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骨密度の測定

先日、骨密度の測定をした。大体年に3回している。
今回は前回より、何故か5%も上がっている。

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骨密度を最初に測ったのは、もう10年以上前だと思う。
その時は、くるぶしの辺りに水?を流して測った。
同じ方法で別の所でも測ったことがある。
そして今行っている整形外科では、手の甲をレントゲンを撮って測った。
これの結果は後日伝えられた。
2年ぐらい前から今の検査方法DEXA法という機械で、ベッドに仰向けになって
とる。時間は10分程度。非常に正確に測れるのだそうな。
大腿骨と腰椎で撮るのだが、私は両股関節が人工関節のため
腰椎のみでとる。この結果はすぐに出る。

検査結果を見る限り、骨粗しょう症は今の所大丈夫だ。
月に一度骨粗しょう症の薬を飲んでいる。そしてもう一錠、
小腸でのカルシウム吸収を助け、骨の新陳代謝を改善する薬を毎朝飲んでいる。
素人考えでは、この数値なら薬は不要ではないかと思う。


歳を重ねると「いつの間にか骨折」のリスクが高くなってくる。
尻餅をついたり、くしゃみをしただけでも骨折すると言うので、気を付けねばと思う。



ついてなかった日

昨日は眼科に行ってきた。
瞳孔を開く散瞳検査のため、いつものように車で行けないので
目の前のバス停から、JR甲子園口行きのバスに乗るつもりで
バス停に行った。何の気なしに時刻表を見ると赤字で
「このバスは阪神甲子園には行きません」と書いてある?
そんなの聞いてないよ。仕方なしにタクシーを呼んだ。
私は身障者のため、バスは健常者の半額で乗れる。
タクシーは一割引きで乗れる。

そして昨日は花粉症が、今期マックスだった。
今までは目には来ていなかったのに、鼻水は出るし、
大きなくしゃみが何度も出るし、
そしてくしゃみをすると、2日前から違和感のあった腰に響くし


本当に昨日は  でした。

八割方私は死んだ花粉症  タンポポ


今日も鼻がモゾモゾと気持ちは悪いのですが、昨日とは
雲泥の差です。楽です。

まだこの先、一月付き合わねばなりません。

四月末花粉症から生き返る  タンポポ


31日は自治会のお花見ですが、どうしよう・・・。

   キュウリグサ

                       〈キュウリグサ〉

       茎もめば胡瓜の匂いキュウリグサ   タンポポ



人工股関節置換術

        2018年
                                                                                                                                          

旧作から         ↑2018・05・11撮影

         私の股関節新品にする  タンポポ


20年前に右脚の股関節を、10年前には左脚の股関節を人工関節に
置き換えている。そして身体障碍者Ⅱ種3級になった。

歩き始めた時、アヒルのようにお尻を突き出して歩く姿を見て、慌てて医者に行ったという。
先天性股関節脱臼と診断された。
取りあえずおしめが外れたらギプスをすることになった。
おしめが外れて、ギプスをはめたのだと言う。
ギプスをはめておんぶして帰ってくる時、麻酔が覚めずか細くあ~あ~と
呻く私に母は、この子はこれで阿保になるのではと、心配したそうだ。
麻酔が覚め、そう賢くもないがどうにか、人並みに育った。

ギプスは今のような簡易なものではなく、板でがっちり固定されていたそうだが、
私にはもちろん記憶がない。姉や兄たちは覚えている。

子ども時代も成人してからも、何の不自由もなかった。
友達と同じように飛んだり跳ねたり出来た。
昭和25年当時の医療技術で、よくも完璧に治ったと、今になって思う。
私がギプスをしていた姿を知っている人は、治ってよかったと喜んでくれたものだ。

調子が悪くなったのは、平成7年の阪神淡路大震災の時、ガスも水道もストップし、
重い水を何度も運んだ、その後である。
その年の夏ごろから違和感を感じるようになった。
なんとなく、成人しても骨の形は変わらないだろうから、やっがて悪くなるかも・・・と
思ってはいた。
当時マンションの管理人の仕事をしていた。
朝晩の巡回と後は、窓口でほぼ座っているだけの仕事だったが、
段々痛くなってきたので、整形外科に行った。

股関節の軟骨がすり減っている、痛み止めの注射をしましょうと言われ、
何の疑いも持たず、月に2回計8本の注射をした。
それで痛みが無くなるわけでもなく、ますます痛くなった。
ある日これ以上我慢が出来ないと言うと、後は手術しかない。大学病院を紹介すると
言って近くの大学病院を紹介された。
この大学病院は、40歳の時お腹の手術をしその時とても嫌な感じを受けたので
受診をしなかった。ほかの大きな病院へ行った。

そこでレントゲンを撮ると、骨頭壊死と言われて、注射を打っていた病院でレントゲンを
借りてくるように言われ借りて見せた。
わずか半年余りで急速に悪化していた。ステロイド注射だったのだ。
注射を打つ時医者からは、この注射について何の説明もなかった。
ただ注射を打つと楽になると言われた。

もう人工股関節置き換えの選択しかなかった。
術後は快適であった。あんなに痛かったのが嘘のようだった。
あれから20年、当時の人工関節の寿命は約20年と言われていた。
今はまだどうもないが、再置換も視野に入れないといけなくなっている。
先週、年に一度の整形外科の受診をしてきたが、まだ大丈夫らしい。
次回からは半年の検診になった。
股関節が悪かった時、無理をしたせいで今は膝が痛い。

歳をとってよくなるものは何もないと、情けなくなってくる。

認知症

叔母は現在91歳、長女である母は95歳、三女である叔母は、2年程前に
亡くなった。
母も叔母も認知症である。
先日叔母から電話がかかってきた。

○子から最近電話がないけど、どうしてるのやろ?
叔母ちゃん○子おばちゃんは死んだよ。
え~○子死んだん?いつ死んだん?

前回電話で話したときは、○子が死んで寂しくなったわ。
よく電話で喋ってたから・・・。と解っていたのに、この日は
すっかり忘れていた。
母が施設へ入っていることも忘れていた。
全て初めて聞いたようにビックリしていた。
私らのお父ちゃんお母ちゃんは?
叔母ちゃん、おじいちゃんおばあちゃんは、もう40年も前に
死んだよ。
そう・・・そうなん・・・。

今日従妹から電話があり、この話をすると、電話をかけられるのや!と
ビックリしていた。
そんな叔母だが一人で暮らしている。
よく一人で暮らせていると思う。

従妹が実家へ行くと、朝から何も食べてないというらしい。
ヘルパーさんとの連絡ノートには、ちゃんとモーニングを食べたと
書いてある。
認知症あるあるなのだ。

どこまでが本当なのか正気なのか従妹にも分らない。
従妹も毎日は行けないが、行くと寂しいと泣いて、従妹の家の
隅にでも置いて欲しいと、言うのだそうな。切ない。

親子と言えど、認知症が進んでいく母親に付き合うのに疲れたと
いう従妹。
我々姉妹は、母が今のように認知症になる段階では、すでに施設に
入っており、そのしんどさを経験していない。
従妹にお疲れさまとしか言えなかった。

今更ながら、高齢で認知症の親の世話をしている人がたくさん
いることを思い知った。
親の面倒をみている子供たちも、それなりに高齢者と呼ばれる
年齢になっているのだ。
いつかは我々世代も世話を掛ける年齢に必ずなる。
さてどうしたものか・・・。

叱らないよう気をつける認知症  タンポポ




40歳の時、卵巣嚢腫の手術のため大学病院の婦人科に入院した。
今では珍しい8人の大部屋だった。
すぐ打ち解けてみんな仲間になった。
婦人科の病気は子宮癌、卵巣癌、子宮筋腫、卵巣嚢腫、それと胞状奇胎の人もいた。
病棟全体では、やはり子宮がんの人が多かった。
年齢は関係なし・・・。20代~80代の方がいた。

入院するまでは大病のように思っていたが、ほかの人たちの苦しみ方を
見ていると何だ私なんて大したことはないのだと思った。
何より悪いところを切れば治るのだ。
それを教えられたのは、明日退院と言う日、同室のTさんと退院受診をし、
Tさんを待っている間、Tさんのご主人と話をした時だった。
「切って治るものはよろしいわ。本人は知りませんけど家内は手遅れですねん。」
ええ~~!!びっくりしたのは言うまでもない。今の今まで考えてもなかったのだ。

子宮癌だった。
本人は微塵も疑わず、明日の退院を喜んでいた。
病棟へ戻り、どうにも苦しくて悲しくて一昨日オペをしたKさんに話した。
2人で泣いた・・・。
私はその後、屋上(当時の屋上は洗濯物を干していた)に上がって、声をあげて泣いた。
そのTさんは1年後に亡くなった。

