のことで、忘れたのだと思います。



本編上映時間158分、予告等があるので1時半開始で、終わったのは4時20分、と~~ても長い映画でした。


1月17日

あの日から18年・・・ここでブログを始めてから、毎年阪神大震災で経験したことを書いてきました。

あの日の夕方、お水を求めて右往左往していると、当時大阪で一人暮らしをしていた長女が、自転車で帰ってきました。
電話が不通で連絡がつかないことが、不安で堪らなかったそうでした。
「もし自分だけが残ったらどうしよう・・・」と不安をいっぱい抱えて、車の間をぬって自転車での帰宅でした。
薬缶を下げて歩いている私を見つけた長女の第一声が「あ~よかった、みなしごになったらどうしようと思った」
もう成人していたので「みなしご」はないでしょうけどね。
親を煩がって家を出ていたのですが、やはり一人になるのは恐れていたようです。

当時、次女は神戸で勤務していました。
バブルがはじけたころの卒業で、就職がなかなか決まらず仕方なく、夫のコネで船会社に就職し1年目でした。
あの日普段と変わらず家を出たのですが、最寄駅構内に隣の工場の煙突が倒れ、電車が不通になっていると言って帰ってきました。
通勤手段がなく4日ほど家にいましたが、電話が復旧後、会社から関空経由で出勤してくるよう、指示が出されました。
尼崎まで行って高速バスで関空へ行き、そこから船でポートアイランドの会社へと出勤していきました。帰りは大阪の長女のところでお風呂に入ってきました。

自宅はガスが4週間・水道が3週間、止まったままでしたので、銭湯の情報を聞いては寒い中、長時間待って入りに行きました。
でもせっかく入ったお風呂も、途中で水がなくなるトラブルがあったり、1回の入浴時間が制限されたり・・・。

公務員の夫は有事のときこそ出勤せねばならず、自転車や原付で三宮まで通勤でしたし、帰りも遅く銭湯の空いている時間に帰ってはこれず、平日は全く入浴出きませんでした。


レバーを下げれば水もお湯も出る生活が一変し、どんなに水がありがたいものか、この時初めて知ったのでした。
4週間たって自宅でお風呂を沸かせた時の嬉しさは、今も忘れられません。
娘と何度も手を浸けて、にやりとしたものです。

食料品もそうです、お水がないと野菜を買っても洗うことが出来ません。
スーパーの惣菜が出てくるのを、調理場付近で待って取り合いでした。

倒れたマンション、パックリ横割れをして行く手を阻む道路、センターラインで割れた道路、新幹線の橋脚が折れた現場、バスが半分落ちかけている阪神高速道路、どれもこれも忘れられない、忘れたはならない光景です。

                        合掌

被災地へ急ぐ背中の水の音      天根 夢草

平成七年一月十七日裂ける      時実 新子          



十八年取り残されている更地     タンポポ







退院して・・・

今年初めて笑ったというわけではありませんが、夫と初笑いしました。
昨日病院から戻って?から出てきた夫が「失敗した・・・」というので、トイレを汚したのかと一瞬思いました。
すると「病院のパジャマのパンツを下に穿いてきてしまった」というのです?ä

一昨年の手術までは、年中スーツのパンツの下にステテコを穿いていたのですが、去年の冬からはヒートテックのズボン下を穿くようになったのです。
でも病院は暖かくて、下は病院のパジャマのパンツだけで過ごしました。
12月に入ってから、上は肌着とパジャマそして上にベストを着ていました。

昨日はパンツを穿きかえるまで、ヒートテックの上にパジャマのパンツを穿いていたそうですが、そのまま自分のパンツを上に穿いて帰ってきたのです。着替える時気づきそうなものですけどね?
全然違和感がなかったそうで、トイレに行くまで気づかなかったのです。

間違えて穿いて帰ってきたパンツは洗濯しました。次回の診察日にお返ししないといけませんが、退院をすると、病棟のエレベーターホールや病棟に入るセキュリティカードは、返却したので持っていません。。
どうやって返しに行くのやら?
aozora@は知~らない。自分で行ってよねä?


ご報告・・・&amp;lt&#59;(_ _)&amp;gt&#59;

夫は52日間の入院を終えて、やっと退院してきました。
長かったです。

10月11月の入院が26日、その後20日ほど後の再入院で、11月12月1月の入院が52日、計78日にも及んだ、病名がはっきりしないままの入院でした。

胆嚢切除後の検査数値は、まだ高い数値の項目もありますが、それでも桁外れの項目はないようです。
感染症の数値もよくなっています。
これで今後、40度を超えるような高熱が出なくなればいいのですが、絶対ないという保証はありません。

微熱が出た時点で、自分で気づかないといけません。
朝晩血圧と体温を測るのが習慣になっています。
今回の入院の発端は朝の検温で気付きました。お昼前には39度の高熱が出ていたので、早く気づいて救急外来に行ったのは正解でした。
今回の入院もことによっては、命の危険があったのは言うまでもありません。


今後も何かあれば、緊急外来に来るようにと言われています。
そう何度も何かがあっては困りますけどね

長い入院でやや体力が、落ちているようですが元気です。食欲もあります。
帰りスーパーに寄って一応「夕食は何が食べたい?」と訊くと「ポテトサラダ・・・」ポテトサラダがメイン?

