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神戸マラソンと緊急外来の思い出

今日は神戸マラソン、2万人の募集に8万人の応募があったそうだ。
神戸市役所を9時にスタートして西へ西へ走り、明石海峡大橋の下で折り返し
神戸ポートアイランドでゴールする。

  


      神戸マラソン祭り騒ぎの二万人  タンポポ


       神戸マラソン


                ※画像は無料素材屋さんからお借りしました。



もう7年前のこと。朝起きた夫が熱があると言うここ
この日も神戸マラソンだった。

     ♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪~~♪

夫の病気に関するブログは今まで「病気・医療」のカテゴリに
入れていましたが、新たに「夫の病気」カテゴリに少しずつ移動しています(^_^;)


転院

夫は7年間お世話になったこちらから、自宅に近いこちらへこの度、転院しました。
あちらでは何度も命を救っていただき、500日もの入院をしましたが、現状より
良くはならないことで、通院の負担を減らすべく転院したのです。
細かいことを言えば、通院にかかる交通費も全然違ってきますし、何より体への
負担が違います。
死ぬまでこの病気と闘わねばならぬ身で、この先もっと年齢を重ねることを
考慮したのです。
転院先は電車で3駅と近いのです。帰りは散歩を兼ねて徒歩で帰って来ることも
しばしばです。
おそらく7年前自宅で倒れていたら、ここへ救急搬送されていたでしょう。
ここは30年余り前、人口鼓膜の手術をした病院でもあります。

昨日は、各種検査と心臓血管外科・腎臓内科の2科受診でした。
朝から出かけ、検査のため昼食抜きで診察が終わったのが、5時過ぎだった
ようで、お腹を空かせたままでした。
診察が終わったと連絡があり、迎えに行きました。
当初の予定では、処方箋FAXを送った調剤薬局へ薬を受け取りに行く
つもりでしたが、空腹でフラフラしているのを見かねて、自宅に戻りました。

何分にも1/3しかない胃は、一度に食べられる量が少なく食事を一度
抜くことは体力的に無理があります。
またお腹が空きすぎても食べられないのです。

厄介な病人ですがいなくなったら困ります。
この年になると、どちらが先に逝くかは解りませんが、
病気と向き合っていくしかありません。
万が一、また入院をしなければならなくなった場合も、ここなら
私の負担が軽くなります。

夫の体調

今朝の体重は49.6キロだと言う夫。
大の男、否ジイさんが50キロを切っては、そりゃあしんどいと言うもの。
夏が越せるかどうか心配になってくる。
5年前193日の入院を終えて、退院したときは46キロだった。

朝食後、扇風機を出すと勢い込んでいたので、
クロゼットの上段から、おろすのを手伝った。
その後しばらくして、音がしなくなったなと思った。
疲れて寝ているのだろうと思って見に行くと、やはり力尽きて
ベッドで寝ていた。ビックリするほど体力がない。
これが11回の手術で体中傷だらけになり、それでも何とか生きている
74歳の哀れな老人の姿なのだ。

何度も書いているが、MRSA感染症があり食道抜去、食道再建胃管胸骨前手術を
受けた身体は、今より良くなることは望めない。
現状維持で体力を温存するしかないのだ。
悔しいがこれが思ってもみなかった、我が家の老後の姿である。

          @R0024334@.jpg


↑の写真は6月1日に撮ってくれと言われて撮ったもの。
遺影か?と冗談を言って撮った。

病人との暮らし

愚痴です<(_ _)>

夫の体調がすぐれない。
このところ朝食が食べられず、牛乳だけ飲んではまた
ベッドで寝ていることが多い。
大手術をして、助かったのは余程の強運の持ち主だと思うが
生かされているのも、非常に苦しい。
最初に倒れて一時、20キロも体重が落ちたので全身の筋肉が落ち
体力も落ちた。骨も痩せた。口元から顎にかけても痩せた。
そのせいで顎関節が外れるようになった。

昨日は、大学病院の歯科口腔外科に行った。
感染症があるため開業医では断られる。
一時間ぐらい治療をしていると、終わった時、顎関節が外れて
口が閉まらなくなったと言う。
そのせいで物が噛めず、夕食は2時間かかって食べたが
完食に至らなかった。
塩分、カリウム、タンパク質の制限がある身に、これ以上
どうすれば良いのやら?
 
声はあまり出ないし、顎はこんな具合だし、食道癌でもないのに
食道再建胃管胸骨前手術した身体は、見るも無残な姿をしている。
この手術の原因になったのはここ
この吐血したとき、食道抜去、ステント挿入、胃瘻、腸瘻、の手術をし、
5月1日から8月15日まで、口から食べ物を摂ることは出来なかった。
ただ食べられるようになったとき誤嚥を防ぐために、口に入れる練習はした。
それは喉のあたりに付けた袋に出てきた。
それでも命を繋いだ。

MRSA感染症のせいで、4年前から胸に穴が開いている。
毎日お風呂上がりに、薬を塗ってガーゼを当てテープを貼る。
いくら肌に優しいとうたったテープも、毎日貼っているとテープかぶれが
酷い。テープを貼るところがないほど全体にかぶれる。
恐らく死ぬまで治ることはないだろう。
毎日手当をするのも疲れる。

とは言っても、夫に頼りっぱなしの古女房は、さっさと先に逝かれても
困るなと思う。
夫とも病とも気長に付き合うしかなさそうである。はぁ~~!


↓お目汚しですが・・・胃管胸骨前手術画像  2013/11/16

         @IMG_1053.jpg


旧作から
   病む人を今も好きかと自問する  タンポポ


高カリウム血症

夫は最初の病気で倒れた時、裂けた大動脈からの大量出血で
左の腎臓が機能しなくなった。
それ以来減塩に努めている。

しかしその後いろいろあり、カリウム制限タンパク質制限と、いったい
何が食べられるのかと思うほどの食事制限がある。
そして時々高カリウム血症になる。
生野菜は水に浸けておけるものは一時間浸けておいて食べる。
後は加熱した野菜である。
大好きなフルーツもNGであり、もっぱら缶詰を食べている。

そんなにしているのに昨日の採血の結果、カリウムの値が6.8だったらしい。
2月に緊急入院した時は7.0だった。
もっとも2月のこのときは、毎朝果物を食べていたので当然の結果だろう。

しかし今回は全く腑に落ちない。
これ以上どうしろと言うのだろう?

昨日は検査のみだったが、受診をすれば即緊急入院だったかもしれない。

夫がまだ帰宅しないうちに病院から電話があり、詳細を知らされた。
来週は受診日、診察後帰って来られるのだろうか。嫌な予感がする。

またしても

夫が入院をした。
2011年の10月以来、もう何回目の入院なのか、本人も私も定かではない。

昨日、感染症内科の予約があり、一人で出かけて行った。
受診の前の採血検査で引っかかってしまった。
カリウムの数値が2週間前に比べて、上がり過ぎていた。
結果を見た主治医の顔色が変わったという、それほど高くなっていたのだ。

そして急遽腎臓内科の専門医を受診したという。
実はこのところ、足の甲が腫れているのが気にはなっていた。
たぶん腎臓から来ているのだとは思っていた。

腎臓は最初に倒れた急性大動脈解離で、左の腎臓の機能を失い
右の腎臓だけで頑張ってきた。
減塩、カリウム制限の食事を心がけていた。

夫の兄も姉も透析治療をしていたが亡くなっている。
長男も透析をしている、素人考えでも腎臓の悪いDNAが濃いのだと思う。

昨日の状態では一時的な透析も考えられていたそうだが、それは何とか
避けられた。
数値は少し改善しているが、ベッドから降りられない。
救急病棟から一般病棟に移る前体重を測った。
立ち上がるのは禁止なので、身体をシートのようなものに包んで
ゆりかごのように、ぶら下げて測っていた。

一般病棟に移動した。以前長い間お世話になった病棟であり、看護師長さんが
おかえりなさいと挨拶に見えた。
救急病棟でも何度もお世話になっており、やはり覚えている?と挨拶をしてくれる
看護師さんがいたしうだ。
あまり長居をするところではないなと思う。

取りあえず月曜日の検査結果を待って、退院か否か、また今後の治療が決まるらしい。

我が家の今年の目標は「入院をしない」だったのだが、今年もあっけなく入院をしてしまった。
今回だけで済みますように・・・。

5回目の記念日

記念日と言うものは、えてして良いことがあった日のことであろうと思う。
しかし夫が言う、我が家の記念日の一つは自分が死んでいたかもしれない
2011年10月6日のことである。
興味のある方は、この月のブログあるいは、病気医療カテゴリをご覧ください。
前のブログから引っ越していますので、見難い部分があると思います。

生まれて初めての大病で、運よく命をつなげたのだから、記念日だと思う。
ただこの時の病気だけだったら、今程苦しい生活をしなくて済んだ。
一年後の感染症発症に始まり、その後、何回もの全身麻酔の手術をしたせいで
声がほとんど出なくなった。
声を戻す手術や声帯に注射をしたが、思うようには戻らず会話には、難儀している。
とにかく息が続かない、声が掠れる・・・電話など非常に困る。