このときの入院で仲良くなった人の殆どは、子宮癌卵巣癌で亡くなった。
kさんもいったん元気になり仕事に復帰していたが、5年程前に亡くなった。

私の周囲で亡くなった人の殆どは、癌で亡くなっている。
やっぱり癌は怖い病気だと思う。
なのに子宮癌検診も乳癌検診も、もう長い事受けてない。罰があたるかも知れない。

MRI結果・・・

結論から言うと変なものは、映っていないということだった。
検査当日とあくる日、あまりの気分の悪さに寝ていたというのに、
異常は見つからないって・・・それはないでしょ?って気がする。

それに確かに左ひざの裏に、指先に触れる何かがある。
そしてどうかした拍子に、その何かが関節に挟まってアイタタタ!
しかし医者としてもMRIに映ってないものには判断を下せないと
いうところだろう。
もっと大きくなれば、MRIに映るのかも知れないが・・・。

これで一安心と行かないのがつらいところ。

MRI

先日、ある総合病院でMRIを撮って来た。
この病院では右脚を手術する時(約20年前)にも撮っている。

ただ今回と比べて、そんなにダメージが大きくなかったように記憶している。
今回はマイッタ。防音のためヘッドホンをしていても、そのうるさいことうるさいこと。
これには参った。

今回撮ったのは左膝。膝の後ろの角になんだか解らないが、
親指の先ぐらいの肉の塊のようなものがある。
それが関節に入った時、痛くて暫く膝の曲げ伸ばしが出来ない。
先月、股関節の年一回の定期検診に行ったとき、医者に言うと
MRIを撮りましょうと言うことになった次第。

撮り終えた時、頭は自分の頭ではないようだった。
取りあえず頭を抱えて休憩した。
膝でこれなら、頭だとどんなだろう?

結果は明日聞きに行く。
悪いものでなければいいのだが・・・。
悪性のものでなくても、取り除かねばこの痛みからは
解放されない。しかし簡単であれ手術と言うことになれば
病気の夫をどうするか・・・。
子どもではないので一日ぐらい何とかなるだろう、しかし三日あるいは一週間。

食の制限のある身で、どうしたものか?
頭の痛い話である。
そして糖尿のある私は、簡単に手術が出来ない・・・。

眼科定期健診

日帰りで白内障の手術をして、早や13か月と少し・・・。
気が進まないままに手術を受けてたものの終わってみると
心配するより簡単だと思った。

医者からは術後はとてもクリアーに見えますよと言われ、
今もきれいに見えてます!とかわいくないことを言った

実際術後の目は、太陽はもちろん青い空が眩しかった。
車の運転にサングラスが欠かせなかった。
この一年は月に一度の通院だったが、今日1ケ月半ぶりに
受診してきた。
異常はなく、きれいだと言ってもらえた。
視力は1.0出ている。今のところ問題はない。

車の運転をするので、眼内レンズは遠くを見るものに合わせた。
手元を見るのに眼鏡を購入した。
新聞を読むには眼鏡がいるが、スーパーでの買い物などには、
眼鏡なしでも不自由はない。

最近目が慣れたのか、以前ほど眩しくなくなった。
私は糖尿があるので油断はできない。
気長に付き合っていこうと思う。

術後の目


     ≪青空がくっきり見える術後の眼  タンポポ≫

心配事

いつも心配をかけている夫の妹や兄に、手術が無事に済んで
退院をしたと報告をした。
ついでと言っては何だが、義妹に脳内出血でもう5か月も昏睡状態の
旦那さんの様子を訊いた。
義妹の旦那さんのHさんは、糖尿で左足の膝から下を切断、その後、
脳梗塞で右半身麻痺。
そして5か月前、脳内出血を発症したのだ。
一時名前を呼ぶと声のする方を向いていた。もちろん視線は合わなかった。

右脚に触れて「脚上げて」と言うと動かしていた。
ただ名前を呼ばれて返事が出来ないこと、体の自由が利かないことが
悲しいのか、声にならない声で泣いていた。
面会に行っても悲しくなるだけだった。

それが今は何も反応がなくなったという。
名前を呼ばれてもスースー眠っているだけだという。
食事はずっと鼻から・・・。

義妹に辛いねと言うと、もう腹をくくった。
今よりよくなることはあり得ないという。
生まれたての赤ちゃんでも、おっぱいを飲んで手足をバタバタさせる。
赤ちゃん以下だという。
緊急搬送された病院から今の病院に転院したのが12月。
そして今の病院にいられるのは6ケ月、後3ケ月だという。
次はどこで引き受けてもらえるのか、見当もつかない。
今いるのはリハビリ病院だが、リハビリはしていない。

もうだいぶ前に「もしものことがあった場合、延命措置をどうするか
親族で話し合ってください」と言われたと言っていた。

現在72歳、本人には自分の状況は何も解らないだろう。
厳しい現実を突きつけられている。

夫のように10回も手術をして、なおも苦しい中でも生かされる。
どちらがいいか悪いかは一概には言えない。本当に人生色々。
神様の掌にある命だとつくづく考えさせられる。

大阪梅田の事故

25日に大阪の繁華街で起きた、車の暴走事故は、運転手の急な病気の
発症による物と判明した。
夫が2011年10月に、当時勤めていた事務所で倒れ、緊急搬送・手術をしたのも、
この急性大動脈解離だった。
健康診断でも判らない、健康な人が突然発症する病気だと、説明を受けた。
夫も当時は健康体で、この病気に関係の深い血圧も高くはなく、むしろ低めであった。
発症すると医者の診断を受ける前に、死亡する確率が高いとも聞いた。

友人のご主人もそうだった。朝元気に出勤し、倒れる直前に友人に電話を掛けてきて、喋ったのだという。時間からみて電話で喋った直後に倒れたようだった。
人の目のある事務所ではあったが、机に伏せているのをみたが誰も気にすることなく
昼休みになり、昼食に行こうと声を掛けて初めて異変に気付いた。
その時はすでに心肺停止だったそうである。

夫が約10時間の手術で助かったのは、極々運が良かった。
術後の長い意識障害はあったが、23日の入院の後、足取りはゆっくりではあったが、
自力で退院し、一日だけ休養した。
その後、職場復帰をし、残りの半年間勤められたのは、今考えると奇跡だったと思う。

今のように弱ってしまったのは、一年後にMRSA感染症を発症したためである。
その後の度重なる緊急入院と手術で生かされて、苦しい日々を送っている。

過去記事はここ。ここ緊急入院

病気はいつ誰がどのような形で発症するかは解らない。
ハンドルを握る身としては、事故もそうだが今回のようなことも絶対避けたいと思う。
異変を感じたら直ぐ停車し、ブレーキをかけ、エンジンを切ることを心がけたいものである

脳内出血

義妹の夫のKさんが脳内出血で倒れ、もう一か月間昏睡状態になっている。
まだ72歳。いつ何時何があるか解らない。

糖尿病で左脚の膝から下を失い、その後、脳梗塞で右半身麻痺。
そして今回の脳内出血。
先日倒れてから初めて、リフトで入浴をさせて貰ったが、それでも目覚めることはなかったと言う。

夫のように何度もオペをして、十分食べられない身体で生かされるのも、
本人にとっては苦しいが、次々と重い病気に見舞われるのも苦しい。
ただ今回の脳内出血は、本人には解らない。

つくずく我々の命は神様の掌にあると思う。

神様の手に握られている寿命    タンポポ




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         イラストは無料素材屋さんからお借りしました。

左目術後3日め

本日も医者通い。
4日間だから明日まで。そしてその次は月曜日なのか火曜日なのか?
明日行ってみないと解らない。

医者からは左目も手術は大成功だと言われたが、
右目ほどの感動がなかった。
元々左目の方が、網膜の状態が悪かったので、視力もあがっていない。
視力は一カ月ぐらいで落ち着くと言うことだが、今日の左目の視力は0.8だった。
左眼だけで見ると、色彩も文字も右目とは全く違う。

カメラのレンズに例えられる水晶体の濁りが取れたことで、網膜の状態が
よく診ることが出来るようになった・・・これで良しとしよう。
通院はまだ続くし、一日5回の目薬もまだまだ続く。