今までの外出や外泊の時「病院では果物以外生ものが一切出ないので生ものが食べたい」と言っていましたので、野菜サラダやお刺身あるいはお寿司など食べていました。
元々贅沢を言わない人です。売り場を見ながら歩いていると大きな厚揚げが目につき「ねぎを挟んで焼いてたべよう」と言います。
厚揚げとポテトサラダ・・・う~~んaozora@が考えていたメニューから遠ざかっていきます。

まあいいか、かぼちゃのサラダは入院前によく作っていたけど、ポテトサラダはずいぶん作ってないし・・・。
ブロッコリーがあるしなんとか恰好がつくかな・・・。
アルコールも今夜から解禁です。飲めないaozora@はお水で乾杯・・・??
っというわけで退院祝いというには、あまり相応しくない変なメニューになったのでした?

夫が入院以来aozora@が倒れては大変なので、十分な睡眠をとれるように毎晩睡眠導入剤を服用していました。それなのに昨日はうっかり飲み忘れ、小刻みに何度も起きてしまいました。
今日はちゃんと飲んで寝よう。

長い間ご心配いただきましたが、何とか無事に戻ってくることが出来ました。
ありがとうございました。

     ????*****おやすみなさい*****????


1月14日

成人の日です。今年の新成人は122万人だとか・・・。
数字だけ見るとすごい数のように見えますが、総人口の一割を割り込んでいるそうですね。
aozora@は俗に言う団塊の世代ですので、今より100万人ぐらい多かったと思います。

当市の新成人は4,400人と出ていました。
式典は午後から県立体育館で行われますが、あいにく当地も今日はしとしとと雨が降っています。晴れ着のお嬢さんがかわいそうですね。

そして今日はaozora@夫婦の43回目の結婚記念日です。
いつのまにか43年も経ちました。
43年も一緒に暮らしているんですよね、信じられないような長い年月です。
子育てを終え、嫁がせ孫も出来ました。バツイチの娘も出来ました??
何よりお互いに年をとりました。

2人で平穏無事に暮らせていると、思っていた矢先の大病でした。
幸いにも一命を取り留め、記録を更新中の3回目の入院も、明日午前中退院との??が来ました。

ご心配いただいた皆様に心からお礼を申し上げます。

人工血管が入っている以上、今後も感染症を起こす危険はありますが、今回はひとまず退院です。
今後しばらく毎週火曜日に診察があります。

退院したらしたで、減塩食に気を遣わねばなりませんが、やはりいるべき人がそばにいることは心強いと思います。



外泊

2日間の外泊も無事終えて先ほど病院まで送ってきました。
次に自宅に帰ってくるのは、退院時になって欲しいものです。
明朝の採血の結果次第で、話は進むものと思います。

本人は15日か16日に退院するつもりでいますので、今日は何も持たずに行きました。
まだ病院に肌着の替えやタオルはたくさんありますのでOKでしょう。
思い通りにならなかったら、追加で持って行きます。
今日も心残りのないように、大好きなおうどんを食べて戻りました。

さて明日の採血の結果が、気になるところです。


どこから・・・?

昨夜お風呂からあがって、いつももように身体や頭をバスタオルで拭いたのですが、拭き終えてビックリ?ä
目にも鮮やかな血が、バスタオルのあちこちにたくさん付いているのです。
どこも痛くないし、洗面所の鏡でみてもどこも血がでているようなところはないし・・・?

いえねそりゃあaozora@だって、十年位前までは時としてそんなこともありましたよでもねえもうそんなことはなくなって久しいし・・・。
頭に何かできているのかと、触ってみましたが解りません。
狐につままれているみたいな感じでした。結局今も解らず終い。



昨日の戎さんで福男の名前を張り出してありました。

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神社やお寺と言えば達筆なお方が多いと思うのですが、この文字に関してはお世辞にもお上手とは言いにくいですねä?