先日出かけて帰って来た時「今あなたが一番欲しいものは何ですか?」とカーラジオから
聴こえてきた。
そこで夫に「何が一番欲しい?」と聞くと間髪入れず「声」と返ってきた。
健康な身体と返ってくると思っていた私は、普段意識することなく発声している
声の大半を失った夫の不便さを、再認識したのだった。

73歳、4年半で500日の入院をし11回の手術をした身体は、ボロボロです。
手術の中でも、13年8月15日の食道再建胃管胸骨前手術は心身ともに
大きな大きなダメージを与えました。2011年10月の出来事がなかったら今ほど
苦しい老後を送らなくてもよかった・・・・と思うのです。

        @IMG_1054@@.jpg

真ん中の傷痕の上の方に、感染症のため直径5ミリほどの穴が、
3年ぐらい開いてふさがりません。
現在はもっと痩せています。大の男の体重が44キロ~45キロです

結婚して47年目、今後も夫にはこの苦しい生活が続きます。

羨ましい健康

何度か書いたが、去年から2年間自治会の役員をしている。
戸数380戸余りの自治会はなかなか大変である。
以前は自治会も管理組合も夫任せだった。
しかし人工血管再置換後、何回もの全身麻酔のため、ほとんど声が出なくなった夫に代わり、
私が出るようになった。
役員はほとんど60代~80代で構成されているが、みなさんお元気である。
夫と同年代の方の元気が羨ましい。

11回もの手術に、かろうじて耐えた身体は、奥の深いところから悲鳴をあげている。
体重はここのところ減少傾向で45キロ~46キロの間。
大の男がこの体重では、自分の身体を持て余すのも無理はない。
4年10ヶ月前までは、こんな老後になるとは思わなかった。

声は3回の手術で出るようにはなったが、満足のいく声量ではない。
相変わらず掠れていて、聞き取り難い。

11年10月に倒れていなければ、否.一年後、感染症MRSAに罹らなければ、
否々大量の吐血さえしなければ…と悔いは尽きない。
あんなに元気だつた人が、20キロも痩せて全身の筋肉が落ち、
見るに耐えない憐れな裸体を晒す。
そりゃあね、72歳の老人だもの、若者の肉体美の足元にも及ばないけど。
でも老人は老人なりに健康ならば、それなりの身体だと思う。

おまけに感染症の影響で、もう3年もの間、胸に開いた直径5ミリほどの穴が塞がらない。
したがって、真冬のどんなに寒い日でも、肩まで浴槽に浸かることが出来ない。
毎日薬を塗ってガーゼを交換し、テープで止める。
いくら肌に優しいと謳ったテープでも、3年も毎日毎日テープを貼っていると
肌がかぶれる。もうテープを貼る場所もない感じになっている。
でもガーゼを止めるにはテープを貼らないといけない。

3分の1になった胃は、食べ物を一度にたくさん摂ることもできない。
そして健康な胃には入り口に弁があるのだが、それがないため
お腹が空いても満腹になっても、胃液が上がってくる。
もう少し楽に暮らせたら夫はもちろん私も楽なのに・・・。
塩分とカリュウムの制限もある。

元気なシニアがつくづく羨ましい・・・。

退院

28日の午後予定通り退院をして来た。
午後のリハビリ後の退院なので、リハビリルームへ行き、
リハビリの様子を見る。
年配の先生も出勤しており、リハビリは順調であり、退院後の
通院リハビリの必要はないとのこと。
先生に「自転車禁止令」を出して貰おうと思い、話した。
すると「自転車に乗るのに必要な筋肉が、落ちているので禁止令は出しました」
「今自転車に乗るのは、また怪我をしに行くようなものです」とのこと。

やっぱりそうなんだ。買ったばかりの自転車が勿体ないなどと言っている
場合ではないのだ。

昨日は図書館、今日は散髪にと慣れない杖を持って出かけて行った。
大の男が48キロしかない体重は、身軽で動くのは楽なようだ。

はあ…

明後日、退院がほぼ決定。
何だか色々考えるとしんどい。

担当のPT(リハビリ)の先生が、昨日から休んでいる。
リハビリの初日から、この先生についている研修生が
一人で、担当している。
退院前に、まだ一人前ではない研修生1人でのリハビリは
心もとない。
どうやらインフルエンザらしい。
インフルエンザでは退院までに、復帰出来ないだろう。



そして退院したら「金輪際入院の付き合いはいたしません」と言ってやろう。

11回目の手術

昨日、人工骨頭と臼蓋置換の手術を無事に終えた。
今回の手術は素直に私の忠告を、聞いていたら避けられた手術。
整形外科と言う、夫には初めての分野の手術である。

待つ方は11回目といえども、決して慣れるものではない。
そのたびに肩に力が入り、時計とにらめっこをするのである。
手術時間は3時間、予定通り終わりホッとする。

11回目の手術と言うと医療従事者でも、みなさん「ほ~・え~」と感心?される。
それはそうだろう。
しかも11回目の手術が11日なんて洒落にもならない。

そして今日の午後から、早速リハビリが始まった。
長さ3Mぐらいの平行棒に掴まって片道だけ歩いた。
先週水曜日の夕方から、じっと寝たまんまだったので、脚の筋力がかなり落ちており
足元は非常におぼつかない、それでもなんとか歩けたのでよかった。

明日からしっかりと、リハビリに精を出してもらわねば。
この病院は急性期の病院ということで、入院期間は2~3週間。
その間、かなり歩けるようになっておかなければ・・・。
2~3週間で退院なのか、あるいはリハビリ病院へ転院なのか、まだ
ハッキリしたことは解らない。

退院

29日(火)の午前中、無事退院をしました。
声の方は今までと比べ物にならないほど出ていますが、やはり今までの声とは少し違います。
そして声の切れが悪いです。やはり完璧とは言い難いのでしょう。
本人も第一声の前に、ス~と息が漏れる感じがするといいます。
それでも語尾の掠れはほとんどなくなったので、聞き取り易くはなりました。
これ以上の贅沢は言えません。

また一つ、よく見える場所に大きな大きな傷が出来ました。
手術直後は喉にびっしりとテープを貼っていましたが、テープをとると
顎の下から広範囲で内出血があり、腫れて二重顎になっていました。
今はだいぶ内出血が吸収されて、範囲が狭くなっています。

まあ本人は元気で食事も摂れていますので、良しとすることにしましょう。
夫は30年余り前に人口鼓膜再生の手術をしていますので、それもいれると
今回で11回目の手術でした。
こんなにたくさんの手術をして、なお生きている人を私は知りません。

人間一生のうち、一度も手術などせずに逝く人も大勢あるのにと思うと、
貴重すぎる体験をしてしまいました
しかも10回の手術は、2011年10月以来4年5か月間のことです。
今回の入院で、総入院日数は500日を超えました。

無題

≪お見苦しいですが、術後5日目の画像です。≫

10回目の手術

予定通り23日の午後2時入院、翌24日の午後3時50分から手術でした。
手術は無事に終わりました。とはいうものの4~5日喋ることが出来ないので、
本当に声が出るようになったか否かは、現時点では判らないのです。
元のようになる見込みはないでしょうが、少しでも生活のレベルが上がればいいと
願っています。

今回の手術法はこれと言う初めて聞く手術で、手術時間は約3時間半。
手術室へは自分の脚で歩いていきました。
10回目の手術も安心できる手術ではありません。
何度経験しても、家族待合で一人待っている時間は、厭なものです。
重苦しいものです。もしも・・・とよくないほうについ考えてしまいます。

そこへ行くと、お産を待っているご家族は賑やかで楽しそうです。

〈家族待合少し静かにしてほしい     タンポポ〉

手術が終わったあと、立ち会ってはいませんが、病室に戻り喉の状態を
ファイバースコープで診たようです。
術後あまり痛みはなかったそうですが、痰がきれず、眠れなかったといいました。
会話ができないので一方通行の筆談です。

22日の夜12時以降は絶食、23日の11時以降は絶飲食でした。
今朝お粥でやっと人心地ついたそうです。
今朝も診察があり、腫れもなく順調とのことです。
午後部屋に行くと本を読んでいて、顔色もよく安心しました。
一週間後、無事に声が出て退院できますように・・・。
これでもまだ声が出ないようなら、もう一度日帰りでコラーゲンの注入をすると聞いています。
もう今回で最後にして欲しい。

この3日間とにかく疲れた・・・。

10回目の手術に備えて

明日の午後から、夫は一週間の予定で入院、手術である。
もはや何度目の入院か、記憶が定かではなくなっている。
たぶん8回目だと思う。
そして手術は、2011年10月から数えて10回目になる。