今日から約一カ月の間、貸し出し用の手元用の眼鏡を借りて来た。
やはりよく見える。今までは新聞などは裸眼で見ていたが、PCを触る
時だけ老眼鏡をかけていた。

眼科の隣にある眼鏡屋さんによると、術後の視力は日々変わるそうで、
視力が落ち着けば、手元用の眼鏡を作る必要があるようだ。



昨日叔母と話をしていて、加齢黄斑変性の話しになった。
90歳の叔母はこれに罹っており、物が歪んで見えるので1人では
遠出が出来ないと言う。


試しにここでチェックすると、右は歪みもなくきれいに見えるが、左は一部歪んで見える

術後3日め

右目の白内障の手術をして今日は3日め。
手術の翌日、目を覆っていたガーゼをとった瞬間ビックリ
予想を上回るクリアーな世界が広がった。

術前医師からは「手術をするとこれからの季節青空が大変綺麗に見えますよ。白い物はより白く、全く別の世界になります」と言われていた。

ところが私「今も綺麗に見えているし、裸眼で新聞が読めるし・・・」と本気で思っていた。
夫の9回に及ぶ手術で、今もほとんど声が出ない状態の中、夫婦で医者不信になっている。
だから頭から疑ってかかっていた。

ところがどうだ、未手術の左目と比べると、雲泥の差である。
今まで見ていた青さ白さは、かなり濁っているのだ
疑ったことを反省している。

眩しいくらいに青く白い。
新聞がこんなに白かったとは・・・。
色んな色に囲まれて生活いるが、藤色だと思っていたTシャツが紫に近い。
ベランダのお花の色も、思っていた色より鮮明な色をしている。

今は毎日術後の通院をしている。
医師は手術は大成功だと言ってくれた。
視力も術前は0.7ぐらいだったが、今日測ったところ1.2まで出ていた。

iphoneもiPadPCも、今までと同じでは眩しいので、少し彩度を下げた。

それぞれの手術は違うかも知れないが、同じ日に7名が手術を受けた。
手術そのものは、考えていたより簡単だった。
リラックスさせるためか手術室には、静かに音楽が流れていた。
術中ずっと目の上を水が流れてるようだった。
恐らく消毒液や目薬だったのではと思う。

手術室へ入って出てくるまで、約20分ぐらいだった。
術中、術後、痛くも何ともなかったのが嬉しい。

今は寝るとき以外は保護眼鏡をしている。
寝るときはガーゼをテープで止め、上からカップを被せそれをまたテープで止めている。
今日から、首から下はシャワーが出来る。
うっかり顔にシャワーを掛けないようにしないと・・・。
実は昨日の朝、歯磨きをしていて保護眼鏡がずって来るので、外していた。
そして歯磨きをしたその流れで、目をつむっていたが顔を洗ってしまった。
慌てて目薬をさし、診察時そのことを報告するも異常がなくホッとしたのだ。

来週左目の手術をする。
今度は安心し、医師を信じて受けられると思う。
案ずるより産むが易し、こんなことをいうのだとつくづく思った次第であった。

イマイチ気乗りがしないが・・・

いよいよ明日、日帰りで白内障の手術をする。
明日は右目、来週は左目をする。

今新聞が裸眼で読めるので、不自由をしていない。
よって気乗りがしないのである。
ただ糖尿があるため、診察で目の奥の状態を診るにはレンズが
曇っていると見にくい。それで手術を決めた。

尤も手術の話しは2年前から出ていて、度重なる夫の入院で延び延びに
なっていた。
夫の様子をみて、大丈夫そうなので、今回決めたと言うこともある。

2~3日は、テレビもPCもiphoneとも距離をおかねばならない。
当然、車の運転もしばらく出来ない。
顔も洗えないしメイクも出来ない。
シャンプーもしばらく出来ない・・・

あ~あ、どうやって生活をしよう・・・(ーー;)



癌との闘い

9回も手術をした夫は、癌でもなく生かされている。
食道を失い、毎日苦しい思いをしているが、癌ではない。

私の周囲には癌で、命を落とした友人知人が多い。
膵臓癌で亡くなったKさん。
子宮癌で亡くなったTさん、Mさん。
乳がんでなくなったHさん。
骨肉腫で亡くなったTさん。
この骨肉腫で亡くなったTさんは、「愛と死をみつめて」の大島みちこさんと
同じ病気だと言えば、同年代の方はご存じだと思う。

やはり癌は怖いなと思う。
出来るなら癌以外で逝きたい。

93歳の母はも、しかしたら大腸癌かも知れない。
もう数年前、特養にいるとき入院し、医師からそう言われた。
ただ高齢のうえ、検査が苦しいこともあり、医師からは検査を勧められなかった。
私たち三姉妹もそれに同調した。
もし検査をして癌が見つかったとしても、二つ折れの母の手術は容易では
ないことは想像できる。
これは我々3人で決めた。三姉妹ははるばる阪神間から面会に行っているのに、
地元に住み20分もあれば行ける兄夫婦は、一切面会にも行かない。
そんな兄たちに言う必要もなかった。
それから母の体調に大きな変化もなく、穏やかに暮らしている。

そして今また幼なじみが、乳癌ステージ3を宣告されたと知った・・・。
安易にかける言葉が見つからなかった。
気持ちがざわざわする。


     @IMG_0464tuyu.jpg



  

我が家の医療費は

恐ろしいことになっています。
市には悪気はないと思いますが、↓の、お知らせが来ると申し訳ございません。
ありがとうございます、と頭をさげています。
いくら頭を下げて申し訳ないと思っても、生きている限り薬の必要な身体なのです。

夫婦2人の2ヶ月分の医療費です。2人分で約500,000円。
夫は一割負担、私は3級の身障者のため支払いは少ないのです。
国保の料金も高いなと思っていますが、この金額をみるとありがたい物です。
そしてわずかではありますが、毎月高額医療費が返金されますm(_ _)m

2ヶ月でこの金額は、我が家の年金ではとても支払えません。
貯金を取り崩したとしても、直ぐに底をついてしまいます。


山ほど飲んでいる薬代が高いのです。
いつも行く調剤薬局さんのお得意さんです。
そのうちお中元やお歳暮が、届くやもしれません。

開業医で診察を受けられない夫は、今日は大学病院の歯科口腔外科に行っています。

通院の、9回13回は私のリハビリですが、料金の支払いは一つの医療機関で、月に2回です。
健康保険のありがたさが身にしみている年金生活者です。

@IMG@l.jpg

肩の痛み

もうずっと前から、クロールをする時、左の肩がスムーズに回らなかった。
それから何年もして、左手首の橈骨を骨折した。
骨折が治ってから、三角巾で腕を吊っていたせいか、肩こりが酷く、肩も痛いので受診した。
五十肩の診断が下ったのは、6年ぐらい前のことになる。
その後、まじめにリハビリに通い鍼も打った。
それでも思うように良くならなかった。
ところがある日、突然うそのように軽くなり、回しても痛みがなくなった。
その間、3年ぐらいかかったように思う。

痛みがないというのはありがたいことなのに、それが当たり前になるとそのありがたさを忘れてしまう。
そうして浮かれている間に膝を傷め、古傷の腰まで痛くなった。
また整形外科通いが始まった。

忘れていた肩も、また少しずつ痛くなってきた。
五十肩が、治りきっていないものと勝手に思っていた。
かなり気になり受診をし、レントゲンを撮った。

その結果、肩の骨が石灰化していると言われ、今は肩の治療もしている。
ググってみると石灰化は
急性型(1~4週間)
亜急性型(1~6ヶ月)
慢性型(6ヶ月以上)
と言うことで、私のは慢性型になる。

石灰化と診断されて一ヶ月以上経つが、いっこうに治る気配はない。
近々再度診察を受けようと思っているが、慢性化したものは治るのかどうか?
素人考えで、鋭い骨のようにとがっている石灰化した部分が、丸くなったり消えてなくなったり、しないのではないかと思う。
寝返りを打つと痛いし、シャンプーをするとき、頭に持って行った手を下ろす時が痛い。
ハンドルを右に直角に切るような時も痛いし、後ろ手にものを取るときなども痛い。
厄介なことである。

ちょっと痛いなと思った時に、診察を受ければよかったと、後悔しても遅い。
歳を重ねて良くなる物はないなと、つくづく先が思いやられる。

しかししかし長寿の家系で認知症の家系でもある。あ~~嫌だ嫌だ。


採血

眼科へ行ってきた。
白内障の手術が夫の入院で延び延びになっている。
夫の病状は決して良くはならないが、悪いなりに落ち着いている。


闘病は続く命のある限り   タンポポ

そこで、ここらでそろそろ・・・と思った次第である。

色々検査をし、採血となった。
血管が細く、肉に埋まっているのか、採りにくいのは事実。
自分でもよく解っている。
しかし、毎月行く内科では失敗したことがない。

尤も以前行っていた内科では、ごくまれにしか採れなくて
しかも医師にも採れなかったので、医院を変えた。

眼科の看護師だって国家試験を通っているはず、でも採れなかった。
3度刺して痛いだけだった。
すっと採れるのは痛くないが、刺して針の先で探られると、めちゃくちゃ痛い。
手の甲で、採りたそうな様子だったので断った。手の甲で採ると後々まで痛いのだ。