通院と十日戎

今日は月一回の内科の通院日でした。
この医院は阪神電車の西宮駅のすぐそばにあり、そして全国の戎神社の総本社西宮戎神社の近くでもあります。
残り福の今日も参拝客が多いだろう、駐車場に入るのに時間がかかるかも知れないと思い、早めに出ました。
予想は的中し、駅に近づくにつれ車の流れが悪くなる。おまけにいつもなら左折して、駐車場の方へ行く道が歩行者用に封鎖されている。
一旦国道へ出ての入庫らしい。参ったなあ・・・。
でも早めに出てきたのは正解などと、考えているうちに駐車場の入口、思いのほか待たずに入れました?

ヘモグロビンA1cは相変わらず高いのですが、ほかの数値は基準値内です。
ここは電子カルテを採用していますが、院内処方なのです。

お薬をもらってから折角だから戎神社にお参りをしてきました。

夫の病気も長女の病気も治りますように、孫たちが健やかに成長しますように、お願いしてきましたが、商売繁盛の神様には無理な願い事だったかな?


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↑が年男を目指して疾走する赤門ですね。

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↑は西宮神社ならではの逆さ角松

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そして本殿

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大きなマグロにお金を貼りつけます。




夫の朝晩の点滴が、昨日で終わり今日明日外泊です。47日ぶりの自宅のベッドです。
来週中には退院できるのでは、ないかと思っています。



5年目の

車検でした。5年で走行距離は41,000キロ少し。
大事な足ですので割合走っているのではないかと思います。
aozora@はハンドルを握っているだけで、セルフのガソリンも入れたことのないバアチャンドライバーですので、何かもディラーさんにお任せ・・・。
要らないかな?と思うものもありましたが、まあいいかと思って見積もり通りお願いしました。
っで費用を少し前におろしていたのに、便利なものでつい使ってしまい少し足りなくなってしまいました。
朝もう一度銀行に寄ってから行こうと思っていたのに、うっかり素通りしてしまったのです。
車検が終わって支払いの時、恥ずかしながら「すみません足りません。すぐ持って来ます」と言って出てきました。もちろんすぐ持っていきましたよ。


先日夫の手術の後、一緒に病院を出た娘夫婦の車が視界から消え、あれ?と思っていたところセルフのスタンドが、138円で安かったから帰りのために入れてきたそうです。
あくる日6円も安いなら入れようと、入ったのですが敢え無くギブアップ・・・?セルフと書いてあってもaozora@のようなバアチャンドライバーが、入って行くと大抵事務所から出てきてくれるのですけどね。
今回は誰も出てきてくれなかったので、すごすごと帰ってきました。


今日は1月9日

孫娘Tの3歳のお誕生日です。

年末年始バタバタしていて、プレゼントの用意が出来ていません。
お正月に一緒に買いに行こうと、思っていたのですが行けませんでした

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夫が現役の当時、足の悪い私がやんちゃ盛りの2歳半のKを、ひとりでみるのは無理だろうと娘夫婦の計らいで、和歌山でお世話になった出産。
娘を持つものとして、お産の手伝いが出来ないのは情けなかったのですが、和歌山では初孫のKの面倒を見られることを、非常に喜んでいただきました。

あれから3年が経ちました、じいちゃんばあちゃんは何かにつけて、老いを意識することが多くなっています。それに比べると子供の成長は目を見張るものがあります。

Tもおしめがとれて、4月からは幼稚園です。
おしゃれにも目覚めてきました?

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寒いので

お買い物にも出ず、一日家にこもっていました。

何度も書いていますが、平成8年の6月から川柳をしています。
師が主宰である柳社に所属しています。何年か後に大阪の姉も川柳を始めました。
姉妹で季刊誌に句を発表しています。

過去に2回カルチャーの仲間と川柳集を出しました。

姉はケータイも持たない、もちろんPCもしないアナログ人間です。
そこで姉が今まで季刊誌に発表してきた句を、一冊の本にまとめてプレゼントをしようと思います。

今手元にある最新の季刊誌は152号です。
私が初めて参加したのが88号、姉が参加したのはたぶん100号ぐらいだろうと思い、100号から姉の句を拾い上げる作業をしています。
古い本を見始めるとつい見入ってしまい、なかなか捗りません。

自分の句でありながら忘れている句があったり、すでに亡くなられた方の句を鑑賞したり、自分の鑑賞文を読み直して恥ずかしくなったり・・・。

いつまでにしなければと言うものではありませんし、姉にも話していませんので暇を見つけて、編集作業をしようと思っています。
全部で何句発表しているか解りませんが、すべての句を一冊にまとめるのは無理でしょう。
表紙を少し厚めの紙にすると、両面コピーで20枚が自家製本の限度かと思うのです。
後は1ページに何句にするかですね。
喜んでもらえるように頑張ろう~?