手術は簡単に言えば、ほとんど出ていない声を戻す手術。
過去に2回、反回麻痺の手術を受けたが、思うような結果は出なかった。
声がほとんど出なくなって、もう2年余りが経つ。

今回も出るようになるかどうかは判らない、運を天に任せるしかない。
生まれたての赤ちゃんでも、教えなくても大きな声が出る。
70年普通にしゃべってきたのが、掠れ声しか出なくなった。
本人にとっては、何ともじれったい思いであろう。
その聞き取りにくい掠れ声さえも、出すのが非常に苦しいのだ。
吸い込んだ酸素が、声帯の麻痺によって一気に吐き出されてしまうので
長くは喋ることが出来ない。生活に大きな支障がある。

手術は24日、全身麻酔であり、今回も決して楽観できるものではない。
声帯の手術だけで3度目である。
三度目の正直となればいいのだが・・・。

オペ決める

今日は耳鼻咽喉科の受診日だった。
平成26年の人工血管再置換手術のあと、反回麻痺のため殆ど出なくなってしまった声。
その声を戻す手術を、過去に2回受けたが戻らない。
また痩せた声帯にコラーゲンを(ゴアテックス)を注入したがやはり駄目だった。
今回もこの1か月間、夫なりに受けるかどうか、かなり悩んでいた。
今朝食事のあと、「このままではどうにも不自由なので手術を受ける」と言った。

本人がまた命がけの手術を希望するなら、私は反対出来ない。
付き合うしかない。
今のままでは、2人の意思の疎通にもこと欠いている。
しかしながら10回目のオペともなると、私の心中も穏やかではない。
どこにも生きて返しますという保障がないのだ。
たった一つの命を、一体何度かければいいのだろう?

2013年8月に受けた「食道再建胃管胸骨前手術」を受けた身体は、ダメージが大きく食事の摂れる量が、限られている。
今夏の暑さの厳しい時、体重は43㌔台だった。
今はだいぶ持ち直して47㌔、それでも大の男の体重にしては軽すぎる。

今回の手術は恐らく年明けになるだろう。
主治医の師匠という先生を京都大学から呼ぶため、その医師の空いている
日になる。医師2人体制での手術となるという話しである。

命がけの手術をする以上、せめて今より楽に声が出るようになって欲しいと思う。

今日は

夫が最初の手術から一年後、街中で倒れ救急搬送された日になる。
ここからどうぞ。

この時もまさか・・・であった。
感染症との長いつきあいの日が始まったのは、この日からだった。
11年と言い12年と言い、青空が気持ちのよい10月は我が家の鬼門だと思う。

あれ以来昼夜を問わず何度発熱の度に、救急外来に駆け込んだだろう。
たいていは、そのまま即入院となった。

もちろん今だっていつでも熱が出たら、救急外来に行くことになっている。
今は感染症の数値CRPが落ち着いており、この1年半ほどは救急外来とは疎遠になっている。




   pics187.jpg

  高熱の中で命の音がする   タンポポ
イラストは無料素材屋さんからお借りしました。




これで安心してはいられないのが、メシチリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)の怖さである。
これから寒くなる季節、体力のない夫には厳しい季節になる。
風邪を引いても、開業医には診てもらえない身体、十二分に
気を付けねばならない。

発病記念日

もう少し前向きなネーミングは、ないものかと考えてみたが思いつかない。
今日で夫が倒れて丸4年になる。
これが3年半で、約500日に及ぶ入院の始まりである。
いつものように食事をして出かけた夫が、事務所で倒れた急性大動脈解離との
闘いの幕開けである。

詳細は予期せぬ出来事からどうぞ。

夫も色々思うことがあるようである。2人の老後の生活設計が狂ってしまった。
ましてや一年後に発症した、感染症に起因した諸々のことですっかり弱ってしまった
病人は耐えがたい苦しみの日々をおくっている。、
私だって同じだ、病気ほどの苦しみではないが、苦しそうな病人を傍で見ているのは
とても苦しい。

悔やんでも元には戻らないのは解っている。
今後、快方に向かうことも望めない。
反回麻痺で殆ど出なくなった声も戻りそうにない。
食事が今より楽に摂れるようになることもない。
1年3カ月前から、胸に開いた直径7~8ミリの穴も塞がらない。
寒くなっても、肩までお風呂に浸かることも出来ない。

生かされて、こんなに苦しい思いをしていることを、医者はどう思っているのだろう?
全幅の信頼を寄せていたが、少しずつこの信頼が揺らいできたのも事実である。

そうかといって、今の夫を診ることの出来る医療機関は、この病院しかないのだ。
心臓血管外科、感染症内科、腎臓内科、外科、耳鼻咽喉科、今後もこの病院の
お世話になるしかない。
最高水準の医療機関であることは、素人にもよく理解は出来る。
でも、しかししかし・・・なのである。

助けていただいたたった一つの命ではある。ことも重々解っているし感謝をしている。
しかしあの吐血を防げなかったのは、解せないでいる。
あれさえなければ、こんなに苦しい思いをしないでもすんだ。


  雲

またしても・・・

またまた夫の病気のことで申し訳ないのですが・・・。
昨年の2月に大動脈の人工血管再置換の手術をして以来、ほとんど声が出なくなっている。
それは日常の生活に、大きく影響している。

     jinnkoukekkan.jpg
↑赤い部分(大動脈)の血管を再置換しました。



何回もの全身麻酔で、左の声帯が反回麻痺を起こした。
昨年12月に、声を戻すべく反回麻痺の手術をしたが駄目だった。
そしてもう一度、9回目になる手術をしたが、やはり駄目だった。

今回、痩せ細った右の声帯に、声帯内注射療法として、牛から採ったアテロコラーゲンを注入した。
声帯がふっくらすれば、声がでる筈だった。
しかし左の声帯麻痺の手術が、不成功に終わり、これはもうここまでが限界と言われている。
その上で最後の手段としての、声帯内注射療法だった。
今日で3日め、何ら変わりがない掠れ声しか出ていない。。
1ヶ月2ヶ月する内に出るようになるならよいが、あまり期待も出来そうにない。
人間らしく普通に言葉を話す、そんな望みがことごとく打ち砕かれる。

命があるだけよしとするべきなのだろうか?
直ぐ傍で話しを聞いても、中々聞き取り難い。
無駄話しをする余裕もない。
普通に会話ができないことの不便さは、考える以上に不便である。
どうしても聞き取れない時は、最終手段としてホワイトボードを使う。
本人が一番不自由で、困っているのは解っているが、私のストレスはたまる。
ただ私のストレスから来る逆流性食道炎は、この状態を受け入れたのか、
慣れたのか、酷かったゲップは、かなり治まり楽になっている。

耳鼻咽喉科受診結果

昨日、耳鼻咽喉科の声帯専門医を受診して来た。
受診して出ていない声が出る由もない。
医者の「一筋縄では行きませんなあ」と言う、言葉通り結果は芳しくない。
良い方の声帯は、痩せてその所為で思うように動いていない。
手術した方は、血豆が出来ている。
一ヶ月様子をみて、血豆が引けば痩せた声帯に、美容整形で使うシリコン?を注入する。
その時、血豆が引いてなければ、注射針で血を抜く。

夫は子どもの時の中耳炎で、少し聴力が悪い。
40歳代の初めに鼓膜再生術を受けた。
耳だれは解消したが、聴こえの方は戻らなかった。

声が出難い上に耳が悪い。これでは、意思の疎通にことを欠く。
血豆のせいかどうか、食べ物が飲み込み難いと言う。
たくさんは、食べられない食事が暑さもあって、ますます食べられなくなっている。
この夏を無事に越せるかどうか…。
只今体重は45キロ、大の男が45キロでは体力を保持するのも、難しいと思う。

今朝もあまりにもしんどそうなので、「何が一番しんどい?」と訊いた。
即座に「生きていること」と答えが返って来た。
冗談ぽかったのが、少し救われた。
しかしながら、これは本心なのだと思う。

ただの一度のオペもせずに、呆気なく逝く方もあるが、夫のように9回も
オペをして生かされるのも、苦しいことである。
本人はどう思っているか解らないし、どちらが良いとは言えない。
ただ間近で見ていて苦しさは解る。
夫は生かされて苦しいが、みている私も苦しい。

@R0023833.jpg


  空よ雲よ少し夫を楽にして   タンポポ

3科受診

昨日、腎臓内科、心臓血管外科、耳鼻咽喉科の3科を受診した。
駐車場へ入ったのは12時36分、出たのは5時10分。

腎臓内科では貧血が進んでいるとのことで、注射をした。
カリウムの数値は基準値内に収まっている。果物と生野菜を控えた成果だと思う。

困ったことに、血清中の血糖値が高かった。
昼食を摂って約1時間後ではあるが、高い。
5食を摂る身体になって、1食はカロリーの高い甘い物を摂ってきた。
全身状態の悪い夫の身では、糖尿の心配はいらないと言われてきたので、
少々心配しつつも、食べてきた。
4週間後、ヘモグロビンA1cの検査をする。
ちなみに夕食後2時間で計った血糖値も高かった

