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バカな私

恥ずかしながら、私過去に3回家出をしたことがあるのです。
3回とも娘と喧嘩をしての家出であった。
1回目は次女が中学生の時だったと思う。もう30年以上も前の夏休みだった。
喧嘩をしてどうにもこうにも、腹の虫が治まらず、荷物を持ってバスに乗った。
当時両親が実家にいたとはいっても、娘と喧嘩しましたなんて実家に
帰れるはずもなく、行く当てはなかった。
とりあえずJR甲子園口に出た。駅に着いたものの一人旅など
したこともなく、どこまでの切符を買おうか迷った。
当時住んでいた公務員宿舎で、仲良くしていたHさんが
金沢の出身だったのを思いだし金沢までの切符を買った。
夜8時頃だったか、金沢に着き駅前のビジネスホテルに泊まることにした。
こんな時お酒が飲めたらいいだろうなと思ったが、飲めないものは仕方がない。
何分にもかっとなって飛び出してきたもので、予定も何もないのだ。

少し落ち着いて自宅に電話をすると夫が出た。
怒りもせず「気がすんだら帰って来い」だったか、ハッキリとは覚えていないが
責められることはなかった。
そして翌日、バスで市内観光をした。
今後の予定も何も決まっていないので、お土産も買わずひたすらバスに
乗っていた。
何時間か後バスを降りて、またこれからどうしよう。
まだ帰るには早いし・・・。
今のようにスマホがあれば、もっと有意義に観光も移動もできたと思うが
出てきたはいいが行く当てがないのだ。
そこで駅に行き能登に行くことにした。輪島に着き駅前の観光案内所で民宿を
取ってもらった。
当時は今と違って、女の一人旅は歓迎されなかった。
その日の宿泊客は、私ともう一組女性の二人組だった。お風呂に入って食事を頂き
色々思うこともあったが床についた。
さて翌日、輪島の朝市に出かけてみた。今日の予定も決まってないのに、
朝市で買い物をした。それも何だったか忘れたが、魚介類を買った。
発泡スチロールのボックスに氷を入れて持ち歩くことに。
まあその日の夜には家に帰ったのだが、後味のいいものではなかった。

それから何年かして、今度は長女と喧嘩した。この家に引っ越して来ていた。
今度は当時、球児の宿だった水明荘(今は廃業している)に
泊まり、翌日ここから仕事に行った。

そしてもう一度はやはり長女と喧嘩して、今度は隣の市のビジネスホテルに泊まった。
喧嘩の原因は覚えていないが、長女とはこの頃よく揉めていた。
長女はバンド活動をしていて、それが私の気に入らなかった。
私も娘も若かった、30年近く前のお話です。

今はそんな元気はないし、喧嘩をする相手もいません。
病人相手では本気で喧嘩も出来ません。


  いざという日のビジネスホテル見つけとく  タンポポ



        ビジネスホテル

旅行

友達との旅行も、もう長い間行っていないなあと思いながら、
よく行っていたころを懐かしんでいる。
確か長女が中1次女が4年生の時、仲の良かった今で言うママ友3人で、初めて旅行をした。
一泊二日のバス旅行、行き先は金沢だった。
3人での旅行は、阪神淡路大震災の前まで10年ほど続いた。
色んな所に行った。一泊が二泊になり三泊になり4泊になった。
夫も子どもも気持ちよく送り出してくれた。

金沢・伊勢・白浜・能登・東北・九州・四国・山口・北海道・・・
宿では夜の更けるのも忘れて喋った。

3人の旅行で萩・津和野へ行った時、台風が来ていたがツアーは決行された。
松下村塾を見学中、空は暗く今にも降り出しそうで、部屋の中はよく見えなかった。
あくる日、鍾乳洞へ向かったが、ケータイのない時代公衆電話から会社へ
連絡をした添乗員さんが、新幹線が運休するかも知れないので、このまま駅へ向かいたいと言う。
新幹線が運休してしまったら、それはまた厄介なことになる。
だれも声をあげて反対もせず、駅に向かった。
そしてお弁当を買い、新幹線に乗り込んだ。
新神戸駅から三宮に着いて、お茶でも飲んで・・・と思ったが、お店はどこも
閉まっていた。

