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付き添い

10月の最終日、どうしても事務所に行って、2ヵ所の銀行に行きたい夫に、付き添って行きました。

やはりしんどそうでした。
自宅から駅まで、元気なころの夫の足なら、6分ぐらいなのですが、倍ぐらいかかったかも知れません。
後ろからみるとフラフラしています。駅に着いた時、息切れがしていました。
朝、最寄駅から電車に乗るのは雨の日ぐらいでした。
甲子園まで毎朝歩いていたのです。もちろん倒れた日も歩いたと言います。

9時過ぎに出たので電車は坐れましたが、乗り換え時もエレベーターを使いました。
今までなら家に上がって来る時も、エレベーターなど使わない人でした。

三宮からより一つ先の元町の方が、事務所に近いので元町で降りました。でも元町の長い階段にはエスカレーターがありません。手すりを持ってゆっくりゆっくり上がりました。
階段はかなり堪えるようです。
駅を出たところの信号待ちで、花壇の縁に腰を下ろそうとしたのですが、濡れていて諦めました。

こんなしんどいのを、こらえて出勤しなくても・・・?

旧居留地にある築60年以上のレトロな○○ビルヂング(ビルディングではありません)にやっと到着です。
エレベーターを降りて事務所に入ると「しんどい?・・・」それでも相部屋の「小型○○協会」のKさんに挨拶をし、それから仕事にかかりました。
お昼前に銀行へ行き、持って行ったお弁当を食べ、3時半ごろ事務所を出て帰って来ました。
帰りは三宮へ出ましたが、元気なころの歩いていた姿とは比べ物になりません。

しんどい思いをしての出勤でしたが、自分の目で確認して納得したようです。
明日は休んで、また明後日行くと言いますが、リハビリにしてはちょっときつすぎると思います。

帰って来てから通勤鞄が重かったと言いましたå

ソファに坐ったので「ベッドで横になったら・・・}と言うと「寝てしまうからここでいい」と・・・
10分もしないうちにしっかり寝ていました?..




退院して

昨夜は夫は10時頃、私は11時頃ベッドに入りました。
夫は久しぶりの自宅で熟睡出来たはずなのに、また私もようやく夫が退院して、ゆっくり寝られると思ったのに2人とも寝付けませんでした?
結局1時過ぎに2人とも睡眠導入剤を飲みました。

今日一日家にいましたが、なぜか落ち着かないのです。
神経がピーンと張り詰めている感じです。
今後のことを考えると色々不安がありますが、とりあえずは平穏に暮らせる筈なのですが・・・

きょうはちゃんと寝られますように・・・?..
明日は月末なので、事務所に行くつもりで、ゆっくり歩いて散髪に行って来ました。

駅から事務所まではちょっと距離がありますので、一気には歩けないと言います。
メールや留守電のチェックをし銀行へ行くようです。
早く帰って来ると言いますので、まあいいかなと思います。
行って自分の目で色々確認すれば気が済むのでしょう。

ちょっと心配なので、明日は事務所まで付いて行きます。



退院しました

6日の朝出勤して以来、24日ぶりに自宅に戻って来ました。
病室を出て駐車場に向かう時、歩くのが遅い私より、まだ遅い夫の歩く姿を見て、切なくなりました。
でも退院出来る喜びを、一歩一歩踏みしめているようにも見えました。

夫には見なれた海を眺めながらの帰り道、私の目に涙があふれて来ました。

助けていただいた、神戸中央市民病院心臓血管外科の小山先生・小西先生、両先生には、感謝してもしきれません。
そして13日間お世話になったICUの看護師さん、本当にありがとうございました。
あの意識朦朧とした夫を見ていた辛い日を、忘れることはありません。

今後、通院治療と定期的な検査は続きます。リハビリ通院もあります。
恐らく薬とも縁が切れないと思います。
でも運よく助かりました。今回、運を使い果たしたかも知れません。

帰りにスーパーに寄りましたが、夫はベンチに腰かけて待っていました。
買い物が終わって戻ると、お尻の肉が落ちていて硬いベンチに座っていると、お尻が痛くなったと言いました。

家に入る前に「家の中は散らかっているよä?」とあらかじめ言っておきました。
リビングに入ると「帰って来れたなあ」と感慨深げに言いソファにかけました。
それから新聞をみたりPCを開いたり、電話をかけたり色々しました。
今はBSで巨人対ヤクルト戦を観ています。

今日も明日も明後日も、ずっと平穏に暮らせますように・・・<(_ _)>

ここを覗いてくださり、励ましていただいた皆さんに、深く御礼申し上げます。
ありがとうございました。
今後ともよろしくお願い致します。


いよいよ退院です\(^o^)/

今日の午後ようやく退院してきます。
10日ほど前には、10月中に退院出来るとはとても思えませんでした。

医師からデスクワークならと仕事の復帰も許可がおりました。
重い物は持てません。
月曜日は月末ですので、早速出勤するつもりでいます。

どうしても行くなら、朝は付いて行こうと思います。

さて今夜から久しぶりに台所に立って減塩食を作らねば・・・

ありがとうございました<(_ _)>


短時間でしたが

埼玉から娘が来ました。
30分ぐらい遅れるのが、普通のようなスカイマーク? は今日も遅れました。日帰りをする娘には、その遅れる時間が勿体ないと言います? 
1時過ぎに病院へ着き3時半の飛行機で帰りました。
7時前に家に着いたと電話がありました。
忙しい日帰りでしたが、夫の歩く姿を見てとても喜びました。
夫も歩けるところを見て欲しくて、デイルームの中を背筋を伸ばして歩きアピールしていました。

