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骨密度の測定

先日、骨密度の測定をした。大体年に3回している。
今回は前回より、何故か5%も上がっている。

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骨密度を最初に測ったのは、もう10年以上前だと思う。
その時は、くるぶしの辺りに水?を流して測った。
同じ方法で別の所でも測ったことがある。
そして今行っている整形外科では、手の甲をレントゲンを撮って測った。
これの結果は後日伝えられた。
2年ぐらい前から今の検査方法DEXA法という機械で、ベッドに仰向けになって
とる。時間は10分程度。非常に正確に測れるのだそうな。
大腿骨と腰椎で撮るのだが、私は両股関節が人工関節のため
腰椎のみでとる。この結果はすぐに出る。

検査結果を見る限り、骨粗しょう症は今の所大丈夫だ。
月に一度骨粗しょう症の薬を飲んでいる。そしてもう一錠、
小腸でのカルシウム吸収を助け、骨の新陳代謝を改善する薬を毎朝飲んでいる。
素人考えでは、この数値なら薬は不要ではないかと思う。


歳を重ねると「いつの間にか骨折」のリスクが高くなってくる。
尻餅をついたり、くしゃみをしただけでも骨折すると言うので、気を付けねばと思う。



ついてなかった日

昨日は眼科に行ってきた。
瞳孔を開く散瞳検査のため、いつものように車で行けないので
目の前のバス停から、JR甲子園口行きのバスに乗るつもりで
バス停に行った。何の気なしに時刻表を見ると赤字で
「このバスは阪神甲子園には行きません」と書いてある?
そんなの聞いてないよ。仕方なしにタクシーを呼んだ。
私は身障者のため、バスは健常者の半額で乗れる。
タクシーは一割引きで乗れる。

そして昨日は花粉症が、今期マックスだった。
今までは目には来ていなかったのに、鼻水は出るし、
大きなくしゃみが何度も出るし、
そしてくしゃみをすると、2日前から違和感のあった腰に響くし


本当に昨日は  でした。

八割方私は死んだ花粉症  タンポポ


今日も鼻がモゾモゾと気持ちは悪いのですが、昨日とは
雲泥の差です。楽です。

まだこの先、一月付き合わねばなりません。

四月末花粉症から生き返る  タンポポ


31日は自治会のお花見ですが、どうしよう・・・。

   キュウリグサ

                       〈キュウリグサ〉

       茎もめば胡瓜の匂いキュウリグサ   タンポポ



転院

夫は7年間お世話になったこちらから、自宅に近いこちらへこの度、転院しました。
あちらでは何度も命を救っていただき、500日もの入院をしましたが、現状より
良くはならないことで、通院の負担を減らすべく転院したのです。
細かいことを言えば、通院にかかる交通費も全然違ってきますし、何より体への
負担が違います。
死ぬまでこの病気と闘わねばならぬ身で、この先もっと年齢を重ねることを
考慮したのです。
転院先は電車で3駅と近いのです。帰りは散歩を兼ねて徒歩で帰って来ることも
しばしばです。
おそらく7年前自宅で倒れていたら、ここへ救急搬送されていたでしょう。
ここは30年余り前、人口鼓膜の手術をした病院でもあります。

昨日は、各種検査と心臓血管外科・腎臓内科の2科受診でした。
朝から出かけ、検査のため昼食抜きで診察が終わったのが、5時過ぎだった
ようで、お腹を空かせたままでした。
診察が終わったと連絡があり、迎えに行きました。
当初の予定では、処方箋FAXを送った調剤薬局へ薬を受け取りに行く
つもりでしたが、空腹でフラフラしているのを見かねて、自宅に戻りました。

何分にも1/3しかない胃は、一度に食べられる量が少なく食事を一度
抜くことは体力的に無理があります。
またお腹が空きすぎても食べられないのです。

厄介な病人ですがいなくなったら困ります。
この年になると、どちらが先に逝くかは解りませんが、
病気と向き合っていくしかありません。
万が一、また入院をしなければならなくなった場合も、ここなら
私の負担が軽くなります。

夫の体調

今朝の体重は49.6キロだと言う夫。
大の男、否ジイさんが50キロを切っては、そりゃあしんどいと言うもの。
夏が越せるかどうか心配になってくる。
5年前193日の入院を終えて、退院したときは46キロだった。

朝食後、扇風機を出すと勢い込んでいたので、
クロゼットの上段から、おろすのを手伝った。
その後しばらくして、音がしなくなったなと思った。
疲れて寝ているのだろうと思って見に行くと、やはり力尽きて
ベッドで寝ていた。ビックリするほど体力がない。
これが11回の手術で体中傷だらけになり、それでも何とか生きている
74歳の哀れな老人の姿なのだ。

何度も書いているが、MRSA感染症があり食道抜去、食道再建胃管胸骨前手術を
受けた身体は、今より良くなることは望めない。
現状維持で体力を温存するしかないのだ。
悔しいがこれが思ってもみなかった、我が家の老後の姿である。

          @R0024334@.jpg


↑の写真は6月1日に撮ってくれと言われて撮ったもの。
遺影か?と冗談を言って撮った。

病人との暮らし

愚痴です<(_ _)>

夫の体調がすぐれない。
このところ朝食が食べられず、牛乳だけ飲んではまた
ベッドで寝ていることが多い。
大手術をして、助かったのは余程の強運の持ち主だと思うが
生かされているのも、非常に苦しい。
最初に倒れて一時、20キロも体重が落ちたので全身の筋肉が落ち
体力も落ちた。骨も痩せた。口元から顎にかけても痩せた。
そのせいで顎関節が外れるようになった。

昨日は、大学病院の歯科口腔外科に行った。
感染症があるため開業医では断られる。
一時間ぐらい治療をしていると、終わった時、顎関節が外れて
口が閉まらなくなったと言う。
そのせいで物が噛めず、夕食は2時間かかって食べたが
完食に至らなかった。
塩分、カリウム、タンパク質の制限がある身に、これ以上
どうすれば良いのやら?
 
声はあまり出ないし、顎はこんな具合だし、食道癌でもないのに
食道再建胃管胸骨前手術した身体は、見るも無残な姿をしている。
この手術の原因になったのはここ
この吐血したとき、食道抜去、ステント挿入、胃瘻、腸瘻、の手術をし、
5月1日から8月15日まで、口から食べ物を摂ることは出来なかった。
ただ食べられるようになったとき誤嚥を防ぐために、口に入れる練習はした。
それは喉のあたりに付けた袋に出てきた。
それでも命を繋いだ。

MRSA感染症のせいで、4年前から胸に穴が開いている。
毎日お風呂上がりに、薬を塗ってガーゼを当てテープを貼る。
いくら肌に優しいとうたったテープも、毎日貼っているとテープかぶれが
酷い。テープを貼るところがないほど全体にかぶれる。
恐らく死ぬまで治ることはないだろう。
毎日手当をするのも疲れる。

とは言っても、夫に頼りっぱなしの古女房は、さっさと先に逝かれても
困るなと思う。
夫とも病とも気長に付き合うしかなさそうである。はぁ~~!


↓お目汚しですが・・・胃管胸骨前手術画像  2013/11/16

         @IMG_1053.jpg


旧作から
   病む人を今も好きかと自問する  タンポポ


人工股関節置換術

        2018年
                                                                                                                                          

旧作から         ↑2018・05・11撮影

         私の股関節新品にする  タンポポ


20年前に右脚の股関節を、10年前には左脚の股関節を人工関節に
置き換えている。そして身体障碍者Ⅱ種3級になった。

歩き始めた時、アヒルのようにお尻を突き出して歩く姿を見て、慌てて医者に行ったという。
先天性股関節脱臼と診断された。
取りあえずおしめが外れたらギプスをすることになった。
おしめが外れて、ギプスをはめたのだと言う。
ギプスをはめておんぶして帰ってくる時、麻酔が覚めずか細くあ~あ~と
呻く私に母は、この子はこれで阿保になるのではと、心配したそうだ。
麻酔が覚め、そう賢くもないがどうにか、人並みに育った。

ギプスは今のような簡易なものではなく、板でがっちり固定されていたそうだが、
私にはもちろん記憶がない。姉や兄たちは覚えている。

子ども時代も成人してからも、何の不自由もなかった。
友達と同じように飛んだり跳ねたり出来た。
昭和25年当時の医療技術で、よくも完璧に治ったと、今になって思う。
私がギプスをしていた姿を知っている人は、治ってよかったと喜んでくれたものだ。