この仲間での旅行は、ずっと続けられると思っていた。
ところが阪神大震災の時、Hさんが自分が元住んでいたマンションの
知り合いのところには行ったのに、Kさんのところには来なかったと
つむじを曲げてしまった。
その一件以来、3人で会うこともなくなった。

震災でKさんの家は、お隣の家が寄りかかってきて全壊してしまった。
マンションの管理人のおばちゃんだった私は、Kさんに頼まれて仮住まいを
社長に頼んでお世話した。
今も私はKさんとは仲良くしている。



~~~たぶん続く~~~

お盆休み

仏壇のない我が家にはお盆も普段と何も変わらない。

昔はお店もお盆は休んでいたが、今スーパーもお盆は休まない。
休むのは開業医と、一部の会社だろう。

実父が逝き。舅姑も逝ったので、本来ならお墓参りを
せねばならない。
ところが婚家は兄嫁も亡く、兄も何年も入院しており
お墓がどうなっているのか解らない。

実家とは、10年前両親を留守の我が家に置き去りにして以来
関係が拗れている。
何より両親をホームに入所させた際、こんなバカみたいな念書を書かされている。
そんなこともあり、昨年2月に父が逝って以来3回しか実家には行っていない。

兄嫁は一年以上入院しており、兄も今日入院し、明日内視鏡で胃のポリープを
取ると聞いている。

病気は誰だってするし、いつ誰がどのような状況でなるかは解らない。
ただ兄夫婦に限って言えば、罰が当たったとしか思えない。
思うに他人さまからみて、もちろん身内からみても何てバカなことをしているのだろうと、
あきれたり笑われたりするようなことをしてはいけないと思う。
みんな自分に返ってくるのだから・・・。

お盆にはお供えを送って、実家の方に向かって手を合わせた。
それで我が家のお盆は終わった。

実家のことを書くと、両親がつらい日を送っていたことを思い出し、気持ちが萎える

何だかなぁ・・・

昨年2月22日に、父が103歳で亡くなった。年齢にもちろん不足はない。
家族葬ではあったが葬儀をし、35日の法要、初盆もした。

今月は一周忌だが、義姉は圧迫骨折でもう7ヶ月も入院している。
おまけに兄は体調が悪いという。
それなりの年齢である。体調が悪いのも骨折をしたのも
仕方がないとは思う。
ただ我々三姉妹は、これまでの兄夫婦の両親への態度から、
天罰が下ったとしか思えないのである。

義姉の入院、兄の体調の悪化で一周忌の法要は、家族でお寺さんに行き、
お経を上げてもらうだけにするという連絡があった。
私たち姉妹も親戚も呼ばないで済ますと・・・。

せっかく103歳までも生きたのに、これではあまりにも寂し過ぎる。
人は呼ばなくても、きちんと祀ってくれるならいい。
だがそれさえも怪しい。お墓まいりもきちんとしているのかどうか・・・。

私たち姉妹は両親を特養に入れた時、「今後一切実家に口出ししません」と
いう馬鹿らしい念書を書かされたので、口出しは出来ない。
出来ないので、ここに悔しさをにじませて書いている。
まだ母がいるので、言いたくても言えない。

情けない兄を持って日々悶々としている。


身体障害者

ここには過去にも書いているが、私は約18年前に右脚の股関節を、また約8年前には、左脚の股関節を人工関節置換手術を受けているので、今は2種3級の身体障害者である。

そして夫もまた昨年から、病気により1種4級の身体障害者になった。
夫の場合、現状が今よりよくなることがあるかも知れないということで、再認定を課されていた。
市役所から書類が届いたので、先日心臓血管外科の主治医に意見書をお願いしていたのが届いた。
それによると、夫も今回から3級に該当するらしい。夫婦して3級の身体障害者になってしまった
感染症のためたくさんの薬を飲んでおり、胃管胸骨前手術、食道抜去などのため、
充分に食事の摂れない身体であり、また1年半もの間、胸に約5ミリの穴が開いている。
これも感染症によるものであり、半永久的に塞がらないようである。

これが老いた我が夫婦の現実であり、ありのままを受け止めねばならない。

27年@股関節


出版に思うこと

酒鬼薔薇と言えば、あのおぞましい事件を思い出されると思う。
神戸市の新興住宅地で起きた、連続児童殺傷事件である。
14歳だった少年Aは、現在32歳になっている。

