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マーク

車につけるマークの車椅子マーク、若葉マーク、もみじマークの3つは広く知られている。他にクローバーマーク、ちょうちょマークもあるが、あまり知られていないのではないだろうか?
クローバーマークは肢体障害者が運転手だと言うマーク、そしてちょちょうマークは聴力障害者が運転手だというマーク。
勘違いの多いのが車いすマーク、これは本来建物や場所につけられるものでバリアフリーのお知らせマークなんだそうである。車に貼ってあると車いすのまま車に乗降するというお知らせだそうである。デイサービスの車や福祉施設の車などにはほとんど付いている。
大きく改造していない車には車いすのままは乗れないのでクローバーマークを付けるのが正しいのだそうである。しかし大概の車いすマークを付けた車には車いす使用者でない運転手が載っている。車いすのまま車に乗らなくても、車から降りたら車いすを使う運転手はこのマークを付けたらいいと思う。
もっとハッキリした線引きがあるのかも知れない。
ちょうちょマークは先日SAで初めて見かけた、何のマークか知らなかった。aozora@が知らなかっただけで他の人は知っているのだろうか?

4枚目は、2月1日に改定される高齢者のマーク


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予定どおり

両親の面会に行って来た。
今日の父はご機嫌だった。父が歌をうたっているのを聞いた記憶があまりないのだが、今日は何かしら口ずさんでいた?
母は変化のない生活のなかで新しい出来事もなく、今までに聞いたことを繰り返し話している。
母のいるホームを出て5分ぐらい走り、足湯に入ってきた。

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高速料金1000円はここも滅多に見ないほどのお客がいた。

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水虫の足も入っている足湯   aozora@

SAに入る前に阪神高速は、深江先頭で19キロの事故渋滞の情報が表示されていたので、SAでゆっくり休憩をして帰って来た。
高速料金1000円の日はやはり通行量が多い。淡路鳴門自動車道は料金が高いので仕方ないが、実際にはどこがどれだけ潤っているのだろう。
SAが潤っているのは間違いない。帰りの淡路SAは車がいっぱいであった。

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  ライトアップされた《明石海峡大橋》


両親のこと part3  

今回は兄が結婚した昭和43年からのことを書いてみよう。

重い内容が続きます。

一人息子の兄は実家に久々に産まれた男児で、曾祖母がネコかわいがりをしたと言う。やんちゃ坊主の息子を父が叱ろうとすると、この曾祖母が父の前に立ちはだかって「〇〇を怒るなら叩くならこの私を叩いてくれ・・・」と言ったと聞く。
すべてがこんな感じで大事に、甘やかされて育ちろくな男にならなかった。
この曾祖母は88歳で逝った。

幸か不幸かどうみても長寿の家系である。


兄が結婚した時は、祖父母が健在であった。もちろん同居である。
新婚旅行から帰った嫁に母は「若い時はいくら寝ても眠いものだ、早く起きる必要はないからゆっくり起きて来たらいい」と私の目の前で言った?ä母にすれば養子娘の自分は親の苦労をしていないので、嫁にも苦労をさせたくない。それに出来の悪い息子にせっかく来てくれた嫁を大事にしたい、そんな気持ちであった。
そして言葉通り朝はゆっくり起きる生活が始まった。

起きるのは遅かったが、食事の用意は手早く味付けもよく料理上手であった。農家の嫁としてもよく働く働き者であった。みんなで大事にした。
そのころ祖父も両親も畑仕事の合間をぬって仕事に出ていた。
祖父母は30数年前に亡くなった。

みんなが働きに出るからか、結婚後一度も働きに出ることはなかった。言ってみれば世間知らずである。よく働くがよく病気もした。
30年ぐらい前に家を建て替え、そのころから家の財布は嫁に渡った。両親はずっと働きに出ていて、その収入のほとんどは家に入れた。

結婚後10年ぐらいは上手くネコをかぶっていたのだ。

目に見えて様子がおかしいと感じるようになったのは17~8年ぐらい前だったか・・・
母がいやに嫁に気を遣うのが見てとれた。
我々が顔を出すのがいけないのかと思うようになり、気にはなりつつ足が遠のいた。

