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薬が多すぎる

@十七錠
十七錠の薬を飲んで生かされる  タンポポ
朝食後の薬です。
2011年の10月に倒れた夫は、今もたくさんの薬を飲んでいます。
この他に腎臓のためにアーガメイトゼリーもあります。
そのために便秘の薬も入っています。
これだけの薬を飲み命が助かったことを、素直に喜べない日々が
続いているのです。
大の男、否爺さんが体重48.6キロだそうです。
何より急性大動脈解離の術後一年後に、感染症で倒れたのが
尾を引いています。
それが無ければ、今ほど苦しい生活を強いられなかったと
素人判断で思うのです。
上の画像の中には、先日親不知を抜いたために処方された
薬もあります。
↓何度もアップしている画像です、お見苦しいですが・・・。
@胃管胸骨前
古い画像ですが「胃管胸骨前手術」後の画像です。食道ガンでもないのに、食道を抜去後、3ヶ月口から食べられず、胃瘻、腸瘻をしていました。
今はこの時より痩せています。
そして塩分・カリウム・タンパク質の食事制限があります。
後何年生きられるのか、解りませんが九年目になりました。
その間手術は11回、入院は500日を超えました。
何とか今は、自宅で過ごせていることに感謝です。
病む人を今も好きかと自問する  タンポポ
後1ヶ月すれば結婚50年です。どうやら金婚式を迎えられそうです。

神戸マラソンと緊急外来の思い出

今日は神戸マラソン、2万人の募集に8万人の応募があったそうだ。
神戸市役所を9時にスタートして西へ西へ走り、明石海峡大橋の下で折り返し
神戸ポートアイランドでゴールする。

  


      神戸マラソン祭り騒ぎの二万人  タンポポ


       神戸マラソン


                ※画像は無料素材屋さんからお借りしました。



もう7年前のこと。朝起きた夫が熱があると言うここ
この日も神戸マラソンだった。

     ♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪

夫の病気に関するブログは今まで「病気・医療」のカテゴリに
入れていましたが、新たに「夫の病気」カテゴリに少しずつ移動しています(^_^;)


転院

夫は7年間お世話になったこちらから、自宅に近いこちらへこの度、転院しました。
あちらでは何度も命を救っていただき、500日もの入院をしましたが、現状より
良くはならないことで、通院の負担を減らすべく転院したのです。
細かいことを言えば、通院にかかる交通費も全然違ってきますし、何より体への
負担が違います。
死ぬまでこの病気と闘わねばならぬ身で、この先もっと年齢を重ねることを
考慮したのです。
転院先は電車で3駅と近いのです。帰りは散歩を兼ねて徒歩で帰って来ることも
しばしばです。
おそらく7年前自宅で倒れていたら、ここへ救急搬送されていたでしょう。
ここは30年余り前、人口鼓膜の手術をした病院でもあります。

昨日は、各種検査と心臓血管外科・腎臓内科の2科受診でした。
朝から出かけ、検査のため昼食抜きで診察が終わったのが、5時過ぎだった
ようで、お腹を空かせたままでした。
診察が終わったと連絡があり、迎えに行きました。
当初の予定では、処方箋FAXを送った調剤薬局へ薬を受け取りに行く
つもりでしたが、空腹でフラフラしているのを見かねて、自宅に戻りました。

何分にも1/3しかない胃は、一度に食べられる量が少なく食事を一度
抜くことは体力的に無理があります。
またお腹が空きすぎても食べられないのです。

厄介な病人ですがいなくなったら困ります。
この年になると、どちらが先に逝くかは解りませんが、
病気と向き合っていくしかありません。
万が一、また入院をしなければならなくなった場合も、ここなら
私の負担が軽くなります。

夫の体調

今朝の体重は49.6キロだと言う夫。
大の男、否ジイさんが50キロを切っては、そりゃあしんどいと言うもの。
夏が越せるかどうか心配になってくる。
5年前193日の入院を終えて、退院したときは46キロだった。

朝食後、扇風機を出すと勢い込んでいたので、
クロゼットの上段から、おろすのを手伝った。
その後しばらくして、音がしなくなったなと思った。
疲れて寝ているのだろうと思って見に行くと、やはり力尽きて
ベッドで寝ていた。ビックリするほど体力がない。
これが11回の手術で体中傷だらけになり、それでも何とか生きている
74歳の哀れな老人の姿なのだ。

何度も書いているが、MRSA感染症があり食道抜去、食道再建胃管胸骨前手術を
受けた身体は、今より良くなることは望めない。
現状維持で体力を温存するしかないのだ。
悔しいがこれが思ってもみなかった、我が家の老後の姿である。

          @R0024334@.jpg


↑の写真は6月1日に撮ってくれと言われて撮ったもの。
遺影か?と冗談を言って撮った。

病人との暮らし

愚痴です<(_ _)>

夫の体調がすぐれない。
このところ朝食が食べられず、牛乳だけ飲んではまた
ベッドで寝ていることが多い。
大手術をして、助かったのは余程の強運の持ち主だと思うが
生かされているのも、非常に苦しい。
最初に倒れて一時、20キロも体重が落ちたので全身の筋肉が落ち
体力も落ちた。骨も痩せた。口元から顎にかけても痩せた。
そのせいで顎関節が外れるようになった。

昨日は、大学病院の歯科口腔外科に行った。
感染症があるため開業医では断られる。
一時間ぐらい治療をしていると、終わった時、顎関節が外れて
口が閉まらなくなったと言う。
そのせいで物が噛めず、夕食は2時間かかって食べたが
完食に至らなかった。
塩分、カリウム、タンパク質の制限がある身に、これ以上
どうすれば良いのやら?
 
声はあまり出ないし、顎はこんな具合だし、食道癌でもないのに
食道再建胃管胸骨前手術した身体は、見るも無残な姿をしている。
この手術の原因になったのはここ
この吐血したとき、食道抜去、ステント挿入、胃瘻、腸瘻、の手術をし、
5月1日から8月15日まで、口から食べ物を摂ることは出来なかった。
ただ食べられるようになったとき誤嚥を防ぐために、口に入れる練習はした。
それは喉のあたりに付けた袋に出てきた。
それでも命を繋いだ。

MRSA感染症のせいで、4年前から胸に穴が開いている。
毎日お風呂上がりに、薬を塗ってガーゼを当てテープを貼る。
いくら肌に優しいとうたったテープも、毎日貼っているとテープかぶれが
酷い。テープを貼るところがないほど全体にかぶれる。
恐らく死ぬまで治ることはないだろう。
毎日手当をするのも疲れる。

とは言っても、夫に頼りっぱなしの古女房は、さっさと先に逝かれても
困るなと思う。
夫とも病とも気長に付き合うしかなさそうである。はぁ~~!


↓お目汚しですが・・・胃管胸骨前手術画像  2013/11/16

         @IMG_1053.jpg


旧作から
   病む人を今も好きかと自問する  タンポポ


高カリウム血症

夫は最初の病気で倒れた時、裂けた大動脈からの大量出血で
左の腎臓が機能しなくなった。
それ以来減塩に努めている。

しかしその後いろいろあり、カリウム制限タンパク質制限と、いったい
何が食べられるのかと思うほどの食事制限がある。
そして時々高カリウム血症になる。
生野菜は水に浸けておけるものは一時間浸けておいて食べる。
後は加熱した野菜である。
大好きなフルーツもNGであり、もっぱら缶詰を食べている。

そんなにしているのに昨日の採血の結果、カリウムの値が6.8だったらしい。
2月に緊急入院した時は7.0だった。
もっとも2月のこのときは、毎朝果物を食べていたので当然の結果だろう。

しかし今回は全く腑に落ちない。
これ以上どうしろと言うのだろう?