次は心臓血管外科。
たくさんの薬が処方されたが、変わりなし。

最後に耳鼻咽喉科。
術後、傷口に貼っていたフィルムをはずす。
傷口はきれい。縫っていないと思っていた傷口は、見えない奥で
縫ってあるという。
鼻からカメラを入れて喉をみる。
声を出してみるも、掠れ声で思ったほど出ていない・・・。
もう少し出なければ会話に不自由する。

刺激の少ない別のテープ4枚を、横に少しずつずらして
今後3ヶ月、貼り続ける。
痩せて喉のあたりが、皺々になっているので貼りにくい。


9回目のオペ

9回目ともなれば、本人より私の方が良くも悪くも、慣れっこになった気がする。
普通9回の手術なら手術痕は9カ所だと思うが、夫は現段階で13カ所ある。
背中の広背筋を切除した痕は大きい。

年末に反回麻痺の手術をしたのにも拘わらず、すぐに出にくくなった声を戻す
手術を昨日、日帰りでした。
喉に入れているシリコンの調整&シリコンを増やすオペである。

予定通り2時から1時間半で手術は終わり、30分後に様子をみたいという、
医師の見解で、5時前には会計を済ませ帰路についた。
次回の受診は30日、声帯の手術後は、あまり声を出してはいけない。
とは言っても、つい出にくい声を出してしまう。
前回も使ったホワイトボードで、一方通行の筆談をしている。

昨日から聞いていた通り、病院から電話があり、喉に止めているガーゼとテープを
指示されるままに取ろうとした。
ガーゼに着いた血が乾いて、傷口に貼ってある透明フィルムが半分めくれた・・・
だから一晩泊めて欲しいと思ったのに、私は看護師でも何でもないのに。
このフィルムが取れると、傷口には何もない。
傷口は今回縫ってないし・・・
もう一度午後、電話がかかってくる。
このフィルムがピタッと貼れてないと、シャワーも浴びられない。
何より、ばい菌が入るかも知れない。
夫は感染症なのに・・・

MERSとMRSA

韓国で多数の死者が出ている感染症は、MERS。
夫が健康な食道を、切除することになったのはMRSA感染症。
字面だけみるとよく似ているが、全くの別物。
この感染症の所為で、昨年7月から胸に穴が開いたまま塞がらない。

私が大学病院に行ったのと同じ日、夫もかかり付けの病院の感染症内科へ行った。
いつものように血液検査をした。
感染症の数値CRPは悪くないが、カリウムの数値が上がっていた
このところ朝晩だけ飲んでいた、カリウムを下げる薬をお昼も飲むようになったと
下げて帰ってきた。
カリウムは生野菜や果物に多く含まれている。
身体に良いとされている食物に、多く含まれており厄介なことだ。
何より生野菜と果物が大好物なのに、これからの季節、西瓜を思うように食
べられない。食べられない本人を目の前にして、私だけ美味しそうに食べる
わけにもいかない。
しかし踏ん張って自重せねば、最初に倒れて以来、片方の腎臓しか機能していない
身体は、透析を受けるようになっては、もっと困る。

カリウムと塩分の制限・・・減塩調味料にはカリウムが含まれている。
何を食べて生きていればよいのやら?ため息ばかりでる。

発声

昨年2月7日の”大動脈人工血管再置換手術”以来殆ど声が出なくなっている夫は、
年末に声を戻す手術をしたが、また出難くなっている。

昼食にパスタを食べるとキッチンに立った夫が、何かを言っているが聞き取れない。
サイダーと聞こえ、??と思い、近寄って聞き直すとタイマーだった。
こんなことは、一日の内何度もある。
私の聴力も落ちているとは思うが、やはりかすれ声が大きな原因だと思う。

来週は中学の同窓会がある。倒れて以来初めて出席を予定している。
その件で先程、同級生から電話がありった。
取り次ぐ時、かなり聞き取り難い旨を伝え電話を代わった。
長電話ではないが、話すほどに段々出なくなって来るのが解る。
夫が喋った何%が伝わったのだろう。
60~70%伝わっていればいい方かも・・・

食事も一度にたくさん摂れない。小さくなった胃にはビールなんて
とんでもない。好きだったアルコール類は、お正月にワンカップを
1本飲んで以来飲んでいない。

これでは久しぶりの同窓会も、楽しめないだろう。
元気な友人たちを見て落ち込むだろう・・・

通院日

一旦父の回想を横に置いておいて・・・


@2R0019885@今日は夫の通院日、久しぶりに神戸の病院へ付いて行ってきた。
心臓血管外科の受診と腎臓内科の初診。この病院にかかっている科は、メインの心臓血管外科、感染症内科、泌尿器科、耳鼻咽喉科、形成外科、そして腎臓内科の6診療科目になる
上得意ではないだろうか。

3月中に予定していた、9回目の手術をしなくてよくなった、とは言っても胸の穴が塞がったわけではない。
もう丸々8か月も開いたままである。予定していた手術をしても、また同じ経過をたどるかも知れない。感染症がある以上可能性が高い。同じように穴が開いて一年になる方があるらしい。その方は2回手術をしたが、やはりまた穴が開いてしまったという。夫のはそう大きくも、深くもないということで見送った。


年末の入院以来、高い数値が続いているカリウムの件で、腎臓内科を受診した。
服用している薬の副作用でもあるが、その薬の服用は止められない。
専門医の診断の結果、カリウムの数値は高いが、片方の腎臓しか機能していない割には、腎臓そのものは、まだそう悪くはない。GFRの値は38あり、2011年に倒れて以来、急激な変化はないとのこと。
透析を受けねばならなくなるのは、この数値が10以下だそうで、今のところはセーフである。
一番懸念していたのでホッとした。なにぶんにも亡くなった腹違いの兄と姉は、腎臓が悪く透析をしていた。
そしてもう一人の兄も透析をしている。母親は違うが、腎臓の悪いDNAを持っているのだろう。

時間があれば栄養指導を受けるようにとのことで、診察後、受けてきた。

カリウムの知識として、たくさん含む食品=生野菜・果物・中でもバナナは多い、とこれぐらいしか知らなかった。
生野菜と果物の好きな夫が、これらを食べられなくなるのはキツイ。

栄養指導を受けてよかった。
生野菜は小さくして水に一時間ぐらい浸けておけばカリウムは殆ど抜ける。
カリウムは蒸したり、揚げたりしても抜けない。火を通せるものは水に浸けてからゆでる。
少し手間はかかるが、こうすれば生野菜も食べられる。果物は少し減らさねば・・・。
缶詰ならOK。
炒め物も一旦水に浸けたり、茹でてから使えばOKなのだ。

後何年生きられるかは解らない、また透析をするようになるかも知れない。でも少しでも先伸ばしが出来たらいいと思う。

現状より良くなることは望めないかも知れないが、古女房の面子に掛けても、少しでも今の状態をキープしたい。
毎朝食べる生野菜を、こうして食べることで僅かでも数値が下がれば、御の字というものである。

夫の薬

@1IMG_2481.jpg→は朝食後の薬で、これにプラス年末からカリウムの数値が高いので、ゼリー状の薬も飲んでいる。
胃のキャパの少ない身には、食後すぐにこれだけの薬を飲むことが出来ない。
少し食道の内容物が下に下がって来たときに飲む。
もちろん同じぐらいの量の薬を3食後飲むのである。
これだけの薬を飲むには、水も一口というわけにはいかない。

この3年、46~48㎏を超えることのない体重。
3食と午前中に栄養剤を一本飲み、午後はカロリーの高いアンパンやお饅頭の類を必ず食べる。
病気をするまで辛党だった夫からは、考えられなかったことである。
それでも体重が増えない。せめて50キロになればと思うが大きな壁が立ちはだかっている。
これが近所の開業医では、歯医者にさえもかかることの出来ない病人なのだろう。

インフルエンザが大流行しているので、予防接種をしているが、もしも熱が出たらどうすればいいか。
主治医に訊くと緊急外来に来るようにとの返事があった。
12年の秋以来、何度緊急外来に駆け込んだことだろう。
生きている限り、緊急外来とも縁が切れないのだ。


私が車の運転をしているうちはいいが、免許を返納したらどうするか。
ここから神戸の病院までは遠い、救急車のお世話になるしかないのだろうか。
転院は視野に入れられないだろうか。
あまり評判は良くないが、近くに大学病院がある。

一人ウツウツ考えている。

@1R00198510


わたくしがウツウツしても花は咲く    タンポポ

通院

年が開けて10日、医療機関の診察が始まって5日。
そして・・・通院したのが3日
次は連休明けの13日。
今月はいったい何回通院するのやら?