正誤表挟んで卑屈になった本   K


術後は

良好との医師の診断です。
昨日はまだ動くと傷が痛いと言っていましたが、食事も減塩ですが普通食になっています。

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〇で囲んだ3か所が傷口です。手術前夜おへその掃除を、きれいにしたそうです。
おへそをさわるとお腹が痛くなるって言いますが、医学的にはどうなんでしょうね。
おへその傷口は何かで固めています。
これを取ったら出べそになっていたりして・・・ää
3か所とも薄いテープのようなものを貼っています。

おへその上の傷の下には、一昨年の手術の際のドレーンの傷口が、まだ薄く残っています。
胸の傷の一部はケロイドになっています。


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病院の駐車場を出たところでパチリ


年末年始

30日に来た次女一家は31日には和歌山へ行きました。
お正月行事のない我が家より、古くからの行事の体験できる和歌山のおじいちゃんの家の方が、子供たちにとって楽しいのは当たり前です。

31日、次女たちの出発間際に帰って来た長女は、2泊して2日に親子4人プラス孫で夕食をして帰りました。
夫の外出はこの日までです。


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次女は2日に婿さんの同窓会があり、一人身軽に帰ってきました。
「子どもが生まれてから、こんな自由な日は初めて????何しよう・・・」と言いながらバーゲンに行きました。
でも買ってきたのはほとんど子供のもの?やっぱり親ですね。

そして3日はお昼前に、孫台風が再び襲来です。
昼食をすませておじいちゃんの面会にみんなで行きました。
行くとは言ってなかったので大喜びでした。Tの「おじいちゃん頑張ってね?の一言は抗生物質より効いたのでは?と思います。

4日手術当日、子供を連れて行くにはどうかな?ということで、午前中子どもたちはお隣の市にあるアイススケートリンクに行ってきました。
Tが家の中でくるくる回ったり片足を上げては、真央ちゃんの真似事をします?
実際はKもTも氷の上に立つことも出来なかったようです。
何度も転んで濡れて散々な経験をしたようです。
娘も10数年ぶりのスケートで今日は筋肉痛だと言っていました。
スケートが終わってから術後のおじいちゃんのお見舞いに行きました。
これも言ってなかったので、大喜びしたのは言うまでもありません。

術後、麻酔はほとんど覚めていましたがaozora@がいる間、殆ど寝ていたのですけどね。
「おじいちゃん??」の一言ではっきり目覚めました。

そして今日もaozora@は午前中面会に行き、子供達は昨日と同じスポーツセンターにあるボールプールへ行きました。

午後からの埼玉へ向けて出発に備え、長時間の移動を前に楽しく過ごせたようです。
そして3時ごろに出発しました。子連れの移動は何度も休憩を挟んでですので、倍の時間をみているようです。
今日は大きな渋滞もなさそうですが、さて今頃はどの辺りを走っているのでしょう。

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かるたの読み手も上手になりました

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ケータイの待ち受けが開く度に変わり、Tの写真が出るたびに大喜びでした。


ケータイから(追記)

今日は胆嚢切除の手術日です。先程歩いて手術室に入りました。
手術室の入り口は、夫の他にもう一人若い男性と妊婦さんも歩いて来ていました。後はベッドの方もいました。
今日の手術は、先ず腹腔鏡の穴を開けて開腹かどうか判断します。
腹腔鏡だと約二時間、開腹で三時間とのことです。
一昨年の10時間の手術に比べれば、簡単な手術なのでちょっと安心です。
これで高熱が出なくなることを願っています。



コメントありがとうございます。


ご心配おかけしました。
手術は2時間足らずで無事終わりました。
思ったほど炎症が酷くなく、開腹はせず腹腔鏡での手術でした。
切除した胆嚢から出て来た石は、長さ3cmほどで色・形、硬さまでまるで〇〇チのようです。ただし臭いはありませんää
今日は1日絶食です。お水も飲めません、うがいならいいようですが、我慢していました。

新年早々お目汚しで恐縮ですが、↓こんなものでした。
比較に鉛筆をおいてみました。

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外科の執刀医の説明によると成分で色や硬さが変わってくるようです。
aozora@の実姉は30数年前に手術しましたが、まるでキウイのように表面に毛が生えているようなものでした。


2013年です

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30日の午前1時過ぎ次女一家が到着し2泊しました。
それはそれは賑やかな1日半でした。
また明日戻ってきます。


長女の到着を待って入れ替わりに、もう一組のおじいちゃんおばちゃんの待つ和歌山へ向かいました。

さすがに今日は静かです。人数が半分とはいえ声変わりした低音でボソッと喋るぶんには、とても静かです。
なによりキャーキャーと走り回りませんから・・・。


夫はいつものように朝帰りしてきまして先ほどお雑煮をいただきました。
朝食は全くいつもと変わらないメニューだったそうです。

そしてお正月恒例の駅伝を観ています。

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