調子が悪くなったのは、平成7年の阪神淡路大震災の時、ガスも水道もストップし、
重い水を何度も運んだ、その後である。
その年の夏ごろから違和感を感じるようになった。
なんとなく、成人しても骨の形は変わらないだろうから、やっがて悪くなるかも・・・と
思ってはいた。
当時マンションの管理人の仕事をしていた。
朝晩の巡回と後は、窓口でほぼ座っているだけの仕事だったが、
段々痛くなってきたので、整形外科に行った。

股関節の軟骨がすり減っている、痛み止めの注射をしましょうと言われ、
何の疑いも持たず、月に2回計8本の注射をした。
それで痛みが無くなるわけでもなく、ますます痛くなった。
ある日これ以上我慢が出来ないと言うと、後は手術しかない。大学病院を紹介すると
言って近くの大学病院を紹介された。
この大学病院は、40歳の時お腹の手術をしその時とても嫌な感じを受けたので
受診をしなかった。ほかの大きな病院へ行った。

そこでレントゲンを撮ると、骨頭壊死と言われて、注射を打っていた病院でレントゲンを
借りてくるように言われ借りて見せた。
わずか半年余りで急速に悪化していた。ステロイド注射だったのだ。
注射を打つ時医者からは、この注射について何の説明もなかった。
ただ注射を打つと楽になると言われた。

もう人工股関節置き換えの選択しかなかった。
術後は快適であった。あんなに痛かったのが嘘のようだった。
あれから20年、当時の人工関節の寿命は約20年と言われていた。
今はまだどうもないが、再置換も視野に入れないといけなくなっている。
先週、年に一度の整形外科の受診をしてきたが、まだ大丈夫らしい。
次回からは半年の検診になった。
股関節が悪かった時、無理をしたせいで今は膝が痛い。

歳をとってよくなるものは何もないと、情けなくなってくる。

認知症

叔母は現在91歳、長女である母は95歳、三女である叔母は、2年程前に
亡くなった。
母も叔母も認知症である。
先日叔母から電話がかかってきた。

○子から最近電話がないけど、どうしてるのやろ?
叔母ちゃん○子おばちゃんは死んだよ。
え~○子死んだん?いつ死んだん?

前回電話で話したときは、○子が死んで寂しくなったわ。
よく電話で喋ってたから・・・。と解っていたのに、この日は
すっかり忘れていた。
母が施設へ入っていることも忘れていた。
全て初めて聞いたようにビックリしていた。
私らのお父ちゃんお母ちゃんは?
叔母ちゃん、おじいちゃんおばあちゃんは、もう40年も前に
死んだよ。
そう・・・そうなん・・・。

今日従妹から電話があり、この話をすると、電話をかけられるのや!と
ビックリしていた。
そんな叔母だが一人で暮らしている。
よく一人で暮らせていると思う。

従妹が実家へ行くと、朝から何も食べてないというらしい。
ヘルパーさんとの連絡ノートには、ちゃんとモーニングを食べたと
書いてある。
認知症あるあるなのだ。

どこまでが本当なのか正気なのか従妹にも分らない。
従妹も毎日は行けないが、行くと寂しいと泣いて、従妹の家の
隅にでも置いて欲しいと、言うのだそうな。切ない。

親子と言えど、認知症が進んでいく母親に付き合うのに疲れたと
いう従妹。
我々姉妹は、母が今のように認知症になる段階では、すでに施設に
入っており、そのしんどさを経験していない。
従妹にお疲れさまとしか言えなかった。

今更ながら、高齢で認知症の親の世話をしている人がたくさん
いることを思い知った。
親の面倒をみている子供たちも、それなりに高齢者と呼ばれる
年齢になっているのだ。
いつかは我々世代も世話を掛ける年齢に必ずなる。
さてどうしたものか・・・。

叱らないよう気をつける認知症  タンポポ




40歳の時、卵巣嚢腫の手術のため大学病院の婦人科に入院した。
今では珍しい8人の大部屋だった。
すぐ打ち解けてみんな仲間になった。
婦人科の病気は子宮癌、卵巣癌、子宮筋腫、卵巣嚢腫、それと胞状奇胎の人もいた。
病棟全体では、やはり子宮がんの人が多かった。
年齢は関係なし・・・。20代~80代の方がいた。

入院するまでは大病のように思っていたが、ほかの人たちの苦しみ方を
見ていると何だ私なんて大したことはないのだと思った。
何より悪いところを切れば治るのだ。
それを教えられたのは、明日退院と言う日、同室のTさんと退院受診をし、
Tさんを待っている間、Tさんのご主人と話をした時だった。
「切って治るものはよろしいわ。本人は知りませんけど家内は手遅れですねん。」
ええ~~!!びっくりしたのは言うまでもない。今の今まで考えてもなかったのだ。

子宮癌だった。
本人は微塵も疑わず、明日の退院を喜んでいた。
病棟へ戻り、どうにも苦しくて悲しくて一昨日オペをしたKさんに話した。
2人で泣いた・・・。
私はその後、屋上(当時の屋上は洗濯物を干していた)に上がって、声をあげて泣いた。
そのTさんは1年後に亡くなった。

このときの入院で仲良くなった人の殆どは、子宮癌卵巣癌で亡くなった。
kさんもいったん元気になり仕事に復帰していたが、5年程前に亡くなった。

私の周囲で亡くなった人の殆どは、癌で亡くなっている。
やっぱり癌は怖い病気だと思う。
なのに子宮癌検診も乳癌検診も、もう長い事受けてない。罰があたるかも知れない。

MRI結果・・・

結論から言うと変なものは、映っていないということだった。
検査当日とあくる日、あまりの気分の悪さに寝ていたというのに、
異常は見つからないって・・・それはないでしょ?って気がする。

それに確かに左ひざの裏に、指先に触れる何かがある。
そしてどうかした拍子に、その何かが関節に挟まってアイタタタ!
しかし医者としてもMRIに映ってないものには判断を下せないと
いうところだろう。
もっと大きくなれば、MRIに映るのかも知れないが・・・。

これで一安心と行かないのがつらいところ。

MRI

先日、ある総合病院でMRIを撮って来た。
この病院では右脚を手術する時(約20年前)にも撮っている。

ただ今回と比べて、そんなにダメージが大きくなかったように記憶している。
今回はマイッタ。防音のためヘッドホンをしていても、そのうるさいことうるさいこと。
これには参った。

今回撮ったのは左膝。膝の後ろの角になんだか解らないが、
親指の先ぐらいの肉の塊のようなものがある。
それが関節に入った時、痛くて暫く膝の曲げ伸ばしが出来ない。
先月、股関節の年一回の定期検診に行ったとき、医者に言うと
MRIを撮りましょうと言うことになった次第。

撮り終えた時、頭は自分の頭ではないようだった。
取りあえず頭を抱えて休憩した。
膝でこれなら、頭だとどんなだろう?

結果は明日聞きに行く。
悪いものでなければいいのだが・・・。
悪性のものでなくても、取り除かねばこの痛みからは
解放されない。しかし簡単であれ手術と言うことになれば
病気の夫をどうするか・・・。
子どもではないので一日ぐらい何とかなるだろう、しかし三日あるいは一週間。

食の制限のある身で、どうしたものか?
頭の痛い話である。
そして糖尿のある私は、簡単に手術が出来ない・・・。

高カリウム血症

夫は最初の病気で倒れた時、裂けた大動脈からの大量出血で
左の腎臓が機能しなくなった。
それ以来減塩に努めている。

しかしその後いろいろあり、カリウム制限タンパク質制限と、いったい
何が食べられるのかと思うほどの食事制限がある。
そして時々高カリウム血症になる。
生野菜は水に浸けておけるものは一時間浸けておいて食べる。
後は加熱した野菜である。
大好きなフルーツもNGであり、もっぱら缶詰を食べている。

そんなにしているのに昨日の採血の結果、カリウムの値が6.8だったらしい。
2月に緊急入院した時は7.0だった。
もっとも2月のこのときは、毎朝果物を食べていたので当然の結果だろう。

しかし今回は全く腑に落ちない。
これ以上どうしろと言うのだろう?