昨日は検査のみだったが、受診をすれば即緊急入院だったかもしれない。

夫がまだ帰宅しないうちに病院から電話があり、詳細を知らされた。
来週は受診日、診察後帰って来られるのだろうか。嫌な予感がする。

またしても

夫が入院をした。
2011年の10月以来、もう何回目の入院なのか、本人も私も定かではない。

昨日、感染症内科の予約があり、一人で出かけて行った。
受診の前の採血検査で引っかかってしまった。
カリウムの数値が2週間前に比べて、上がり過ぎていた。
結果を見た主治医の顔色が変わったという、それほど高くなっていたのだ。

そして急遽腎臓内科の専門医を受診したという。
実はこのところ、足の甲が腫れているのが気にはなっていた。
たぶん腎臓から来ているのだとは思っていた。

腎臓は最初に倒れた急性大動脈解離で、左の腎臓の機能を失い
右の腎臓だけで頑張ってきた。
減塩、カリウム制限の食事を心がけていた。

夫の兄も姉も透析治療をしていたが亡くなっている。
長男も透析をしている、素人考えでも腎臓の悪いDNAが濃いのだと思う。

昨日の状態では一時的な透析も考えられていたそうだが、それは何とか
避けられた。
数値は少し改善しているが、ベッドから降りられない。
救急病棟から一般病棟に移る前体重を測った。
立ち上がるのは禁止なので、身体をシートのようなものに包んで
ゆりかごのように、ぶら下げて測っていた。

一般病棟に移動した。以前長い間お世話になった病棟であり、看護師長さんが
おかえりなさいと挨拶に見えた。
救急病棟でも何度もお世話になっており、やはり覚えている?と挨拶をしてくれる
看護師さんがいたしうだ。
あまり長居をするところではないなと思う。

取りあえず月曜日の検査結果を待って、退院か否か、また今後の治療が決まるらしい。

我が家の今年の目標は「入院をしない」だったのだが、今年もあっけなく入院をしてしまった。
今回だけで済みますように・・・。

5回目の記念日

記念日と言うものは、えてして良いことがあった日のことであろうと思う。
しかし夫が言う、我が家の記念日の一つは自分が死んでいたかもしれない
2011年10月6日のことである。
興味のある方は、この月のブログあるいは、病気医療カテゴリをご覧ください。
前のブログから引っ越していますので、見難い部分があると思います。

生まれて初めての大病で、運よく命をつなげたのだから、記念日だと思う。
ただこの時の病気だけだったら、今程苦しい生活をしなくて済んだ。
一年後の感染症発症に始まり、その後、何回もの全身麻酔の手術をしたせいで
声がほとんど出なくなった。
声を戻す手術や声帯に注射をしたが、思うようには戻らず会話には、難儀している。
とにかく息が続かない、声が掠れる・・・電話など非常に困る。

先日出かけて帰って来た時「今あなたが一番欲しいものは何ですか?」とカーラジオから
聴こえてきた。
そこで夫に「何が一番欲しい?」と聞くと間髪入れず「声」と返ってきた。
健康な身体と返ってくると思っていた私は、普段意識することなく発声している
声の大半を失った夫の不便さを、再認識したのだった。

73歳、4年半で500日の入院をし11回の手術をした身体は、ボロボロです。
手術の中でも、13年8月15日の食道再建胃管胸骨前手術は心身ともに
大きな大きなダメージを与えました。2011年10月の出来事がなかったら今ほど
苦しい老後を送らなくてもよかった・・・・と思うのです。

        @IMG_1054@@.jpg

真ん中の傷痕の上の方に、感染症のため直径5ミリほどの穴が、
3年ぐらい開いてふさがりません。
現在はもっと痩せています。大の男の体重が44キロ~45キロです

結婚して47年目、今後も夫にはこの苦しい生活が続きます。

羨ましい健康

何度か書いたが、去年から2年間自治会の役員をしている。
戸数380戸余りの自治会はなかなか大変である。
以前は自治会も管理組合も夫任せだった。
しかし人工血管再置換後、何回もの全身麻酔のため、ほとんど声が出なくなった夫に代わり、
私が出るようになった。
役員はほとんど60代~80代で構成されているが、みなさんお元気である。
夫と同年代の方の元気が羨ましい。

11回もの手術に、かろうじて耐えた身体は、奥の深いところから悲鳴をあげている。
体重はここのところ減少傾向で45キロ~46キロの間。
大の男がこの体重では、自分の身体を持て余すのも無理はない。
4年10ヶ月前までは、こんな老後になるとは思わなかった。

声は3回の手術で出るようにはなったが、満足のいく声量ではない。
相変わらず掠れていて、聞き取り難い。

11年10月に倒れていなければ、否.一年後、感染症MRSAに罹らなければ、
否々大量の吐血さえしなければ…と悔いは尽きない。
あんなに元気だつた人が、20キロも痩せて全身の筋肉が落ち、
見るに耐えない憐れな裸体を晒す。
そりゃあね、72歳の老人だもの、若者の肉体美の足元にも及ばないけど。
でも老人は老人なりに健康ならば、それなりの身体だと思う。

おまけに感染症の影響で、もう3年もの間、胸に開いた直径5ミリほどの穴が塞がらない。
したがって、真冬のどんなに寒い日でも、肩まで浴槽に浸かることが出来ない。
毎日薬を塗ってガーゼを交換し、テープで止める。
いくら肌に優しいと謳ったテープでも、3年も毎日毎日テープを貼っていると
肌がかぶれる。もうテープを貼る場所もない感じになっている。
でもガーゼを止めるにはテープを貼らないといけない。

3分の1になった胃は、食べ物を一度にたくさん摂ることもできない。
そして健康な胃には入り口に弁があるのだが、それがないため
お腹が空いても満腹になっても、胃液が上がってくる。
もう少し楽に暮らせたら夫はもちろん私も楽なのに・・・。
塩分とカリュウムの制限もある。

元気なシニアがつくづく羨ましい・・・。

退院

28日の午後予定通り退院をして来た。
午後のリハビリ後の退院なので、リハビリルームへ行き、
リハビリの様子を見る。
年配の先生も出勤しており、リハビリは順調であり、退院後の
通院リハビリの必要はないとのこと。
先生に「自転車禁止令」を出して貰おうと思い、話した。
すると「自転車に乗るのに必要な筋肉が、落ちているので禁止令は出しました」
「今自転車に乗るのは、また怪我をしに行くようなものです」とのこと。

やっぱりそうなんだ。買ったばかりの自転車が勿体ないなどと言っている
場合ではないのだ。

昨日は図書館、今日は散髪にと慣れない杖を持って出かけて行った。
大の男が48キロしかない体重は、身軽で動くのは楽なようだ。

はあ…

明後日、退院がほぼ決定。
何だか色々考えるとしんどい。

担当のPT(リハビリ)の先生が、昨日から休んでいる。
リハビリの初日から、この先生についている研修生が
一人で、担当している。
退院前に、まだ一人前ではない研修生1人でのリハビリは
心もとない。
どうやらインフルエンザらしい。
インフルエンザでは退院までに、復帰出来ないだろう。



そして退院したら「金輪際入院の付き合いはいたしません」と言ってやろう。

11回目の手術

昨日、人工骨頭と臼蓋置換の手術を無事に終えた。
今回の手術は素直に私の忠告を、聞いていたら避けられた手術。
整形外科と言う、夫には初めての分野の手術である。

待つ方は11回目といえども、決して慣れるものではない。
そのたびに肩に力が入り、時計とにらめっこをするのである。
手術時間は3時間、予定通り終わりホッとする。

11回目の手術と言うと医療従事者でも、みなさん「ほ~・え~」と感心?される。
それはそうだろう。
しかも11回目の手術が11日なんて洒落にもならない。

そして今日の午後から、早速リハビリが始まった。
長さ3Mぐらいの平行棒に掴まって片道だけ歩いた。
先週水曜日の夕方から、じっと寝たまんまだったので、脚の筋力がかなり落ちており
足元は非常におぼつかない、それでもなんとか歩けたのでよかった。

明日からしっかりと、リハビリに精を出してもらわねば。
この病院は急性期の病院ということで、入院期間は2~3週間。
その間、かなり歩けるようになっておかなければ・・・。
2~3週間で退院なのか、あるいはリハビリ病院へ転院なのか、まだ
ハッキリしたことは解らない。

退院

29日(火)の午前中、無事退院をしました。
声の方は今までと比べ物にならないほど出ていますが、やはり今までの声とは少し違います。
そして声の切れが悪いです。やはり完璧とは言い難いのでしょう。
本人も第一声の前に、ス~と息が漏れる感じがするといいます。
それでも語尾の掠れはほとんどなくなったので、聞き取り易くはなりました。
これ以上の贅沢は言えません。

また一つ、よく見える場所に大きな大きな傷が出来ました。
手術直後は喉にびっしりとテープを貼っていましたが、テープをとると
顎の下から広範囲で内出血があり、腫れて二重顎になっていました。
今はだいぶ内出血が吸収されて、範囲が狭くなっています。

まあ本人は元気で食事も摂れていますので、良しとすることにしましょう。
夫は30年余り前に人口鼓膜再生の手術をしていますので、それもいれると
今回で11回目の手術でした。
こんなにたくさんの手術をして、なお生きている人を私は知りません。

人間一生のうち、一度も手術などせずに逝く人も大勢あるのにと思うと、
貴重すぎる体験をしてしまいました
しかも10回の手術は、2011年10月以来4年5か月間のことです。
今回の入院で、総入院日数は500日を超えました。