今年100歳になる父は85歳ぐらいからゆるやかに認知症になっていった。畑仕事も出来なくなった。この頃から両親は辛い思いをしていたようだ。

置き去りにされる何年か前に、兄から電話がかかった。開口一番「もう年寄りの面倒はみない。引き取りに来い!」3人の姉妹の中で私だけが車に乗るからだろう。その手のことは末っ子の私にかかってきた。妹ということもあっただろう。
その時は長女がしばらく預かるつもりで息子と迎えに行った。が結局父は来なかった。

母には妹が2人いる。大阪にいる叔母も大体の事情が解っており、姉である母に会って話がしたくても出来なかった。そこで叔母が淡路で両親と娘3人と、女のいとこの計11人でどこかで泊ろうという話になり淡路で宿を取った。
その時、兄嫁は自分を誘わないと言って文句を言った。集まるメンバーをみれば自分が参加できるものかどうか解ると思うのに怒った。両親といとこの集まりなのに怒った。怒りを鎮めるべく遅ればせながら誘うと「今回は遠慮する」とのたもうた・・・?

何度も我々娘は両親を旅行に誘ったが、遠慮し「忙しい」を理由に実現しなかった。
実権を完全に握り、お山の大将になった嫁に兄も両親も手が出なかった。

母の遠慮解ってますかお義姉さん   K



両親のこと part2

話しあうことを知らない困ったちゃんの兄である。

話は両親が置き去りにされる前にさかのぼる。

この頃のことを思い出すと泣けてくる。

置き去りにされる2週間前、母は貧血で入院した、入院を勧められた母は、「嫁の許可をもらわないと自分では決められない」と言った。
一緒に行っていた私が電話で連絡をし、なんとか許可を得る。

退院の日「家に帰るのが辛い・・・」とおいおい泣いた。
自分の産まれた家に帰るのが辛いと、泣く母に私も姉も言葉がなかった。
なんとか気を晴らせてやりたいと思い、市内の有名なしだれ梅を観に連れて行った。
しかしこれさえも嫁の気に入らなかった。
退院の帰りに遊びに行くとは何ということだと?ä?
そして、頭が下を向くほど腰がまがっている母に「そんな姿になってもまだ入院して生きていたかったのか・・・」と暴言を吐いた嫁。
日常的にこんな暴言を浴びせられていたのである。

そしてその次の日置き去りにされたのだった。
その後、67日我が家で過ごした。

そしてpart1である。

市役所からの入所決定の知らせを受け、それまでの10日間をまた我が家で過ごした。
兄夫婦も両親を施設に入れようと市役所に行ったことがあったらしい。しかし手も目もある大家族では叶わず却下された。
まして所帯主の兄や姉が行かずに息子の嫁が行った。ここは兄夫婦が行かねば・・・・
その経緯があり、我々の相談から入所が決まったことに怒り狂う兄夫婦とその息子。
自分たちがしたことに気付かないのだ。

感謝されても叱られる理由はないはず。
大事にしていた親を、横から他人ばかりの中に放り込むのではないのだ。
邪険にされ口汚く怒られ続ける両親を、保護する目的で入所させるのだ。
なんとかこれから先、安全で安泰に過ごさせてやりたいのである。
市も家族からの暴力から救わねばと、驚くほどスピーディに入所を決定したのである。
解っていない・・・・?ä?

両親が施設に入ることに納得しない一家、おかしな話である。
日常的に暴力を振るっていたことは、父の身体にも心にも残っていた。姉の家に行った父は「○一(息子)が恐ろしい」と身を震わせた。

デイサービスでお風呂に入れてもらう時、腰の痣を見た係りの人が父に聞いてもハッキリせず、母に聞いたことがあると言う。これは父がほんとに解らなかったのか、或いは息子から暴力を受けたことを恥じて、隠したのかはわからなかった。
母には解っていたが、この時点ではまだ、父が言わないことを母も言わなかったのだ。