娘も安心して帰ったことでしょう。
夫が倒れていなかったら、お土産に持って行くはずだった木のおもちゃを、持って帰らせました。早速喜んで遊んでいるらしく「お待たせしました」「お魚どうぞ?」なんて声が聞こえていました。

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帰り際に「今度は家で会おうね」の言葉に夫は涙ぐんでいました。
今回の病気で、少々涙腺が緩んだのかも知れません。


術後20日  (20日の画像UPしました)

とうとう20日になりました。
病院へは一応皆勤で、古女房の面目を保っています
いい天気だったので、西の方の窓から明石大橋が見えていました。


20日を区切りに覚書きとしてのブログは、今日を最後にしたいと思います。
20日間、親身にご心配いただきました皆さまに、深く感謝いたします。
ありがとうございました。

これからは、また日々の生活の中での出来事や思ったことを、綴っていけたらいいなと思っています。
もちろん、今後の夫の様子も、時々ご報告したいと思います。



今日は栄養指導を受けました。
栄養士さんがパソコンで夫のカルテを見て「えらいことだったのですねえ」と言われました。
後になってからネットで検索するたびに、改めて夫の運の良さに感謝する日々ですが、どなたが見ても運の良さに驚かれるようです。

そこでせっかく助かった命を、食生活で腎臓・心臓ともに楽に過ごせるように指導を受けて来ました。
とてもハキハキとした喋り方で、おっしゃっていることも良くわかりました。

片方だけになった腎臓に負担をかけないように、少ない塩分で美味しくいただく方法、なかなか難しいですが、夫婦で同じ物を食べれば何とかなるのではと思います。
夫と同じ物を食べることで、私のの糖尿も今より改善出来るかも知れません。
晩酌を今の半分にして、ご飯も減らすよう言われました。
今病院で出ている食事は、1600キロカロリーです。
手術後、上がっていた血糖値は落ち着いています。
今後は腎臓に優しい食事を心がけねばなりません。

夕食を今より1時間早く食べられるといいなと思います。引退をして毎日日曜日になれば出来ますが、まだ仕事にも未練がありそうです。
夕食を早く済ませて、腎臓も心臓も楽にしてやることだそうです。

朝食に飲む牛乳も低脂肪乳に変えるよう言われました。
私ははずっと低脂肪乳を飲んでいますが、今後は夫も低脂肪乳です。

禁煙をしてアルコールも、ご飯も半分・・・
厳しいですが、運よく助かった命、10時間の手術に耐えて助けていただいた、たった一つの命を、大切にせねば罰が当たりますね。


心電図の電極が取れた記念の一枚です<(_ _)>
手術直後の痛々しさはなくなりました。

丸い6つの傷は4本のドレーンと心電図だったかな?
左わき腹にも管を挿していた傷があります。

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術後19日

今朝、友人から一度顔をみたいので、今そちらに向かっていると電話があった。
夫が倒れてずっと私たちのことを凄く心配してくれているのです。
20分ぐらいして友人が現れました。
映画「アンフェア」を観に行って以来だから、28日ぶりの再会です。
下にご主人の車を待たせているにも関わらず色々と話しました。
色々と言ってもほとんど夫の病気のことです。
思ったより私が元気にしていたので安心したようでした。
いい友達を持っていると思いました。
この友達とは30年以上の付き合いで、一番の友達です。
お互いの夫とよりも気持ちが通じていると、思っています。

その後、いつものように病院へ向かいました。
今日は私の2人の姉が、夫を見舞ってくれることになっていました。

ポートライナーを降りて、直結の病院の2階入り口で待ち合わせました。
事故渋滞で到着が遅れた分、姉達を待たせました。
12時ごろでしたので、面会時間には早いので、夫を面会室へ連れて来ました。
すたすたと歩いて来た夫をみてビックリしていました。

この2~3日調子よく歩けるようになっていたので、元気そうなところを見てもらえてよかったと思いました。

もしあのまま命を落としていたら、末っ子の私が先に未亡人になるところでしたä?

今日は点滴は1日中ないということでした。
昨日私が帰ってからMRIを撮ったそうです。
手術した人工血管の様子を見るためだったそうで、不具合はなかったとのことです。

食欲もあり顔色もよくなり、坐っている顔を見ると元気なころの、夫の顔になって来ました。
嬉しいことです。
でも仕事の電話で15分ほど話しをすると、しんどかったようです。
声がまだ出にくいので無理もありません。

退院の目処はつきましたが、社会復帰には時間がかかりそうです。
大手術の後です、じっくりと時間をかけて、復帰が出来たらいいと思います


術後18日

食欲は完全に戻っています。病院食は薄味(塩味)で食べにくいと言うので、医師の許可もあり、院内のコンビニでふりかけを買いました。それをお粥にもおかずにも振りかけています。腎臓が悪くなっているため極端に塩味がないのだと思います。

昨日は、夕方神戸に住んでいる実家の甥が見舞ってくれました。
兄さんは毎日見舞ってくれます。ありがたいことです。

昨夜から睡眠薬がなくなり、眠れなかったので1錠貰ったと言います。
今日はシャワーとシャンプーをして貰いました。
術後初めてのシャワーです。
やはり疲れたようです。

お見苦しいですが、↓18日目の傷痕です。大きな傷ですが、きれいになっています。
    
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今日も面会室まで出ました。そしてご迷惑をかけているk鉄工さんとh本さんに電話をしました。
まだまだ、しわがれ声です。

夫はこのブログを知りません。
覚書のこのブログの記事を編集し、プリントして見せました。
知らないことばかりだと、時々涙を拭いていました
そして「よくまとめてくれた」と礼を言われました????