無題

≪お見苦しいですが、術後5日目の画像です。≫

10回目の手術

予定通り23日の午後2時入院、翌24日の午後3時50分から手術でした。
手術は無事に終わりました。とはいうものの4~5日喋ることが出来ないので、
本当に声が出るようになったか否かは、現時点では判らないのです。
元のようになる見込みはないでしょうが、少しでも生活のレベルが上がればいいと
願っています。

今回の手術法はこれと言う初めて聞く手術で、手術時間は約3時間半。
手術室へは自分の脚で歩いていきました。
10回目の手術も安心できる手術ではありません。
何度経験しても、家族待合で一人待っている時間は、厭なものです。
重苦しいものです。もしも・・・とよくないほうについ考えてしまいます。

そこへ行くと、お産を待っているご家族は賑やかで楽しそうです。

〈家族待合少し静かにしてほしい     タンポポ〉

手術が終わったあと、立ち会ってはいませんが、病室に戻り喉の状態を
ファイバースコープで診たようです。
術後あまり痛みはなかったそうですが、痰がきれず、眠れなかったといいました。
会話ができないので一方通行の筆談です。

22日の夜12時以降は絶食、23日の11時以降は絶飲食でした。
今朝お粥でやっと人心地ついたそうです。
今朝も診察があり、腫れもなく順調とのことです。
午後部屋に行くと本を読んでいて、顔色もよく安心しました。
一週間後、無事に声が出て退院できますように・・・。
これでもまだ声が出ないようなら、もう一度日帰りでコラーゲンの注入をすると聞いています。
もう今回で最後にして欲しい。

この3日間とにかく疲れた・・・。

10回目の手術に備えて

明日の午後から、夫は一週間の予定で入院、手術である。
もはや何度目の入院か、記憶が定かではなくなっている。
たぶん8回目だと思う。
そして手術は、2011年10月から数えて10回目になる。

手術は簡単に言えば、ほとんど出ていない声を戻す手術。
過去に2回、反回麻痺の手術を受けたが、思うような結果は出なかった。
声がほとんど出なくなって、もう2年余りが経つ。

今回も出るようになるかどうかは判らない、運を天に任せるしかない。
生まれたての赤ちゃんでも、教えなくても大きな声が出る。
70年普通にしゃべってきたのが、掠れ声しか出なくなった。
本人にとっては、何ともじれったい思いであろう。
その聞き取りにくい掠れ声さえも、出すのが非常に苦しいのだ。
吸い込んだ酸素が、声帯の麻痺によって一気に吐き出されてしまうので
長くは喋ることが出来ない。生活に大きな支障がある。

手術は24日、全身麻酔であり、今回も決して楽観できるものではない。
声帯の手術だけで3度目である。
三度目の正直となればいいのだが・・・。

オペ決める

今日は耳鼻咽喉科の受診日だった。
平成26年の人工血管再置換手術のあと、反回麻痺のため殆ど出なくなってしまった声。
その声を戻す手術を、過去に2回受けたが戻らない。
また痩せた声帯にコラーゲンを(ゴアテックス)を注入したがやはり駄目だった。
今回もこの1か月間、夫なりに受けるかどうか、かなり悩んでいた。
今朝食事のあと、「このままではどうにも不自由なので手術を受ける」と言った。

本人がまた命がけの手術を希望するなら、私は反対出来ない。
付き合うしかない。
今のままでは、2人の意思の疎通にもこと欠いている。
しかしながら10回目のオペともなると、私の心中も穏やかではない。
どこにも生きて返しますという保障がないのだ。
たった一つの命を、一体何度かければいいのだろう?

2013年8月に受けた「食道再建胃管胸骨前手術」を受けた身体は、ダメージが大きく食事の摂れる量が、限られている。
今夏の暑さの厳しい時、体重は43㌔台だった。
今はだいぶ持ち直して47㌔、それでも大の男の体重にしては軽すぎる。

今回の手術は恐らく年明けになるだろう。
主治医の師匠という先生を京都大学から呼ぶため、その医師の空いている
日になる。医師2人体制での手術となるという話しである。

命がけの手術をする以上、せめて今より楽に声が出るようになって欲しいと思う。

今日は

夫が最初の手術から一年後、街中で倒れ救急搬送された日になる。
ここからどうぞ。

この時もまさか・・・であった。
感染症との長いつきあいの日が始まったのは、この日からだった。
11年と言い12年と言い、青空が気持ちのよい10月は我が家の鬼門だと思う。

あれ以来昼夜を問わず何度発熱の度に、救急外来に駆け込んだだろう。
たいていは、そのまま即入院となった。

もちろん今だっていつでも熱が出たら、救急外来に行くことになっている。
今は感染症の数値CRPが落ち着いており、この1年半ほどは救急外来とは疎遠になっている。




   pics187.jpg

  高熱の中で命の音がする   タンポポ
イラストは無料素材屋さんからお借りしました。




これで安心してはいられないのが、メシチリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)の怖さである。
これから寒くなる季節、体力のない夫には厳しい季節になる。
風邪を引いても、開業医には診てもらえない身体、十二分に
気を付けねばならない。

発病記念日

もう少し前向きなネーミングは、ないものかと考えてみたが思いつかない。
今日で夫が倒れて丸4年になる。
これが3年半で、約500日に及ぶ入院の始まりである。
いつものように食事をして出かけた夫が、事務所で倒れた急性大動脈解離との
闘いの幕開けである。

詳細は予期せぬ出来事からどうぞ。

夫も色々思うことがあるようである。2人の老後の生活設計が狂ってしまった。
ましてや一年後に発症した、感染症に起因した諸々のことですっかり弱ってしまった
病人は耐えがたい苦しみの日々をおくっている。、
私だって同じだ、病気ほどの苦しみではないが、苦しそうな病人を傍で見ているのは
とても苦しい。

悔やんでも元には戻らないのは解っている。
今後、快方に向かうことも望めない。
反回麻痺で殆ど出なくなった声も戻りそうにない。
食事が今より楽に摂れるようになることもない。
1年3カ月前から、胸に開いた直径7~8ミリの穴も塞がらない。
寒くなっても、肩までお風呂に浸かることも出来ない。

生かされて、こんなに苦しい思いをしていることを、医者はどう思っているのだろう?
全幅の信頼を寄せていたが、少しずつこの信頼が揺らいできたのも事実である。

そうかといって、今の夫を診ることの出来る医療機関は、この病院しかないのだ。
心臓血管外科、感染症内科、腎臓内科、外科、耳鼻咽喉科、今後もこの病院の
お世話になるしかない。
最高水準の医療機関であることは、素人にもよく理解は出来る。
でも、しかししかし・・・なのである。

助けていただいたたった一つの命ではある。ことも重々解っているし感謝をしている。
しかしあの吐血を防げなかったのは、解せないでいる。
あれさえなければ、こんなに苦しい思いをしないでもすんだ。


  雲

またしても・・・

またまた夫の病気のことで申し訳ないのですが・・・。
昨年の2月に大動脈の人工血管再置換の手術をして以来、ほとんど声が出なくなっている。
それは日常の生活に、大きく影響している。

     jinnkoukekkan.jpg
↑赤い部分(大動脈)の血管を再置換しました。



何回もの全身麻酔で、左の声帯が反回麻痺を起こした。
昨年12月に、声を戻すべく反回麻痺の手術をしたが駄目だった。
そしてもう一度、9回目になる手術をしたが、やはり駄目だった。

今回、痩せ細った右の声帯に、声帯内注射療法として、牛から採ったアテロコラーゲンを注入した。
声帯がふっくらすれば、声がでる筈だった。
しかし左の声帯麻痺の手術が、不成功に終わり、これはもうここまでが限界と言われている。
その上で最後の手段としての、声帯内注射療法だった。
今日で3日め、何ら変わりがない掠れ声しか出ていない。。
1ヶ月2ヶ月する内に出るようになるならよいが、あまり期待も出来そうにない。
人間らしく普通に言葉を話す、そんな望みがことごとく打ち砕かれる。

命があるだけよしとするべきなのだろうか?
直ぐ傍で話しを聞いても、中々聞き取り難い。
無駄話しをする余裕もない。
普通に会話ができないことの不便さは、考える以上に不便である。
どうしても聞き取れない時は、最終手段としてホワイトボードを使う。
本人が一番不自由で、困っているのは解っているが、私のストレスはたまる。
ただ私のストレスから来る逆流性食道炎は、この状態を受け入れたのか、
慣れたのか、酷かったゲップは、かなり治まり楽になっている。