入所は4月20日、私の誕生日だった、前日「簡保の宿」で親子5人で泊った。父は忘れているが、母はよく覚えており、いい思い出になった。母とお風呂に入っていた長姉が出てきて言った。「何と他人さんの親切なこと?」脚腰の悪い母がお風呂に入って行くと、見ず知らずの方がわざわざ浴槽から出てきて、手を差し伸べてくれたと喜んだ。

他人だから出来るのかも知れない。毎日一緒に暮らしているとうっとうしいだけの邪魔者なのかも・・・
ただ両親も昔から年寄りだったわけではなく、みんなが順番に歳を取ることを忘れてはいけない。

翌日から両親は施設で、10日間の泊りのデイサービスからスタートした。
その間3回、両親、4人の子どもと嫁、孫、そして施設の所長、職員、市役所の担当者、ケアマネージャーと話し合いを持った。
これは我々身内だけでは話が出来ない困ったケースということである。

嫁はみんなの前で「年寄りとはもう一緒に暮らせない」ときっぱり言い放った。
その横で「お前たちが勝手にしたこと、わしは知らん」とまだ言うアホな兄?

結局申請は兄がするということで、落着し今に至っている。
そして条件として兄から「両親のこと、実家のことに一切口出しをしない」旨の誓約書を書かされた。それ以来音信不通である。

元々口出しはしていない。
母がまだ元気で若いころから「これから歳を取って寝たきりやそれに近い状態になることがあるかもしれない。そんな時、たまに帰ってくる娘たちは「ああしてやればよいのに、こうすれば・・・ということを一切言わないように・・・」とくぎを刺されていた。
3人はそれを守って来た。
しかし、虐待、置き去り事件に関しては口をつぐんでいるわけにはいかなかった。

我々3人の姉妹は月に大体2度は面会に行くが、地元にいる兄夫婦は行かない。
その方が両親の心に波風が立たずいいだろう。


施設に入って3日目か4日目に母に届けるものがありホームに行った。出て来た母は数年来見たこともないほどの笑顔で開口一番「ここにいると天国じゃ」と言った。?朝はこちらから言う前にお早うの挨拶をしてくれる?こんなことで年寄りは喜ぶのである。
施設に入れて本当によかった。
父の顔もずいぶんと優しくなった。
どの職員さんもにこやかによくしてくれる。

実家にはなかった両親の笑顔が、このホームで戻った?感謝してもしたらない。
約半年で父はホームを出て病院暮らしになったのは残念である。


ホームに親捨てて来たのじゃありませぬ   K  
これ以上曲がる余地ない母の腰     K

両親が無事施設に入った時から、いずれ必要になるかもしれないと、3人で年金の支給月に積み立てを始めた。
両親の命の火が消えるまでは続けていこうと話している。


お香

PCの前に座るとまずお香を1本?く

大切な私一人の香を焚く  aozora@

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   お気に入りの「梅」

お香が好きになったのは5年ほど前だろうか、友人と長浜へ一泊旅行した時、鼻をくすぐる匂いに魅せられお香と香皿を買った。アロマオイルとは違う煙に魅せられた。

私へのご褒美お香買ってくる  aozora@

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薫寿堂さんhttp://www.awajishi-kanko.com/spot.php?id=14でいただいた香立てと「すずらん」


それから色々のお香や香皿を買った。香炉のような高価なものではない。お手頃な物であるが、癒しには充分である。一日に何本も?いて癒された。この時期は、長女が鬱を発症しリストカットを繰り返した時期と重なる。
この件では、さすがのaozora@も不眠症になり睡眠導入剤なしでは眠れなかった。

鬱の娘(こ)の治る保障のない治療   aozora@

香?いて自問自答の夜が更ける    aozora@

お香を?くと少し落ち着ける気がした。たくさんお香を?いていた時期は、外出から帰り玄関を開けると、家の中にお香の匂いが充満していた。

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↑は前にもUPした「お香作り体験」で作ったお香。今年のお正月のためにウサギを残しておけばよかった?