もうこの辺りで覚書としてのブログは、終わりになるかも知れません<(_ _)>


払い戻し

たまには夫の病状以外のことを・・・

昨日は、病院を出てから神戸空港に向かいました。
夫の病気でキャンセルした?代の払い戻しを受けるためです。
ちょっと気晴らしの意味もあって、病院以外の場所へ行こうと思いました。

来年の1月初めまで払い戻しOKですが、戻って来るお金は、早く取り戻したいとの思いもあり、気持ちよく空港までドライブしました。
海上空港ですから左右に海を見てのドライブです。

病院も人工島内ですから、自宅からのルートは海を見ながらですが、病院へ行く時は、景色を見る気分ではありません。

払い戻し手数料は1枚につき500円です。
ご丁寧に搭乗券かと見まがうような、立派な証明書が発行されました。

健常者の夫は12300円、障害者割引の私は8000円返金です。往復で40600円戻って来ました。
格安の航空券ですが戻って来ると意外と大金です????
そして40000円は、お駄賃として私のお財布に入れました。
何のお駄賃じゃと突っ込みを入れながら・・・

夫が元気になってくれなければ、このお金をも遣えません。

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術後17日

初めて病棟の外の面会室まで出ました。
それ以上離れると心電図の電波が、ナースセンターでキャッチ出来ません。
救急で運ばれて病棟以外どこにも行っていないので、大きな病院内を散歩してみたいのですが、ナースセンターのモニターに電波が届く場所以内でしか移動出来ません。


今日、主治医と話が出来ました。
今週様子を見て、月末に退院出来ればと、考えているとのことです?
様子を見てですから、喜びすぎてもいけませんね。
睡眠薬も止めるそうです。これでふらつきがなくなれば安心できます。

夫のような緊急入院は、あらかじめ枠があるのだと思いますが、普通に受診して入院までは、2カ月待ちだと聞きました。
7月に移転したばかりの病院ですから、最新の設備を備えていますし、やはり綺麗な設備のいい病院で入院手術をしたいと思う人は多いのでしょう。

よく歩いていた人ですが、2週間以上力強く歩いていないと、太腿の後ろがタブタブになっています。衰える速さに驚いています。


久々の画像は先日お見舞いにいただいたお花です。

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術後16日

過ぎてみれば早いもので半月過ぎました。
今日も妹が行ってくれました。自分も忙しいのに兄思いの妹です。私より3歳年上の妹です

病棟へ入って行くと、前から夫と看護師さんが歩いて来ます。?へ行くところでした。
見ると左の目の上にガーゼを貼っています。
朝転んだそうです。だいぶしっかりして来ていますが、やはりまだちょっとふらつきもあります。
大事に至らなくてホッとしました。

昼食はほぼ完食です\(^o^)/
その後、食後の散歩と称し、ナースセンターの周りを2周しました。
1周50メートルあります。結構早足で歩きました。意識して早足で歩いているようでした。

我が家には、トイレ・お風呂・洗面所へ、行くところに一か所だけ15センチの段差があります。
たった15センチですが、少し脚が弱るとヨイショッと言う感じなのです。手摺はありません。
退院までにはこれがクリア出来るようになって貰わなければなりません。
頑張っていただきましょää

昨日は私が帰ったあと、元の役所の方が4名お見舞に来て下さったようです。
そして仕事をお任せする方も来て下さり、色々お願いしたと言うことです。

夫が倒れたことで職場である「○○工業会」の会長の一声もあり、役所の総務部もせわしく動いていただいているとのことです。有難いことです。

帰る時、神戸は大きな雨粒が落ちていましたが、東の方はまだ日差しもありました。
神戸の東の端まで走って来ると、雨は降っていませんでしたが、1時間後には当地も大雨になりました。




とうとう一般病棟へ

ようやく一般病棟へ移動出来ました\(^o^)/

一般病棟とは言っても心臓血管センターの病棟です。でもでもまた一歩前進しました。
嬉しいです。歩行もだいぶスムーズにできるようになってきました。
今までは一日中点滴をしていましたが、朝晩になりました。
そして心電図も部屋のモニターの監視下にありましたが、肩からかける小さなものになりました。
本人はまだ言葉が出にくいとか、考えがまとまらない等と言ってはいますが、4~5日前の混乱状態を考えるとウソのようです。
寝る前の安定剤は今も使っています。これは当分必要かも知れません。

仕事のことが気になっています。
一年間かけて企画して来た大イベントも、自分では取り仕切ることは出来ないと言い、ある方に私が電話をかけて、病院へ来ていただくようお願いしました。
今日は何もご存じのない沖縄の業界の方から、夫のケータイに着信がありました。急ぎの用なら困ると思いかけ直すと、大イベントが近ずいてきているので様子伺いでした。
事情を話し人さまにバトンタッチする旨を伝えました。