耳鼻咽喉科受診結果

昨日、耳鼻咽喉科の声帯専門医を受診して来た。
受診して出ていない声が出る由もない。
医者の「一筋縄では行きませんなあ」と言う、言葉通り結果は芳しくない。
良い方の声帯は、痩せてその所為で思うように動いていない。
手術した方は、血豆が出来ている。
一ヶ月様子をみて、血豆が引けば痩せた声帯に、美容整形で使うシリコン?を注入する。
その時、血豆が引いてなければ、注射針で血を抜く。

夫は子どもの時の中耳炎で、少し聴力が悪い。
40歳代の初めに鼓膜再生術を受けた。
耳だれは解消したが、聴こえの方は戻らなかった。

声が出難い上に耳が悪い。これでは、意思の疎通にことを欠く。
血豆のせいかどうか、食べ物が飲み込み難いと言う。
たくさんは、食べられない食事が暑さもあって、ますます食べられなくなっている。
この夏を無事に越せるかどうか…。
只今体重は45キロ、大の男が45キロでは体力を保持するのも、難しいと思う。

今朝もあまりにもしんどそうなので、「何が一番しんどい?」と訊いた。
即座に「生きていること」と答えが返って来た。
冗談ぽかったのが、少し救われた。
しかしながら、これは本心なのだと思う。

ただの一度のオペもせずに、呆気なく逝く方もあるが、夫のように9回も
オペをして生かされるのも、苦しいことである。
本人はどう思っているか解らないし、どちらが良いとは言えない。
ただ間近で見ていて苦しさは解る。
夫は生かされて苦しいが、みている私も苦しい。

@R0023833.jpg


  空よ雲よ少し夫を楽にして   タンポポ

3科受診

昨日、腎臓内科、心臓血管外科、耳鼻咽喉科の3科を受診した。
駐車場へ入ったのは12時36分、出たのは5時10分。

腎臓内科では貧血が進んでいるとのことで、注射をした。
カリウムの数値は基準値内に収まっている。果物と生野菜を控えた成果だと思う。

困ったことに、血清中の血糖値が高かった。
昼食を摂って約1時間後ではあるが、高い。
5食を摂る身体になって、1食はカロリーの高い甘い物を摂ってきた。
全身状態の悪い夫の身では、糖尿の心配はいらないと言われてきたので、
少々心配しつつも、食べてきた。
4週間後、ヘモグロビンA1cの検査をする。
ちなみに夕食後2時間で計った血糖値も高かった

次は心臓血管外科。
たくさんの薬が処方されたが、変わりなし。

最後に耳鼻咽喉科。
術後、傷口に貼っていたフィルムをはずす。
傷口はきれい。縫っていないと思っていた傷口は、見えない奥で
縫ってあるという。
鼻からカメラを入れて喉をみる。
声を出してみるも、掠れ声で思ったほど出ていない・・・。
もう少し出なければ会話に不自由する。

刺激の少ない別のテープ4枚を、横に少しずつずらして
今後3ヶ月、貼り続ける。
痩せて喉のあたりが、皺々になっているので貼りにくい。


9回目のオペ

9回目ともなれば、本人より私の方が良くも悪くも、慣れっこになった気がする。
普通9回の手術なら手術痕は9カ所だと思うが、夫は現段階で13カ所ある。
背中の広背筋を切除した痕は大きい。

年末に反回麻痺の手術をしたのにも拘わらず、すぐに出にくくなった声を戻す
手術を昨日、日帰りでした。
喉に入れているシリコンの調整&シリコンを増やすオペである。

予定通り2時から1時間半で手術は終わり、30分後に様子をみたいという、
医師の見解で、5時前には会計を済ませ帰路についた。
次回の受診は30日、声帯の手術後は、あまり声を出してはいけない。
とは言っても、つい出にくい声を出してしまう。
前回も使ったホワイトボードで、一方通行の筆談をしている。

昨日から聞いていた通り、病院から電話があり、喉に止めているガーゼとテープを
指示されるままに取ろうとした。
ガーゼに着いた血が乾いて、傷口に貼ってある透明フィルムが半分めくれた・・・
だから一晩泊めて欲しいと思ったのに、私は看護師でも何でもないのに。
このフィルムが取れると、傷口には何もない。
傷口は今回縫ってないし・・・
もう一度午後、電話がかかってくる。
このフィルムがピタッと貼れてないと、シャワーも浴びられない。
何より、ばい菌が入るかも知れない。
夫は感染症なのに・・・

MERSとMRSA

韓国で多数の死者が出ている感染症は、MERS。
夫が健康な食道を、切除することになったのはMRSA感染症。
字面だけみるとよく似ているが、全くの別物。
この感染症の所為で、昨年7月から胸に穴が開いたまま塞がらない。

私が大学病院に行ったのと同じ日、夫もかかり付けの病院の感染症内科へ行った。
いつものように血液検査をした。
感染症の数値CRPは悪くないが、カリウムの数値が上がっていた
このところ朝晩だけ飲んでいた、カリウムを下げる薬をお昼も飲むようになったと
下げて帰ってきた。
カリウムは生野菜や果物に多く含まれている。
身体に良いとされている食物に、多く含まれており厄介なことだ。
何より生野菜と果物が大好物なのに、これからの季節、西瓜を思うように食
べられない。食べられない本人を目の前にして、私だけ美味しそうに食べる
わけにもいかない。
しかし踏ん張って自重せねば、最初に倒れて以来、片方の腎臓しか機能していない
身体は、透析を受けるようになっては、もっと困る。

カリウムと塩分の制限・・・減塩調味料にはカリウムが含まれている。
何を食べて生きていればよいのやら?ため息ばかりでる。

発声

昨年2月7日の”大動脈人工血管再置換手術”以来殆ど声が出なくなっている夫は、
年末に声を戻す手術をしたが、また出難くなっている。

昼食にパスタを食べるとキッチンに立った夫が、何かを言っているが聞き取れない。
サイダーと聞こえ、??と思い、近寄って聞き直すとタイマーだった。
こんなことは、一日の内何度もある。
私の聴力も落ちているとは思うが、やはりかすれ声が大きな原因だと思う。

来週は中学の同窓会がある。倒れて以来初めて出席を予定している。
その件で先程、同級生から電話がありった。
取り次ぐ時、かなり聞き取り難い旨を伝え電話を代わった。
長電話ではないが、話すほどに段々出なくなって来るのが解る。
夫が喋った何%が伝わったのだろう。
60~70%伝わっていればいい方かも・・・

食事も一度にたくさん摂れない。小さくなった胃にはビールなんて
とんでもない。好きだったアルコール類は、お正月にワンカップを
1本飲んで以来飲んでいない。

これでは久しぶりの同窓会も、楽しめないだろう。
元気な友人たちを見て落ち込むだろう・・・

通院日

一旦父の回想を横に置いておいて・・・


@2R0019885@今日は夫の通院日、久しぶりに神戸の病院へ付いて行ってきた。
心臓血管外科の受診と腎臓内科の初診。この病院にかかっている科は、メインの心臓血管外科、感染症内科、泌尿器科、耳鼻咽喉科、形成外科、そして腎臓内科の6診療科目になる
上得意ではないだろうか。

3月中に予定していた、9回目の手術をしなくてよくなった、とは言っても胸の穴が塞がったわけではない。
もう丸々8か月も開いたままである。予定していた手術をしても、また同じ経過をたどるかも知れない。感染症がある以上可能性が高い。同じように穴が開いて一年になる方があるらしい。その方は2回手術をしたが、やはりまた穴が開いてしまったという。夫のはそう大きくも、深くもないということで見送った。


年末の入院以来、高い数値が続いているカリウムの件で、腎臓内科を受診した。
服用している薬の副作用でもあるが、その薬の服用は止められない。
専門医の診断の結果、カリウムの数値は高いが、片方の腎臓しか機能していない割には、腎臓そのものは、まだそう悪くはない。GFRの値は38あり、2011年に倒れて以来、急激な変化はないとのこと。
透析を受けねばならなくなるのは、この数値が10以下だそうで、今のところはセーフである。
一番懸念していたのでホッとした。なにぶんにも亡くなった腹違いの兄と姉は、腎臓が悪く透析をしていた。
そしてもう一人の兄も透析をしている。母親は違うが、腎臓の悪いDNAを持っているのだろう。

時間があれば栄養指導を受けるようにとのことで、診察後、受けてきた。

カリウムの知識として、たくさん含む食品=生野菜・果物・中でもバナナは多い、とこれぐらいしか知らなかった。
生野菜と果物の好きな夫が、これらを食べられなくなるのはキツイ。