お香作りした手についてくる匂い    aozora@

長女の鬱はまだ治らないし、まだまだお香の煙に燻され癒されたいと思う。抹香臭いaozora@である。


両親のこと part1 (歯抜け日記です)

どなたが見ているかもわからないネットの世界で、全てをあからさまにするのには不安がある。兄夫婦はPCを触らないが、甥は触る。だれかを通じて知る可能性もあることを考慮し、歯抜けにしました。
両親が天寿を全うし、父が建てたお墓に無事入るまでは、兄夫婦や甥に知られるとまたひと悶着が起きるのは必至、それまでは・・・・・・・・・

両親のことは2月にUPするつもりでいたが、ーーーーーーーーーーーー 当たったことが、判ったので何回かに分けて書いていこうと思う。

実家はその当時、ーーーーーーーーーーーーーーーー人家族という田舎でも今時、珍しい大家族であった。世代の違う大家族の中で色々問題があるのはよく解る。っがしかし人間の心を持って、して良いことと悪いことはある。
病気がちの兄夫婦にとっては長寿の両親が邪魔で仕方なかったのであろう。
その邪魔者扱いをしている両親の、わずかばかりの年金をーーーーーーーーーーーーーーである。

両親は4年前の2月の26日、誰もいない我が家の玄関に置き去りにされた。実家からは何の連絡も前触れもなしに、荷物のように置き去りにされた。

実家から荷物のように親届く    K

宅配便でも、留守伝票を入れて再配達をするというのに置き去りにしたのは、可愛がってもらった孫(兄の長男)である。認知症の父と足の悪い母を置き去りにすればどうなるか考えが及ばなかったのだろうか? ーーーーーーーーーーーまだその時の父はしっかりした脚をしていた。
私が母を大、阪の姉が父の面倒を、落ち着くまでみることにした。
ほぼ着の身着のままで冬の寒い中、娘の家の玄関に置き去りにされた母の悔しさ情けなさを知る由もないのか、実家からは母がいた約2カ月の間、一本の電話も寄こさなかった。
今まで話さなかった ーーーーーーーーーーーーーと母の口から聞いた。こんな酷い仕打ちに耐えてきたのは知らなかった。このころの母は記憶が鮮明でその鮮明すぎる記憶力さえ、兄夫婦の気に入らなかったのである。
食事は一緒のテーブルに着けず両親だけ後からだった。毎朝「お早うさん」の挨拶に応えてくれるのは孫の嫁さんとひ孫だけで、兄夫婦も孫も知らん顔・・・・こんな状態の実家に我々も電話をかけるのも躊躇した。

この年の夏、次女が第一子を出産する予定であり、出産後はしばらく我が家に身を寄せることになっていた。娘が来るまでは面倒をみるつもりで、ーーーーーーーーーーーーーーーー準備をしていた。
ところが母は、「デイサービスなら今まで行っていた田舎で行く」と言うので3人の姉妹で相談し、神戸の姉と一緒に取り敢えず母だけを連れて帰った。

車から降り庭に入ると兄がいた。じろりと睨んだ口から「帰ってきてもいいとは誰も言ってない!!」と信じられない言葉を聞いたーーーーーーーーーーーー叱責した。

それでも兄嫁が帰ってくればなんとかなるだろうと、気がかりながら実家を後にした。悔しかった、情けなかった。この日は何とかなっても、産まれた家のどこにも母にも父にも居場所のないことは判った。
その足で市役所に行き両親のことを相談したのだった。

わたしも姉も、年寄りと言えど人権があり、あの兄の言葉や、荷物のように置き去りにされるなど、人権を無視するのも甚だしいと思った。市役所の福祉課の方が詳しく真剣に我々の訴えを聞いてくれた。そして市役所の決定は我々姉妹がビックリするほどスピーディだった。「老人虐待」と取ってくれたのだ。
色々考えれば老人虐待そのものなのである。そして早速特養の入所が認められたのだった。
決定の連絡が入ったのは、市役所に相談にいって4日目だった。

決定したことでまた一波乱があったが、また後日書くことにする。

っでその鬼のような、否鬼そのものの兄夫婦に当たった罰とは・・・・・
兄嫁に新たに癌が見つかり、ーーーーーーーーーー発症したのだと言う。そして孫夫婦が出て行ったとも・・・これは病院で兄夫婦に出会った、叔母からの情報である。