もうリタイヤする覚悟は出来ましたが、最後の花道としてこの一大イベントを、取り仕切らせてあげたかったと思います。


術後14日

社会復帰するには課題が山積みです。
安定剤を使用しなくても、落ち着いて生活出きるようになってほしいと思います。

毎日、新聞を持って行っていますが、頭に入らないそうです。

とても疲れました・・・


術後13日

今日も調子は良さそうでした。
ICUにいる期間が当初言われていたより長く、意識障害のこともありいつになったらICUを出られるのかと思っていました。

6日に手術を受けてからICUのなかで4回ベッドを移動しました。
お昼頃、昨日と同じベッドに行くと、何日も逆戻りしたように大きな酸素マスクをつけて横たわっていたので
ビックリしました。
顔はよく見えないのですが、白髪頭で夫だと思いました。
ビックリしている私に気付いた医師が、手を出して案内してくれました。
そこには元気そうな夫がいました。
昨日の夕方5回目の移動をしていたのでした。
そんなことをは知らないので、本当にビックリしました。

この病院には病室に名札がありません、ICUにもありません。
ベッドの足もとにあります。医療器具等があると、その名札も見えません。

夫は食欲もあり8割ぐらいは食べました。
その後2時半に病棟を移動しました。
今度はICUではなくC-HCUという心臓血管センターの病棟です。
ICUと一般病棟の間のようです。

また一歩前進と言えるでしょう。家族はいつでも面会OKです。



夫は6日からの出来事をまとめようとしています。
今日言われるままに私が書き留めて来たのを

わが家の事件簿  平成23年10月6日(木)~
(急性大動脈解離との闘い)
と題してPCに打っています。
いつ出来上がることやら・・・ 

さて明日は何時に面会に行こうかと、考えているところです。

ご心配いただきまして、ありがとうございました。
やっとやっと先が見えて来た感じがします。  



術後12日

術後の意識障害が長引いています。
一週間ぐらいで元に戻ることが多いようですが、今日も変なことを言いました。

お昼に行った時、ICUの2枚目の自動ドアを入ると、看護師さんに車いすを押して貰っている夫が、前から来ました。
トイレでした。昨日までは確かベッドの横におまるがあったと思ったのですが・・・大きな前進です。

トイレから戻った夫は一見穏やかで落ち着いて見えました。
話し始めるとやはり変です。
今朝未明気付くと明石の海岸にいた、そこで兄貴に会った。それから豊岡に行った・・・
入院している中央市民病院のフロアの各階に喫茶コーナーがあった。

ICUは4階で入院後、1度だけ3階に降りましたが、他の階、特に外来の方には行っていません。思い込みが現実味を帯びているようです。
あまり変なことを言うとやんわり訂正をしてあげるといいと言うので、「お父さんはずっと病院の中にいるのよ。まだ外出許可はでてないからそれは夢だよ」と訂正しました。

でもやはり思いこんでいるようで、兄が行った時真っ先に「夕べは世話になったな」と言ったそうです。

今日は車椅子で3階にある庭に出てみました。お花は何もありませんが、気持ちのいい風が吹いていました。30分も掛ってなかったと思いますが、ベッドに戻ってくるとグッタリ疲れた様子でした。
体力の回復はまだまだです。

そして2時過ぎに「今日は大人しくしてるからお引き取り下さい」といいます?ので、いつもよりちょっと早く病院を出て帰りました。
久しぶりにリハビリに行きました。今朝起きた時、左腕の付け根がかなり痛かったので、そろそろマッサージをしてほしいなと思っていたので丁度よかったです。

これでまた明日からがんばれます


術後11日

今日は凹んで帰ってきました。
いい日ばかりは続いてはくれません。

25日が近付いてきて、頭の中は支払い等でいっぱいの夫です。
昼食をほとんど食べず「事務所へ行ってから銀行に行く」と言いますが、「まだ駄目行けない」と言うと恐ろしい顔をします。

こんなときは「そうだね行こう」と言ってやればいいそうですが、そういうと行動に移しそうで言えませんでした。

昼食が済んだあとで「健康保険限度額適用認定書」を申請のため健保協会へ行きました。どこにも寄り道をせずに病院へ戻ると、夫のベッドの周りには大勢の看護師さんや医師がいます。不安いっぱいでベッドを覗くと夫が立ちあがっています。
私に気付いた看護師さんが「奥さんが帰って来ましたよ」の声でこちらを見た夫は別人のようでした。
要するに私の帰りが遅いとイラついていたようです。銀行に行く時間がなくなると焦っていたのです。

夫の職場は夫一人の一人事務所なのです。社団法人「○○工業会」の事務所で、会員は船の部品をつくる工場等です。事務局は東京にあり全国に支部があります。
支部には会長がいます。手術の翌日、この会長には連絡してあります。
一人事務所なので自分が動かないと、たちまち業務がストップします。そのことで頭がいっぱいなのです。心配要らないと何度も言ったのですが、パニックになっているようです。

一年間かけて企画してきた一大イベントが11月にあります。
それを前に倒れた、夫の胸の内が解からなくはありませんが、今の夫にそれを実行できる体力も行動力もありません。
夫にはまだ病院の外へ出る元気などありませんが、それが判っていません。

意識障害の程度は日によってばらつきがあります。
これは夕方も続いていたと兄から電話がありました。
悲しいですが、これが現実です。

明日は少し落ち着いていますように・・・


術後10日

早いのか遅いのか、10日目を迎えました。
順調に快復しているように見えます。

今日も妹と行きました。
12日以来の妹は、一目見てしっかりして来たと、喜びました。
たしかにしっかりして来ました。
3~4日前はベッドに腰をかけた状態では、前かがみになったり支えていないと後ろへ倒れそうでしたが、今はもうそんなことはありません。しっかりと自力で坐れるようになりました。