昨日は検査のみだったが、受診をすれば即緊急入院だったかもしれない。

夫がまだ帰宅しないうちに病院から電話があり、詳細を知らされた。
来週は受診日、診察後帰って来られるのだろうか。嫌な予感がする。

またしても

夫が入院をした。
2011年の10月以来、もう何回目の入院なのか、本人も私も定かではない。

昨日、感染症内科の予約があり、一人で出かけて行った。
受診の前の採血検査で引っかかってしまった。
カリウムの数値が2週間前に比べて、上がり過ぎていた。
結果を見た主治医の顔色が変わったという、それほど高くなっていたのだ。

そして急遽腎臓内科の専門医を受診したという。
実はこのところ、足の甲が腫れているのが気にはなっていた。
たぶん腎臓から来ているのだとは思っていた。

腎臓は最初に倒れた急性大動脈解離で、左の腎臓の機能を失い
右の腎臓だけで頑張ってきた。
減塩、カリウム制限の食事を心がけていた。

夫の兄も姉も透析治療をしていたが亡くなっている。
長男も透析をしている、素人考えでも腎臓の悪いDNAが濃いのだと思う。

昨日の状態では一時的な透析も考えられていたそうだが、それは何とか
避けられた。
数値は少し改善しているが、ベッドから降りられない。
救急病棟から一般病棟に移る前体重を測った。
立ち上がるのは禁止なので、身体をシートのようなものに包んで
ゆりかごのように、ぶら下げて測っていた。

一般病棟に移動した。以前長い間お世話になった病棟であり、看護師長さんが
おかえりなさいと挨拶に見えた。
救急病棟でも何度もお世話になっており、やはり覚えている?と挨拶をしてくれる
看護師さんがいたしうだ。
あまり長居をするところではないなと思う。

取りあえず月曜日の検査結果を待って、退院か否か、また今後の治療が決まるらしい。

我が家の今年の目標は「入院をしない」だったのだが、今年もあっけなく入院をしてしまった。
今回だけで済みますように・・・。

眼科定期健診

日帰りで白内障の手術をして、早や13か月と少し・・・。
気が進まないままに手術を受けてたものの終わってみると
心配するより簡単だと思った。

医者からは術後はとてもクリアーに見えますよと言われ、
今もきれいに見えてます!とかわいくないことを言った

実際術後の目は、太陽はもちろん青い空が眩しかった。
車の運転にサングラスが欠かせなかった。
この一年は月に一度の通院だったが、今日1ケ月半ぶりに
受診してきた。
異常はなく、きれいだと言ってもらえた。
視力は1.0出ている。今のところ問題はない。

車の運転をするので、眼内レンズは遠くを見るものに合わせた。
手元を見るのに眼鏡を購入した。
新聞を読むには眼鏡がいるが、スーパーでの買い物などには、
眼鏡なしでも不自由はない。

最近目が慣れたのか、以前ほど眩しくなくなった。
私は糖尿があるので油断はできない。
気長に付き合っていこうと思う。

術後の目


     ≪青空がくっきり見える術後の眼  タンポポ≫

5回目の記念日

記念日と言うものは、えてして良いことがあった日のことであろうと思う。
しかし夫が言う、我が家の記念日の一つは自分が死んでいたかもしれない
2011年10月6日のことである。
興味のある方は、この月のブログあるいは、病気医療カテゴリをご覧ください。
前のブログから引っ越していますので、見難い部分があると思います。

生まれて初めての大病で、運よく命をつなげたのだから、記念日だと思う。
ただこの時の病気だけだったら、今程苦しい生活をしなくて済んだ。
一年後の感染症発症に始まり、その後、何回もの全身麻酔の手術をしたせいで
声がほとんど出なくなった。
声を戻す手術や声帯に注射をしたが、思うようには戻らず会話には、難儀している。
とにかく息が続かない、声が掠れる・・・電話など非常に困る。

先日出かけて帰って来た時「今あなたが一番欲しいものは何ですか?」とカーラジオから
聴こえてきた。
そこで夫に「何が一番欲しい?」と聞くと間髪入れず「声」と返ってきた。
健康な身体と返ってくると思っていた私は、普段意識することなく発声している
声の大半を失った夫の不便さを、再認識したのだった。

73歳、4年半で500日の入院をし11回の手術をした身体は、ボロボロです。
手術の中でも、13年8月15日の食道再建胃管胸骨前手術は心身ともに
大きな大きなダメージを与えました。2011年10月の出来事がなかったら今ほど
苦しい老後を送らなくてもよかった・・・・と思うのです。

        @IMG_1054@@.jpg

真ん中の傷痕の上の方に、感染症のため直径5ミリほどの穴が、
3年ぐらい開いてふさがりません。
現在はもっと痩せています。大の男の体重が44キロ~45キロです

結婚して47年目、今後も夫にはこの苦しい生活が続きます。

羨ましい健康

何度か書いたが、去年から2年間自治会の役員をしている。
戸数380戸余りの自治会はなかなか大変である。
以前は自治会も管理組合も夫任せだった。
しかし人工血管再置換後、何回もの全身麻酔のため、ほとんど声が出なくなった夫に代わり、
私が出るようになった。
役員はほとんど60代~80代で構成されているが、みなさんお元気である。
夫と同年代の方の元気が羨ましい。

11回もの手術に、かろうじて耐えた身体は、奥の深いところから悲鳴をあげている。
体重はここのところ減少傾向で45キロ~46キロの間。
大の男がこの体重では、自分の身体を持て余すのも無理はない。
4年10ヶ月前までは、こんな老後になるとは思わなかった。

声は3回の手術で出るようにはなったが、満足のいく声量ではない。
相変わらず掠れていて、聞き取り難い。

11年10月に倒れていなければ、否.一年後、感染症MRSAに罹らなければ、
否々大量の吐血さえしなければ…と悔いは尽きない。
あんなに元気だつた人が、20キロも痩せて全身の筋肉が落ち、
見るに耐えない憐れな裸体を晒す。
そりゃあね、72歳の老人だもの、若者の肉体美の足元にも及ばないけど。
でも老人は老人なりに健康ならば、それなりの身体だと思う。

おまけに感染症の影響で、もう3年もの間、胸に開いた直径5ミリほどの穴が塞がらない。
したがって、真冬のどんなに寒い日でも、肩まで浴槽に浸かることが出来ない。
毎日薬を塗ってガーゼを交換し、テープで止める。
いくら肌に優しいと謳ったテープでも、3年も毎日毎日テープを貼っていると
肌がかぶれる。もうテープを貼る場所もない感じになっている。
でもガーゼを止めるにはテープを貼らないといけない。

3分の1になった胃は、食べ物を一度にたくさん摂ることもできない。
そして健康な胃には入り口に弁があるのだが、それがないため
お腹が空いても満腹になっても、胃液が上がってくる。
もう少し楽に暮らせたら夫はもちろん私も楽なのに・・・。
塩分とカリュウムの制限もある。

元気なシニアがつくづく羨ましい・・・。

退院

28日の午後予定通り退院をして来た。
午後のリハビリ後の退院なので、リハビリルームへ行き、
リハビリの様子を見る。
年配の先生も出勤しており、リハビリは順調であり、退院後の
通院リハビリの必要はないとのこと。
先生に「自転車禁止令」を出して貰おうと思い、話した。
すると「自転車に乗るのに必要な筋肉が、落ちているので禁止令は出しました」
「今自転車に乗るのは、また怪我をしに行くようなものです」とのこと。

やっぱりそうなんだ。買ったばかりの自転車が勿体ないなどと言っている
場合ではないのだ。

昨日は図書館、今日は散髪にと慣れない杖を持って出かけて行った。
大の男が48キロしかない体重は、身軽で動くのは楽なようだ。

順調に

リハビリは進んでいます。
GW前に退院の予定ということです。
私にすれば、GW明けまでおいてほしいところです。
転院でもなく、通院リハビリもなく退院・・・そんなぁ。大丈夫なの??

私は二種3級の身障者、夫は現時点で一種4級の身障者。
今回の手術で、夫も3級になると思います

リハビリが順調とは言え、大きなリスクを負った身体で、これまで通り
生活が出来るのかどうか不安です。

         ↓また一つ増えてしまった手術痕

          kizu.png

11回目の手術

昨日、人工骨頭と臼蓋置換の手術を無事に終えた。
今回の手術は素直に私の忠告を、聞いていたら避けられた手術。
整形外科と言う、夫には初めての分野の手術である。

待つ方は11回目といえども、決して慣れるものではない。
そのたびに肩に力が入り、時計とにらめっこをするのである。
手術時間は3時間、予定通り終わりホッとする。

11回目の手術と言うと医療従事者でも、みなさん「ほ~・え~」と感心?される。
それはそうだろう。
しかも11回目の手術が11日なんて洒落にもならない。

そして今日の午後から、早速リハビリが始まった。
長さ3Mぐらいの平行棒に掴まって片道だけ歩いた。
先週水曜日の夕方から、じっと寝たまんまだったので、脚の筋力がかなり落ちており
足元は非常におぼつかない、それでもなんとか歩けたのでよかった。

明日からしっかりと、リハビリに精を出してもらわねば。
この病院は急性期の病院ということで、入院期間は2~3週間。
その間、かなり歩けるようになっておかなければ・・・。
2~3週間で退院なのか、あるいはリハビリ病院へ転院なのか、まだ
ハッキリしたことは解らない。