栄養指導を受けてよかった。
生野菜は小さくして水に一時間ぐらい浸けておけばカリウムは殆ど抜ける。
カリウムは蒸したり、揚げたりしても抜けない。火を通せるものは水に浸けてからゆでる。
少し手間はかかるが、こうすれば生野菜も食べられる。果物は少し減らさねば・・・。
缶詰ならOK。
炒め物も一旦水に浸けたり、茹でてから使えばOKなのだ。

後何年生きられるかは解らない、また透析をするようになるかも知れない。でも少しでも先伸ばしが出来たらいいと思う。

現状より良くなることは望めないかも知れないが、古女房の面子に掛けても、少しでも今の状態をキープしたい。
毎朝食べる生野菜を、こうして食べることで僅かでも数値が下がれば、御の字というものである。

夫の薬

@1IMG_2481.jpg→は朝食後の薬で、これにプラス年末からカリウムの数値が高いので、ゼリー状の薬も飲んでいる。
胃のキャパの少ない身には、食後すぐにこれだけの薬を飲むことが出来ない。
少し食道の内容物が下に下がって来たときに飲む。
もちろん同じぐらいの量の薬を3食後飲むのである。
これだけの薬を飲むには、水も一口というわけにはいかない。

この3年、46~48㎏を超えることのない体重。
3食と午前中に栄養剤を一本飲み、午後はカロリーの高いアンパンやお饅頭の類を必ず食べる。
病気をするまで辛党だった夫からは、考えられなかったことである。
それでも体重が増えない。せめて50キロになればと思うが大きな壁が立ちはだかっている。
これが近所の開業医では、歯医者にさえもかかることの出来ない病人なのだろう。

インフルエンザが大流行しているので、予防接種をしているが、もしも熱が出たらどうすればいいか。
主治医に訊くと緊急外来に来るようにとの返事があった。
12年の秋以来、何度緊急外来に駆け込んだことだろう。
生きている限り、緊急外来とも縁が切れないのだ。


私が車の運転をしているうちはいいが、免許を返納したらどうするか。
ここから神戸の病院までは遠い、救急車のお世話になるしかないのだろうか。
転院は視野に入れられないだろうか。
あまり評判は良くないが、近くに大学病院がある。

一人ウツウツ考えている。

@1R00198510


わたくしがウツウツしても花は咲く    タンポポ

通院

年が開けて10日、医療機関の診察が始まって5日。
そして・・・通院したのが3日
次は連休明けの13日。
今月はいったい何回通院するのやら?

夫一人で行けないわけではないが、インフルエンザが流行っているのでにはあまり乗せたくない。
今年は、予防接種をしていても罹ったという人が多い。
夫など罹ればイチコロかも知れない・・・。


そっかぁ電車で行かせてみようか

病院通い始まる

6日7日と夫の病院通いだった。
11月に胸骨を縛ってあるワイヤーを抜いたにも拘わらず、二つ開いていた穴の一つが、年を越しても塞がっていない。
実に半年も開いたままなのである。昨日は処置室で局部麻酔を打って少し切開した。
切開した痕がどうなっているのか、大きなガーゼを当ててあるので解らない。
耳鼻咽喉科の受診もした。鼻からファイバースコープを入れて喉をみる。PCの画面に内部が映される。
「い~」と発声しながら、声帯の動きを確認する。ぴったり閉じるのが確認できた。
まだ少し術後の出血の跡や、腫れがあるため「あ~」と発声するも途切れそうになるが、目標の10秒は続いて発声出来ている。
聞き取るのもずいぶん聞きやすくなった。次は一か月後の受診となる。

問題は厄介な胸の穴、明日9日は昨日お世話になった心臓血管外科を受診後、形成外科を受診することになっている。
外科的な手術や処置をして、早く塞がればいいのだが・・・。
このままでは、この寒い時期に湯船に浸かることも出来ない。
やはり日本人・・・湯船に浸かりたい。


ちなみに孫たちの従弟の2歳のS君は、湯船には入らないのだそうな。
フランス人のお父さんには、湯船に浸かる習慣はないのだろう。

術後一日目

昨日3時間の静養の後は、お手洗いも行き、今日からはシャワーも出来る。
ただ胸の穴が塞がっていないため、半身浴しかできない。

喉の傷は横に5センチぐらいあるが、縫っていないし、ホッチキスもない。テープを貼ってあるだけ。

これは恐らく、私の左股関節の手術と同じように、傷口から出る血とテープについている薬剤とで、傷が塞がるというものだろう。
この手術の前は、あ~と声を出しても2秒しか続かなかったのが、10秒ぐらい続くようになっているという。
まだ発生を禁止されているので、実際のところは解らない。
掠れもかなり改善されているようだ。
 

    @1R0019730.jpg          

    本日の昼食《あんかけ皿うどん・小松菜のからし和え・パイナップル》

無事に終わりました

3時からの8回目の手術は、予定より少し早く終わりました。

ご心配いただいた皆様には御礼申し上げます。

3日間は声を出すことを禁止されています。

先日100均の店じまいで一割引きで購入した、マジックボードが役に立ちそうです。
喉にはガーゼがあって傷は見えません。
部屋に戻って間もなく、心臓血管外科の主治医が来て、胸の傷の処置をしました。
昨日から塗っているバクトロン軟膏が効いているのか、傷は小さくなっているようです。
機械は昨日から、外しています。

今週はとても疲れました。
新年まで後5日しかありません、掃除もしていない我が家にも、平等に新年が来るでしょう(-_-;)
少なくとも娘たちは帰ってきます。

我が家だけ正月来ないはずはない   タンポポ

入院しました

@1R0019716.jpg予定通り昨日夫は入院した。
入院の前に、胸の傷の処置があるというので、午前中にでかけた。しかし書類上(機械上)は入院扱いとなっており、外来での処置は出来ないということで、入院指示の予定時間まで、院内で時間を潰すことに・・・

今回の入院は、初めての8階再生医療センターである。
部屋は画像のように4人部屋ではあるが縦長の部屋で4つのベッドはみんな窓際にある。
足元はカーテンで仕切られており、頭の方は壁があるので、ほぼ個室状態ベッドサイドも広い。
2年ぐらい前も、心臓血管外科で同タイプの部屋で長い間入院していたことがある。

入院してしばらくすると、心臓血管外科の医師が処置に来た。
チューブを抜いた傷口からは、術後1か月以上経った今もまだ出血がある。
CRPは正常値だと言う・・・?
しかしいつまでも塞がらないのは、素人にも何かがあるとしか考えられない。
ちょっとコンビニへ行って戻ると、お会いしたことのない3人の医師と主治医が、夫の胸の傷を見ている。
皮膚科の医師だそうだ。

さて今日の手術は3時から、こんな状態で本当に出来るのだろうか?
また感染症が悪化することは、ないのだろうか。

オペ八度これで最後にして欲しい   タンポポ

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2つあった穴の一つは塞がっている。

予定通り

七度目の入院と八度目の手術が決まった。
25日入院、26日手術、31日退院・・・

半分以上諦めてはいたが、どうしてこの時期に決行するかなぁ。
お正月に孫たちが来たら、苦しい思いをしないで喋りたいという気持ちは解る。
でもねぇ、年末しかも大晦日に退院だなんて、私の都合ってものもあるのに・・・。
入院も手術も退院も、私以外にサポートはないのに・・・
決まったものは仕方がないけど、ホントこれっきりにして欲しいものだ。

取りあえずは、よほどのことがない限り、三年ぶりに自宅で新年を迎えられることを、良しとするしかなさそうである。
ただ私の気持ちは、スッキリしませんとも
一週間の入院を終えたら、2011年10月からの入院日数は、500日を少しだけ切る。

ああ、このお金があったら自宅の全面リフォーム出来るのになぁ・・・

退院はしたものの

夫は今日、6回目の入院と7回目の手術を終えて退院してきた。
今回の入院は初めての予約入院で、入院日数は22日間、今までの最短日数である。
とは云うものの、年内にもう一度入院手術の予定がある。
これはあくまで予定であって、決定ではない。
来週、耳鼻咽喉科を受診して決定する。
今は年内最後の手術日の、仮押さえの状態である。

退院はしてきたものの、先月の手術の傷跡はまだ閉じていない。
チューブが刺さったままで、簡易型の機械をマジックテープの付いたバンドで、腕に巻き付けている。
入浴もシャワーも出来ない。

痩せすぎて細い腕に、このバンドが止まらず、取りあえずビニールテープで折り畳み、巻きつけて帰って来た。
先ほど糸で止めて、サイズを合わせて巻いた。

@1R0019658@.jpg

今は↑な状態で↓の器具を付けている。
 
@1R0019657.jpg

当然浴室でのシャンプーも出来ない。
おまけに3日に一度、受診をしなければならない。

入院まで飲んでいた栄養剤は、下痢をすると言いこの3週間飲んでいない。
体重は47.5キロ・・・



   8504821045c23b79dda881246c58e81d33aa0034_82_2_9_2.gif

検索機能は便利でよく使っているが、闘病記の中の言葉(治療法)で、当ブログがヒットする。
夫の退院が決まって当該記事を削除したが、やはりヒットしてしまう(^_^;)
ヒットさせない方法を、どなたかご存知ありませんか?
一度公開してしまうと、いつまでもヒットするということでしょうか?