今回”絶歌”を出版したことで、また世間の注目を浴びている。
当時から陰では実名報道はあったが、元少年Aとしての出版。
出版するなら堂々と実名ですべきだと思う。

被害者遺族の気持ちを無視して、なぜ出版したのか?
やはりまだ尋常な心を、取り戻せていないとしか思えない。
当時は少年であっても現在32歳、贖罪の意味を込めて
実名での出版が本筋だと思う。

事件当時、マンションの管理人のおばちゃんだった私、
姉がこの地域に住まいしており、被害者家族と知り合いだった。
またマンション管理会社の社長も、この事件のあった地域に住んで
おり、社長の息子が、この少年Aと同じ学年だった。
そんなこともあって、警察の発表の前に少年Aを知った。

被害者の頭部を校門に置くという、尋常では考えられない
行動を取った犯人が、14歳の少年だった。
狂気としか言い様のない少年。しかし未成年と言うことで
法の下に家族共々守られた・・・。



印税は遺族に渡すと行っているそうだが、どこまでが本当かはわからない。
ただ良識ある書店の店頭には、並べて欲しくない思う。

昨日、ショッピングモールの書店をのぞいたが、目につくところには
なかったのでホッとした。
もちろん店内にはあるだろう、客が絶歌云々と言えば、奥から出して
くるのだと思う、それがいい。


私は読む気はないが、全く別の事故の被害者の立場で読んだ人の感想は、
「読めば分かるが、結局自分を救済する為に書いたと。
償いの言葉を少しでも書きながら、実は自身の救済の為。
加害者が今までの事を淡々と綴っているような印象しか受けなかった。
人殺しの言い訳だと言う人が圧倒的に多いだろう。」

と書いている、その通りだと思う。
責任を取れる大人になって、元少年Aはないと思う。

何年か前、犯人の母親が手記を出したらしいが、それさえも正気の沙汰とは
思えない。
担ぎ出す人があり、ゴーストライターもありなのかも・・・。
何とも厭な世の中で、我々は生きているのだろう。


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ほぼ判っていたこと

夫に春の叙勲の内示があった。
退職する前から、70歳になったら対象になるとは聞いていた。
ただ昨今は、非常に厳しいとも聞いていたので、体調のこともあり、
残念な結果になることを、望んでいたのは古女房の私。

ここにアップしたように、昨年の9月に役所から申請するようにとのことで、
申請をしていた。
それが今回審議の結果、晴れて叙勲を受けることになったというわけ。


一般職の元国家公務員を叙勲の対象にすることに、否定的な
ご意見があるのは知っている。
それは関係機関の決めることであると思う。
尤も夫たち一般職が受けるのは、ごくごく下位のもの。


本来なら名誉なことと、夫婦手を取り合って喜ぶべきことなのだろうが、
私の本心は罰当たりにも、あまり嬉しくはないのだ。
夫は5月11日に行われる、伝達式に出席する意向である。

病気で倒れる前から私は、「そういうことになっても私は付いて行かない」と
宣言していた。

夫は在職中、何度も霞が関に出張し、多少は東京を知っている。
しかし私は全く知らないのだ。病身の夫と行ってもし何かがあっても
何もフォローが出来ない。

次女が埼玉にいるから、同伴は娘でいいと思っていた。
娘も私も、恥ずかしながら色留袖を持っていない。
でも娘に同伴を頼むなら、買ってあげるつもりでいた。

それが同伴は、妻に限るのだそうである。
万が一、対象者が車いすなどで、介助が必要であれば、
娘でもいいらしい。

娘たちに、決定の知らせをLineで送ると、「冥土の土産に行って来たら
いいじゃない」という。
冥土の土産ねぇ・・・。

問題は、ハードなスケジュールに耐えるだけの、体力があるかどうかである。
伝達式の後は皇居にあがるのだそうで、それはそれは厳しい警備の中、
しずしずと上がらねばならないのだろう。
叙勲が生涯に一度なら、同じように皇居にあがるのも、一度きりしかない
チャンスではある。
しかししかし・・・。私にとってはハードルが高い。

しかも頼りの夫は、安心して見ていられる状態ではないのだ。
自宅にいるように疲れたといっては、すぐ横になれるわけではないのだ。