心配事

いつも心配をかけている夫の妹や兄に、手術が無事に済んで
退院をしたと報告をした。
ついでと言っては何だが、義妹に脳内出血でもう5か月も昏睡状態の
旦那さんの様子を訊いた。
義妹の旦那さんのHさんは、糖尿で左足の膝から下を切断、その後、
脳梗塞で右半身麻痺。
そして5か月前、脳内出血を発症したのだ。
一時名前を呼ぶと声のする方を向いていた。もちろん視線は合わなかった。

右脚に触れて「脚上げて」と言うと動かしていた。
ただ名前を呼ばれて返事が出来ないこと、体の自由が利かないことが
悲しいのか、声にならない声で泣いていた。
面会に行っても悲しくなるだけだった。

それが今は何も反応がなくなったという。
名前を呼ばれてもスースー眠っているだけだという。
食事はずっと鼻から・・・。

義妹に辛いねと言うと、もう腹をくくった。
今よりよくなることはあり得ないという。
生まれたての赤ちゃんでも、おっぱいを飲んで手足をバタバタさせる。
赤ちゃん以下だという。
緊急搬送された病院から今の病院に転院したのが12月。
そして今の病院にいられるのは6ケ月、後3ケ月だという。
次はどこで引き受けてもらえるのか、見当もつかない。
今いるのはリハビリ病院だが、リハビリはしていない。

もうだいぶ前に「もしものことがあった場合、延命措置をどうするか
親族で話し合ってください」と言われたと言っていた。

現在72歳、本人には自分の状況は何も解らないだろう。
厳しい現実を突きつけられている。

夫のように10回も手術をして、なおも苦しい中でも生かされる。
どちらがいいか悪いかは一概には言えない。本当に人生色々。
神様の掌にある命だとつくづく考えさせられる。

退院

29日(火)の午前中、無事退院をしました。
声の方は今までと比べ物にならないほど出ていますが、やはり今までの声とは少し違います。
そして声の切れが悪いです。やはり完璧とは言い難いのでしょう。
本人も第一声の前に、ス~と息が漏れる感じがするといいます。
それでも語尾の掠れはほとんどなくなったので、聞き取り易くはなりました。
これ以上の贅沢は言えません。

また一つ、よく見える場所に大きな大きな傷が出来ました。
手術直後は喉にびっしりとテープを貼っていましたが、テープをとると
顎の下から広範囲で内出血があり、腫れて二重顎になっていました。
今はだいぶ内出血が吸収されて、範囲が狭くなっています。

まあ本人は元気で食事も摂れていますので、良しとすることにしましょう。
夫は30年余り前に人口鼓膜再生の手術をしていますので、それもいれると
今回で11回目の手術でした。
こんなにたくさんの手術をして、なお生きている人を私は知りません。

人間一生のうち、一度も手術などせずに逝く人も大勢あるのにと思うと、
貴重すぎる体験をしてしまいました
しかも10回の手術は、2011年10月以来4年5か月間のことです。
今回の入院で、総入院日数は500日を超えました。

無題

≪お見苦しいですが、術後5日目の画像です。≫

10回目の手術

予定通り23日の午後2時入院、翌24日の午後3時50分から手術でした。
手術は無事に終わりました。とはいうものの4~5日喋ることが出来ないので、
本当に声が出るようになったか否かは、現時点では判らないのです。
元のようになる見込みはないでしょうが、少しでも生活のレベルが上がればいいと
願っています。

今回の手術法はこれと言う初めて聞く手術で、手術時間は約3時間半。
手術室へは自分の脚で歩いていきました。
10回目の手術も安心できる手術ではありません。
何度経験しても、家族待合で一人待っている時間は、厭なものです。
重苦しいものです。もしも・・・とよくないほうについ考えてしまいます。

そこへ行くと、お産を待っているご家族は賑やかで楽しそうです。

〈家族待合少し静かにしてほしい     タンポポ〉

手術が終わったあと、立ち会ってはいませんが、病室に戻り喉の状態を
ファイバースコープで診たようです。
術後あまり痛みはなかったそうですが、痰がきれず、眠れなかったといいました。
会話ができないので一方通行の筆談です。

22日の夜12時以降は絶食、23日の11時以降は絶飲食でした。
今朝お粥でやっと人心地ついたそうです。
今朝も診察があり、腫れもなく順調とのことです。
午後部屋に行くと本を読んでいて、顔色もよく安心しました。
一週間後、無事に声が出て退院できますように・・・。
これでもまだ声が出ないようなら、もう一度日帰りでコラーゲンの注入をすると聞いています。
もう今回で最後にして欲しい。

この3日間とにかく疲れた・・・。

10回目の手術に備えて

明日の午後から、夫は一週間の予定で入院、手術である。
もはや何度目の入院か、記憶が定かではなくなっている。
たぶん8回目だと思う。
そして手術は、2011年10月から数えて10回目になる。

手術は簡単に言えば、ほとんど出ていない声を戻す手術。
過去に2回、反回麻痺の手術を受けたが、思うような結果は出なかった。
声がほとんど出なくなって、もう2年余りが経つ。

今回も出るようになるかどうかは判らない、運を天に任せるしかない。
生まれたての赤ちゃんでも、教えなくても大きな声が出る。
70年普通にしゃべってきたのが、掠れ声しか出なくなった。
本人にとっては、何ともじれったい思いであろう。
その聞き取りにくい掠れ声さえも、出すのが非常に苦しいのだ。
吸い込んだ酸素が、声帯の麻痺によって一気に吐き出されてしまうので
長くは喋ることが出来ない。生活に大きな支障がある。

手術は24日、全身麻酔であり、今回も決して楽観できるものではない。
声帯の手術だけで3度目である。
三度目の正直となればいいのだが・・・。

大阪梅田の事故

25日に大阪の繁華街で起きた、車の暴走事故は、運転手の急な病気の
発症による物と判明した。
夫が2011年10月に、当時勤めていた事務所で倒れ、緊急搬送・手術をしたのも、
この急性大動脈解離だった。
健康診断でも判らない、健康な人が突然発症する病気だと、説明を受けた。
夫も当時は健康体で、この病気に関係の深い血圧も高くはなく、むしろ低めであった。
発症すると医者の診断を受ける前に、死亡する確率が高いとも聞いた。

友人のご主人もそうだった。朝元気に出勤し、倒れる直前に友人に電話を掛けてきて、喋ったのだという。時間からみて電話で喋った直後に倒れたようだった。
人の目のある事務所ではあったが、机に伏せているのをみたが誰も気にすることなく
昼休みになり、昼食に行こうと声を掛けて初めて異変に気付いた。
その時はすでに心肺停止だったそうである。

夫が約10時間の手術で助かったのは、極々運が良かった。
術後の長い意識障害はあったが、23日の入院の後、足取りはゆっくりではあったが、
自力で退院し、一日だけ休養した。
その後、職場復帰をし、残りの半年間勤められたのは、今考えると奇跡だったと思う。

今のように弱ってしまったのは、一年後にMRSA感染症を発症したためである。
その後の度重なる緊急入院と手術で生かされて、苦しい日々を送っている。

過去記事はここ。ここ緊急入院

病気はいつ誰がどのような形で発症するかは解らない。
ハンドルを握る身としては、事故もそうだが今回のようなことも絶対避けたいと思う。
異変を感じたら直ぐ停車し、ブレーキをかけ、エンジンを切ることを心がけたいものである

脳内出血

義妹の夫のKさんが脳内出血で倒れ、もう一か月間昏睡状態になっている。
まだ72歳。いつ何時何があるか解らない。

糖尿病で左脚の膝から下を失い、その後、脳梗塞で右半身麻痺。
そして今回の脳内出血。
先日倒れてから初めて、リフトで入浴をさせて貰ったが、それでも目覚めることはなかったと言う。

夫のように何度もオペをして、十分食べられない身体で生かされるのも、
本人にとっては苦しいが、次々と重い病気に見舞われるのも苦しい。
ただ今回の脳内出血は、本人には解らない。

つくずく我々の命は神様の掌にあると思う。

神様の手に握られている寿命    タンポポ




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         イラストは無料素材屋さんからお借りしました。

オペ決める

今日は耳鼻咽喉科の受診日だった。
平成26年の人工血管再置換手術のあと、反回麻痺のため殆ど出なくなってしまった声。
その声を戻す手術を、過去に2回受けたが戻らない。
また痩せた声帯にコラーゲンを(ゴアテックス)を注入したがやはり駄目だった。
今回もこの1か月間、夫なりに受けるかどうか、かなり悩んでいた。
今朝食事のあと、「このままではどうにも不自由なので手術を受ける」と言った。

本人がまた命がけの手術を希望するなら、私は反対出来ない。
付き合うしかない。
今のままでは、2人の意思の疎通にもこと欠いている。
しかしながら10回目のオペともなると、私の心中も穏やかではない。
どこにも生きて返しますという保障がないのだ。
たった一つの命を、一体何度かければいいのだろう?