夫一人で行けないわけではないが、インフルエンザが流行っているのでにはあまり乗せたくない。
今年は、予防接種をしていても罹ったという人が多い。
夫など罹ればイチコロかも知れない・・・。


そっかぁ電車で行かせてみようか

外科の受診

外科の受診日、10時には中待合に呼ばれた。
胃カメラの結果は、先日の話の通り、胃潰瘍はないとのこと。
ならば皮膚に開いた穴が、一カ月も塞がらない原因が、イマイチ解らない・・・。
出来る限りの検査はしているので、その結果は後日と云うことだった。

今日は傷口に(麻酔もなしで)ピンセットを入れて、縫ってある糸を探った。
人工血管置換は心臓血管外科、その後の吐血以来の食道抜去、再建は今日の外科医。
そして6ケ月前の人工血管再置換は、やはり心臓血管外科の仕事。

ピンセットを入れて「なるほど・・・深いところにあるな・・・」

糸の周りが化膿していたので、これで落ち着いてくるでしょうとのこと。
医者の言うとおり、穴が塞がって落ち着けばそれでいいのですけど・・・。

よほど痛かったと見えて、帰ってからずっと寝ていた。

さてさて明日からチビ台風の上陸です、今回は滞在期間が短いので、来る前からホッとしています。
明日はかなりの悪天候の模様、新幹線はちゃんと予定通り走るのやら?
そして明後日は、友人と子連れ一泊旅行に鳥羽へ出かける予定ですが、日曜日も天気が悪い。
どうなることやら。

色々

一週間以上前から、手術の傷跡のライン上が痛いとか痒いとか言っていました。
いつものことでついつい「私に訴えても治らん!医者に診てもらうように!」と冷たい古女房です。
先週の木曜日に、感染症内科を受診したのに、医者に言わなかったのです。
木曜日の検査結果、炎症の数値CRPが少し上がっていたのは、ここにも書きました。
なぜあがったのか、その時は気が付かなかったのですが、恐らくこれだったのだと思います。
言い始めてから、だんだん範囲が広がり、ちょっと膨らんで赤みも増してきました。
内心イライラがつのって、ストレスで逆流性胃炎のげっぷの出ること出ること・・・
今一番気を付けないといけないのは、感染だということが解ってないのかと腹が立ちます。
感染症であれだけ苦しんで、大きなものを失ったのに・・・。そうしているうちに、金曜日の夜お風呂から上がってきて「裂けて血が出た!」「ええ!!
放っておいていいはずがありません。
月曜日から埼玉へ行くって言っているのに、もう・・・
自分のことなのに、どうして早めに手を打てないのか??
これまでにも何度「私は医者じゃない」と言ってきたことか。
歳と共に頑固になる。

ティッシュを当てて突っ立っている。
「抗菌の軟膏あるでしょ?」「あったなぁ・・・」
やっと軟膏とガーゼとテープを出してくる。
付き合いきれん。

土曜日の午前は川柳の講座だったので、午後緊急外来にいく?と聞いても「いい大丈夫やろ」
どこにそんな根拠があって言うのやら?もう知らん。
ホント何度これも思ったやら?

月曜日の朝、パジャマにべっとり血と黄水が付いている。
あれほど病院に行こうと言ったのに、ホント解ってない 一言「また入院したいん?」

そんなこんなで、内心びくびくの埼玉行きでした。


娘が、最寄駅まで送ってくる車内で、「何かいつもと違うと思ったら、病院にいかなあかんで、お母さんに言うても治らへんで」と言いました。


っで帰りの飛行機が着陸態勢に入った時、「近いから病院に行こうか?」と言うと意外と素直に行くと言うので、緊急外来に行ったのです。
娘の一言が、かなり効いたのかも知れません。


主治医は手術中で診てもらえませんでしたが、入院中お世話になった医師には診てもらえました。
来週の火曜日は心臓血管の外来ですが、それまでに異変があったらすぐ来るようにと、念をおされて帰って来ました。



お目汚しの画像は昨夜の物です。
前日病院に行った時は、傷口が塞がっていたのですが、またジクジクしています。
火曜日まで持ち堪えられるのか、非常に疑問&心配です。






R0013260@.jpg

最近の夫

6月の心臓血管外科、2回の診察日は、一人で電車を乗り継いで行って来た。
何とか、行けるようになったと言うのが、正しいかもしれない。
血液検査の数値も良くはないが、悪くはなっていないというところ。
CTの結果も変わりなく・・・。

もっとも調剤薬局で薬をもらうため、院内から処方箋をファックスしてあるのを、いつもの薬局へもらいに行く。
そのため甲子園駅まで迎えに行く。
缶入りの栄養剤が重いので、今の夫には持って帰ることは出来ない。

体重もあまり増えないが、減ってはいない。むしろ微々たるものではあるが、増えつつある。
ただ体力・気力の衰えは、どうしようもないほどである。

朝食が済めば休憩、しばらくして薬を飲む。そしてまた休憩、身の置き所がないようだ。
11時ごろには2度目の食事、これは大体栄養剤+バナナであったり、お菓子であったり、あるいは小さな菓子パンだったりする。
そして昼食、4時ごろに4度目の食事、大体甘いものを食べる。その後、一時間ぐらい散歩をしてきて、5度目の食事は6時半ごろ。

今私の目の届く範囲にいない、多分ベッドで横になっているのだろう。
毎日がこんな状態で、傍で見ている私にも、伝染している

   R0013196.jpg

5回の食事

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梅雨らしくない天気が続いている当地だが、今日は降りそうな空模様。


あれポツポツ降っている・・・。
乾燥機のない我が家は、お天気の悪い日の洗濯物は、狭い部屋に除湿機を回して乾燥させる。
カラッと気持ちよく乾くので重宝している。

サンデー毎日なので、雨が降ろうが雹が降ろうが、慌てることもなくごく平凡に毎日が過ぎる。
これは有難いことだと思う。
ただ我が家の場合は、主の病気と言う大きなネックがあって、心底平凡な毎日とは言えない。
退院後、5週間過ぎて相変わらずの体調ではあるが、体重は少し増えて49キロ・・・。
一日3度の食事と、2回の捕食で計5回食べている。
この2回の捕食は、食欲のあるなしに拘わらず、いわば生きるため体重をこれ以上落とさないために食べる。
甘いもの=高カロリーなので、健康な時は食べなかった甘いものを、主に食べている。
R0013176.jpg 甘いものと 言っても主に和風である。
目安は一食200キロカロリー以上。
これがなかなか難しい。
 ケーキなどの方が高カロリーだが、和風スイーツの方が口に 合うらしい。
スイーツばかりではなく、時々塩分の少ないおにぎりなども食べる。

それと左の画像のエンシユアリキッド、これが一缶で200キロカロリーある。
以前飲んでいたラコールよりは、いくらか飲み易いようだ。
市販のジュース類と違って、色々な栄養剤も入っている。
これは病院から処方されるので、1缶当たりの単価は安い。
ただ2週間分持って帰るとなると重い



昨日は

ご心配をおかけいたしました。


今日は感染症内科の受診が、9時半と早い予約時間なのに、採血の検査結果が出るのに、1時間かかるため病院へは8時過ぎに着きました。

炎症の数値CRPは、退院時と大きく変わっていませんでした。
薬の件で、心臓血管外科のK医師と連絡を取っている時、K医師も気にかけていたようで、大きな変化はないとD医師が告げるとホッとしたようでした。



当然ながら、狭い車内で往復一時間、同じ空気を吸いました(^○^)

夫も言いたいことがあると思いますが、何も言いません。

何とか今日も一日、無事に暮れました(*^_^*)

来週の心臓血管外科の診察は午後4時、医師も激務ですね。

3泊4日の

外泊が終わった夫を、1時までに病院へ送っていった。
夫も疲れただろが、私は前回にもまして疲れた。
疲れ果てたというのが正直なところ・・・。

元気なころの夫がしていたことを、全部しなければならないのに、こむら返りで痛い両脚、マイッタ。

夫は全く動かないので、1人でいる時の倍も三倍も、動くことになる。


3泊4日なら、沖縄でも北海道でもちょっとした旅行ができる。今回は旅行より疲れた。
これで退院してきたら、どうなるのだろう?

昨年も194日の入院後、全く動けず食べられない夫と、1ケ月暮らしていた。

外泊許可が出るということは、退院は近いと思うがどうしたものか?