車椅子にのる時も最初は看護師さんが2人掛かりでしたが、今日は一人の看護師さんに介助されて乗れました。
初めてシャンプーをしてもらいました。さっぱりした顔で戻って来ました。
声はまだ出にくいですが、少し冗談も言えるようになりました。

住所は西宮市○○町まで言えましたが、電話番号は駄目です。
自分の財布はどこにある?と聞きますので、家にあると答えました。
妹が「いくら入っていたの?」と訊くと「78000円」とピタリでした。
常にこんなに入っていないでしょうが、25日のお給料から10日でしたから、たくさんはいっていたとのだと思います。

今日初めて新聞を持って行きました、すると今まで夫が食卓で読んでいたように、縦に半分に折ってくれと言い、読みはじめました。
今頃はNHKの江姫を見ているでしょう。

そして帰る時、妹に○男さんによろしくと言いました。
名前が解かっているとは思ってなかったので、ビックリしました。

少しずつ手ごたえを感じます。

いつも温かいコメントをありがとうございます。


術後9日

だいぶ目にも力が入って来たように思います。
今日のリハビリはICUの中を一周したと看護師さんに聞きました。
あの中を一周出来たなら凄い進歩です。

昼食は半分ぐらい食べました。お箸が持てました。
トレーを下げてから「ここのご飯は硬い」と言います・・・お粥なのに。
やっぱりちょっと変です。

日にちを気にするようになりました。
読みかけていた本を持ってくるように、言われて持って行きましたが、めくるのが難しそうです。それ以前にまだ頭に入らないと思います。
明日は新聞を持って行こうと思います。

私はというとやはり疲れるので、夫がいる時に比べ、ずいぶん早くベッドに入るようになりました。
そうそう夫が今日「一人の寝室は静かでよく眠れるだろう?」と言いました。
意識障害の程度が判りません。



昨日になって入院の手続きを、していないことが判明しました。術後何枚もの書類にサインをしましたが、そう言えば、入院の申し込みの書類を書いた覚えがありません。
夫の保険証を探し出し、兄に保証人の印鑑を貰いました。
いまは自費での治療になっており「エライ金額」になっているみたいです??
高額医療の書類を貰いに健保事務所へ行かなければなりません。





術後8日目

確実に快復しているようなしていないような・・・
今日は車椅子でICUを出ました。
点滴のポンプはまだ2つついているので、私が車いすを押し、看護師さんが点滴のポンプの台を持ってです。
ICUの外の空気を8日ぶりに吸いました。
外の見える場所まで行ったのですが、残念ながら神戸は今日は雨です。

その後しばらくしてリハビリが始まりました。歩行器につかまって自分の部屋を出て、ICUの中を数メートル自分の脚で歩きました。
脚に自信のある夫ですが、数メートル先まで行って、半分ぐらいしか自力で戻れません。
辛いことです、息切れがします。
つくずく大手術をしたのだなと思います。
倒れるまでの夫は一緒に買い物に行っても、途中で車を降りて徒歩で帰ってくる人でした。

支払いが済んだら帰るとか、帰って頭を洗って、着替えをして事務所へ行かなければとか、
帰ったら美味しいものを食べに行こうとか言っています。

ちゃんと歩けるようになってほしいですが、何より記憶障害が治って欲しいと思います。
助かった命そんなことを願うのは、欲張りすぎでしょうか。


術後七日

朝胸のレントゲンを撮ったのだそうです。
結果肺に水がたまっているtいうことで、午後水を抜きました。
水と言っても血ですね。500ミリ溜まっていました。
まだ管を挿したままですので、すこしづつ出ています。これで呼吸がしやすくなるとのことです。
一昨日辺りから脈が速くちょっと動くと150以上になります。
昨日の朝はあまりにも速いので、電気ショックをかけたそうです。それでも常に100以上打っています。

やはりまだ意識は正常ではありません、つじつまの合わないことをいいます・・・
戻るとは言いますがちょっと心配です。


毎日夕方面会に行ってくれる、夫の兄からの電話で、ICUの中で部屋を変わったそうです。
いままでの部屋は窓がなく夜も昼も解かりませんでしたが、今度は神戸空港の方を向いた窓のある部屋です。
これで少しずつ意識がハッキリしてくるかも知れません。


家に帰りたい

緊急搬送されてまる一週間になります。
髭のそう濃くない夫の口の周りやあごにも、白髪交じりの髭が、かなり目立ってきました。
普段はお風呂で剃刀をあてている夫に、「シェーバーを持って来ようか?」と訊きました。
すると「もう今日は帰るから要らない」と言いました。あのねえまだまだ帰れないよ・・・
取り敢えず、帰る場所は家の外にはないようです。

「もう駄目かと思った」などと言う割には、状態がまだ自覚出来ていないようです。
さてさて今日の面会には、どんなことを言いますやら・・・
そして一般病棟のベッドは空くのでしょうか。

そうそう一昨日だったと思いますが、日にちを訊ねたあとで「○美とこへは行かなかったのか?」言いました。
9日の孫の運動会を見に行くため8・9・10と行く予定だったのです。
そこで「こんなお父さんを置いて行ったら鬼でしょう」と返しました?
この日からめまぐるしく頭の中で色々なことを思い出しています。