2013年8月に受けた「食道再建胃管胸骨前手術」を受けた身体は、ダメージが大きく食事の摂れる量が、限られている。
今夏の暑さの厳しい時、体重は43㌔台だった。
今はだいぶ持ち直して47㌔、それでも大の男の体重にしては軽すぎる。

今回の手術は恐らく年明けになるだろう。
主治医の師匠という先生を京都大学から呼ぶため、その医師の空いている
日になる。医師2人体制での手術となるという話しである。

命がけの手術をする以上、せめて今より楽に声が出るようになって欲しいと思う。

左目術後3日め

本日も医者通い。
4日間だから明日まで。そしてその次は月曜日なのか火曜日なのか?
明日行ってみないと解らない。

医者からは左目も手術は大成功だと言われたが、
右目ほどの感動がなかった。
元々左目の方が、網膜の状態が悪かったので、視力もあがっていない。
視力は一カ月ぐらいで落ち着くと言うことだが、今日の左目の視力は0.8だった。
左眼だけで見ると、色彩も文字も右目とは全く違う。

カメラのレンズに例えられる水晶体の濁りが取れたことで、網膜の状態が
よく診ることが出来るようになった・・・これで良しとしよう。
通院はまだ続くし、一日5回の目薬もまだまだ続く。

今日から約一カ月の間、貸し出し用の手元用の眼鏡を借りて来た。
やはりよく見える。今までは新聞などは裸眼で見ていたが、PCを触る
時だけ老眼鏡をかけていた。

眼科の隣にある眼鏡屋さんによると、術後の視力は日々変わるそうで、
視力が落ち着けば、手元用の眼鏡を作る必要があるようだ。



昨日叔母と話をしていて、加齢黄斑変性の話しになった。
90歳の叔母はこれに罹っており、物が歪んで見えるので1人では
遠出が出来ないと言う。


試しにここでチェックすると、右は歪みもなくきれいに見えるが、左は一部歪んで見える

術後3日め

右目の白内障の手術をして今日は3日め。
手術の翌日、目を覆っていたガーゼをとった瞬間ビックリ
予想を上回るクリアーな世界が広がった。

術前医師からは「手術をするとこれからの季節青空が大変綺麗に見えますよ。白い物はより白く、全く別の世界になります」と言われていた。

ところが私「今も綺麗に見えているし、裸眼で新聞が読めるし・・・」と本気で思っていた。
夫の9回に及ぶ手術で、今もほとんど声が出ない状態の中、夫婦で医者不信になっている。
だから頭から疑ってかかっていた。

ところがどうだ、未手術の左目と比べると、雲泥の差である。
今まで見ていた青さ白さは、かなり濁っているのだ
疑ったことを反省している。

眩しいくらいに青く白い。
新聞がこんなに白かったとは・・・。
色んな色に囲まれて生活いるが、藤色だと思っていたTシャツが紫に近い。
ベランダのお花の色も、思っていた色より鮮明な色をしている。

今は毎日術後の通院をしている。
医師は手術は大成功だと言ってくれた。
視力も術前は0.7ぐらいだったが、今日測ったところ1.2まで出ていた。

iphoneもiPadPCも、今までと同じでは眩しいので、少し彩度を下げた。

それぞれの手術は違うかも知れないが、同じ日に7名が手術を受けた。
手術そのものは、考えていたより簡単だった。
リラックスさせるためか手術室には、静かに音楽が流れていた。
術中ずっと目の上を水が流れてるようだった。
恐らく消毒液や目薬だったのではと思う。

手術室へ入って出てくるまで、約20分ぐらいだった。
術中、術後、痛くも何ともなかったのが嬉しい。

今は寝るとき以外は保護眼鏡をしている。
寝るときはガーゼをテープで止め、上からカップを被せそれをまたテープで止めている。
今日から、首から下はシャワーが出来る。
うっかり顔にシャワーを掛けないようにしないと・・・。
実は昨日の朝、歯磨きをしていて保護眼鏡がずって来るので、外していた。
そして歯磨きをしたその流れで、目をつむっていたが顔を洗ってしまった。
慌てて目薬をさし、診察時そのことを報告するも異常がなくホッとしたのだ。

来週左目の手術をする。
今度は安心し、医師を信じて受けられると思う。
案ずるより産むが易し、こんなことをいうのだとつくづく思った次第であった。

イマイチ気乗りがしないが・・・

いよいよ明日、日帰りで白内障の手術をする。
明日は右目、来週は左目をする。

今新聞が裸眼で読めるので、不自由をしていない。
よって気乗りがしないのである。
ただ糖尿があるため、診察で目の奥の状態を診るにはレンズが
曇っていると見にくい。それで手術を決めた。

尤も手術の話しは2年前から出ていて、度重なる夫の入院で延び延びに
なっていた。
夫の様子をみて、大丈夫そうなので、今回決めたと言うこともある。

2~3日は、テレビもPCもiphoneとも距離をおかねばならない。
当然、車の運転もしばらく出来ない。
顔も洗えないしメイクも出来ない。
シャンプーもしばらく出来ない・・・

あ~あ、どうやって生活をしよう・・・(ーー;)



今日は

夫が最初の手術から一年後、街中で倒れ救急搬送された日になる。
ここからどうぞ。

この時もまさか・・・であった。
感染症との長いつきあいの日が始まったのは、この日からだった。
11年と言い12年と言い、青空が気持ちのよい10月は我が家の鬼門だと思う。

あれ以来昼夜を問わず何度発熱の度に、救急外来に駆け込んだだろう。
たいていは、そのまま即入院となった。

もちろん今だっていつでも熱が出たら、救急外来に行くことになっている。
今は感染症の数値CRPが落ち着いており、この1年半ほどは救急外来とは疎遠になっている。




   pics187.jpg

  高熱の中で命の音がする   タンポポ
イラストは無料素材屋さんからお借りしました。




これで安心してはいられないのが、メシチリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)の怖さである。
これから寒くなる季節、体力のない夫には厳しい季節になる。
風邪を引いても、開業医には診てもらえない身体、十二分に
気を付けねばならない。

発病記念日

もう少し前向きなネーミングは、ないものかと考えてみたが思いつかない。
今日で夫が倒れて丸4年になる。
これが3年半で、約500日に及ぶ入院の始まりである。
いつものように食事をして出かけた夫が、事務所で倒れた急性大動脈解離との
闘いの幕開けである。

詳細は予期せぬ出来事からどうぞ。

夫も色々思うことがあるようである。2人の老後の生活設計が狂ってしまった。
ましてや一年後に発症した、感染症に起因した諸々のことですっかり弱ってしまった
病人は耐えがたい苦しみの日々をおくっている。、
私だって同じだ、病気ほどの苦しみではないが、苦しそうな病人を傍で見ているのは
とても苦しい。

悔やんでも元には戻らないのは解っている。
今後、快方に向かうことも望めない。
反回麻痺で殆ど出なくなった声も戻りそうにない。
食事が今より楽に摂れるようになることもない。
1年3カ月前から、胸に開いた直径7~8ミリの穴も塞がらない。
寒くなっても、肩までお風呂に浸かることも出来ない。

生かされて、こんなに苦しい思いをしていることを、医者はどう思っているのだろう?
全幅の信頼を寄せていたが、少しずつこの信頼が揺らいできたのも事実である。

そうかといって、今の夫を診ることの出来る医療機関は、この病院しかないのだ。
心臓血管外科、感染症内科、腎臓内科、外科、耳鼻咽喉科、今後もこの病院の
お世話になるしかない。
最高水準の医療機関であることは、素人にもよく理解は出来る。
でも、しかししかし・・・なのである。

助けていただいたたった一つの命ではある。ことも重々解っているし感謝をしている。
しかしあの吐血を防げなかったのは、解せないでいる。
あれさえなければ、こんなに苦しい思いをしないでもすんだ。


  kumo@.jpg

癌との闘い

9回も手術をした夫は、癌でもなく生かされている。
食道を失い、毎日苦しい思いをしているが、癌ではない。

私の周囲には癌で、命を落とした友人知人が多い。
膵臓癌で亡くなったKさん。
子宮癌で亡くなったTさん、Mさん。
乳がんでなくなったHさん。
骨肉腫で亡くなったTさん。
この骨肉腫で亡くなったTさんは、「愛と死をみつめて」の大島みちこさんと
同じ病気だと言えば、同年代の方はご存じだと思う。