この治療法が保険適用になったのは、4年程前のことだそうでまだまだ一般的ではないのかも知れない。
主治医が手当の際、毎回スマホで写真を撮っているらしいので、私が撮るこてについてもあまり疑ってはいないようなのだが・・・。

最初の手術から、ずっと闘病記は文章にして残してある。
意識障害の長引いた夫に、記憶のない部分のことも記してある。
それを読んで、自分の状態を知ったという経緯もあり、「我が家の記録」ということで納得はしている。

耳鼻咽喉科受診

41sukima.gif近いうちに手術予定のある「反回麻痺」の主治医の受診をした。
当ブログにも何度か書いているが、関係のない方には何だか解らないと思う。
右図は夫と同じ症状で、左の声帯が麻痺している。
本来閉じていなければならない声帯が、何度もの長時間の全身麻酔で開いたままになっていることで、酸素を取り込んで声を出すことが困難になっている。全く声が出ないわけではない。

今日の受診のさい、術前術後の声の出方を調べるために、マイクを持って「あ~~」と声を出した。
71歳の男性の平均は15秒間、声が出るらしいが夫はわずか3秒しか続かない。最低5秒出ないと声紋が記録できない。
試しに私も帰ってきてから測ってみたが、18秒ぐらいは続く。
手術は10秒ぐらい出るようにするという。
声帯のある辺りを切り軟骨に穴を開け、鼻からファイバースコープを入れて声を出しながら調整するらしい。
術中、声を出しながらなので局部麻酔になる。

手術は1か月後の12月26日、入院は前日の25日。
そして退院は29日か30日だという。
一人で入退院が出来るならいいが、そうもいかないのに・・・。
ここまで来たら、慌てて年末の気忙しい時にすることはないと思う。
12月の手術までに、一度退院しても病人では何の当てにもならない。

当初から、年内に二つの手術をする予定ではあったが、ワイヤーを抜く手術が遅れたので、私は内心次の手術は年が明けてからだろうと思っていた。
今日最初に医師から示されたのは、年明けの9日だった。
私はその方がいいと思った。

まだ胸の切傷からは、膿が出ている状態で閉じていない。
はたして1か月後に手術の出来る状態になっているのやら?

肝心なところは、私の意見を聞かないのだ。
振り回されて今年も終わるらしい・・・

いつになったら私のペースで、生活が出来るようになるのだろう。
もうそんな日は、来ないのかも知れない

ホウレンソウ

今日は休息日・・・。
返コメが出来ていませんがお許しを・・・

19日の術後、主治医が病室にきて説明を受けた。
夫は手術室から出てきたとき、麻酔が一瞬覚めたように見えたがまた眠っていた。
主治医からは、やはり11年10月の手術時、胸骨を開いて止めてあったワイヤーの周りが化膿していたと聞いた。
胸の穴は敢えて閉じていない、体内から悪いものが出きってから電気?レーザー?を当てると聞いた。
そして6時過ぎに水を飲んでむせたりしなければ、夕食もOKとのことだった。
6時過ぎに看護師に「勝手に水を飲ませては駄目ですか?」ときいた。
すると吸い飲みを持ってきて「ゴクンと飲んでは駄目ですよ、湿らす程度にね・・・」
私「(?_?)」

配膳車が来ても夫の食事がこない。この時はもう少ししたら出てくるものと思って帰ってきた。

昨日お昼過ぎに行き「食事は食べられた?」と聞くと「昼は食べた・・・」

夫によると19日の夕食は出なかった。そして20日の朝食も出なかった
19日の夜10時ごろあまりにもお腹が空いたので、看護師に「何か買ってきて欲しい」と頼んだそうだ。
するとメロンパンを1個買ってきた。いくら病人とはいえそれはないだろう。
18日の夕食以来、28時間ほど食べていないのだ。
そして20日、やっぱり出てこない朝食。
さすがに「儂の食事はどうなっているのか?」と催促したらしい。
データーは全てPCに入力されている。確認した看護師は「食事はストップしています・・・」

生理食塩水と抗生剤の点滴はしているが、お腹の足しになるものではない。
ただでさえ体重が減って、入院の朝は48キロ代だったのに・・・。
こん睡状態で食べられないのなら仕方がない。
容量の少なくなった胃は、お腹が空きすぎても具合が悪いのだ。

催促の甲斐があって10時頃、遅い朝食が出てきたという。

職場に絶対不可欠な「ホーレンソウ」はどうなっているのだろう?
去年の夏もこの「ホーレンソウ」でと思ったことがあった。

クレーマーと思われるのを承知の上で、一度看護師長に質してみたいと思う。
何も好き好んで、7回も8回も手術を受けているのではないのだ

何度も入院を繰り返していると、嫌でもスタッフの対応の拙さが目についてしまう。

何度も救われた命の現場であるのは承知している。
だからこそ、今回の件は納得がいかない。

「単純なミスでした」では、命の現場は務まらない。

ご報告

@1IMG_2143.jpg
@12014 11 19
@1IMG_2141@.jpg
7回目の手術は無事終わりました。
ご心配いただきましてありがとうございました。
先ずはご報告まで・・・<(_ _)>

今日から入院

IMG_2123@.jpg


しばしの娑婆との別れに「饂飩を食べてから病院に行く」と言うので、望み通り好物の讃岐うどんを食べてから、病院へ走った
昨日病院から、2時に入退院受付へ来るようにと電話があった。
早くついたので早く手続きを済ませる。
4月まで入院していた東病棟である。入院棟のエレベーターホールや病棟に入るための、セキュリティカードを受け取り4階へあがる。
各階の病棟入り口に常駐しているコンシェルジュと「○○さん何カ月ぶりですか?」「7か月ぶりです、またお世話になります」そんな挨拶を交わしながら、病室に案内される。

顔見知りの看護師が次々顔を見せてくれ、体調を気遣ってくれる。
しばらくして担当看護師がくる。私は知らない顔だったが、夫は知っていた。
明日サポートをしてくれる、外科の医師も顔を出してくれる。

採血をしたり血圧・体温を計ったり・・・。
7か月ぶりの病室は椅子が変わっていた。前は丸椅子だったが、今度はひじ掛けも背もある立派な椅子になっていた。
血圧も酸素の量を計る機械も変わっていてビックリ。
前は測ったのをPCにピッピと入力していたが、今度は外して所定の場所におくと、無線でPCに飛ぶのだそうだ。
この最新設備を備えた病院に、2年半の間に460日以上も入院していて最新機器に慣れていたが、また新しい設備をみてビックリした。

麻酔医との面談や、レントゲンを撮るため1階と2階の外来に降りるので、一緒に降りて帰って来た。
本来なら麻酔医との面談は、数日前にするが何度も全身麻酔をしているため、明日手術で今日の面談となった。

さて明日の手術は午後2時からである。
明日の手術の経過をみて、次の反回麻痺の手術の日程がきまる。

生きて返す約束をして欲しいオペ    タンポポ

荷造り

入院を明後日に控え、そろそろ荷造りを始めた。
初めての予約入院は、緊急入院と違い色々勝手が違う。

先日の診察時に予約受け付けをし、既往歴、飲み薬の確認をした。
総合予約センターで正式に予約。
入院費支払い届出書の付いた入院案内を貰ってきた。
まだ明後日の入院は、午前か午後かは解らない。明日連絡がある予定である。

最初の緊急入院時は、10日間ほど入院申し込みも保険証の提出もしていなかった。
意識障害が長引きまだICUにいる時、事務の方が「入院の申し込み書を提出していただいていますか?」と言ってきて、初めて入院案内も申込書も、もらってないことに気付いたのだった。
手術の終わった直後に、たくさんの書類にサインをしたが申込書はなかった。