看護師も医者も、採血をすっかり諦めた様子なのがカチンと来た。
内科で感染症がないかどうか、調べてきて欲しいと言う。


私だって下手な看護師に、何度も刺されたくはないので
内科で調べることにした。


↓何度か登場の拙句

穿刺失敗謝られても刺され損  タンポポ
kenkoushindan_saiketsu@.jpg

限りある命

関東に住む川柳仲間が、ブログ上で癌を公表した。
胃癌だと思っていたのが膵臓癌と発覚、すでにあちこちに転移していて
余命3ヶ月だと言う。
抗癌剤治療や放射線治療をしても余命は半年だそうで、延命治療をせずに
楽しく暮らしたいと本人の希望。
とはいうものの、きっと強烈な痛みにも襲われるだろう。
恐らく最後まで楽しくとは行かないと思う。
どうぞ貴方らしくその時を迎えて・・・としか言えない。


膵臓癌は怖い。
約40年前、出向先から公務員宿舎に引っ越しをした際、階段の方々に
挨拶に伺った。お母さんが入院中のお家が一軒あった。
入院したのが3月末と聞いた。そして亡くなったのが7月だった。

長女と同い年の女の子がいて、すぐ仲良くなり毎日一緒に遊んでいた。
そしてその日は、幼稚園の七夕発表会の日にやって来た。
ケータイのない時代、幼稚園に連絡が入ったのだろう。
お父さんが急いで、出て行くのが見えた。

一度もお顔を拝見することもなく、お声を聞くこともなく逝ってしまわれた。
たしか35歳だったと思う。

35歳になったとき、何かあるのではないかと不安で怖かった。
大きな宿舎だったので、住んでいた間に何人ものお母さんが亡くなられた。
まだ小さな子どもを残して、逝かなければならないお母さんたちの気持ちは
如何ばかりだっただろう。


仮に今、私が死ぬことになれば、一番の心配は病身の夫である。
40歳を超えた娘たちに心配はない。

少し涼しくなったら、その時に備えて断捨離をせねば・・・。

病院通い

今日は私の通院日だった。
酷い日はチョットしたことで、怪獣のようなゲップがでる。
逆流性食道炎の診察で胃腸科内科へ・・・。

前回は3か月前に通院し、3カ月分の薬を貰ってきた。
「お薬を飲んでどうですか」
「殆ど変りはありません」
「お薬を飲む前と比べて変わりありませんか?」
「私の生活環境が変わらないので、同じです」
「・・・・」
「ストレスに効く薬はないと聞きますし、ストレスは変わらないので体調も変わりません」
「そうですか・・・心療内科がいいかも知れませんね」
「他の人より空気をたくさん飲み込む、呑気症という病気もあります」

総合病院なので当然心療内科もあるが、とりあえず紹介はしてもらわないで、処方箋を貰って帰って来た

早食いの癖があるし、お水もゴクゴク飲んでしまう。まずこれらに気をつけて漢方薬を続けようと思う。
心療内科は、その後でもいいかなぁ・・・

病院通い始まる

6日7日と夫の病院通いだった。
11月に胸骨を縛ってあるワイヤーを抜いたにも拘わらず、二つ開いていた穴の一つが、年を越しても塞がっていない。
実に半年も開いたままなのである。昨日は処置室で局部麻酔を打って少し切開した。
切開した痕がどうなっているのか、大きなガーゼを当ててあるので解らない。
耳鼻咽喉科の受診もした。鼻からファイバースコープを入れて喉をみる。PCの画面に内部が映される。
「い~」と発声しながら、声帯の動きを確認する。ぴったり閉じるのが確認できた。
まだ少し術後の出血の跡や、腫れがあるため「あ~」と発声するも途切れそうになるが、目標の10秒は続いて発声出来ている。
聞き取るのもずいぶん聞きやすくなった。次は一か月後の受診となる。

問題は厄介な胸の穴、明日9日は昨日お世話になった心臓血管外科を受診後、形成外科を受診することになっている。
外科的な手術や処置をして、早く塞がればいいのだが・・・。
このままでは、この寒い時期に湯船に浸かることも出来ない。
やはり日本人・・・湯船に浸かりたい。


ちなみに孫たちの従弟の2歳のS君は、湯船には入らないのだそうな。
フランス人のお父さんには、湯船に浸かる習慣はないのだろう。

術後一日目

昨日3時間の静養の後は、お手洗いも行き、今日からはシャワーも出来る。
ただ胸の穴が塞がっていないため、半身浴しかできない。

喉の傷は横に5センチぐらいあるが、縫っていないし、ホッチキスもない。テープを貼ってあるだけ。

これは恐らく、私の左股関節の手術と同じように、傷口から出る血とテープについている薬剤とで、傷が塞がるというものだろう。
この手術の前は、あ~と声を出しても2秒しか続かなかったのが、10秒ぐらい続くようになっているという。
まだ発生を禁止されているので、実際のところは解らない。
掠れもかなり改善されているようだ。
 

    @1R0019730.jpg          

    本日の昼食《あんかけ皿うどん・小松菜のからし和え・パイナップル》

無事に終わりました

3時からの8回目の手術は、予定より少し早く終わりました。

ご心配いただいた皆様には御礼申し上げます。

3日間は声を出すことを禁止されています。

先日100均の店じまいで一割引きで購入した、マジックボードが役に立ちそうです。
喉にはガーゼがあって傷は見えません。
部屋に戻って間もなく、心臓血管外科の主治医が来て、胸の傷の処置をしました。
昨日から塗っているバクトロン軟膏が効いているのか、傷は小さくなっているようです。
機械は昨日から、外しています。

今週はとても疲れました。
新年まで後5日しかありません、掃除もしていない我が家にも、平等に新年が来るでしょう(-_-;)
少なくとも娘たちは帰ってきます。

我が家だけ正月来ないはずはない   タンポポ

入院しました

@1R0019716.jpg予定通り昨日夫は入院した。
入院の前に、胸の傷の処置があるというので、午前中にでかけた。しかし書類上(機械上)は入院扱いとなっており、外来での処置は出来ないということで、入院指示の予定時間まで、院内で時間を潰すことに・・・

今回の入院は、初めての8階再生医療センターである。
部屋は画像のように4人部屋ではあるが縦長の部屋で4つのベッドはみんな窓際にある。
足元はカーテンで仕切られており、頭の方は壁があるので、ほぼ個室状態ベッドサイドも広い。
2年ぐらい前も、心臓血管外科で同タイプの部屋で長い間入院していたことがある。

入院してしばらくすると、心臓血管外科の医師が処置に来た。
チューブを抜いた傷口からは、術後1か月以上経った今もまだ出血がある。
CRPは正常値だと言う・・・?
しかしいつまでも塞がらないのは、素人にも何かがあるとしか考えられない。
ちょっとコンビニへ行って戻ると、お会いしたことのない3人の医師と主治医が、夫の胸の傷を見ている。
皮膚科の医師だそうだ。

さて今日の手術は3時から、こんな状態で本当に出来るのだろうか?
また感染症が悪化することは、ないのだろうか。

オペ八度これで最後にして欲しい   タンポポ

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2つあった穴の一つは塞がっている。

予定通り

七度目の入院と八度目の手術が決まった。
25日入院、26日手術、31日退院・・・

半分以上諦めてはいたが、どうしてこの時期に決行するかなぁ。
お正月に孫たちが来たら、苦しい思いをしないで喋りたいという気持ちは解る。
でもねぇ、年末しかも大晦日に退院だなんて、私の都合ってものもあるのに・・・。
入院も手術も退院も、私以外にサポートはないのに・・・
決まったものは仕方がないけど、ホントこれっきりにして欲しいものだ。

取りあえずは、よほどのことがない限り、三年ぶりに自宅で新年を迎えられることを、良しとするしかなさそうである。
ただ私の気持ちは、スッキリしませんとも
一週間の入院を終えたら、2011年10月からの入院日数は、500日を少しだけ切る。

ああ、このお金があったら自宅の全面リフォーム出来るのになぁ・・・

インフルエンザ予防接種

65歳以上は1000円と言うのは、全国的ではなかったのか?
それとも指定医療機関ではないのか、或いは市外在住だからなのか?
夫が退院前に受けると4300円もかかった。
私は市内の内科で、1000円で受けた。