術後六日

健康だった夫が急に倒れたことで、命の重み尊さを、強く感じた一週間でした。

人工血管置き換え手術は、16℃の温度の中で人工心肺下での長時間の手術です。
身体にダメージが大きいのも解かります。
夫はまだ手に麻痺があります。これは数週間或いは数カ月かかるかも知れません。
これから始まるリハビリと、夫の持つ運にかかっているのかもしれません。
10時間もの手術に耐えて、助かった命です、大事にしないといけませんね。

義妹と一緒にICUに行くと、昨日よりさらにしっかりした夫がいました。
食事も一人でだいぶ食べられました。さすがにお魚をフォークで一口で食べられるようには出きません。フォークにさしてやると食べました。完食にはほど遠いですが、お粥は半分・おかずは三分の一ぐらいは食べました。食べると元気が出てくると思います。
声も昨日よりはだいぶ出ています。
色んなことを思い出しているようです。記憶も戻ってきました。
倒れた時「救急から電話がかかってビックリしただろう?」と言いました。

主治医からは、一般病棟に移る許可は出ているそうですが、ベッドの都合でICUにいるのだそうです。
一般病棟のベッドが空けば移動です

1時過ぎに埼玉から次女が到着しました。夫はやはり嬉しそうです。
今日は首の管もとれて、痛々しさはかなり薄れています。
3時までの面会時間しかいない娘には良かったと思いました。

それに3時前に車いすに乗せてくれました。不思議とシャキッとして来ます。
日一日と良くなって来ています。嬉しいです、ありがたいです。
3日目4日目の帰る時は辛かったですが、今日は安心して帰れました。

しきりと帰りたがっていますが、まだまだ帰れそうにはありません。
はじめに約3週間の入院と言われていますが、手の麻痺を考えると長引きそうな気もします。
それでもいい、助けていただいた命なのだから・・・
じっくり病気と向き合って治療したいと思います。


術後五日

昨日こんな状態は5~6日続くと聞き、今日はどうかな?と思いながらICUに行きました。
後から手術した夫の隣のベッドは空いていました。

夫のベッドに行くと、食事が出ていました。
うつらうつらしている夫に「ご飯が出てるよ、よかったね」と声をかけると嬉しそうに、1分も待てないという様子をみせました。まるで欠食児童のようです。
ちゃんとのみ込めるのか心配でしたが、お粥もお豆腐もお肉もフルーツも飲み込めました。
6日の朝食以来の食事です。
でもちょっとまだ手が不自由で、自分ではスプーンを持てません。

でもでも食事が摂れたのです。嬉しいです。
後でオェ~となりましたが、吐かずにすみました。
一歩も二歩も前進です?
自分の食事が済んだあとで私に「済んだのか?」と聞きました。
人のことまで考えられるようになったことも嬉しかったです。

首の管もお腹の管も抜けて、点滴の針も少なくなりました。
声はまだ出にくいのですが、今日の日にちを聞いたり、自分のいる場所を聞いたりします。
家に帰りたいとも言いました。
帰る時、「連れて帰ってくれないのか」とも言いました??

まだシャワーもダメなので、気持ちよく足湯をしてもらいました。子どものように嬉しそうにピチャピチャしていました。

昨日は帰る時とても辛かったのですが、今日は嬉しくてスピードを出しすぎないよう気を付けて帰って来ました。

明日は埼玉の娘がきます。少しいい状態の夫を見てもらえます。
遠くに住んでいる娘に、2~4日目のような姿を見せるのは、夫も娘も辛い筈です。
良かったと思います。

これからはここで、快復に向かう夫の姿を綴って行ければ、いいなと思っています。
色々励ましのお言葉をありがとうございます。
       
       <(_ _)>


術後四日

大手術だっただけに、ダメージが大きいです。
これはリハビリで徐々に解決するそうですが、今はただその苦しみようを、目の当たりにして心がざわついています。
規定では3時間の面会時間の間、1回20分ぐらいと決められています。
1度ベッドのそばを離れてもう一度顔を見に行きます。

手術中とその後しばらく口に太い管を、入れていたせいと言いますが、ほとんど声が出ません。
一日目に食事が出ていてビックリしたのですが、食べられる筈もなく今は水さえも、口にできません。
小さなスポンジを水に浸し口の中を湿らせるだけです。

点滴や酸素マスクをはずすため、両手にミトンをはめています。ミトンを外せとしきりに訴えますが、外してやれません。
声を出して喋ることが出来ず、意思が伝わらないもどかしさでイライラしています。
どうかするとミトンをはめた手で叩かれます。41年の結婚生活の間に一度もなかったことです。

今日は、63と65数字を言ったのが、かすかに聞こえました。
何の数字か考えました。もしかして自分の歳を言っているのかと思い「私の歳は63、お父さんは68、長女は40、次女は38」と言いました。
やっぱりぶつぶつと「63、65、68」と言い、看護師さんに「惚けているのか?」とききました・・・??
混濁した意識ののなかで色々なことが頭をよぎっているようです。
こんな状態は5日ほど続くのだと聞いています。

今日は4日目、明日もう一日で夫が見ているこの地獄から抜け出せるのでしょうか。
仕事を続けろとは言いませんが、スーツの似合う夫が好きです。
そんな元の夫に戻って欲しいと切に願って、ICUを出て来ました。
夫には過酷な日が続きます。


術後三日

辛い日が続いています。
平凡な家庭に、ある日思いがけないことが起こりました。
我が家のの覚書として、ここでしばらく綴っていこうと思います。
暗い話が続きます?