↓朝食後の薬

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術後24日

相変わらず声が出難い。
体重は減り続けて現在46.4kg・・・(ToT)

病院食のカロリーは1650キロカロリーとラコール(栄養剤)を200キロカロリー摂っている。
健康な食道を取らざるを得なくなり取ったため、一度にたくさんは食べられない。

11年10月の手術前から、20キロも減ってしまった。
元々内臓疾患があれば、とっくに死んでいても不思議ではない、大手術を何度もして繋いでいる命。
今はお世辞にも元気とはいえない。


手術後ずっとつけていた心電図は、ようやく2日前から外れている。
一歩前進(^_^;)

昨日はシャワーをしたらしいが、しんどくて倒れるのじゃないかと思ったと言う。
そんな時は、遠慮なく看護師を呼べばいいのに呼ばない。



お見苦しいですが・・・。



左の画像の緑の○が、今回の手術痕・赤い丸が、昨年4月の食道抜去の際の手術痕。

右の画像の赤い○は、今回の手術で人工心肺を入れていた傷痕。そして下の画像は昨年4月30日の食道抜去の際、人工血管を保護するため、背中の広背筋を取った大きな傷跡。

m15220ZHita3Z21.jpgm15221ZHita3Z22.jpgm15222dRuKWXUG1.jpg




体中傷らだけのジイチャンです。




昨年12月24日にアップした画像よりだいぶ傷が薄くなっている。

今回もこんな大きな傷が、背中の反対方向に出来るのだと思っていた。


またまた雨

今日は休養日・・・????

数日前から退院に向けての、話しがあがっています。
退院をするには、点滴を止めねばなりません。
そこで元々の病気である感染症の、抗生剤の点滴を止めました。

その代りに「ザイボックス」という飲み薬になりました。
この薬は感染症の最後の砦と言われる薬で、1錠あたりの単価が半端ではありません。
入院中は比較的安いのですが、外来になると1錠6,000円もするそうです。
値段に見合った大きな大きな錠剤です。

「お薬110番」で見ると薬価は12,395,9円?

取りあえず入院中飲むことになりました。

そして今朝のメール「抗菌剤のせいか身体が一段と気だるく感じる、ムカムカは相変わらずどうなることやら・・・」とあります。

退院の話があがってきても、素直に喜べる状況にはありません。
こんな状況で退院と言われても・・・。

大手術を4回もして、助かった命。
後の人生は儲けもののはずですが、こんな苦しい儲けものの人生を本人はどう思っているのでしょう。
昨日、「すっかり厄介者になってしまったなあ・・・」という夫に、すぐに言葉が出なかったaozora@でした?


律儀なこと主留守でも咲くお花   aozora@

  R0012152.JPG

    《レウコフィルム》


夫に対する思いは・・・

あんなに降らない降らないと言っていた雨が、降りかけたらよく降ります。
一昨日の夕方からの雨が、昨日の朝も降っていました。おまけに?も鳴っていました。

そして今朝も降っています。お蔭で涼しいです。

昨日は雷が止んでから病院へ行って来ました。

お腹からの食事がなくなり、一日6回の食事は食べる楽しみより苦しみの方が大きいのが、今の夫です。
昨日のお昼からは軟飯になり、カロリーは1200キロカロリーになりました。
全部食べると苦しいので残しています、するとまた体重が50キロを切りました。

一朝一夕とはいかないようです。


今朝、心配して神戸の友人が電話をくれました。
気にかけてくれる友人があるのは、ありがたいことです
彼女は昨年、ご主人を癌で亡くしています。

今は自分の93歳のお母さんと暮らしています。
色々話しました。
その話の中で「病んでいる時の夫はかわいかった。母にはそんな感情を持てない」といいました。
別にお母さんとの仲が悪いわけではないのですが、そういいます。
「一人っ子で大事にかわいがられて育ったのに・・・」と言いました。

でも彼女の気持ちが、解らないでもありません、両親と暮らしたのは20年余りです。
それに比べると夫とは、倍の40年以上も一緒に暮らしています。

しかしながら私は、まだ夫が「かわいい」とは思えません。

「悔いのないようにお世話してあげて・・・」という彼女に「Eさんの言葉を肝に銘じておくわ」と言って電話を切りました。

新婚時代以外、夫婦間でお互いをかわいいと思える時があるなら・・・。
それが相手が病んでいる時だとしたら、我が家は「今でしょ!」なのですが・・・。

冷たい古女房なのかもしれません。







またまた・・・(ーー゛)・・・追記あり

今日は大阪マラソンですが、神戸マラソンもありました。

朝私が起きて来ると、熱があると夫が言います。
2~3日前から左の腰の上が痛いというのも気になっていました。
急いで食事を済ませ、救急外来へ行きました。
診察後の採血の結果次第で入院かどうか、心臓血管外科の医師と相談ということでした。
熱がだんだん上がってくるし、CTの結果も前からあるガスが、20日の診察日より増えているということで入院しました。

一応今日も入院の用意をしていたので、よかったです。
今爆弾を抱えている人が、39度以上の熱が出るのは怖いですからね。
病院にいるとお互いに安心できます。


ベッドが空くのを待っていると、何度も「救急車が到着します」とアナウンスがあります。
医療ドラマを見ているようですが、今の我が家には他人事ではありません。
今日は救急車のお世話にはなりませんでしたが、2度あることはやはり3度ありました?





9時頃病院の近くまで行くと、既に大勢の中高生と見られるランナーが、走っていました。
当然交通規制もあります。

夫が入院して病院を出たのが3時ごろ、近くの道路にはマラソン関連のバスが、いっぱい停車していました。
いつものルートで帰ろうとすると、この規制に引っ掛かってしまい、苦手な三宮の駅前を通過しないと帰れなくなってしまいました。
思ったより怖くなく、また怖いと思って避けていた場所を通過したので、そのまま高速に乗らずに帰ってきました。

疲れました・・・±

何だか病気のブログみたいになっていますね(-_-;)


????***************????

コメントありがとうございます。個別のお返事パスさせていただきます<(_ _)>

今朝↓のメールが来ました。

夕方6時頃から熱が上がり、39度を超えた。毛布3枚かぶっても震えがとまらないほど。
熱は夜中の2時頃にも39度近くまで。
結局、夕食は食べられず、腹ペコ。朝食がきたかな・・・。

昨日は朝食を少し摂っただけで、昼食も熱のため食べていませんでした。
24時間ぶりの食事ができたようです。

高熱がでるのは菌のせいだと思います、またしばらく24時間の点滴です。


忘れられない日

今日は朝からきれいな雲が、空いっぱいに広がっていました。

1年前の10月6日は木曜日でした。
あれから・・・そう夫が命拾いしてから一年経ちました。

あのまま両親や兄弟のもとへ逝っていたら、一周忌だと言って笑いました。

おかげさまでそこそこ元気に過ごしています。
ただしゃがみこんでの作業や、腕を上げて上を見ての作業は、倒れるまでのようには出来ません。
昨日も私が転がしてしまった薬を、拾ってやると言って拾ったのですが、しんどかったようです。
両股関節の手術をしてしゃがみ難い古女房と、難なくしゃがむことは出来るのに、その体制がしんどい夫・・・老人世帯以外の何物でもありません。

1年前のことは、昨年の10月7日からの日記に記していますので、興味のある方はご覧になってください±

10時半ごろにオペ室に入り執刀医から説明を受けたのは、午後8時半を回っていました。
この時点ではまだオペは終わっていませんでした、開いた胸をとじているので、もうしばらく待つよう言われ、病気と手術についての説明を夫の兄と一緒に受けました。

それから1時間半後、やっとICUの夫と対面できたのでした。
朝いつものように元気に、出勤した夫の姿はありませんでした。
横にいた夫の兄も、あまりの弟の姿に言葉を失っていました。

こうして我が家始まって以来の、緊急事態が始まりました。

術後23日目の10月29日(土)に無事退院をした夫は、自宅から駅までの5分の距離を一気に歩けないのに、週明けの31日から仕事に復帰しました。
それから退職までの7か月ほとんど勤めを、休むことはありませんでした。
しんどかったと思います。
その間、体にはいろんなことが起こりました。
そのたびハラハラしましたが、本人は最後まで勤め上げられた達成感があったようです。

体調に自信があれば、次にいただいていたお話もお引き受けしたのですが、さすがに本人も自信がなかったようで、お断りしました。


今夫は、国道2号線をカメラを持って、歩くことに燃えています。
すでに大阪から姫路まで5~6回に分けて歩きました。明日も歩くようです。
国道2号線は大阪から北九州市まで続いていますが、全行程を歩くつもりのようです。

今はまだ県内ですので、朝出かけて夕方帰ってこれますが、もっと西へ行くと日帰りは出来ません。どう楽しむかは夫のしたいようにすればいいと思っています。

ということで、ここを覗いていただいている皆様には、ご心配いただきましたが、元気に1年目の記念日を迎えられたことを、お知らせしておきます。

本当にありがとうございました。

  RIMG0636.jpg


夫のリハビリでしたが・・・

今年に入ってから脈が100を超えることが多いのです。
大きな手術の後ですし予約外でも診てもらえますから病院へ行こうと、何度もやかましく言っているにもかかわらず「忙しい云々・・・」と言っては行かないのです。
次回の診察は31日で前回から50日後になります。
なにも異常がなければそれでもいいのですが、100を越えて120~130もあれば異常です。