感染症のある夫は、歯科も開業医で断られた経緯がある。
内科も今後、かかりつけ医を持つことが難しいかも知れない。
そう思って、入院中に受けたのだった。
1000円で受けられるものを、4300円も払うなんて・・・

埼玉の娘に言うと、子供は7000円だよ~!と言う。
一人7000円も支払うなら、接種しない子供(受けさせない親)は多いだろう。

退院はしたものの

夫は今日、6回目の入院と7回目の手術を終えて退院してきた。
今回の入院は初めての予約入院で、入院日数は22日間、今までの最短日数である。
とは云うものの、年内にもう一度入院手術の予定がある。
これはあくまで予定であって、決定ではない。
来週、耳鼻咽喉科を受診して決定する。
今は年内最後の手術日の、仮押さえの状態である。

退院はしてきたものの、先月の手術の傷跡はまだ閉じていない。
チューブが刺さったままで、簡易型の機械をマジックテープの付いたバンドで、腕に巻き付けている。
入浴もシャワーも出来ない。

痩せすぎて細い腕に、このバンドが止まらず、取りあえずビニールテープで折り畳み、巻きつけて帰って来た。
先ほど糸で止めて、サイズを合わせて巻いた。

@1R0019658@.jpg

今は↑な状態で↓の器具を付けている。
 
@1R0019657.jpg

当然浴室でのシャンプーも出来ない。
おまけに3日に一度、受診をしなければならない。

入院まで飲んでいた栄養剤は、下痢をすると言いこの3週間飲んでいない。
体重は47.5キロ・・・



   8504821045c23b79dda881246c58e81d33aa0034_82_2_9_2.gif

検索機能は便利でよく使っているが、闘病記の中の言葉(治療法)で、当ブログがヒットする。
夫の退院が決まって当該記事を削除したが、やはりヒットしてしまう(^_^;)
ヒットさせない方法を、どなたかご存知ありませんか?
一度公開してしまうと、いつまでもヒットするということでしょうか?

この治療法が保険適用になったのは、4年程前のことだそうでまだまだ一般的ではないのかも知れない。
主治医が手当の際、毎回スマホで写真を撮っているらしいので、私が撮るこてについてもあまり疑ってはいないようなのだが・・・。

最初の手術から、ずっと闘病記は文章にして残してある。
意識障害の長引いた夫に、記憶のない部分のことも記してある。
それを読んで、自分の状態を知ったという経緯もあり、「我が家の記録」ということで納得はしている。

耳鼻咽喉科受診

41sukima.gif近いうちに手術予定のある「反回麻痺」の主治医の受診をした。
当ブログにも何度か書いているが、関係のない方には何だか解らないと思う。
右図は夫と同じ症状で、左の声帯が麻痺している。
本来閉じていなければならない声帯が、何度もの長時間の全身麻酔で開いたままになっていることで、酸素を取り込んで声を出すことが困難になっている。全く声が出ないわけではない。

今日の受診のさい、術前術後の声の出方を調べるために、マイクを持って「あ~~」と声を出した。
71歳の男性の平均は15秒間、声が出るらしいが夫はわずか3秒しか続かない。最低5秒出ないと声紋が記録できない。
試しに私も帰ってきてから測ってみたが、18秒ぐらいは続く。
手術は10秒ぐらい出るようにするという。
声帯のある辺りを切り軟骨に穴を開け、鼻からファイバースコープを入れて声を出しながら調整するらしい。
術中、声を出しながらなので局部麻酔になる。

手術は1か月後の12月26日、入院は前日の25日。
そして退院は29日か30日だという。
一人で入退院が出来るならいいが、そうもいかないのに・・・。
ここまで来たら、慌てて年末の気忙しい時にすることはないと思う。
12月の手術までに、一度退院しても病人では何の当てにもならない。

当初から、年内に二つの手術をする予定ではあったが、ワイヤーを抜く手術が遅れたので、私は内心次の手術は年が明けてからだろうと思っていた。
今日最初に医師から示されたのは、年明けの9日だった。
私はその方がいいと思った。

まだ胸の切傷からは、膿が出ている状態で閉じていない。
はたして1か月後に手術の出来る状態になっているのやら?

肝心なところは、私の意見を聞かないのだ。
振り回されて今年も終わるらしい・・・

いつになったら私のペースで、生活が出来るようになるのだろう。
もうそんな日は、来ないのかも知れない

ホウレンソウ

今日は休息日・・・。
返コメが出来ていませんがお許しを・・・

19日の術後、主治医が病室にきて説明を受けた。
夫は手術室から出てきたとき、麻酔が一瞬覚めたように見えたがまた眠っていた。
主治医からは、やはり11年10月の手術時、胸骨を開いて止めてあったワイヤーの周りが化膿していたと聞いた。
胸の穴は敢えて閉じていない、体内から悪いものが出きってから電気?レーザー?を当てると聞いた。
そして6時過ぎに水を飲んでむせたりしなければ、夕食もOKとのことだった。
6時過ぎに看護師に「勝手に水を飲ませては駄目ですか?」ときいた。
すると吸い飲みを持ってきて「ゴクンと飲んでは駄目ですよ、湿らす程度にね・・・」
私「(?_?)」

配膳車が来ても夫の食事がこない。この時はもう少ししたら出てくるものと思って帰ってきた。

昨日お昼過ぎに行き「食事は食べられた?」と聞くと「昼は食べた・・・」

夫によると19日の夕食は出なかった。そして20日の朝食も出なかった
19日の夜10時ごろあまりにもお腹が空いたので、看護師に「何か買ってきて欲しい」と頼んだそうだ。
するとメロンパンを1個買ってきた。いくら病人とはいえそれはないだろう。
18日の夕食以来、28時間ほど食べていないのだ。
そして20日、やっぱり出てこない朝食。
さすがに「儂の食事はどうなっているのか?」と催促したらしい。
データーは全てPCに入力されている。確認した看護師は「食事はストップしています・・・」

生理食塩水と抗生剤の点滴はしているが、お腹の足しになるものではない。
ただでさえ体重が減って、入院の朝は48キロ代だったのに・・・。
こん睡状態で食べられないのなら仕方がない。
容量の少なくなった胃は、お腹が空きすぎても具合が悪いのだ。

催促の甲斐があって10時頃、遅い朝食が出てきたという。

職場に絶対不可欠な「ホーレンソウ」はどうなっているのだろう?
去年の夏もこの「ホーレンソウ」でと思ったことがあった。

クレーマーと思われるのを承知の上で、一度看護師長に質してみたいと思う。
何も好き好んで、7回も8回も手術を受けているのではないのだ

何度も入院を繰り返していると、嫌でもスタッフの対応の拙さが目についてしまう。

何度も救われた命の現場であるのは承知している。
だからこそ、今回の件は納得がいかない。

「単純なミスでした」では、命の現場は務まらない。

ご報告

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@12014 11 19
@1IMG_2141@.jpg
7回目の手術は無事終わりました。
ご心配いただきましてありがとうございました。
先ずはご報告まで・・・<(_ _)>

今日から入院

IMG_2123@.jpg


しばしの娑婆との別れに「饂飩を食べてから病院に行く」と言うので、望み通り好物の讃岐うどんを食べてから、病院へ走った
昨日病院から、2時に入退院受付へ来るようにと電話があった。
早くついたので早く手続きを済ませる。
4月まで入院していた東病棟である。入院棟のエレベーターホールや病棟に入るための、セキュリティカードを受け取り4階へあがる。
各階の病棟入り口に常駐しているコンシェルジュと「○○さん何カ月ぶりですか?」「7か月ぶりです、またお世話になります」そんな挨拶を交わしながら、病室に案内される。

顔見知りの看護師が次々顔を見せてくれ、体調を気遣ってくれる。
しばらくして担当看護師がくる。私は知らない顔だったが、夫は知っていた。
明日サポートをしてくれる、外科の医師も顔を出してくれる。

採血をしたり血圧・体温を計ったり・・・。
7か月ぶりの病室は椅子が変わっていた。前は丸椅子だったが、今度はひじ掛けも背もある立派な椅子になっていた。
血圧も酸素の量を計る機械も変わっていてビックリ。
前は測ったのをPCにピッピと入力していたが、今度は外して所定の場所におくと、無線でPCに飛ぶのだそうだ。
この最新設備を備えた病院に、2年半の間に460日以上も入院していて最新機器に慣れていたが、また新しい設備をみてビックリした。

麻酔医との面談や、レントゲンを撮るため1階と2階の外来に降りるので、一緒に降りて帰って来た。
本来なら麻酔医との面談は、数日前にするが何度も全身麻酔をしているため、明日手術で今日の面談となった。