こんな状態の夫を一人で行かせることも出来ない、嫌でも付いて行かねばならない。

スムーズにことを運ぶには、式典が行われるホテルに、宿を取らねば・・・
それには早く会場を知らせてほしい。
宿が決まれば、モーニングも色留袖もレンタル予約をせねば・・・。

新幹線のチケットも・・・。

ネットで見ると、26年春の会場は東京プリンスホテル(鳳凰の間)だったらしい。


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      東京へ行く体力を振り絞る   タンポポ

谷川俊太郎著  こころより


こころ ころころ


こころ ころんところんだら
こころ ころころころがって
こころ ころころわらいだす


こころ よろよろへたりこみ
こころ ごろごろねころんで
こころ とろとろねむくなる


こころ さいころこころみて
こころ ころりとだまされた
こころ のろのろめをさまし

そろそろこころ いれかえる



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私もこころを入れ替えないといけないのかも・・・
こんな心が欲しいと切に願っているのですが・・・実際は↓な心を持て余しています。



 醜いこころ   タンポポ

優しさもおおらかさも失ったこころ
こちらが凹みあちらが欠けた醜いこころ
デコボコになってしまった私のこころ
弾力性を失った悲しいこころ

カチカチに凍ってしまったこころ
もっときれいだったこともあったこころ
たった三年で醜くなっってしまったこころ 
いいえ六十六年かけて醜くなったこころ

もう元には戻らない真っ黒なこころ
悲しみを包み込むことのできなくなったこころ
思いやりをなくしてしまった醜いこころ

澄み切った青空のようなこころが欲しい


  @1IMG_2086ab.jpg


神様に見透かされそう蒼い空   タンポポ




青い空白い雲

   @R0019513@

    《鬱々としては駄目だと空が言う     タンポポ》

朝夕はめっきり涼しくなった。
キッチンで火を使ってもあまり暑くなく、料理をしようかという気にもなる

お天気がよく空がきれいだ清々しい気分になれる筈なのに、イマイチこの青空のようにスカッとしない。
過去4回の手術のように命がけではないが、7回目の手術に前向きな夫と、止せばいいのにと心の片隅で思っている、私の心のせめぎあいが原因だと思う。


ホント疲れたなあ~・・・。

わたくしの老後は 限りなくグレー    タンポポ

突き放し・・・(^_^;)

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今日は夫の通院日。予約は13時半。
昨日から、非情に体調が悪い私。
原因は恐らくストレスからくる疲れ。
長期の入院から解放されて、幾分気が楽になったとはいうものの、昨日など朝から息をするのもしんどいという、病人と一緒にいるのは心底疲れる。                   《フェイジョア?》

そんなこんなで、今まで辛うじて持ち堪えていたものが、一気に噴き出したというところかも
快気内祝いをしたのも一因かも知れない。

昨日は午前中ディーラーさんに行き、帰りスーパーによって帰り、午後から殆ど寝ていた。
夕食の時間が近づくが起きられない、夫はどうするだろうかと考えながら寝ていた。
案の定「夕飯は何にする予定か?」と訊きに来る。
「鯖の味噌煮・・・」「どうやって作るのか?」
料理をほとんどしない男に、口で言って通じる筈もない
こんな時のために、冷凍の療養食を置いてある。それを食べようという気も回らないようだ。
ウロウロとキッチンを歩き冷蔵庫を開けている。
「Mタイムのおかずセットがあるでしょ?あれ食べて!あとお豆腐があるから」

大病をしたからって、私より先に逝くとは限らない。
1人で生活が出来るようになってもらわないと、困るのは自分なのだ。

お風呂上り「明日の病院は、電車で行ってくる」
「明日の朝にならないと調子はわからないから」と言いつつも、内心ヤレヤレ


っということで1人で行きましたが、それはそれでまた心配・・・。
ストレスの発散に、映画でも行きたいのですが、この心模様では楽しめそうもありません。