やはり癌は怖いなと思う。
出来るなら癌以外で逝きたい。

93歳の母はも、しかしたら大腸癌かも知れない。
もう数年前、特養にいるとき入院し、医師からそう言われた。
ただ高齢のうえ、検査が苦しいこともあり、医師からは検査を勧められなかった。
私たち三姉妹もそれに同調した。
もし検査をして癌が見つかったとしても、二つ折れの母の手術は容易では
ないことは想像できる。
これは我々3人で決めた。三姉妹ははるばる阪神間から面会に行っているのに、
地元に住み20分もあれば行ける兄夫婦は、一切面会にも行かない。
そんな兄たちに言う必要もなかった。
それから母の体調に大きな変化もなく、穏やかに暮らしている。

そして今また幼なじみが、乳癌ステージ3を宣告されたと知った・・・。
安易にかける言葉が見つからなかった。
気持ちがざわざわする。


     @IMG_0464tuyu.jpg



  

またしても・・・

またまた夫の病気のことで申し訳ないのですが・・・。
昨年の2月に大動脈の人工血管再置換の手術をして以来、ほとんど声が出なくなっている。
それは日常の生活に、大きく影響している。

     jinnkoukekkan.jpg
↑赤い部分(大動脈)の血管を再置換しました。



何回もの全身麻酔で、左の声帯が反回麻痺を起こした。
昨年12月に、声を戻すべく反回麻痺の手術をしたが駄目だった。
そしてもう一度、9回目になる手術をしたが、やはり駄目だった。

今回、痩せ細った右の声帯に、声帯内注射療法として、牛から採ったアテロコラーゲンを注入した。
声帯がふっくらすれば、声がでる筈だった。
しかし左の声帯麻痺の手術が、不成功に終わり、これはもうここまでが限界と言われている。
その上で最後の手段としての、声帯内注射療法だった。
今日で3日め、何ら変わりがない掠れ声しか出ていない。。
1ヶ月2ヶ月する内に出るようになるならよいが、あまり期待も出来そうにない。
人間らしく普通に言葉を話す、そんな望みがことごとく打ち砕かれる。

命があるだけよしとするべきなのだろうか?
直ぐ傍で話しを聞いても、中々聞き取り難い。
無駄話しをする余裕もない。
普通に会話ができないことの不便さは、考える以上に不便である。
どうしても聞き取れない時は、最終手段としてホワイトボードを使う。
本人が一番不自由で、困っているのは解っているが、私のストレスはたまる。
ただ私のストレスから来る逆流性食道炎は、この状態を受け入れたのか、
慣れたのか、酷かったゲップは、かなり治まり楽になっている。

我が家の医療費は

恐ろしいことになっています。
市には悪気はないと思いますが、↓の、お知らせが来ると申し訳ございません。
ありがとうございます、と頭をさげています。
いくら頭を下げて申し訳ないと思っても、生きている限り薬の必要な身体なのです。

夫婦2人の2ヶ月分の医療費です。2人分で約500,000円。
夫は一割負担、私は3級の身障者のため支払いは少ないのです。
国保の料金も高いなと思っていますが、この金額をみるとありがたい物です。
そしてわずかではありますが、毎月高額医療費が返金されますm(_ _)m

2ヶ月でこの金額は、我が家の年金ではとても支払えません。
貯金を取り崩したとしても、直ぐに底をついてしまいます。


山ほど飲んでいる薬代が高いのです。
いつも行く調剤薬局さんのお得意さんです。
そのうちお中元やお歳暮が、届くやもしれません。

開業医で診察を受けられない夫は、今日は大学病院の歯科口腔外科に行っています。

通院の、9回13回は私のリハビリですが、料金の支払いは一つの医療機関で、月に2回です。
健康保険のありがたさが身にしみている年金生活者です。

@IMG@l.jpg

肩の痛み

もうずっと前から、クロールをする時、左の肩がスムーズに回らなかった。
それから何年もして、左手首の橈骨を骨折した。
骨折が治ってから、三角巾で腕を吊っていたせいか、肩こりが酷く、肩も痛いので受診した。
五十肩の診断が下ったのは、6年ぐらい前のことになる。
その後、まじめにリハビリに通い鍼も打った。
それでも思うように良くならなかった。
ところがある日、突然うそのように軽くなり、回しても痛みがなくなった。
その間、3年ぐらいかかったように思う。

痛みがないというのはありがたいことなのに、それが当たり前になるとそのありがたさを忘れてしまう。
そうして浮かれている間に膝を傷め、古傷の腰まで痛くなった。
また整形外科通いが始まった。

忘れていた肩も、また少しずつ痛くなってきた。
五十肩が、治りきっていないものと勝手に思っていた。
かなり気になり受診をし、レントゲンを撮った。

その結果、肩の骨が石灰化していると言われ、今は肩の治療もしている。
ググってみると石灰化は
急性型(1~4週間)
亜急性型(1~6ヶ月)
慢性型(6ヶ月以上)
と言うことで、私のは慢性型になる。

石灰化と診断されて一ヶ月以上経つが、いっこうに治る気配はない。
近々再度診察を受けようと思っているが、慢性化したものは治るのかどうか?
素人考えで、鋭い骨のようにとがっている石灰化した部分が、丸くなったり消えてなくなったり、しないのではないかと思う。
寝返りを打つと痛いし、シャンプーをするとき、頭に持って行った手を下ろす時が痛い。
ハンドルを右に直角に切るような時も痛いし、後ろ手にものを取るときなども痛い。
厄介なことである。

ちょっと痛いなと思った時に、診察を受ければよかったと、後悔しても遅い。
歳を重ねて良くなる物はないなと、つくづく先が思いやられる。

しかししかし長寿の家系で認知症の家系でもある。あ~~嫌だ嫌だ。


採血

眼科へ行ってきた。
白内障の手術が夫の入院で延び延びになっている。
夫の病状は決して良くはならないが、悪いなりに落ち着いている。


闘病は続く命のある限り   タンポポ

そこで、ここらでそろそろ・・・と思った次第である。

色々検査をし、採血となった。
血管が細く、肉に埋まっているのか、採りにくいのは事実。
自分でもよく解っている。
しかし、毎月行く内科では失敗したことがない。

尤も以前行っていた内科では、ごくまれにしか採れなくて
しかも医師にも採れなかったので、医院を変えた。

眼科の看護師だって国家試験を通っているはず、でも採れなかった。
3度刺して痛いだけだった。
すっと採れるのは痛くないが、刺して針の先で探られると、めちゃくちゃ痛い。
手の甲で、採りたそうな様子だったので断った。手の甲で採ると後々まで痛いのだ。

看護師も医者も、採血をすっかり諦めた様子なのがカチンと来た。
内科で感染症がないかどうか、調べてきて欲しいと言う。


私だって下手な看護師に、何度も刺されたくはないので
内科で調べることにした。


↓何度か登場の拙句

穿刺失敗謝られても刺され損  タンポポ
kenkoushindan_saiketsu@.jpg

限りある命

関東に住む川柳仲間が、ブログ上で癌を公表した。
胃癌だと思っていたのが膵臓癌と発覚、すでにあちこちに転移していて
余命3ヶ月だと言う。
抗癌剤治療や放射線治療をしても余命は半年だそうで、延命治療をせずに
楽しく暮らしたいと本人の希望。
とはいうものの、きっと強烈な痛みにも襲われるだろう。
恐らく最後まで楽しくとは行かないと思う。
どうぞ貴方らしくその時を迎えて・・・としか言えない。


膵臓癌は怖い。
約40年前、出向先から公務員宿舎に引っ越しをした際、階段の方々に
挨拶に伺った。お母さんが入院中のお家が一軒あった。
入院したのが3月末と聞いた。そして亡くなったのが7月だった。

長女と同い年の女の子がいて、すぐ仲良くなり毎日一緒に遊んでいた。
そしてその日は、幼稚園の七夕発表会の日にやって来た。
ケータイのない時代、幼稚園に連絡が入ったのだろう。
お父さんが急いで、出て行くのが見えた。

一度もお顔を拝見することもなく、お声を聞くこともなく逝ってしまわれた。
たしか35歳だったと思う。

35歳になったとき、何かあるのではないかと不安で怖かった。
大きな宿舎だったので、住んでいた間に何人ものお母さんが亡くなられた。
まだ小さな子どもを残して、逝かなければならないお母さんたちの気持ちは
如何ばかりだっただろう。