今日は行った時、お腹のエコーを撮っていました。
ドレーンは抜けていました。病衣も一般の患者さんが着るのだろうと思うものを着ていました。
でも今日は術後、一番辛そうでした。
ICUへ行くと看護師さんから「今日は意識が朦朧としています。奥さんのことも解からないでしょう」と言われました
その言葉どおり、目を開けても焦点が合いません。
痛みの苦しさから、暴れて酸素マスクや点滴の管を外そうとするため、両手にミトンをはめていました。

夫は今地獄をみているのでしょう。そんな夫を横から見ているだけの私も辛いです。
痰を吸引していただいたのですが、口からは、すっきり吸引出来ず鼻からしました。
その時の苦しそうなこと・・・身をよじって苦しみました。
あまりのことに、見ている方も涙がこぼれました。

夫が倒れたとの一報があってから、決して夫の前で涙を流すまいと決めていたのに・・・

昨日、来れなかった長女がこの後で、子どもを連れてきました。先ほどの姿を見せなくてよかったと思いました。
孫は解かったようで、まるで「よく来たな、ありがとう」と言っているように、孫の顔を見て頷きました。

今は、昼夜の区別もつかない夫の術後三日目の様子です。
薄紙を剥がすようでいい、今日より明日、明日より明後日、少しずつ楽になって欲しいと思います。

何分にも救急搬送され、即手術の運びとなったので「入院の案内」のパンフレットがありません。
一般病棟にも病院のパジャマがあるかも知れませんが、帰りにパジャマを買って来ました。
パジャマを用意することで、少しでも早く今の状態から抜け出してほしいという
私の気持ちなのです。


術後二日

2日経ちました。
夫が倒れていなければ、今日は夫婦で埼玉の次女のところへ、行っているはずでした。
明日は幼稚園の運動会です。婿さんが連休に学会で留守と言うので、じいちゃんばあちゃんが、見に行くことにしていました。
可哀そうですが、我が家の一大事ですから仕方ありません。

お父さん子の娘はすぐにでも、飛んで行きたいと言います・・・
来週は何とか都合をつけて来るようです。
神戸空港に降りると、ポートライナーで2つ目の駅の目の前ですから、便利です。



今日は、義理の妹と面会に行きました。

横着な私は一人の朝は、コーヒーを沸かすのも面倒で、今朝はインスタントを飲みました。
妹が来たので、一杯コーヒーを付き合ってもらってから出かけました。

昨日夕方行った義兄の話では、痛がって暴れるので両手をベッドに縛っていたと聞いていました。
そんな夫の姿をみるのは、とても辛いと思いながら、ICUに入って行きました。

点滴の痛みどめを増やしたので、痛みは治まり手は縛っていませんでした。
ただ睡眠薬が利きすぎ、ずっと寝ていました。
目を開けたと思うと直ぐ寝てしまいます。
耳たぶを引っぱったり、ほっぺたを叩いたりしてもすぐ寝ます・・・

お昼はお粥と普通食かと思うおかず、フルーツが出ていましたが、手をつけませんでした。
足は冷たいのに、手は熱くパンパンに腫れています。

3時間の面会の間に2回行くようにしていますが、2回目に行った時、大勢の看護師さんに支えられてベッドから足を下ろしました。
思わず拍手をしました?
でも眠気が勝っています。すぐ首を垂れて前かがみになったり、後ろへバタンと倒れそうになります。

ドレーンからは、まだ血が少し流れています。

再手術があるかないかは状態次第で、まだまだ心配は尽きません。
一日も早く一般病棟に移れる日が来ると、いいなと思います。

搬送された日に着ていたスーツを、持って帰ってきました。
パンツの裾が傷んでいる夏物の古いスーツです。
あの日の朝、もう少し着て処分しようと言って着て出かけたのでした。

処分するとは言えポリ袋に入れて、こんなかたちで持ち帰ることになるなんて・・・
まさかのまさかです?


術後一日

昨日から、家事が全く手つかずになってしまいました。
ICUの面会は12時から3時と6時から8時の2回あります。冷たいようですが2回は行けません。
昨日の長い待ち時間のことを思えば、3時間ぐらい待てなくはないのですが、これから3週間の入院を考えると、やはりちょっと自分の体のことも考えねばなりません。
夫の兄が神戸で商売をしていますので、兄にお任せしました。

帰りは凄く眠かったのですが、いざ家に帰ると眠気が吹っ飛びました。


12時にICUに入って行くと麻酔がさめていました。朝方さめたそうです。
看護師さんによると、第一声は「家内は・・・?」だったそうです。
これは喜んでいいのでしょうね

口の管も人工呼吸も外れ、昨夜に比べると見た目は、ずいぶん楽そうに見えました。
簡単な酸素マスクを着けていましたが、喋る時ずらすと直ぐに酸素不足になり、ベッドサイドの器械がピーピーと鳴りだします。
仕事のことも気になっているようです。無理もありません。

心配した麻痺は今のところないようですが、点滴や他に何本もの管が繋がっているので、あまり動かせません。
全身の血を総入れ替えするほどの輸血をしました。

感染症の心配もあります。緊急な手術でしたので身体清潔に出来ていなかったのです。前日入浴はしていますが・・・術前の処置は完ぺきに出来ていないのです。

手術を3回した私にも経験がありますが、腰が痛い痛いと言っていました。
そして、まだ水分が摂れないので喉が渇く口が乾くと言います。
竹串のような棒に1センチ四方ぐらいのスポンジをつきさしたのを見ずに浸し口の中を拭いて貰っていました。別の看護師さんは水に浸したスポンジを夫に持たせました。吸ったら駄目よと言われるのに吸っていました。