3年の間に事態は大きく変わり、何度も命がけの手術をした。

そして7回目8回目の手術をする。

1回目 11年10月 急性大動脈解離、弓部全置換
2回目 13年1月  胆嚢切除
3回目 13年4月  大動脈ステントグラフト挿入
4回目 13年4月  食道抜去、食道瘻、胃瘻
5回目 13年8月  食道再建胃管胸骨前手術
6回目 14年2月  人工血管再置換
7回目 14年11月 ワイヤー抜去
8回目 14年11月 反回麻痺手術


 
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命がけの手術の是非を問うている   タンポポ


9回目10回目はありませんように・・・。

6回目の入院が

来週18日入院、19日手術と決まった。

過去5回の入院はすべて緊急入院であり、今回初めて予約入院となる。
最初の手術で胸骨を開き、ワイヤーで縛ってある。
7月の初めから、胸に開いた穴が塞がらないため、そのワイヤーを抜く手術をする。
ワイヤーを抜くだけなら簡単らしいが、夫は食道再建胃管胸骨前手術という面倒な手術をしているため、かなり厄介な手術になる。皮膚のすぐ下にある食道を、傷付けずにワイヤーを抜かねばならない。

そして後日、喉の反回麻痺の手術もする。
これも声が100%戻るというものではなく、50%戻ればいいという程度である。
ただ食べ物が、飲み込み易くはなるようだ。

3年振りにお正月は自宅で迎えたいという、夫の希望は叶えられそうである。
もっともこれは成功すれば・・・の話しである。

7回目8回目の手術

耳鼻咽喉科を受診した夫。
2月の人工血管再置換手術から8カ月あまり経った。
依然として殆ど声が出ていない。
食べ物も飲み込みにくい。
外科の医者の見立ては、食道再建はきちんと出来ており詰まっている個所はないとのこと。

病院に行く前から、「今より声が出るようになるなら手術を受けたい」と言っていた。
前回の受診の際、告げられた反回神経麻痺の手術の詳細を訊いた。
神経が麻痺しているため、喋る時、空気が漏れ、かすれ声になる。
空気が漏れるため、たくさんの空気が必要で息切れがする・・・。

食べ物が通り難いことを話すと、喉の神経が麻痺しているのだから、当たり前とのこと。
専門分野が違うと、医者にも解らないことがあるものだと改めて思った。

局所麻酔をしての手術、発声練習をして見ながら手術を進める。
手術時間は約2時間だが、終わってもすぐに声を出すことは出来ない。
入院は10日間ほど・・・。
通常の半分ぐらいまでは回復するとのこと。
今は通常の10分の1ぐらいか・・・。
この状態は、本人にも私にもストレスがたまる。


この手術は県内では、恐らくこの病院でしか行っていないだろうとのこと。
ネットで調べても、県内の病院は出てこない。
これまでそうしてきたように、すべてをお任せするしかない。

2月の人工血管再置換手術が終わった時、医者の説明を聞いていた娘が「もう切るところはありませんよね」と、言っていたのを思い出す。
いったい人間の身体は、何回の手術に耐えられるのだろう?

ただ夫の胸には、100日以上開いたまま塞がらない穴が2つある。
この原因であろうと思われるワイヤーを抜く手術、こちらは全身麻酔なので先にした方がよいとのこと。

夫としては年内に両方済ませ、お正月は3年ぶりに自宅で迎えたい。
今年もあと70日あまり、急がねば・・・。
心臓血管外科の次回の予約は11月18日。
それまで待っていては、とても年内に2つの手術は終えられないだろう。
前倒しして予約を取らねば・・・。

今後、穏やかな老後は我々夫婦は迎えられそうにない。

穏やかな老後に 巡り会えぬ日々  タンポポ

  @1R0019589.jpg

夫の定期受診

@1R0019580@.jpgお目汚し<(_ _)>

みっともない程痩せて、あばら骨の浮き出た胸。
その胸に穴が開いたまま90日になるが、いまだに塞がらない。

最初の手術で切った胸骨を、6か所ワイヤーで止めてある。
二つの穴は、ちょうどワイヤーを停めてある場所にあたるようだ。
そのワイヤーが悪さをしているとしか考えられないということで、ワイヤーを
抜く手術を受けることになる。
昨日の診察で、その日程が決まると思っていたが、外科医との日程の打ち合わせが、まだ出来ていないとのこと。
喉の手術もある。
両方とも全身麻酔である。

夫は喉の手術を早くしたいようであるが、手術をすれば今より必ず声が出るとは限らない。
耳鼻咽喉科の手術は、次の受診日に決まると思う。
出来ることなら今年中に二つを終わらせて、スッキリ新年を迎えたい。

3年続きの病院でのお正月は、ご免被りたい。

10月6日

あれから丸3年が経った。
嬉しくはない記念日である。

いつものように食事をして、スーツを着て出かけた夫が、2時間後に事務所で倒れ、緊急搬送・緊急手術と云う思ってもみなかった事態になった。

術後の意識障害が長引き、どうなることかと心配した。
この時は、23日の入院で退院し1日置いて出勤した。
取りあえず、約束の翌年の5月31にまで勤めることを目標にしていた。

最初の手術後、1年間は元気だった。
術後1年で発症した感染症で、入退院を繰り返し、何度も手術をし今に至っている。
今は元気な時の面影もなく、どう贔屓目に見ても痩せこけた病人になってしまった。
2年半で6度の手術をしても、なお自宅で暮らせるのは元々内臓疾患がなかったこともあるだろう。
また生まれた時、神様が決めた寿命がまだ先だと云うことだと思う。

10月29日に退院後31日からの出勤、どう考えても体力的に無理だろうと思った。
自宅から最寄駅までの約7~8分を休憩なしでは歩けなかったのに、土日祭日以外、休まずに出勤した。

よく冗談で「あの日、あのまま死んでいたら49日、とか一周忌」などと言っていた。
そして一周忌やなと話した3日後、感染症の発熱のため路上で倒れ、また緊急入院となった。



明日は心臓血管外科の受診日、死ぬまで病院と縁が切れない老後である。
感染症があるため、歯医者であれ何科であれ、近所の開業医のお世話には、なれない体である。

今の状態を見ていると長生きは出来ないだろうとは思うが、本人にとっても私にとっても苦しい老後になってしまった。

@1blog_import_5352188f57d331.jpg      @1@1IMG_1054.jpg



左 《2011年10月術後20日》   右 《2013年11月16日》食道再建胃管胸骨前手術後          

試練はまだまだ

昨日、4時~4時半予約の心臓血管外科の診察に行って来た。
駐車場に入ったのは13時28分。
受付をして、9月最初の診察なので、保険証のチェックを受ける。
支払いも受付も機械だが、保険証のチェックは当たり前だが人の目


70日以上も塞がらない皮膚に開いた穴からは、毎日、血と黄水が出て、ガーゼがべったりと汚れる。
今日の採血の結果、変な細菌もいない、CTを撮ったが異常はない。
ならばなぜ70日も皮膚に穴が開いたままなのか、医者も首をひねる。

最初の手術で、胸骨を開きワイヤーでとめてある。そのワイヤーが悪さをしているのかもしれない。
何度か書いているが、夫は去年の吐血(4月26日)後、食道抜去と100日以上、胃瘻、食道瘻をしていた。
その後、8月15日に食道再建胃管胸骨前手術を受けている。
これは特殊な、↓の画像のような手術である。

      @IMG_1054@.jpg

   《2013・11・15日撮影》 食後で胃がパンパンに膨らんでいる。

ワイヤーは6か所とめてあるそうで、ワイヤーを抜くだけなら、局所麻酔でごく簡単な手術らしい。
夫の場合、皮膚のすぐ下に偽の?食道があるため、食道を傷つけないようにメスを入れねばならない。
これが難しい。医者はかなり嫌がっているようにみえる。
心臓血管外科と外科との、共同の手術になる。

次は3週間後の受診、それまでに塞がっていればいいが、多分無理だと思う。

もしかすると年内に半回神経麻痺と、ワイヤーを抜く手術を、受けるようになるかもしれない。

闘病は続く 命のある限り    タンポポ   はぁ~

反回神経麻痺(片側)

夫の声が、人工血管再置換手術後、かすれてほとんど出なくなって、7か月が過ぎた。

詳しくはここ反回神経麻痺で・・・。
昨日、通院中の病院の耳鼻咽喉科を受診してきた。
そして、はっきりとこの病名を告げられた。

術後半年間は、自然に回復することもあるので、今まで様子をみていた。
しかし、夫婦二人暮らしとはいえ、お互いに耳も段々聞こえにくくなっている。
一度で話が伝わらないもどかしさは、双方にストレスがたまる。