仮に今、私が死ぬことになれば、一番の心配は病身の夫である。
40歳を超えた娘たちに心配はない。

少し涼しくなったら、その時に備えて断捨離をせねば・・・。

耳鼻咽喉科受診結果

昨日、耳鼻咽喉科の声帯専門医を受診して来た。
受診して出ていない声が出る由もない。
医者の「一筋縄では行きませんなあ」と言う、言葉通り結果は芳しくない。
良い方の声帯は、痩せてその所為で思うように動いていない。
手術した方は、血豆が出来ている。
一ヶ月様子をみて、血豆が引けば痩せた声帯に、美容整形で使うシリコン?を注入する。
その時、血豆が引いてなければ、注射針で血を抜く。

夫は子どもの時の中耳炎で、少し聴力が悪い。
40歳代の初めに鼓膜再生術を受けた。
耳だれは解消したが、聴こえの方は戻らなかった。

声が出難い上に耳が悪い。これでは、意思の疎通にことを欠く。
血豆のせいかどうか、食べ物が飲み込み難いと言う。
たくさんは、食べられない食事が暑さもあって、ますます食べられなくなっている。
この夏を無事に越せるかどうか…。
只今体重は45キロ、大の男が45キロでは体力を保持するのも、難しいと思う。

今朝もあまりにもしんどそうなので、「何が一番しんどい?」と訊いた。
即座に「生きていること」と答えが返って来た。
冗談ぽかったのが、少し救われた。
しかしながら、これは本心なのだと思う。

ただの一度のオペもせずに、呆気なく逝く方もあるが、夫のように9回も
オペをして生かされるのも、苦しいことである。
本人はどう思っているか解らないし、どちらが良いとは言えない。
ただ間近で見ていて苦しさは解る。
夫は生かされて苦しいが、みている私も苦しい。

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  空よ雲よ少し夫を楽にして   タンポポ

3科受診

昨日、腎臓内科、心臓血管外科、耳鼻咽喉科の3科を受診した。
駐車場へ入ったのは12時36分、出たのは5時10分。

腎臓内科では貧血が進んでいるとのことで、注射をした。
カリウムの数値は基準値内に収まっている。果物と生野菜を控えた成果だと思う。

困ったことに、血清中の血糖値が高かった。
昼食を摂って約1時間後ではあるが、高い。
5食を摂る身体になって、1食はカロリーの高い甘い物を摂ってきた。
全身状態の悪い夫の身では、糖尿の心配はいらないと言われてきたので、
少々心配しつつも、食べてきた。
4週間後、ヘモグロビンA1cの検査をする。
ちなみに夕食後2時間で計った血糖値も高かった

次は心臓血管外科。
たくさんの薬が処方されたが、変わりなし。

最後に耳鼻咽喉科。
術後、傷口に貼っていたフィルムをはずす。
傷口はきれい。縫っていないと思っていた傷口は、見えない奥で
縫ってあるという。
鼻からカメラを入れて喉をみる。
声を出してみるも、掠れ声で思ったほど出ていない・・・。
もう少し出なければ会話に不自由する。

刺激の少ない別のテープ4枚を、横に少しずつずらして
今後3ヶ月、貼り続ける。
痩せて喉のあたりが、皺々になっているので貼りにくい。


9回目のオペ

9回目ともなれば、本人より私の方が良くも悪くも、慣れっこになった気がする。
普通9回の手術なら手術痕は9カ所だと思うが、夫は現段階で13カ所ある。
背中の広背筋を切除した痕は大きい。

年末に反回麻痺の手術をしたのにも拘わらず、すぐに出にくくなった声を戻す
手術を昨日、日帰りでした。
喉に入れているシリコンの調整&シリコンを増やすオペである。

予定通り2時から1時間半で手術は終わり、30分後に様子をみたいという、
医師の見解で、5時前には会計を済ませ帰路についた。
次回の受診は30日、声帯の手術後は、あまり声を出してはいけない。
とは言っても、つい出にくい声を出してしまう。
前回も使ったホワイトボードで、一方通行の筆談をしている。

昨日から聞いていた通り、病院から電話があり、喉に止めているガーゼとテープを
指示されるままに取ろうとした。
ガーゼに着いた血が乾いて、傷口に貼ってある透明フィルムが半分めくれた・・・
だから一晩泊めて欲しいと思ったのに、私は看護師でも何でもないのに。
このフィルムが取れると、傷口には何もない。
傷口は今回縫ってないし・・・
もう一度午後、電話がかかってくる。
このフィルムがピタッと貼れてないと、シャワーも浴びられない。
何より、ばい菌が入るかも知れない。
夫は感染症なのに・・・

MERSとMRSA

韓国で多数の死者が出ている感染症は、MERS。
夫が健康な食道を、切除することになったのはMRSA感染症。
字面だけみるとよく似ているが、全くの別物。
この感染症の所為で、昨年7月から胸に穴が開いたまま塞がらない。

私が大学病院に行ったのと同じ日、夫もかかり付けの病院の感染症内科へ行った。
いつものように血液検査をした。
感染症の数値CRPは悪くないが、カリウムの数値が上がっていた
このところ朝晩だけ飲んでいた、カリウムを下げる薬をお昼も飲むようになったと
下げて帰ってきた。
カリウムは生野菜や果物に多く含まれている。
身体に良いとされている食物に、多く含まれており厄介なことだ。
何より生野菜と果物が大好物なのに、これからの季節、西瓜を思うように食
べられない。食べられない本人を目の前にして、私だけ美味しそうに食べる
わけにもいかない。
しかし踏ん張って自重せねば、最初に倒れて以来、片方の腎臓しか機能していない
身体は、透析を受けるようになっては、もっと困る。

カリウムと塩分の制限・・・減塩調味料にはカリウムが含まれている。
何を食べて生きていればよいのやら?ため息ばかりでる。

発声

昨年2月7日の”大動脈人工血管再置換手術”以来殆ど声が出なくなっている夫は、
年末に声を戻す手術をしたが、また出難くなっている。

昼食にパスタを食べるとキッチンに立った夫が、何かを言っているが聞き取れない。
サイダーと聞こえ、??と思い、近寄って聞き直すとタイマーだった。
こんなことは、一日の内何度もある。
私の聴力も落ちているとは思うが、やはりかすれ声が大きな原因だと思う。

来週は中学の同窓会がある。倒れて以来初めて出席を予定している。
その件で先程、同級生から電話がありった。
取り次ぐ時、かなり聞き取り難い旨を伝え電話を代わった。
長電話ではないが、話すほどに段々出なくなって来るのが解る。
夫が喋った何%が伝わったのだろう。
60~70%伝わっていればいい方かも・・・

食事も一度にたくさん摂れない。小さくなった胃にはビールなんて
とんでもない。好きだったアルコール類は、お正月にワンカップを
1本飲んで以来飲んでいない。

これでは久しぶりの同窓会も、楽しめないだろう。
元気な友人たちを見て落ち込むだろう・・・

通院日

一旦父の回想を横に置いておいて・・・


@2R0019885@今日は夫の通院日、久しぶりに神戸の病院へ付いて行ってきた。
心臓血管外科の受診と腎臓内科の初診。この病院にかかっている科は、メインの心臓血管外科、感染症内科、泌尿器科、耳鼻咽喉科、形成外科、そして腎臓内科の6診療科目になる
上得意ではないだろうか。

3月中に予定していた、9回目の手術をしなくてよくなった、とは言っても胸の穴が塞がったわけではない。
もう丸々8か月も開いたままである。予定していた手術をしても、また同じ経過をたどるかも知れない。感染症がある以上可能性が高い。同じように穴が開いて一年になる方があるらしい。その方は2回手術をしたが、やはりまた穴が開いてしまったという。夫のはそう大きくも、深くもないということで見送った。


年末の入院以来、高い数値が続いているカリウムの件で、腎臓内科を受診した。
服用している薬の副作用でもあるが、その薬の服用は止められない。
専門医の診断の結果、カリウムの数値は高いが、片方の腎臓しか機能していない割には、腎臓そのものは、まだそう悪くはない。GFRの値は38あり、2011年に倒れて以来、急激な変化はないとのこと。
透析を受けねばならなくなるのは、この数値が10以下だそうで、今のところはセーフである。
一番懸念していたのでホッとした。なにぶんにも亡くなった腹違いの兄と姉は、腎臓が悪く透析をしていた。
そしてもう一人の兄も透析をしている。母親は違うが、腎臓の悪いDNAを持っているのだろう。

時間があれば栄養指導を受けるようにとのことで、診察後、受けてきた。

カリウムの知識として、たくさん含む食品=生野菜・果物・中でもバナナは多い、とこれぐらいしか知らなかった。
生野菜と果物の好きな夫が、これらを食べられなくなるのはキツイ。