6時からの面会に行った兄から電話がありました。痛みどめが切れたのかとても痛がっているそうです。無意識に>酸素マスクを外そうとするので手をベッドに手を縛られたとも・・・
もしかするともう一度手術をするかも知れないとも聞きました・・・
可哀そうです。


予期せぬ出来事

昨日は夫にとっては人生最悪の大変な一日でした。
まだしばらくは続きますが・・・
取り敢えず夫は命拾いしました。

昨日夫が出かけてから、睡眠不足のため1時間ほど寝ていました。
前夜、眠れなかったのですぐ眠れたのです。どうして夜寝られないのか?かなり不思議・・・

9時40分に夫のケータイから私のケータイに電話があり、出ると夫の声ではない??
しかも神戸市の救急隊員だというのです。
話を聞いてビックリ、夫が事務所で倒れて搬送されたと言います。
意識はあるが急いで病院へ来るようにと言われ、思いついた物をバッグに詰めていると、30分後、今度は診察をした医師からの電話でした。
「一刻を争う病状なので間もなく手術室へ入ります。よろしいですか?云々・・・」
普通手術の前には、各種承諾書にサインをしますが、緊急事態なのでそれらは後回しし、承諾は電話でして、手術を優先するということです。

11時に病院へ到着しましたが、既に手術中でした。看護師さんから、長ければ半日ぐらいかかる大手術ですと言われて、めまいがしそうでした。
それからは時計とにらめっこです。2人の娘に知らせました。私の2人の姉にも・・・
午後には夫の兄にも知らせました。

広い家族待合にはたくさんの家族が待っていましたが、時間とともに段々減っていきます。

夫の病名は「急性大動脈解離」古くは石原裕次郎氏が発症し、最近では加藤茶氏が発症した怖い病気です。
しかもこの病気は元気な人に起こるという・・・素人には不可解な病気です。
人間ドックでもわからないのだそうです。
私のあのアホ兄は血圧が高く40代で「解離性大動脈瘤」になり、綺麗な花畑で、死んだ祖父母から「お前はまだ早い」と追い返されこの世に戻って来たといいます。

夫のは瘤ではなく薄くなった血管が裂けて、突然大出血をしたのです。夫は血圧は少し低めでした。
喫煙によるダメージが大きかったかもしれません。
   
人の目のある事務所で倒れたので手術までの時間が短く、約9時間という長時間の手術のお陰で一命を取りとめました。
今回の手術で心臓上部の血管を人工血管にしました。


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赤い斜線の部分が人工血管です。

ICUのベッドの上の夫は、ドレーンを4本付けて酸素吸入、人工呼吸器、etc.ベッドの周りは信号のように小さな電気が点滅していました。
今頃は麻酔が覚めているでしょうが2~3日は身動きできません。
麻酔が覚めて一番ビックリしているのは夫でしょうね。手足に麻痺がないことを祈ります。

緊急手術のため今後問題が出てくることもあるそうです。

昨日の朝普通に食事をして、元気に出かけた夫の面影はありませんでした
夫が大変な時に冷静にブログを書いている変ですね・・・
でも家事は手につかないし、何かしていないといられないのです??

ICUは12時から3時まで面会時間です。少し買い物をして出かけます。
私は大丈夫ですよ?



貝色々・・・(オウム貝追加)

「西宮市貝類館」へ行きました。

安藤忠雄氏設計の建物です。
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大きいのから小さいのまで色々な貝がありました。

《オオシャコガイ》
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↑の貝は↓な小さな貝を一面に敷いた上に展示して
あります。

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《クモガイ》
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《エントツガイ》白い長い貝です。
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貝ボタンを作る《シロチョウガイ》  
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    《オウム貝》
   オウム貝

     
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  窓の外には海洋冒険家の堀江謙一氏の
《マーメイド号》があります。
窓越しでしか見られず全体が撮れませんでした。これは結構大きいマーメイド号ですが、すぐ近くのマリーナには小さなマーメイド号があります

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  そして見学の記念に、色々な小さな貝の中から好きな貝を一個いただけます。

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前に孫を連れて行った時、孫は細長い小さな巻貝をいただいてきました。



10月になりました(2011年)

地デジ完全移行して2カ月あまりになります。
そして10月からBS放送が、今までの12から24になりました。
そんなに増えても、そうそう見たい番組がたくさんあるとは思えないのですが・・・?
しかも有料チャンネルが多いし、高いし・・・?


   ????************???? 

昨日は空がとてもきれいでした。
朝、家を出た時から気になっていましたが、デジカメを持って出るのを忘れ残念でした。
雲はすばらしい芸術家だと思いながら空を眺めていました。
夕方帰ってから、デジカメを持って外へ出たのですが、あんなに綺麗だった雲は流れていました?

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特に秋の雲は色々な表情がみられて好きです??

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確か去年も書きましたが、最近の金木犀は近くまで行かないと、咲いていることに気付かないほど、匂いがしません。この辺りだけかも知れません。
春も秋も花粉症のある鼻ですが、嗅覚は敏感です。匂いが薄くなり、どこからかほんのり匂いが漂ってくるということがなくなりました。
大気汚染の影響でしょうか