さて明日の手術は午後2時からである。
明日の手術の経過をみて、次の反回麻痺の手術の日程がきまる。

生きて返す約束をして欲しいオペ    タンポポ

荷造り

入院を明後日に控え、そろそろ荷造りを始めた。
初めての予約入院は、緊急入院と違い色々勝手が違う。

先日の診察時に予約受け付けをし、既往歴、飲み薬の確認をした。
総合予約センターで正式に予約。
入院費支払い届出書の付いた入院案内を貰ってきた。
まだ明後日の入院は、午前か午後かは解らない。明日連絡がある予定である。

最初の緊急入院時は、10日間ほど入院申し込みも保険証の提出もしていなかった。
意識障害が長引きまだICUにいる時、事務の方が「入院の申し込み書を提出していただいていますか?」と言ってきて、初めて入院案内も申込書も、もらってないことに気付いたのだった。
手術の終わった直後に、たくさんの書類にサインをしたが申込書はなかった。

3年の間に事態は大きく変わり、何度も命がけの手術をした。

そして7回目8回目の手術をする。

1回目 11年10月 急性大動脈解離、弓部全置換
2回目 13年1月  胆嚢切除
3回目 13年4月  大動脈ステントグラフト挿入
4回目 13年4月  食道抜去、食道瘻、胃瘻
5回目 13年8月  食道再建胃管胸骨前手術
6回目 14年2月  人工血管再置換
7回目 14年11月 ワイヤー抜去
8回目 14年11月 反回麻痺手術


 
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命がけの手術の是非を問うている   タンポポ


9回目10回目はありませんように・・・。

6回目の入院が

来週18日入院、19日手術と決まった。

過去5回の入院はすべて緊急入院であり、今回初めて予約入院となる。
最初の手術で胸骨を開き、ワイヤーで縛ってある。
7月の初めから、胸に開いた穴が塞がらないため、そのワイヤーを抜く手術をする。
ワイヤーを抜くだけなら簡単らしいが、夫は食道再建胃管胸骨前手術という面倒な手術をしているため、かなり厄介な手術になる。皮膚のすぐ下にある食道を、傷付けずにワイヤーを抜かねばならない。

そして後日、喉の反回麻痺の手術もする。
これも声が100%戻るというものではなく、50%戻ればいいという程度である。
ただ食べ物が、飲み込み易くはなるようだ。

3年振りにお正月は自宅で迎えたいという、夫の希望は叶えられそうである。
もっともこれは成功すれば・・・の話しである。

セルフチェック

今日もほぼ一日寝ていた。いくら寝ても眠い。
そこでネットで、うつ病のセルフチェックをやってみた。

結果は境界・・・回答は↓

ストレスをためたままにすると、うつ病を引き起こすことがあります。休養や睡眠を十分とり、ストレスを解消しましょう。
何をやっても楽しくない、気分が落ち込む、気力がわかないような状態が続くようなときには、早めに専門医に相談してみましょう。うつ病の早期発見につながることもあります。



もう一つのチェックシートでは↓の結果が出た。

中程度のうつ状態です。

23点
あなたのうつ状態は10段階中5です

中程度のうつ状態になっているようで、専門家による治療が必要だと思われます。
うつ病は「誰でもかかる可能性のある病気」であると同時に「予防も治療もできる病気」です。
悩み事や問題をひとりで解決しようとすると余計に心が疲れてしまい悪化してしまう恐れがありますので、早めに精神科、心療内科で相談してみることをお勧めします。


う~~んやっぱり・・・心の風邪

うつ病を長年患っている長女に云うと、「眠れる時は、いくらでも寝たらいい。眠れないのはもっとつらい・・・」

病気を認めたくない自分がいる。しかしあり得ないことではないとの思いもある。

7回目8回目の手術

耳鼻咽喉科を受診した夫。
2月の人工血管再置換手術から8カ月あまり経った。
依然として殆ど声が出ていない。
食べ物も飲み込みにくい。
外科の医者の見立ては、食道再建はきちんと出来ており詰まっている個所はないとのこと。

病院に行く前から、「今より声が出るようになるなら手術を受けたい」と言っていた。
前回の受診の際、告げられた反回神経麻痺の手術の詳細を訊いた。
神経が麻痺しているため、喋る時、空気が漏れ、かすれ声になる。
空気が漏れるため、たくさんの空気が必要で息切れがする・・・。

食べ物が通り難いことを話すと、喉の神経が麻痺しているのだから、当たり前とのこと。
専門分野が違うと、医者にも解らないことがあるものだと改めて思った。

局所麻酔をしての手術、発声練習をして見ながら手術を進める。
手術時間は約2時間だが、終わってもすぐに声を出すことは出来ない。
入院は10日間ほど・・・。
通常の半分ぐらいまでは回復するとのこと。
今は通常の10分の1ぐらいか・・・。
この状態は、本人にも私にもストレスがたまる。


この手術は県内では、恐らくこの病院でしか行っていないだろうとのこと。
ネットで調べても、県内の病院は出てこない。
これまでそうしてきたように、すべてをお任せするしかない。

2月の人工血管再置換手術が終わった時、医者の説明を聞いていた娘が「もう切るところはありませんよね」と、言っていたのを思い出す。
いったい人間の身体は、何回の手術に耐えられるのだろう?

ただ夫の胸には、100日以上開いたまま塞がらない穴が2つある。
この原因であろうと思われるワイヤーを抜く手術、こちらは全身麻酔なので先にした方がよいとのこと。

夫としては年内に両方済ませ、お正月は3年ぶりに自宅で迎えたい。
今年もあと70日あまり、急がねば・・・。
心臓血管外科の次回の予約は11月18日。
それまで待っていては、とても年内に2つの手術は終えられないだろう。
前倒しして予約を取らねば・・・。

今後、穏やかな老後は我々夫婦は迎えられそうにない。

穏やかな老後に 巡り会えぬ日々  タンポポ

  @1R0019589.jpg

内視鏡検査の結果

結論から言えば、前回の検査時と大きく変わりがない、とのことだった。
少し胃の入り口の辺りが赤くなっているとのこと。
それで済んでよかったとおもうことにしよう。

ただ今回は、前回のように「あなたに処方する薬はありません。ストレスを解消してください」と、素っ気ないことは言われなかった。
先週と同じ薬、ガスモチンと漢方薬がでた。
次回の予約は1か月先、簡単に解消できるストレスでないのは解っているし、ストレスに薬は効かないと聞く。
効けば、否、「今より少しでも楽になればいいな」ぐらいの気持ちで飲もう。

家にいると、相変わらず大きなゲップは出ている

夫の定期受診

@1R0019580@.jpgお目汚し<(_ _)>

みっともない程痩せて、あばら骨の浮き出た胸。
その胸に穴が開いたまま90日になるが、いまだに塞がらない。

最初の手術で切った胸骨を、6か所ワイヤーで止めてある。
二つの穴は、ちょうどワイヤーを停めてある場所にあたるようだ。
そのワイヤーが悪さをしているとしか考えられないということで、ワイヤーを
抜く手術を受けることになる。
昨日の診察で、その日程が決まると思っていたが、外科医との日程の打ち合わせが、まだ出来ていないとのこと。
喉の手術もある。
両方とも全身麻酔である。

夫は喉の手術を早くしたいようであるが、手術をすれば今より必ず声が出るとは限らない。
耳鼻咽喉科の手術は、次の受診日に決まると思う。
出来ることなら今年中に二つを終わらせて、スッキリ新年を迎えたい。

3年続きの病院でのお正月は、ご免被りたい。

10月6日

あれから丸3年が経った。
嬉しくはない記念日である。

いつものように食事をして、スーツを着て出かけた夫が、2時間後に事務所で倒れ、緊急搬送・緊急手術と云う思ってもみなかった事態になった。

術後の意識障害が長引き、どうなることかと心配した。
この時は、23日の入院で退院し1日置いて出勤した。
取りあえず、約束の翌年の5月31にまで勤めることを目標にしていた。

最初の手術後、1年間は元気だった。
術後1年で発症した感染症で、入退院を繰り返し、何度も手術をし今に至っている。
今は元気な時の面影もなく、どう贔屓目に見ても痩せこけた病人になってしまった。
2年半で6度の手術をしても、なお自宅で暮らせるのは元々内臓疾患がなかったこともあるだろう。
また生まれた時、神様が決めた寿命がまだ先だと云うことだと思う。

10月29日に退院後31日からの出勤、どう考えても体力的に無理だろうと思った。
自宅から最寄駅までの約7~8分を休憩なしでは歩けなかったのに、土日祭日以外、休まずに出勤した。