栄養指導を受けてよかった。
生野菜は小さくして水に一時間ぐらい浸けておけばカリウムは殆ど抜ける。
カリウムは蒸したり、揚げたりしても抜けない。火を通せるものは水に浸けてからゆでる。
少し手間はかかるが、こうすれば生野菜も食べられる。果物は少し減らさねば・・・。
缶詰ならOK。
炒め物も一旦水に浸けたり、茹でてから使えばOKなのだ。

後何年生きられるかは解らない、また透析をするようになるかも知れない。でも少しでも先伸ばしが出来たらいいと思う。

現状より良くなることは望めないかも知れないが、古女房の面子に掛けても、少しでも今の状態をキープしたい。
毎朝食べる生野菜を、こうして食べることで僅かでも数値が下がれば、御の字というものである。

病院通い

今日は私の通院日だった。
酷い日はチョットしたことで、怪獣のようなゲップがでる。
逆流性食道炎の診察で胃腸科内科へ・・・。

前回は3か月前に通院し、3カ月分の薬を貰ってきた。
「お薬を飲んでどうですか」
「殆ど変りはありません」
「お薬を飲む前と比べて変わりありませんか?」
「私の生活環境が変わらないので、同じです」
「・・・・」
「ストレスに効く薬はないと聞きますし、ストレスは変わらないので体調も変わりません」
「そうですか・・・心療内科がいいかも知れませんね」
「他の人より空気をたくさん飲み込む、呑気症という病気もあります」

総合病院なので当然心療内科もあるが、とりあえず紹介はしてもらわないで、処方箋を貰って帰って来た

早食いの癖があるし、お水もゴクゴク飲んでしまう。まずこれらに気をつけて漢方薬を続けようと思う。
心療内科は、その後でもいいかなぁ・・・

夫の薬

@1IMG_2481.jpg→は朝食後の薬で、これにプラス年末からカリウムの数値が高いので、ゼリー状の薬も飲んでいる。
胃のキャパの少ない身には、食後すぐにこれだけの薬を飲むことが出来ない。
少し食道の内容物が下に下がって来たときに飲む。
もちろん同じぐらいの量の薬を3食後飲むのである。
これだけの薬を飲むには、水も一口というわけにはいかない。

この3年、46~48㎏を超えることのない体重。
3食と午前中に栄養剤を一本飲み、午後はカロリーの高いアンパンやお饅頭の類を必ず食べる。
病気をするまで辛党だった夫からは、考えられなかったことである。
それでも体重が増えない。せめて50キロになればと思うが大きな壁が立ちはだかっている。
これが近所の開業医では、歯医者にさえもかかることの出来ない病人なのだろう。

インフルエンザが大流行しているので、予防接種をしているが、もしも熱が出たらどうすればいいか。
主治医に訊くと緊急外来に来るようにとの返事があった。
12年の秋以来、何度緊急外来に駆け込んだことだろう。
生きている限り、緊急外来とも縁が切れないのだ。


私が車の運転をしているうちはいいが、免許を返納したらどうするか。
ここから神戸の病院までは遠い、救急車のお世話になるしかないのだろうか。
転院は視野に入れられないだろうか。
あまり評判は良くないが、近くに大学病院がある。

一人ウツウツ考えている。

@1R00198510


わたくしがウツウツしても花は咲く    タンポポ

通院

年が開けて10日、医療機関の診察が始まって5日。
そして・・・通院したのが3日
次は連休明けの13日。
今月はいったい何回通院するのやら?

夫一人で行けないわけではないが、インフルエンザが流行っているのでにはあまり乗せたくない。
今年は、予防接種をしていても罹ったという人が多い。
夫など罹ればイチコロかも知れない・・・。


そっかぁ電車で行かせてみようか

病院通い始まる

6日7日と夫の病院通いだった。
11月に胸骨を縛ってあるワイヤーを抜いたにも拘わらず、二つ開いていた穴の一つが、年を越しても塞がっていない。
実に半年も開いたままなのである。昨日は処置室で局部麻酔を打って少し切開した。
切開した痕がどうなっているのか、大きなガーゼを当ててあるので解らない。
耳鼻咽喉科の受診もした。鼻からファイバースコープを入れて喉をみる。PCの画面に内部が映される。
「い~」と発声しながら、声帯の動きを確認する。ぴったり閉じるのが確認できた。
まだ少し術後の出血の跡や、腫れがあるため「あ~」と発声するも途切れそうになるが、目標の10秒は続いて発声出来ている。
聞き取るのもずいぶん聞きやすくなった。次は一か月後の受診となる。

問題は厄介な胸の穴、明日9日は昨日お世話になった心臓血管外科を受診後、形成外科を受診することになっている。
外科的な手術や処置をして、早く塞がればいいのだが・・・。
このままでは、この寒い時期に湯船に浸かることも出来ない。
やはり日本人・・・湯船に浸かりたい。


ちなみに孫たちの従弟の2歳のS君は、湯船には入らないのだそうな。
フランス人のお父さんには、湯船に浸かる習慣はないのだろう。

術後一日目

昨日3時間の静養の後は、お手洗いも行き、今日からはシャワーも出来る。
ただ胸の穴が塞がっていないため、半身浴しかできない。

喉の傷は横に5センチぐらいあるが、縫っていないし、ホッチキスもない。テープを貼ってあるだけ。

これは恐らく、私の左股関節の手術と同じように、傷口から出る血とテープについている薬剤とで、傷が塞がるというものだろう。
この手術の前は、あ~と声を出しても2秒しか続かなかったのが、10秒ぐらい続くようになっているという。
まだ発生を禁止されているので、実際のところは解らない。
掠れもかなり改善されているようだ。
 

    @1R0019730.jpg          

    本日の昼食《あんかけ皿うどん・小松菜のからし和え・パイナップル》

無事に終わりました

3時からの8回目の手術は、予定より少し早く終わりました。

ご心配いただいた皆様には御礼申し上げます。

3日間は声を出すことを禁止されています。

先日100均の店じまいで一割引きで購入した、マジックボードが役に立ちそうです。
喉にはガーゼがあって傷は見えません。
部屋に戻って間もなく、心臓血管外科の主治医が来て、胸の傷の処置をしました。
昨日から塗っているバクトロン軟膏が効いているのか、傷は小さくなっているようです。
機械は昨日から、外しています。

今週はとても疲れました。
新年まで後5日しかありません、掃除もしていない我が家にも、平等に新年が来るでしょう(-_-;)
少なくとも娘たちは帰ってきます。

我が家だけ正月来ないはずはない   タンポポ

入院しました

@1R0019716.jpg予定通り昨日夫は入院した。
入院の前に、胸の傷の処置があるというので、午前中にでかけた。しかし書類上(機械上)は入院扱いとなっており、外来での処置は出来ないということで、入院指示の予定時間まで、院内で時間を潰すことに・・・

今回の入院は、初めての8階再生医療センターである。
部屋は画像のように4人部屋ではあるが縦長の部屋で4つのベッドはみんな窓際にある。
足元はカーテンで仕切られており、頭の方は壁があるので、ほぼ個室状態ベッドサイドも広い。
2年ぐらい前も、心臓血管外科で同タイプの部屋で長い間入院していたことがある。

入院してしばらくすると、心臓血管外科の医師が処置に来た。
チューブを抜いた傷口からは、術後1か月以上経った今もまだ出血がある。
CRPは正常値だと言う・・・?
しかしいつまでも塞がらないのは、素人にも何かがあるとしか考えられない。
ちょっとコンビニへ行って戻ると、お会いしたことのない3人の医師と主治医が、夫の胸の傷を見ている。
皮膚科の医師だそうだ。

さて今日の手術は3時から、こんな状態で本当に出来るのだろうか?
また感染症が悪化することは、ないのだろうか。

オペ八度これで最後にして欲しい   タンポポ

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2つあった穴の一つは塞がっている。

予定通り

七度目の入院と八度目の手術が決まった。
25日入院、26日手術、31日退院・・・

半分以上諦めてはいたが、どうしてこの時期に決行するかなぁ。
お正月に孫たちが来たら、苦しい思いをしないで喋りたいという気持ちは解る。
でもねぇ、年末しかも大晦日に退院だなんて、私の都合ってものもあるのに・・・。
入院も手術も退院も、私以外にサポートはないのに・・・
決まったものは仕方がないけど、ホントこれっきりにして欲しいものだ。

取りあえずは、よほどのことがない限り、三年ぶりに自宅で新年を迎えられることを、良しとするしかなさそうである。
ただ私の気持ちは、スッキリしませんとも
一週間の入院を終えたら、2011年10月からの入院日数は、500日を少しだけ切る。

ああ、このお金があったら自宅の全面リフォーム出来るのになぁ・・・