っで今日リハビリに行きました。
毎回始める前に血圧と脈を計りますが、やはり高く看護師さんの指示で心電図をとりました。
不整脈があり循環器科の医師の診察の結果、脈を戻しました。
ほら見たことか・・・?ä?
何も異常がなければ安静時、そんなに速くはならない筈です。

脈が速くなると脳梗塞になる危険がありますが、夫のはその可能性はない頻脈です。
今回ワソランを処方されました。

看護師さんからも「奥さんの言うこと聞いてね」と釘をさされました。

結局リハビリは出来ませんでした。

先々週の川柳の講座で

人の話聞こうとしなくなって老い   S道子

の句がありましたが、まさにそれです。



さてと・・・

今日は新年初めての夫のリハビリに行って来ました。
リハビリメニューは変わらず・・・

入院中に一度受けた栄養指導を、また受けたいと思い受付で訊ねると主治医を通して申し込みとのことでした。
リハビリ中の夫を待っているといつも声をかけて下さる小西先生も、小山先生もいないということで残念ながら予約が入れられませんでした。

2人ともお出でにならないのは手術中だったのかも知れません。
来週もリハビリの予約をしてきたので、その時にお願いしてみようと思います

出勤する夫と病院の玄関で別れ、aozora@は帰宅しました。


病院の近くに有名なケーニヒスクローネの工場があります。

  
  IMG_5086.jpg

  IMG_5098.jpg 

 煉瓦塀の所々にキャラクターのタイルが貼って
 あります。

  IMG_5079.jpg 

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  IMG_5082.jpg

   

  






診察日

夫の診察日でした。

検査は採血だけでしたが10時半の予約に9時20分に入りました。
2時間待ちでした。

手術で胸の骨を切って開いたのは、溶ける糸で縛ってあるのかな?と漠然と考えていたのですが、金属を入れてワイヤーで縛ってあると聞いて、ちょっとびっくりしました?äあると困りますが、再手術をする時はこの金属やワイヤーを外します。
手術をしなければそのままだそうです。


クレアチニンの数値も少しですが下がりました。
まだ少しふらつきはあるものの前回、血漿輸血をしたことで造血もうまくいっているようです。

次の診察日は、1月の終わりとのことで約50日先です。
これは落ち着いてきたと言えるのでしょう。

食事に気をつけて、次回も数値がさがればいいと思います。


リハビリと初IKEA

夫が9時20分から心臓血管リハビリでしたので、病院まで送っていきました。
リハビリの前に血圧を計ります、もちろんリハビリ後も計ります。
ストレッチと軽い体操の後で、全員心電図を付けてエアロバイクを20分漕ぎます。負荷はトレーナーさんがそれぞれの体調に合わせてセットします。
ここは心筋梗塞等の心臓血管に異常のある患者のリハビリ室です。
整形などのリハビリ室は3階にあります。

リハビリ後、受診される方もあります。夫は主治医の診察は明日の9時20分の予約です。
診察前に少し検査があります。
今日は、リハビリ後出勤しましたが、明日は診察が終われば帰ってきます。

リハビリが終わって夫はポートライナーに乗って出勤しました。
私は洗濯ものを持って駐車場出て、すぐ近くにあるIKEAに向かいました。
空港に行く時も何度も横を通りますが、行ったことはありませんでした。

夫の入院中は、とてもそんな気にならず、またあまり行ってみたいとも、思ってなかったのですが、今日は駐車場を出て右を見た瞬間??

下調べも何の準備もなく思いつきで行ったので、疲れました。
ウロウロして少しだけおかいものをしました。
これはハッキリ言って無駄遣いですä?
一度アメリカでIKEAに行ったことがありますが、その時とイメージが違いました。

無駄を省いた倉庫型の大型店舗は、若い人には魅力があるのでしょうが、多分もう行くことはないと思います。

IMG_4872^.jpg

無駄遣いの一つ、指人形・・・
よくみるとあまり可愛くないねえ


通院リハビリ

昨日は、9時20分からのリハビリを、予約していましたので、病院まで送って行きました。
退院後初めての通院リハビリのため、終わった時の体力次第で出勤出来るか、自宅に戻るか、自分でも解からないので、終わるまで待っていました。
その間、外来で睡眠薬を出して貰いました。

10月6日に救急救命センターへ、運ばれての緊急手術でしたので、外来も初めてです。
執刀医の診察予約をしていますが、来週なのです。
担当医じゃなくても、薬は出ると言うので外来に行きました。
総合受付で予約外受診の受付をしました。全部機械での受け付けです。
受付をすると↓のような予約受付票と呼び出し機が渡されます。呼び出し機のサイズはケータイと同じぐらいです。
aozora@が両脚の手術を受けた病院も、とても大きな総合病院ですが、これはありません。

  IMG_4829@.jpg

この呼び出し機はこんな表示が出ました?

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7月に今の場所に移転したばかりの病院ですので、最新の設備を整えています。
セキュリティも厳しいです。
外来用と病棟用のエレベーターがあり、病棟用のエレベーターに乗るには↓なカードが要ります。これがないと病棟用のエレベーターホールのドアが開きませんし、病棟のドアも開きません。

 IMG_4828.jpg

↑は、その日限りのカードですが、入院患者と家族には別のカードが渡されます。
家族カードは、病棟に入るためだけのカードです。
入院患者のカードは、専用の機械でカードの保証金1,000円をプラスして、チャージすると、ベッドサイドのテレビが見られ、テレビの下にある冷蔵庫が使えます。もちろんテレビでネットも出来ます。
面会室の横にある電話もかけられます。

それらはすべてこのカードから、あれよあれよと引かれていきます?
自力で移動出来る患者は、このカードを携帯しなければ、病棟から出たら中に入れせん。
患者用のカードは、退院時に清算をして家族カードといっしょに返却します。
夫のカードを清算すると保証金を含めて1,300円返金されました。
100円以下は切り捨てです。

当然面会者にも、その日限りのカードが発行されます。
お見舞いに来て下さった方が、病室までたどり着けるのかと思ったと話していました。

結局リハビリのあと出勤しましたので、aozora@が薬を受け取って帰りました。
次のリハビリは来週の月曜日、火曜日は診察です。
この睡眠薬のお陰で、昨夜は久しぶりに熟睡出来たそうです。

っでまた今日も出勤しました。今日は勤務していた役所へ挨拶に行くということで、スーツで行きました。久しぶりにスーツを着るとウエストはダブダブ、肩も落ちています・・・?
20日ほどの間に6キロ体重が落ちていますので、無理もありません。



そして今日からお弁当を入れました。約30数年ぶりかも知れません。
子どもが、小学校の時も中学校も給食がありました。
幼稚園の時は、夫のも入れていましたが、荷物になるので要らないと言って以来入れてませんでした。

どうしても外食は塩分が多いので、ちょっと頑張って入れようと思っています。
三日坊主になりませんように・・・



11月だというのに

とても暖かいですね。暖かいを通り越して暑いです。
夏日だそうですからねえ・・・
家の中で現在26.3℃あります。

ご心配いただいていますが、夫は今日も出勤しまして、甲子園まで送っていきました。
デスクワークならと主治医のOKが出たのも良し悪しです。
来週のイベントが終われば、少し自重してくれるかもと淡い期待をしています。


今まで薬をほとんど飲んでなかった夫ですが、今回の病気で術後たくさんの薬を、飲むようになりました。
写真の薬の他にも、便秘薬・睡眠薬も処方されています。

外来に行くようになれば、処方箋薬局で薬を貰うことになるのだと思いますが、退院時に処方された病院の薬袋は、裏が透明で薬がよく解かります。

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大出血で片方の腎臓が駄目になり、減塩食を心がけていますが、他にも食べると薬の効果が悪くなるので
制限された食品があります。
毎朝飲んでいた青汁、納豆、緑茶、便通のために飲んでいた○り○り○り○茶も・・・

減塩食もワンパターンになりそうなので、1食分セットになった宅配の腎臓食を、お試しで注文してみました。
ネットで色々検索をすればレシピもあります。
気軽に外食の出来なくなった夫の、食べる楽しみも大事にしたいと思います・・・というのは多分建前で、本音はメニューに行き詰った時のためです。
全て冷凍で届き、レンジでチンします。なかなかのメニューです。
明日午前中届きます、何だか楽しみです


入院費と・・・

昨日の夫の体調では、今日事務所に行くとは思えませんでした。
昨夜はしっかりと睡眠が取れたと言って気持ちよく起きました。
そしてやはり仕事に行くといいます、顔色もよく爽やかな顔をしていました。
一緒に行こうと思ったのですが、一人で行くと言いますので、甲子園まで送って行きました。

帰りに郵便局で入院費を支払って来ました。ついでに年賀葉書を150枚買いました。
実は土曜日に退院する時、現金を用意して行ったのですが、伝票が出来ていなかったのです。
それが、昨日届きました。
最近は通院でも診療明細が出ますが、A4或いはA5の用紙が1枚だと思います。
なんと封筒の中にはA4の用紙が16枚と振込票が入っていました。16枚の明細書にはびっしりと、手術や薬剤、検査内容が印字されていました。