よく冗談で「あの日、あのまま死んでいたら49日、とか一周忌」などと言っていた。
そして一周忌やなと話した3日後、感染症の発熱のため路上で倒れ、また緊急入院となった。



明日は心臓血管外科の受診日、死ぬまで病院と縁が切れない老後である。
感染症があるため、歯医者であれ何科であれ、近所の開業医のお世話には、なれない体である。

今の状態を見ていると長生きは出来ないだろうとは思うが、本人にとっても私にとっても苦しい老後になってしまった。

@1blog_import_5352188f57d331.jpg      @1@1IMG_1054.jpg



左 《2011年10月術後20日》   右 《2013年11月16日》食道再建胃管胸骨前手術後          

胃の検査

この4~5年、逆流性食道炎に悩まされている。
体調の悪い日は、朝から「グェ~~」と大きなゲップが出る。
大きいの小さいの、ほぼ毎日一日中ゲップは出る。


4~5年前、一度胃カメラを飲んだ。
その時、医者から「あなたに処方する薬はありません。ストレスを解消してください」と言われた。

簡単にストレスが解消できるなら、病院に行かないし胃カメラを飲まない。
その後もゲップに悩まされる日々が続いている。
少しマシになったかなと思った頃、夫の病気・・・。
それでも今ほど酷くはなかった。
この2年半の入退院の間、私が病室でゲップをすると他のベッドにいた看護師が、びっくりして何度も飛んできた。

ゲップをし過ぎて胃が痛くなるようになったのは、4月に夫が退院してからである。
スーパーへ行ったり外に出ている時はそれ程出ない。
家に戻って食事の用意をしようとすると、拒否反応のようにゲップが出て止まらない。


あまりにも酷いので、昨日診察に行き今日、内視鏡検査となった。

コップ6分目くらいの液体を飲んで、しばらくしてベッドに仰向けになる。
左の肩に注射をする。そして喉の麻酔液をピッと2回入れられる。
これが気持ち悪い。
そして横になって胃カメラを入れていく。すんなりと入った。
胃に到達した異物で、かき回されるのが解る。


結果は来週・・・。

今回もストレスの解消を・・・と言われるのだろうか。

夫の兄からは「あんたが頼りだから体に気を付けて。大変だけど頼みます。」と事あるごとに言われる。
これがどれだけストレスになっているのか、解からないのだろう。
夫だってそうだ、面と向かって「その一言がストレスになるのよ」と言うことが出来れば、簡単だとおもう。
病人にむかって、その一言が言えない。
ストレスは溜まる一方である。

試練はまだまだ

昨日、4時~4時半予約の心臓血管外科の診察に行って来た。
駐車場に入ったのは13時28分。
受付をして、9月最初の診察なので、保険証のチェックを受ける。
支払いも受付も機械だが、保険証のチェックは当たり前だが人の目


70日以上も塞がらない皮膚に開いた穴からは、毎日、血と黄水が出て、ガーゼがべったりと汚れる。
今日の採血の結果、変な細菌もいない、CTを撮ったが異常はない。
ならばなぜ70日も皮膚に穴が開いたままなのか、医者も首をひねる。

最初の手術で、胸骨を開きワイヤーでとめてある。そのワイヤーが悪さをしているのかもしれない。
何度か書いているが、夫は去年の吐血(4月26日)後、食道抜去と100日以上、胃瘻、食道瘻をしていた。
その後、8月15日に食道再建胃管胸骨前手術を受けている。
これは特殊な、↓の画像のような手術である。

      @IMG_1054@.jpg

   《2013・11・15日撮影》 食後で胃がパンパンに膨らんでいる。

ワイヤーは6か所とめてあるそうで、ワイヤーを抜くだけなら、局所麻酔でごく簡単な手術らしい。
夫の場合、皮膚のすぐ下に偽の?食道があるため、食道を傷つけないようにメスを入れねばならない。
これが難しい。医者はかなり嫌がっているようにみえる。
心臓血管外科と外科との、共同の手術になる。

次は3週間後の受診、それまでに塞がっていればいいが、多分無理だと思う。

もしかすると年内に半回神経麻痺と、ワイヤーを抜く手術を、受けるようになるかもしれない。

闘病は続く 命のある限り    タンポポ   はぁ~

反回神経麻痺(片側)

夫の声が、人工血管再置換手術後、かすれてほとんど出なくなって、7か月が過ぎた。

詳しくはここ反回神経麻痺で・・・。
昨日、通院中の病院の耳鼻咽喉科を受診してきた。
そして、はっきりとこの病名を告げられた。

術後半年間は、自然に回復することもあるので、今まで様子をみていた。
しかし、夫婦二人暮らしとはいえ、お互いに耳も段々聞こえにくくなっている。
一度で話が伝わらないもどかしさは、双方にストレスがたまる。

そこで今回、受診したのであった。
麻痺している声帯の外科手術をすれば、元には戻らないが、今より出る可能性はある。
しなければこのまま戻らない。
夫は手術する気満々である。

しかし、100%今より声が出るという保障のない、手術である。
手術時間は約2時間、入院は1週間・・・
1か月後の再診時、返事をするという。

10月が来ると、最初に倒れてから3年になる。
また手術、3年の間に7回目の手術・・・気が重い

歯の治療

夫が昨日から歯が痛いと言い出した。
在職中は勤務先の近くで、治療を受けていた。
倒れた後の退職後も、その歯科医院で治療を受けていた。
電車で神戸まで行くのもと言うことで、今朝、自宅近くの歯科クリニックに、電話で初診の依頼をした。

1人で出かけたが何となく嫌な予感がしていた。
2時間ほどして帰って来たが、診察をしてもらえなかった。
やはり昨日の日記の、MRSAがあるため開業医では、治療を断られたのだ。
市内の大学病院の歯科口腔外科の、紹介状を持って帰ってきた。

これで今後、いかなることがあっても、開業医の診察を受けられないことが、はっきりした。

う~~ん・・・本当に厄介なMASAである。

月曜日、口腔外科の受診を受ける。

MRSA

気持ちの悪い画像です<(_ _)>



《MRSAメシチリン耐性黄色ブドウ球菌》は殆どの抗生物質が効かない、厄介な細菌である。
昨年3月から半年以上の、入院中にも採血検査で見つかっていた。

7月から傷痕の上にポツンと開いた穴が、50日以上経っても塞がらない。
毎日ガーゼに、べったりと血が付いている。
最初言われた、胃潰瘍の疑いは晴れた。
しかし検体を調べた結果、この厄介なMRSAが見つかった。
道理で穴が塞がらないはずである。

50日も立てば、大手術の痕でもきれいに塞がる。
今は二つ開いている。下の方は、血の塊があって先日の受診の時、血を出した。
今は、毎日シャワーの後で、バクトロバン軟膏を綿棒に付けて塗っている。

いつになったら塞がるのやら・・・?




MRSA1@.jpg

診察日

今日は午後から、心臓血管外科の診察日。
心臓血管外科は予約があってないのも同じ、長時間待つつもりで行っている。
何度も書いているが、採血の結果が出るのに1時間かかるので、予約時間の1時間半前には病院に着いている。
2時間が経過したころ、夫は午後の捕食をした。


3時間が経ち、端末に「診察室の前でお待ちください」の表示があった。
待っていると昨年《食道再建胃管胸骨前手術》の執刀医が、出てきた。
心臓血管外科の医者から話を胸の傷の件を、聞いているので見せて欲しいといい、別の診察室に入る。
3週間前、胃潰瘍だろうと言われ、皮膚の表面に出てくるの?と素人は思っていたが、「多分間違いはないでしょう」とのことで、急遽明日胃カメラをのむことになった。
胃カメラは、去年吐血した日の深夜にのんで以来だ。

っと云うわけで、今週は今日明日そして金曜日と3回病院に行くことになってしまった。
胸の傷跡に穴が開いて、もう1ケ月になる。
今もジクジクと血や黄水が出ていて、毎日ガーゼを貼らないとならない。
原因が解れば薬も飲める。
傷=炎症の数値があがる=感染症となるので、早く何とかしたいと思う。

週末は埼玉から孫台風がくる。それまでに体力を温存しておきたいところだが、無理だろう。
今回、孫台風は早くそれるので、何とか5日間耐えられる体力をキープしておかないと・・・。

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         本日の一品《かぼちゃのサラダ》

定期受診

6月の受診は、1人で行くと言うので一度も付いて行かなかった。

胸の傷が痛いと言い始めた後、感染症内科を受診したのに、申告をしなかった。
医者でも看護師でもない古女房に訴えても、どうにもならないことが解っているのかいないのか?
願わくば、一人で行ってほしいところだが、そんなこともあって昨日は、一緒に病院へ走った

先日来の胸の傷は、胃潰瘍・・・でしょうとのこと心臓血管の専門外とはいえ全く的外れなことは言わないだろう。
でも胃潰瘍が皮膚の表面に出てくる??