神様はよく見ておられたのだ、意外に早く当たった罰・・・・
恐らくもう農業は出来ぬ身体になるであろう兄嫁と、たいして仕事をしない兄。さてこれからどうなるのだろう?
願わくは2人にもう少し年齢を重ね、歳を取るしんどさを味わってもらわねばならない。

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   お香《ラベンダー》



いよいよゴール

吉本興業の間寛平さんが、今日40,000キロの偉業の冒険の旅から大阪に帰ってくる。
大阪人気質か、ただの野次馬体質なのか大騒ぎになることだろう。
広島あたりで交通渋滞を引き起こすなどで、その後は4時半とかの早朝出発をし、裏道を走っていたようだ。
頑張っている人を一目見たい気持ちはよく解るが、ランナーに握手を求めて近づいたり一緒に走ろうとしたり人色々・・・
ゴールテープを盗む人・・・・困ったちゃんである。
自分のペースで思うように走ることが出来ないのは疲れが倍増するだろう。
人気者は大変である。

寛平ちゃんお疲れ様でした。



私の天下

本日より夫は平常通り出勤、ご苦労様です。従いましてaozora@の天下です礭尤も夫がいても80%ぐらいはaozora@の天下なのですが・・・?
こんなのんきなことを言っていますが、夫とて命ある限り出勤出来るわけではありません。
夫婦で毎日が日曜日になる日も近いのです。
とりあえずは平和なaozora@天下です。

初詣のおみくじは「吉」でした。

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特にUPの必要はないのですが、滅多におみくじを引くことがないので
病気 長引くが良くなる。神に祈れ
なくし物 見つかる。
はい神様にお祈りしましょう。
方角  東南
まさにプールのある方向です。よっしゃ・・・?営業は明日から、行くぞ!!
  


初詣

お正月も3日目になると明日からの夫の出勤が待ち遠しいФ
三日目はトースト食べるお正月   aozora@

昨日の午後初詣に行った。車で出て思いついて「西宮神社」まで足をのばした。午後3時を過ぎてはいたが予想通りの大混雑である。離れたところに車をおいて境内へ向かう。周辺の駐車場は当然ながらどこも満車である。境内へ近づくと屋台屋台人人人・・・

↓十日戎には一番福目指し男性が疾走する《赤門》
  
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人にもまれながら本殿へ、境内に入ると意外と人が少ない。
↓有名な《逆さ門松と本殿》

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お賽銭を入れ色々とお願いをして手を合わす

それから予定通り「甲子園素盞嗚神社」へ、ここは人は少ない。それでも普段に比べると次々人が訪れる。タイガースの選手がお参りすることで有名?な神社。甲子園球場のすぐ南に位置する。
  

  《本殿》
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  奥に見えるのは甲子園

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  一見猫のように見える大絵馬


準休日スタイル

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お正月の三が日は何がなんでも駅伝を観る夫。今日から夫婦二人の普段の生活の、我が家の休日スタイルである。休日スタイルとは、夫が先に起きて?を沸かしトーストを焼いて一人で朝食をすませることであるが、お正月なのでコーヒーの代わり?にアルコール、トーストの代わりにお節等を食べたのだろう?遅く起きてきた私はやはり?が飲みたくて今沸かして飲んだところ(もちろん2人分)である。

昨日は、お参りに行ってないので、タイガース神社へお参りに行って来よう。


2011年です

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明けましておめでとうございます
本年はもう少し更新をこまめにしたいと思います。
そして少し文体を変えてみようかとも思っています。
どうぞよろしくお願い致します。

お雑煮のお餅を2個食べました。我が家のお雑煮は、田舎風の素朴な味噌仕立てのお雑煮です。
毎年夫の実家からお餅が届くのですが、今年は届きませんでした。義兄が入院中なので致し方ありません。そこでスーパーのパックのお餅を買いました、結構伸びて美味しいものですね。

孫はお年玉を持って出かけました。母親と映画「相棒」を観るのだそうです。そして買い物もするそうです。さて何を買ってくるのでしょう。

カニ大好きっ子は夕食のカニを食べたら帰るのだそうです?