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「健康保険限度額認定書」のお陰で、大手術にも拘わらず、163,060円の支払いですみました。
ありがたいことです。  

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短時間でも出勤すると、今回の病気を知った方が、お見舞いに来て下さいます。
出にくい声を出して喋るので、かなり疲れるようです。
でも月曜日よりはだいぶ楽そうです。
こうして段々身体を、慣らしていくしかないのだとは思いますが、まだまだゴールテープは見えません。

帰りも迎えに行くつもりでいましたが、電車を乗り継いで帰ってきました。
事務所を出て駅までの間で一度、最寄り駅から自宅までの間で一度休憩したと言います。

来週は一大イヴェントです。その前に心臓血管外科のリハビリがあります。


退院して

昨夜は夫は10時頃、私は11時頃ベッドに入りました。
夫は久しぶりの自宅で熟睡出来たはずなのに、また私もようやく夫が退院して、ゆっくり寝られると思ったのに2人とも寝付けませんでした?
結局1時過ぎに2人とも睡眠導入剤を飲みました。

今日一日家にいましたが、なぜか落ち着かないのです。
神経がピーンと張り詰めている感じです。
今後のことを考えると色々不安がありますが、とりあえずは平穏に暮らせる筈なのですが・・・

きょうはちゃんと寝られますように・・・?..
明日は月末なので、事務所に行くつもりで、ゆっくり歩いて散髪に行って来ました。

駅から事務所まではちょっと距離がありますので、一気には歩けないと言います。
メールや留守電のチェックをし銀行へ行くようです。
早く帰って来ると言いますので、まあいいかなと思います。
行って自分の目で色々確認すれば気が済むのでしょう。

ちょっと心配なので、明日は事務所まで付いて行きます。



退院しました

6日の朝出勤して以来、24日ぶりに自宅に戻って来ました。
病室を出て駐車場に向かう時、歩くのが遅い私より、まだ遅い夫の歩く姿を見て、切なくなりました。
でも退院出来る喜びを、一歩一歩踏みしめているようにも見えました。

夫には見なれた海を眺めながらの帰り道、私の目に涙があふれて来ました。

助けていただいた、神戸中央市民病院心臓血管外科の小山先生・小西先生、両先生には、感謝してもしきれません。
そして13日間お世話になったICUの看護師さん、本当にありがとうございました。
あの意識朦朧とした夫を見ていた辛い日を、忘れることはありません。

今後、通院治療と定期的な検査は続きます。リハビリ通院もあります。
恐らく薬とも縁が切れないと思います。
でも運よく助かりました。今回、運を使い果たしたかも知れません。

帰りにスーパーに寄りましたが、夫はベンチに腰かけて待っていました。
買い物が終わって戻ると、お尻の肉が落ちていて硬いベンチに座っていると、お尻が痛くなったと言いました。

家に入る前に「家の中は散らかっているよä?」とあらかじめ言っておきました。
リビングに入ると「帰って来れたなあ」と感慨深げに言いソファにかけました。
それから新聞をみたりPCを開いたり、電話をかけたり色々しました。
今はBSで巨人対ヤクルト戦を観ています。

今日も明日も明後日も、ずっと平穏に暮らせますように・・・<(_ _)>

ここを覗いてくださり、励ましていただいた皆さんに、深く御礼申し上げます。
ありがとうございました。
今後ともよろしくお願い致します。


いよいよ退院です\(^o^)/

今日の午後ようやく退院してきます。
10日ほど前には、10月中に退院出来るとはとても思えませんでした。

医師からデスクワークならと仕事の復帰も許可がおりました。
重い物は持てません。
月曜日は月末ですので、早速出勤するつもりでいます。

どうしても行くなら、朝は付いて行こうと思います。

さて今夜から久しぶりに台所に立って減塩食を作らねば・・・

ありがとうございました<(_ _)>


短時間でしたが

埼玉から娘が来ました。
30分ぐらい遅れるのが、普通のようなスカイマーク? は今日も遅れました。日帰りをする娘には、その遅れる時間が勿体ないと言います? 
1時過ぎに病院へ着き3時半の飛行機で帰りました。
7時前に家に着いたと電話がありました。
忙しい日帰りでしたが、夫の歩く姿を見てとても喜びました。
夫も歩けるところを見て欲しくて、デイルームの中を背筋を伸ばして歩きアピールしていました。

娘も安心して帰ったことでしょう。
夫が倒れていなかったら、お土産に持って行くはずだった木のおもちゃを、持って帰らせました。早速喜んで遊んでいるらしく「お待たせしました」「お魚どうぞ?」なんて声が聞こえていました。

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帰り際に「今度は家で会おうね」の言葉に夫は涙ぐんでいました。
今回の病気で、少々涙腺が緩んだのかも知れません。


術後20日  (20日の画像UPしました)

とうとう20日になりました。
病院へは一応皆勤で、古女房の面目を保っています
いい天気だったので、西の方の窓から明石大橋が見えていました。


20日を区切りに覚書きとしてのブログは、今日を最後にしたいと思います。
20日間、親身にご心配いただきました皆さまに、深く感謝いたします。
ありがとうございました。

これからは、また日々の生活の中での出来事や思ったことを、綴っていけたらいいなと思っています。
もちろん、今後の夫の様子も、時々ご報告したいと思います。



今日は栄養指導を受けました。
栄養士さんがパソコンで夫のカルテを見て「えらいことだったのですねえ」と言われました。
後になってからネットで検索するたびに、改めて夫の運の良さに感謝する日々ですが、どなたが見ても運の良さに驚かれるようです。

そこでせっかく助かった命を、食生活で腎臓・心臓ともに楽に過ごせるように指導を受けて来ました。
とてもハキハキとした喋り方で、おっしゃっていることも良くわかりました。

片方だけになった腎臓に負担をかけないように、少ない塩分で美味しくいただく方法、なかなか難しいですが、夫婦で同じ物を食べれば何とかなるのではと思います。
夫と同じ物を食べることで、私のの糖尿も今より改善出来るかも知れません。
晩酌を今の半分にして、ご飯も減らすよう言われました。
今病院で出ている食事は、1600キロカロリーです。
手術後、上がっていた血糖値は落ち着いています。
今後は腎臓に優しい食事を心がけねばなりません。

夕食を今より1時間早く食べられるといいなと思います。引退をして毎日日曜日になれば出来ますが、まだ仕事にも未練がありそうです。
夕食を早く済ませて、腎臓も心臓も楽にしてやることだそうです。

朝食に飲む牛乳も低脂肪乳に変えるよう言われました。
私ははずっと低脂肪乳を飲んでいますが、今後は夫も低脂肪乳です。

禁煙をしてアルコールも、ご飯も半分・・・
厳しいですが、運よく助かった命、10時間の手術に耐えて助けていただいた、たった一つの命を、大切にせねば罰が当たりますね。


心電図の電極が取れた記念の一枚です<(_ _)>
手術直後の痛々しさはなくなりました。

丸い6つの傷は4本のドレーンと心電図だったかな?
左わき腹にも管を挿していた傷があります。

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術後19日

今朝、友人から一度顔をみたいので、今そちらに向かっていると電話があった。
夫が倒れてずっと私たちのことを凄く心配してくれているのです。
20分ぐらいして友人が現れました。
映画「アンフェア」を観に行って以来だから、28日ぶりの再会です。
下にご主人の車を待たせているにも関わらず色々と話しました。
色々と言ってもほとんど夫の病気のことです。
思ったより私が元気にしていたので安心したようでした。
いい友達を持っていると思いました。
この友達とは30年以上の付き合いで、一番の友達です。
お互いの夫とよりも気持ちが通じていると、思っています。

その後、いつものように病院へ向かいました。
今日は私の2人の姉が、夫を見舞ってくれることになっていました。

ポートライナーを降りて、直結の病院の2階入り口で待ち合わせました。
事故渋滞で到着が遅れた分、姉達を待たせました。
12時ごろでしたので、面会時間には早いので、夫を面会室へ連れて来ました。
すたすたと歩いて来た夫をみてビックリしていました。

この2~3日調子よく歩けるようになっていたので、元気そうなところを見てもらえてよかったと思いました。

もしあのまま命を落としていたら、末っ子の私が先に未亡人になるところでしたä?

今日は点滴は1日中ないということでした。
昨日私が帰ってからMRIを撮ったそうです。
手術した人工血管の様子を見るためだったそうで、不具合はなかったとのことです。

食欲もあり顔色もよくなり、坐っている顔を見ると元気なころの、夫の顔になって来ました。
嬉しいことです。
でも仕事の電話で15分ほど話しをすると、しんどかったようです。
声がまだ出にくいので無理もありません。

退院の目処はつきましたが、社会復帰には時間がかかりそうです。
大手術の後です、じっくりと時間をかけて、復帰が出来たらいいと思います