昔、私の祖父が胃潰瘍の手術をして、胃を半分だか三分の二取りました。
夫には、もう三分の一しか胃がありません。
さすがにこれを切ることはないと思うが、表面に出てくることが素人には理解できない。
夫の訴える症状が胃潰瘍そのものの症状のようなので、昨年の《食道再生胃管胸骨前手術》をした外科の執刀医に相談するするとのことで胃酸を抑える薬を増やして帰って来ました。
一番恐れている感染症ではなかったことに、少しホッとしたものの、次々と難題を突き付けられてまいってしまう。
蒸し暑さとこれらのことで、今日は朝から体がだるい。

眼科の受診

散瞳検査だと解っていると、いつものようにでは行けない。
予約ではないので、ついつい後回しになってしまう。
珍しく何も予定がなかったので、重い腰をあげてやっと行って来た。

実は白内障の手術を、昨年4月に予定していたが、夫の再再再々の入院手術で、延期になっている。
視力そのものは、明るい場所なら裸眼で新聞が読める。
ただ車を運転する時、サングラスがないと眩しい。

レンズが曇っていては、網膜がよく見えない。
糖尿があるので網膜の管理は必須。そこで手術をと医師から言われている。
今日も言われて帰って来た。
術後1カ月は車の運転が出来ないと、最初に聞いている。
今の我が家の状態で、1か月車に乗れなくてのりきれるのかどうか解らない。


帰ってきて手術のことを言うと「何で出来ないのか?すればいい」と・・・。
出来るのならとっくにしてるって・・・解ってないなぁ
1か月車に乗れないことを話すと「儂の病院なら一人で行けるから大丈夫」ときた。
どこが大丈夫なんだか・・・
退院してやっと2か月経った、炎症の数値は落ち着いている。
人工血管再置換をして、また感染症を起こすと今度こそ、お手上げだと思うし、そうなっては困る。

もし運悪くまた入院と言うことになれば、病院が遠いので車に乗れなければ困る。
今の状態の良い時に、急いでするかどうか・・・。
また一つ、悩ましい問題を抱えてしまった。



久しぶりに電車に乗った(どんな田舎やねん
今、甲子園駅は大改修工事中で、エスカレーターは動いていない。
新しいエレベーターに乗ると、押しボタンがなんと野球ボールのデザインになっていた
あまり人がのってなければを撮ろうと思ったが生憎いっぱい。
また今度ということで・・・。

↓駅の外観を・・・球場を意識していますね。

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 ↓球場・・・画像は少々古いです(^_^;)

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そして↓工事中の画像。今日はこんな青空でした。
 
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通院日

隔週で、心臓血管外科と感染症内科の受診があります。
今週は感染症内科の受診日でした。
この科は採血の結果さえ出れば、そう長く待つことはありません。
朝駐車場に入って出てくるまで2時間半でした。

採血の結果も特に問題なく、(肝臓の数値は少し上がっていたが、薬の影響だろうとのことで様子見)
長時間待つのも疲れますが、短時間でもこうも闘病が長く続くと、病院へ行くだけでグッタリです。

来週の火曜日は、いつまで待つか解らない、心臓血管外科の受診です。はぁ~

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ご心配をおかけしました

昨日は「一日寝て曜日&何にもせん曜日」を決め込んで、いつもより一層グータラしていました。

この2年半、ずっと感じていたことですが、「あんたまで倒れんようにしてな」と夫の兄や妹から言われることに、大きなストレスを感じていました。
悪気があってのことではないのは、十二分に解っていますが、健康体でない私にとって、これは本当にしんどかったです。
何度も命の危機を脱して、自宅で生活が出来るようになったことは、喜ばしいことです。
しかし元気な時に出来ていた何気ない動作、例えばしゃがんで何かをする、高いところへ手を伸ばして物を出し入れする。
あるいは少し重い荷物を持って歩く、これらが今は出来ません。
それと何度も受けた、全身麻酔の手術で今回、声帯の神経に傷が付き、しわがれ声が少ししか出ないのです。
これは本人も話すのがしんどいし、こちらも聞き取り難く疲れます。
今までも手術直後は、声が出ないことが何度もあったのですが、大体2週間ぐらいで戻っていました。


これまで何度も声のことは、主治医に訊いていますが、先日の受診の際にも訊いていました。
元々術後半年経って、戻らなければダメだと言われていますが、本人は諦めきれないのでしょう。
人工血管再置換の際、左の鎖骨の辺りをごっそり取っているので、非常に難しいようです。

医者からはこの病名は聞いていませんが、経緯と症状から反回神経麻痺ではないかと思っています。
術後半年まではあと3ケ月あります。
最後まで望みを繋いでいたいと思います。

青い空 夫の声が戻らない   タンポポ


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診察日

午後3時半の予約でした。
駐車場に入ったのは、1時56分。
今日も採血をして、受付番号が画面に表示されるのを、ひたすら待ちました。
検査結果が出るまで、1時間かかるのは仕方ありません。

広い待合に午後だとをいうのに、いっぱいの患者が待っていました。
先日厚生労働省から、紹介状を持たずに大病院を受診した患者に、新たな負担金を求める制度の発表がありました。
大病院志向は根強いものがあるようです。
しかも新しくて最新設備の整った病院とくれば、安心できるのでしょう。

夫の場合は好むと好まざるにかかわらず、事務所から近かったこの病院に運ばれたのです。
でもここだから、6回の手術をして家で生活が出来るように、なったのかも知れません。
この前も書いたと思いますが、患者数に対し医師の診察が、追い付かない状態ではないかと思います。

今日も診察室に入ったのは、6時前でした。
さすがにこの時間になると、待合の人数もぐっと減ります。
そして電気のついている診察室は、ごく一部になります。
処方箋をファックスで送って、自宅近くの処方箋薬局で薬をもらって外に出ると、真っ暗でした疲れた~~。

線引き

昨日の日記で障害認定の線引きは?と思われた方があると思う。
私の場合、身体に異物を入れたことで片脚の時は2種4級、両脚になって同じく2種3級になった。
異物を入れなければ、今の制度では6級が最高だと聞いたことがある。

これは膝も同じで、片脚なら4級両脚だと3級になる。仮に私が膝に人工関節を入れると2級になる。
この認定には色々不満や不公平があるようだ。

視力障害、聴力障害は、今では医療機械の進歩で、かなり精巧な判断がつくと思われるが、昔は大雑把だったようである。
これは身体障害にも言えることではある。
私と同じように股関節が悪く、人工関節を入れていなくても、若いときから4級や3級の認定を受けている人もいる。

そして最初に医者にかかった年齢、当時、自身が社会保険に加入していたか否かで、障害者年金の認定も変わってくる。
私が両脚を手術した時、プールの友人から「障害者年金がもらえるよ」と聞いた。
いそいそと社会保険事務所に足を運んだが、残念ながら対象外だった。

私の場合先天性股関節症で、2歳でオシメが外れた時点で、ギプスをしていた(らしい)母はその時のことを、「おぶって帰ってきたが麻酔が覚めず、あ~あ~しか言わず、このまま死んでしまうのではないか?あるいは言葉を発しなくなるのではないか」と心配したらしい。
なにぶん可愛い?2歳のお嬢ちゃまで、本人は覚えていないが、姉たちはよく覚えていて、かわいそうだったと言う。

その後、子供時代は、周囲の友達と全く変わりなく、飛んだり跳ねたり出来ていた。
たった一度だけ、次女を妊娠中バスから降りる時「イタッ
と思ったことがあった。その後、何事もなく20数年過ぎた。

痛くなったのは阪神大震災後、ガスも水も出ない中で、重い水を運んだのが堪えた。

治療としてステロイド剤の注射をし、その結果、骨頭壊死をおこし瞬く間に、人工関節置き換え手術になり、身障者になった。
骨の形は子供の時から変わるわけではなく、かぶりの浅いまま大人になったので、遅かれ早かれ悪くはなったとは思う。

人工関節を入れることで、痛みから解放され生活の質が向上するのに、障害認定はおかしい。
あるいはペースメーカーを入れて、元気になったのに1級とは?等いろんな意見があるらしい。
今後見直されるかもしれない。

夫は命がけの手術を何度もして、生活に支障があっても介護認定も、要支援も降りない。
我が家は、障害者が健常者の介護をしているという状況である

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