そこで今回、受診したのであった。
麻痺している声帯の外科手術をすれば、元には戻らないが、今より出る可能性はある。
しなければこのまま戻らない。
夫は手術する気満々である。

しかし、100%今より声が出るという保障のない、手術である。
手術時間は約2時間、入院は1週間・・・
1か月後の再診時、返事をするという。

10月が来ると、最初に倒れてから3年になる。
また手術、3年の間に7回目の手術・・・気が重い

歯の治療

夫が昨日から歯が痛いと言い出した。
在職中は勤務先の近くで、治療を受けていた。
倒れた後の退職後も、その歯科医院で治療を受けていた。
電車で神戸まで行くのもと言うことで、今朝、自宅近くの歯科クリニックに、電話で初診の依頼をした。

1人で出かけたが何となく嫌な予感がしていた。
2時間ほどして帰って来たが、診察をしてもらえなかった。
やはり昨日の日記の、MRSAがあるため開業医では、治療を断られたのだ。
市内の大学病院の歯科口腔外科の、紹介状を持って帰ってきた。

これで今後、いかなることがあっても、開業医の診察を受けられないことが、はっきりした。

う~~ん・・・本当に厄介なMASAである。

月曜日、口腔外科の受診を受ける。

MRSA

気持ちの悪い画像です<(_ _)>



《MRSAメシチリン耐性黄色ブドウ球菌》は殆どの抗生物質が効かない、厄介な細菌である。
昨年3月から半年以上の、入院中にも採血検査で見つかっていた。

7月から傷痕の上にポツンと開いた穴が、50日以上経っても塞がらない。
毎日ガーゼに、べったりと血が付いている。
最初言われた、胃潰瘍の疑いは晴れた。
しかし検体を調べた結果、この厄介なMRSAが見つかった。
道理で穴が塞がらないはずである。

50日も立てば、大手術の痕でもきれいに塞がる。
今は二つ開いている。下の方は、血の塊があって先日の受診の時、血を出した。
今は、毎日シャワーの後で、バクトロバン軟膏を綿棒に付けて塗っている。

いつになったら塞がるのやら・・・?




MRSA1@.jpg

外科の受診

外科の受診日、10時には中待合に呼ばれた。
胃カメラの結果は、先日の話の通り、胃潰瘍はないとのこと。
ならば皮膚に開いた穴が、一カ月も塞がらない原因が、イマイチ解らない・・・。
出来る限りの検査はしているので、その結果は後日と云うことだった。

今日は傷口に(麻酔もなしで)ピンセットを入れて、縫ってある糸を探った。
人工血管置換は心臓血管外科、その後の吐血以来の食道抜去、再建は今日の外科医。
そして6ケ月前の人工血管再置換は、やはり心臓血管外科の仕事。

ピンセットを入れて「なるほど・・・深いところにあるな・・・」

糸の周りが化膿していたので、これで落ち着いてくるでしょうとのこと。
医者の言うとおり、穴が塞がって落ち着けばそれでいいのですけど・・・。

よほど痛かったと見えて、帰ってからずっと寝ていた。

さてさて明日からチビ台風の上陸です、今回は滞在期間が短いので、来る前からホッとしています。
明日はかなりの悪天候の模様、新幹線はちゃんと予定通り走るのやら?
そして明後日は、友人と子連れ一泊旅行に鳥羽へ出かける予定ですが、日曜日も天気が悪い。
どうなることやら。

診察日

今日は午後から、心臓血管外科の診察日。
心臓血管外科は予約があってないのも同じ、長時間待つつもりで行っている。
何度も書いているが、採血の結果が出るのに1時間かかるので、予約時間の1時間半前には病院に着いている。
2時間が経過したころ、夫は午後の捕食をした。


3時間が経ち、端末に「診察室の前でお待ちください」の表示があった。
待っていると昨年《食道再建胃管胸骨前手術》の執刀医が、出てきた。
心臓血管外科の医者から話を胸の傷の件を、聞いているので見せて欲しいといい、別の診察室に入る。
3週間前、胃潰瘍だろうと言われ、皮膚の表面に出てくるの?と素人は思っていたが、「多分間違いはないでしょう」とのことで、急遽明日胃カメラをのむことになった。
胃カメラは、去年吐血した日の深夜にのんで以来だ。

っと云うわけで、今週は今日明日そして金曜日と3回病院に行くことになってしまった。
胸の傷跡に穴が開いて、もう1ケ月になる。
今もジクジクと血や黄水が出ていて、毎日ガーゼを貼らないとならない。
原因が解れば薬も飲める。
傷=炎症の数値があがる=感染症となるので、早く何とかしたいと思う。

週末は埼玉から孫台風がくる。それまでに体力を温存しておきたいところだが、無理だろう。
今回、孫台風は早くそれるので、何とか5日間耐えられる体力をキープしておかないと・・・。

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         本日の一品《かぼちゃのサラダ》

定期受診

6月の受診は、1人で行くと言うので一度も付いて行かなかった。

胸の傷が痛いと言い始めた後、感染症内科を受診したのに、申告をしなかった。
医者でも看護師でもない古女房に訴えても、どうにもならないことが解っているのかいないのか?
願わくば、一人で行ってほしいところだが、そんなこともあって昨日は、一緒に病院へ走った

先日来の胸の傷は、胃潰瘍・・・でしょうとのこと心臓血管の専門外とはいえ全く的外れなことは言わないだろう。
でも胃潰瘍が皮膚の表面に出てくる??

昔、私の祖父が胃潰瘍の手術をして、胃を半分だか三分の二取りました。
夫には、もう三分の一しか胃がありません。
さすがにこれを切ることはないと思うが、表面に出てくることが素人には理解できない。
夫の訴える症状が胃潰瘍そのものの症状のようなので、昨年の《食道再生胃管胸骨前手術》をした外科の執刀医に相談するするとのことで胃酸を抑える薬を増やして帰って来ました。
一番恐れている感染症ではなかったことに、少しホッとしたものの、次々と難題を突き付けられてまいってしまう。
蒸し暑さとこれらのことで、今日は朝から体がだるい。

色々

一週間以上前から、手術の傷跡のライン上が痛いとか痒いとか言っていました。
いつものことでついつい「私に訴えても治らん!医者に診てもらうように!」と冷たい古女房です。
先週の木曜日に、感染症内科を受診したのに、医者に言わなかったのです。
木曜日の検査結果、炎症の数値CRPが少し上がっていたのは、ここにも書きました。
なぜあがったのか、その時は気が付かなかったのですが、恐らくこれだったのだと思います。
言い始めてから、だんだん範囲が広がり、ちょっと膨らんで赤みも増してきました。
内心イライラがつのって、ストレスで逆流性胃炎のげっぷの出ること出ること・・・
今一番気を付けないといけないのは、感染だということが解ってないのかと腹が立ちます。
感染症であれだけ苦しんで、大きなものを失ったのに・・・。そうしているうちに、金曜日の夜お風呂から上がってきて「裂けて血が出た!」「ええ!!
放っておいていいはずがありません。
月曜日から埼玉へ行くって言っているのに、もう・・・
自分のことなのに、どうして早めに手を打てないのか??
これまでにも何度「私は医者じゃない」と言ってきたことか。
歳と共に頑固になる。

ティッシュを当てて突っ立っている。
「抗菌の軟膏あるでしょ?」「あったなぁ・・・」
やっと軟膏とガーゼとテープを出してくる。
付き合いきれん。

土曜日の午前は川柳の講座だったので、午後緊急外来にいく?と聞いても「いい大丈夫やろ」
どこにそんな根拠があって言うのやら?もう知らん。
ホント何度これも思ったやら?

月曜日の朝、パジャマにべっとり血と黄水が付いている。
あれほど病院に行こうと言ったのに、ホント解ってない 一言「また入院したいん?」

そんなこんなで、内心びくびくの埼玉行きでした。


娘が、最寄駅まで送ってくる車内で、「何かいつもと違うと思ったら、病院にいかなあかんで、お母さんに言うても治らへんで」と言いました。


っで帰りの飛行機が着陸態勢に入った時、「近いから病院に行こうか?」と言うと意外と素直に行くと言うので、緊急外来に行ったのです。
娘の一言が、かなり効いたのかも知れません。


主治医は手術中で診てもらえませんでしたが、入院中お世話になった医師には診てもらえました。
来週の火曜日は心臓血管の外来ですが、それまでに異変があったらすぐ来るようにと、念をおされて帰って来ました。



お目汚しの画像は昨夜の物です。
前日病院に行った時は、傷口が塞がっていたのですが、またジクジクしています。
火曜日まで持ち堪えられるのか、非常に疑問&心配です。






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